小中学校が夏休みに入る頃からは真夏である。空が晴れて、ギラギラの太陽がガンガン照りつける日は、散歩も辛くなる。しかし、やる。まるで苦行僧のように、あるいは、鞭打たれて快感を覚えるマゾのように、ダラダラ汗をかきながら歩く。
この時期の散歩は概ね夕方となる。だいたい4時から7時の間の1、2時間となっている。そんな時間でも沖縄の夏は、日向を歩くとダラダラ汗をかくのだ。
先週土曜日も計一万歩を越えた。一万歩のうち約八千歩は、この時期としては珍しく真昼間、その内のほとんどは家からバス停、バス停から桜坂劇場、桜坂劇場から実家までの歩き、つまり、炎天下を八千歩近く歩いたのは、映画を観るためであった。
観た映画は『トライアングル山のミックス(仮名)』、作り手の意欲は何となく解る。なので、「頑張ってるなぁ」と思い、「これからも頑張ってね」と応援したくなる。が、映画の出来は、あくまでも私の感性による意見であるが、残念ながら、炎天下の八千歩という苦行に見合うものではなく、ここで感想を述べるほどのものではなかった。
ということで、今回は沖縄の映画全般について、私の思うこと。
沖縄の映画でウチナーグチ(沖縄口)が使われる場合、ウチナーグチを理解できない倭人、及びウチナーンチュの若い人たちのために字幕スーパーが入る。ウチナーグチをヤマトゥグチ(大和口)に翻訳するわけだが、それについてちょっと注文がある。
例えば、
山ぬマジムン ユルンユナカに ヌーガナワサミチョン
これを、「山の魔物が夜中に何やら騒いでいる」と訳す。確かに、解りやすくて簡潔な文章となるが、しかし、私としてはこの場合、
「ユルンユナカに」は「夜も夜中に」と、端折らないで訳して欲しい。
また、例えば、
クヮッチーシコウティ 浜にウリトンドー
これを、「ご馳走持って、浜に下りているよ」と訳す。確かに、解りやすくて簡潔な文章となるが、しかし、私としてはこの場合、
「クヮッチーシコウティ」は「ご馳走準備して」と、より正確に訳して欲しい。
「端折らない、意訳ではなく直訳で」は、耳で聞いた言葉が、字幕のどの文字に当たるのかを視覚的に捉えることができ、ウチナーグチの単語を観客が理解してくれるかもしれないと思うからだ。特に、ウチナーグチをあまり知らない若いウチナーンチュたちのためにそうして欲しい。単語を覚えたなら、使ってみたいと思うかもしれない。
ついでに、私の感性では理解できなかったことを一つ、
『真夏の夜の夢』は確か、シェークスピアの作品であり、それに合わせたメンデルスゾーンの組曲もある。『トライアングル山のミックス(仮名)』はシェークスピアの作品を下敷きにしたらしいが、使われている音楽は何故かバッハであった。エンディングの音楽もまた、ずいぶん的外れであった。何の意図なのか、私には理解できなかった。
記:2009.7.31 島乃ガジ丸