ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

マリッジブルーみたいな

2016年11月25日 | 通信-その他・雑感

 「結婚してくれないか」とプロポーズし、「いいよ」と彼女が肯き、互いの両親の承諾も得、結婚式の日取りなども決まって行く。が、その途中、彼女から結婚の条件をあれこれ言い渡される。「えっ!」と思う事項もあったが、結婚式の日取りは決まっているし、披露宴の招待客に案内状も送っているし、今更キャンセルはできない。
 「煙草は吸わないで、どうしても吸いたいのなら外で吸って。」、「トイレは小の時でも座ってやって。」、「家事は分担、例えば、料理は私が月水金で、アンタは火木土とするなら、掃除はアンタが月水金で、私は火木土という風にするのよ。」などなどといった要請。異議申し立ては結婚後にしようと思い、取り敢えず肯いた、のが失敗。
 新婦の要請に従わないことがあると、「約束したでしょう!約束が守れないのなら離婚よ!」と怒鳴られる。ここで新郎は気付く、「あー、俺は奴隷になってしまった」と。

 マリッジブルーとは何なのかと調べた。広辞苑に記載はなく、『現代用語の基礎知識』にマリッジブルーではなくエンゲージブルーの項目の中に載っていた。エンゲージブルーとは「婚約した女性が、これからの結婚生活への不安や、婚約者選択についての後悔から、気分がふさぎこんでしまうこと。結婚後に起こるものをマリッジブルーという。」とのこと。エンゲージブルーという言葉を私はそれまで知らなくて、結婚前の不安をマリッジブルーというのだと誤解していた。また、結婚前にしろ結婚後にしろ、「気分がふさぎこんでしまう」状況は男女共通のものだと誤解していた。女性限定のようである。
 しかしだ、私はその「女性限定」には反論したい。男だって「この女と結婚してホントに大丈夫か?」と不安になり、「何でこんな女と結婚したんだ!」と後悔することも少なからずあるはずだ。昔の「女房は夫に従う」なんて亭主関白の時代ではないのだ。「結婚しちまえばこっちのもの」と昔の男は思ったかもしれないが、「結婚しちまえばこっちのもの」と、今は女の方が思う時代だ。マリッジブルー、今はきっと男に多いはず。
     

 11月18日、浦添市にある不動産屋へ行き、そこが代理管理する物件で、12月1日から私の住まいとなるアパートの賃貸借契約をした。契約の一通りの事務処理は何と、1時間15分もかかった。何故なら、契約内容の条項を細かく説明されたからだ。
 説明された契約条項の中で気になることがいくつかあった。例えば、私が「当然やってもいいこと」と思っていた「壁に釘を打つこと」が禁止、「掛け時計をどうやって壁に取り付けるんだよ!」と思う。「カビを生えさせてはいけない」というのもあった。「カビなんて自然現象じゃないかよ!」、「楽器演奏禁止」なんてのもあった。「俺のギターとサンシンはどうなるんだよー、悲しい時は歌いたいじゃないか!」と思う。にしても、
 「しかし、そんなことはよー、決める前に言ってくれよ」と私は思った。下見した時訊いたじゃないか、「借りる上で何か特記事項はないですか?」と、「2人以上住むのはダメです」とだけ不動産屋のお兄さんは言っただけじゃないか。そりゃぁ確かに、今時のアパートマンションは入居条件が厳しいという噂は聞いていた。しかしここまでとは。
 家に着いて、寝るまでは特に何ともなかったが、奴隷になる夢でも見たか、夜中目が覚めてしまった。入居条件のことが頭をグルグル回って、「あー、俺は住まいの奴隷になるかも」と不安になり眠れなかった。これって、ムーブブルーとでも言うのだろうか?
     

 記:2016.11.25 島乃ガジ丸


どこでも誰でも

2016年11月25日 | 通信-社会・生活

 テレビは、もう5年前から観ていない。テレビの情報に流されるのが嫌で、それ以前からあまり観ていなかった。新聞は、もう何年も前から取っていない。生活費削減が主な理由だが、新聞の情報より、図書館の動物や植物の図鑑を眺めていたり、シマクトゥバ(沖縄語)や沖縄関連の本を眺めている方が楽しいと思うようになった。ネットも家には引いておらず、週に1~2回、3~4時間ていど従姉の事務所へ行き、LANを使わせてもらって、ブログやメールなどアップしたり、ニュースを見たりするのみ。
 情報を遮断した隠遁者みたいな奴と思うかもしれないが、いえいえ、3年前に300坪の畑を借りてハルサー(農夫)となって以来、近所の先輩ハルサー、N爺様90歳、K爺様88歳をはじめ、Sさん、YさんNさん、Tさんら(皆年上、若い農夫はいない)と親しくなり、先日はH爺様80歳と知り合い、いろいろ役立つことを教えて貰った。
 実は、花鳥風月に浸りきる隠遁生活に憧れてはいるが、人付き合いも嫌いでは無いので知り合いは増えて行く。隠遁はまだ先みたいである。ただ、数年前から友人たちとの飲み会は断わることが多くなった。これも生活費削減が主な理由だが、酔ってバカ話だけの数時間が勿体ないと思うようになっている。もう既に明日死んでも不思議では無い年齢だと思っているので、今日の日、今の時間が概ね楽しいようにと心がけているわけ。

 1993年12月に、それまで住んでいた実家から首里石嶺の古いアパートへ引っ越した。大家夫妻と仲良くさせてもらい、アパートの住人の内、(私の好きな)若い(私の好きな)美女の何人かと仲良くさせてもらい、隣近所のオバサマ達の何人かとも仲良くさせてもらい、理髪店の亭主女将さんとも親しくさせてもらい、楽しい日々だった。
 そのアパート、600m圏内にスーパー、図書館、銀行、郵便局、バス停、飲み屋があり環境は最適。アパートには小さな畑も付いていて、週末は畑仕事をし自産の新鮮な野菜を食べることもできた。アパートがボロである以外は大満足。ずっと長く住んでも良かったのだが、部屋に白アリが発生したため、いたしかたなく出ていくことになった。
 2011年9月、現在住んでいる宜野湾市我如古のアパートに引っ越した。アパートの住人とは会釈するだけだが、大家さんとは仲良くさせてもらっている。そして、部屋はワンルームのフローリングで掃除がしやすく快適。600m圏内にスーパー、図書館、郵便局、バス停があり、ベランダ側の隣は畑になっていて、ここも環境は最適。
 そんな快適な住環境から出ていくことになった。理由は白アリではない。畑の近くに住んで、車をなるべく使いたくないという理由で今年(2016年)1月から新居となるアパートを探していた。探し続けて約10ヶ月後の11月9日、新居が決まった。
     

 11月9日、新居の大家さんと面会した。不動産屋には面接試験みたいなものと聞かされていたが、大家さんは会ってすぐに、私がここを借りることを当然であるかのように洗濯物干す時はどうする、クーラーは来年の夏前には入れるとかの説明をする。大家さんは独身(夫は他界?)の年配の女性。彼女とも仲良くやっていけそうであった。
 新居から図書館は遥か遠いが、郵便局、銀行、スーパーは600m圏内にあり、100m圏内には昔ながらのマチヤグヮー(食料雑貨商店)、昔ながらの魚屋、バス停がある。そして、どこにでも人はいる。誰でもいいのだ、出会いは楽しみである。
     
 
 記:2016.11.25 島乃ガジ丸


サトイモ

2016年11月25日 | 飲食:食べ物(材料)

 日本酒が欲しくなる芋

 沖縄の土は概ね粘土質である。私の畑ナッピバルの土も粘土質である。甘藷は、倭の国では甘藷の茎を引っ張れば芋が芋蔓式にボコボコ出てくるらしいが、沖縄ではそうはいかない。沖縄の甘藷には土がべったりくっ付いているので蔓を引くと蔓が切れる。なので、ショベルで掘る。その際、土が濡れているとショベルに土がベッタリ付き、掘り出した芋にも土がベッタリと付く。掘るのに難渋し、芋に付いた土を落とすのにも難渋する。
 今年は雨が多かった。畑の土がいつも濡れていた。特に、梅雨入り以降は毎日濡れていた。で、芋掘りができなかった。で、私は長いこと畑の甘藷を食っていない。
 10月後半から雨が少なくなって、畑の土も乾いてきて、芋掘りもやろうと思えばできたのだが、雨が多かったせいで畑仕事も遅れていて、その頃から忙しくなり芋掘りどころではなくなっていた。ということで、私は長いこと甘藷を食っていない。

 同じ芋でも、芋が地中の浅い位置にあって掘り取り易いサトイモは、すでに2株を収穫し、私の食卓に数回お目見えした。サトイモは私の好物である。私の好物はたくさんあるので、それが好物ベスト10に入るかどうかは怪しいが、少なくとも、日本酒の肴としてはベスト10に入ると思う。それが証拠に、10月から日本酒を飲む機会が増えた。
 いや、嘘をついた。「10月から日本酒を飲む機会が増えた」のは気分が秋になったからだ。暦の立秋は、沖縄ではまだ全然夏、秋分でも早い。秋分の次の寒露辺りからだと、暦でその文字を見ると気分は「秋かも」となる。実際は、秋風を感じた時が私の秋なのだが、今年はなかなか涼しくならなかった。今年の10月は記録的な暑さだった。
 それでも日本酒は飲みたい。「白玉の、歯に沁みとおる秋の夜の・・・」だ。実は、日本酒が飲みたいがために、畑のサトイモを掘ったと言った方が正解。

 サトイモ料理のことはよく知らないが、私はおそらくこれまで煮たものしか食していない。揚げても美味しいかしれない、焼いても美味しいかしれない。でも、私は、ほんのりと甘辛く煮たサトイモが大好きである。少々ねっとり感のある食感も好きである。
 今回の私のサトイモ料理は、煮て、火が通ったと思われるところで、自作のウージ(サトウキビ)液糖と醤油を加え、弱火でコトコトとさらに煮たもの。そのまま食べて美味くて、「酒だ、日本酒だ!」となり、ワサビを少し付けて食って、「旨いぜ、酒だ、日本酒だ!」となり、秋の夜、白玉を十分楽しんだ。念のため言っておくが、十分とは量の事を言っているのではない。旨さのことを言っている。貧乏人は1日1合しか飲まない。
     
     
     
     

 植物としてのサトイモについては既に、2005年5月に紹介しているが、その記事の中で私は「サトイモは皮を剥いたりしたときに手が痒くなる・・・で、生のサトイモを買って料理することは少ない。過去に2、3回しかない」と書いている。後期オジサンとなった今もサトイモの皮を剥いたりした時に手が痒くなるが、その痒さは緩い。後期オジサンの手が鈍感になっているようだ。ちなみに、その記事の中でも「日本酒の好きな私は、さっぱりとした味のサトイモが好きである」と書いてある。昔から飲兵衛なのだ。
     
     
 サトイモ(里芋):根菜
 サトイモ科の一年草。原産分布は東南アジア。方言名:チンヌク
 生育気温は25から30度。高温多日照を好む。植えてから収穫するまでに250日要するとある。10月から5月の間に植え付け、5月から12月の間に順次収穫する。
 サトイモはその茎も食用となる。ズイキ(芋茎)という。

 記:2016.11.23 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


カップ麺アレルギー

2016年11月18日 | 通信-科学・空想

 太陽がアイロンのような熱さで背中に当たる間(概ね梅雨明けから9月一杯まで)は、午前中で畑を切り上げているが、涼しくなると概ね7時頃から4時半頃まで畑仕事に勤しんでいる。実働約8時間、そんな日は弁当を持って行く。弁当は菓子パンの時も多くあるが、芋(いずれはこれが中心)やパン(ほぼフランスパン)の場合もある。芋やパンはおかずを必要とするが、それも含め、弁当は概ね前日の夜には準備している。
 1ヶ月ほど前だったか、畑に弁当持って行くの忘れてしまった。10月も中旬だというのに糞暑かったのだが、畑仕事が遅れているのでその日は1日働く予定。昼飯食わないと身体が持たない。でもご心配無く、用意周到の私は畑小屋に非常食を置いてある。
 用意周到のつもりの私だが、その時、非常食はカップ焼きそば1個しかなかった。「買い足しておかないといけないな」と思いつつ、昼飯はそのカップ焼きそばとなった。

 カップ麺は好きではないので滅多に食わない、1年でおそらく10個も食わない。家にも非常食としてカップ麺を置いてあるが、それが期限切れになったらしょうがなく食べているくらい。そういえば、家の非常食カップ麺も1個しか残っていなかった。
 その日食べたカップ焼きそば、半分くらい食べた辺りから少々胸がムカついてきた。怒っているのではなくて気分が悪くなってきたという意味。そういえば、若い頃から私はカップ麺がさほど好きではなく、オジサンと呼ばれる年齢になってからは不味いと思うようになっていた。袋麺もカップ麺ほどではないが嫌いな部類に入る。
 その約一週間後、前夜に弁当を準備するのを忘れて、畑小屋に非常食は無いということも覚えていたので、家にあるカップ麺を昼飯とすべく持って行った。そして昼食時、それを食べた。前回のカップ焼きそばほどではなかったが、「不味い」と思った。
 畑の、自然栽培の野菜を多く食べるようになって、食べ物なのか何か判らない不純物のいっぱい入った不自然食品が、私は苦手になっているのかもしれない。
     
     
 
 非常食とは何ぞや?と広辞苑を引く。「災害など非常時のために準備しておく食料」とのこと。文字通りだ。「災害など」とは地震津波などで、「非常時」とは普通の、スーパーへ買い物に行って食料を買い、家で調理するなどといった生活ができない場合のことだなと理解する。非常時はいつやってくるか知れない。最近は日本のあちらこちらで大きな地震があるし、火山噴火もあるし、史上最強猛烈台風が発生したりしているし。
 ということで、呑気な私でも非常食を準備しているわけである。私の非常食の中心はそれまでカップ麺であった。調理が簡単だし、十分なカロリーが摂取できるからだ。しかしながら、そのカップ麺が「食いたくない」と思うほど不味いと感じるようになった。自然食品の野菜を食い過ぎて、カップ麺アレルギーになってしまったのかもしれない。
 
 「さて、困ったぞ、アレルギーになっちまってカップ麺が食えなくなってしまったかもしれないぞ、さて、どうしたものか、災害は明日やってくるかもしれないぞ、他に何か非常食に向く良い食料を探さなきゃならんな」と、あれこれ想像してみた。
 スーパーに勤務する友人からアドバイスも貰って、私の考えた非常食候補は乾パンとレトルト食品。レトルトには思いの外良い物があった。・・・これについてはいつか。
     

 記:2016.11.18 島乃ガジ丸


リョウリバナナ

2016年11月18日 | 飲食:食べ物(材料)

 新たなる主食

 私の畑ナッピバルの東隣の畑は、私がナッピバルを始めた頃には既に主がおらず(歳老いて引退という噂を聞いた)、放ったらかしの原野みたいになっているが、元はバナナ畑であったようで、今もそのバナナが多く生えている。
 近所の大先輩農夫N爺様に「これはリョウリバナナだよ」と最初の頃に教えられていたが、私には「リョウリバナナ?って何?」であった。後日、インターネットで調べて、それがプランテンと呼ばれるものであることを知った。生食では無く、主に熱を加えて食されるバナナのことで、東南アジア、中南米ではポピュラーな食べ物のようである。
 リョウリバナナは既に、2013年10月に隣の畑の倒れたものを頂いて料理して食べている。その時は焼きバナナと蒸しバナナにした。「した」と書いたが、じつは、「そういえば、前にリョウリバナナは紹介していたなぁ」というあやふやな記憶があって、パソコンの中を探したらその記事があって、読み返して「リョウリバナナは既に・・・」を思い出した次第。記事は思い出したが、その味は思い出せない。ということで、

 今年10月にやってきた最強台風18号は、沖縄島をかすめる進路をとったため沖縄島及び私の畑に大きな被害はなかったが、隣の大きな房を着けたリョウリバナナの大きな幹がナッピバルのトイレに覆いかぶさるようにして倒れた。大きな房はナッピバルの敷地内にあるので、法律的にそうなのか、慣例としてそうなのか覚えていないが、取り敢えずその房は私のものであるということにして、収穫して、小屋前に吊るしておいた。
     
     
 料理方法はインターネットにあった。皮ごと焼いたり蒸したり茹でたりして食すとのこと。「焼いて食ってみよう」と私はその機会を待った。「すぐ焼いてみればいいじゃないか、何の機会なんだ?」と思われるかもしれないが、その機会とは、季節が体感として秋になる時期を待っていた。炉に火をくべるのは涼しくなってからだ、暑い時に薪を燃やすと暑さがさらに増す。「バッカじゃないの!」ということになる。「バッカ」なことをやるのは、私は嫌いなのだ。そして、今年は涼しくなるのが大いに遅れている。

 待てども待てども沖縄に秋がやってこない。いくら南国沖縄と言えど、10月中旬にもなれば例年だと涼しくなっているはずなのである。でも、今年は涼しくならない。
 リョウリバナナを収穫してから待つこと約3週間、10月最終日になっても沖縄は涼しくならない。その頃はまた、雨で大いに遅れていた畑仕事が忙しくて、のんびり焚火をするなんて余裕も無くなっていた。で、我慢強い私もついに諦めて、というか、吊るしたバナナが痛んで食えなくなることを恐れて、「焼くのは止めて蒸してみよう」と、痛み始めているのではないかと思われるものから6本を収穫し、家に持ち帰った。

 近所の先輩農夫Nさんは時々、自分の畑へ行く前に私のところへ寄ってユンタク(おしゃべり)していく。私が「焼くのは止めて蒸してみよう」と思ったその日の10月31日にもNさんはやって来た。ユンタクの途中、Nさんは「ちょっと小便」と席を立った。ちょっとはしかし、5分経っても戻ってこなかった。「雲子かなぁ?だけど、紙もスコップも持って行かなかったから野糞は無理だよなぁ」と思っていたら、Nさんが両手一杯に黄色く熟したバナナを抱えて戻ってきた。「隣のバナナが熟していたよ」とのこと。

 リョウリバナナも熟すれば甘くなって果物バナナとなる。Nさんが収穫してきた熟したリョウリバナナは2人で山分けし、その日、熟していないリョウリバナナ数本と共に家に持ち帰った。その時の熟したリョウリバナナは完熟バナナであった。熟したリョウリバナナのことを2013年10月の記事では「甘みは少なく酸味が少々強かった」と書いているが、完熟リョウリバナナに酸味は少なく、普通に美味しいバナナであった。
 その日持ち帰った熟していないリョウリバナナは蒸して食った。蒸したリョウリバナナのことを同じく2013年10月の記事では「イモのような味・・・味は淡白、甘みも少ない」と書いたが、それは「ジャガイモのような食感、味はほとんど無し」に訂正。
 「ジャガイモのような食感、味はほとんど無し」はそれだけそのまま食べただけでは美味しいという感覚は無い。しかし、それを主食、ご飯の代わりと思っておかずを添えればまあまあいける。パンの代わりとしてジャムを塗って食べてもいけた。
 「よっしゃ、俺の生きる糧が一つ増えたということだ。」と私はニンマリ。
     
     

 ちなみに、「そういえば、前にリョウリバナナは紹介していたなぁ」と思い出し、その記事をパソコンの中から探して読み返してみると、その時の記事はリョウリバナナを食材として紹介していた。「んっ?」と思って確認すると、植物としてのリョウリバナナは紹介していなかった。ということで、2013年10月のその記事は「植物としてのリョウリバナナ」に変更し、今回のリョウリバナナを食材として紹介することにした。

 記:2016.11.9 ガジ丸 →沖縄の飲食目次