ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ヌーナトーガ

2017年04月28日 | 通信-沖縄関連

 ヌーは「何」の沖縄語読み。ナトーガはナトーンに疑問のガがくっついたもの。ナトーンは「成っている」という意。ということで、ヌーナトーガは「何になっているのか?」となり、概ねの意味としては「どうなっているの?」となる。
 同じく「どうなっているの?」の意味ではチャーナトーガも使う。チャーは「どう」という意味で、ヌーより和語の意味に近くなる。私は沖縄語の専門家でもなく、沖縄語に精通している素人でもないので、正しいかどうか自信はないのだが、チャーナトーガはより冷静的で、ヌーナトーガはより感情的なニュアンスを私は受ける。
 現場仕事でミスが起きた場合、冷静な現場監督は「チャーナトーガ?」と作業員に問いかけ、その対処策を考える。感情的な現場監督は「ヌーナトーガ!」と怒鳴る。といったニュアンスの違いを私は感じる。素人の私なのでそれが正確かどうかは不明。

 テレビ観ない、新聞読まない私だが、世間のニュースはラジオで聞いている。3月から4月半ばまで介護施設の運転手というバイトをしていて時間の余裕はなかったのだが、車のラジオでニュースは朝夕ともに聴いていた。そんな中で「チャーナトーガ?」、「ヌーナトーガ!」と思わず口から出るような、気になるニュースもあった。

 先ずは共謀罪、共謀罪って前にも審議されて廃案になったのでは?とおぼろげに記憶している。共謀罪が何とかいう名前に替えられて今、審議中とのこと。犯罪を計画し、それを実行しようと準備した段階で逮捕できるらしい。それって怖くない?という感想。
 それから、自衛隊による隠し事というニュース。はっきりとは覚えていないが、確か、スーダンだったかどこかの紛争地帯で活動する自衛隊が、その日報を隠匿したとかいうニュース。文民統制ができていないんじゃない?大丈夫か?という感想。

 共謀罪についての感想はまだある。先日、近所の先輩農夫Nさん(テレビでも新聞でもその類のニュースはよく観て、よく読んでいる人)とユンタクしていて、共謀罪の話になって、彼からいろいろ詳しい情報を頂いた。
 「オリンピックに向けてのテロ対策だそうだ。」
 「オリンピックって2020年でしょ、まだ早いでしょ、何で今なの?」
 「急いでいるのはたぶん、オリンピックだけじゃないからだろう。辺野古に反対する市民団体も取り締まれるようにという考えだろう。辺野古は急いでいるからな。」
 「あっ、そういえば今日のニュースで、街に設置する監視カメラを大幅に増設するというのがあったけれど、それも市民団体取り締まりに関連しているかもね。」
 「そうかもな。訳の分からない内に市民が逮捕されるなんてことがあるかも。」
     

 平和のために運動している市民が、本物のテロリストに話しかけられ、そうとは知らず親切に受け答えしているところを監視カメラに撮られ、ある日突然逮捕される。
 「ヌーナトーガ?」という言葉はそんな時に使える。ロシア、アメリカ、中国などケンカ好きの指導者が多い中、荒れ心臓総理も同じ種に見える。この先、共謀罪を強行採決して、辺野古新基地建設も強硬に進め、さらにヌースル(何する)つもりだろうか。
     

 記:2017.4.28 島乃ガジ丸


豆腐燻製

2017年04月28日 | 飲食:飲物・嗜好品

 自作珍味

 高校生の頃から農業をやってみたい(具体的ではなく何となくの憧れ)と思っていた私は、その道へまったく向かないまま青春時代を過ごしてオジサン時代に足を踏み入れて行ったが、もう何年前になるか、30年近く前だったか、そろそろ農業の道へ向かおうかと思って、友人の同級生K子に同じく同級生のT女を紹介してもらい、しばらく(週一の数ヶ月)、T女の畑へ通い、彼女から農業を教わった。T女は自然農法をやっていた。
 そんなある日、燻製箱を作って、彼女の畑で燻製を作ったことがある・・・と記憶している。それがたぶん、私の燻製造りの始まり。燻製チップはホームセンターで購入。

 5年前の夏、300坪の畑を借りてから1年も経った頃、「そういえば、T女の畑で燻製を作ったなぁ」と思い出し、「いつかはここでも」と計画して、それから2年経った一昨年2015年夏、燻製箱を自作し、燻製に挑戦した。
     
 わざわざ作った燻製箱であったが、それは1回使っただけでお払い箱。できた燻製を食べるのは概ね私一人なので、わざわざ燻製箱で燻製を大量に作る必要がなかったから。そして、一人分ならダッチオーブンで十分であることに気付いたから。

 ダッチオーブンでの燻製作りは燻製箱をお払い箱にしたその年12月から挑戦、その月タマネギなどの野菜、鶏肉ササミなどの燻製を作り、翌2016年1月7日にはイカ、タコ、茹で玉子、豚肉レバー、サーモンなどの燻製を作っている。
     
     
 それ以降、燻し用のサクラチップはたっぷり残っていたのに燻製作りから長く遠ざかっていた。そして、2017年4月9日、久々の燻製作りに挑戦する。毎週火曜日の夕方やってくる池田屋豆腐の移動販売、そのメニューに豆腐燻製というのがある。それより1ヶ月ほど前の3月7日、それを買って食べたらまあまあ旨くて、「自分でも作ってみよう」と思い、介護施設のバイトもしていて忙しい中、決行。

 「豆腐の燻製とは珍しいなぁ」などと、豆腐燻製を食べたのは池田屋の豆腐燻製が初めてだと私は思っていたのだが、じつは、今回この記事を書く上で、前に燻製箱で燻製を作ったのはいつだったか、何を燻製にしたのかなどを日記を読み返していたら、その時に豆腐燻製を作っていることが判った。その時の燻製について感想も書いてある。

 結果、豆腐、ソーセージ、ニンジンの3種は「燻製にしなくても良い」という評価。ササミ、サーモン、マグロは旨い、・・・以下省略。

 とのこと。豆腐は「燻製にしなくても良い」という評価を私は与えている。なのに、それをすっかり忘れていて4月9日の燻製作りは豆腐をメインとした。
 豆腐はスーパーの安い島豆腐を使い水抜きした。料理人のH女によると「重しを乗せて水抜きする」とのことであったが、近所の先輩農夫Nさんの「一旦冷凍したものを解凍したら高野豆腐みたいになって水は抜き易い」という意見を取り入れ、そうする。
 冷凍して解凍した島豆腐は確かに高野豆腐のようにスポンジ状になって、両手で挟んで圧縮すると水はたっぷり抜けた。それを燻製する。ついでに芋の燻製も作る。
     
     

 結果、サクラチップの香りは十分に着いていたが、スポンジ状の豆腐は食感が軽く、味全体が薄い、はっきりしない、食べる必要を感じない、つまり、今回もまた、豆腐は「燻製にしなくても良い」という評価となった。しかし、池田屋の豆腐燻製はそうではない。食感はチーズのようであり、味にも存在感があった。池田屋の豆腐燻製は「燻製にしても良い」という評価である。水抜きの仕方に工夫が必要なのかもしれない。いつかまた挑戦しようと思う。サトイモが採れたらその燻製にも挑戦したい。
     

 記:2017.4.22 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


男の修業を怠けた結果

2017年04月21日 | 通信-その他・雑感

 過日、ラジオを聴いていたら本の紹介をやっていて、その時紹介された本が何だったか忘れたが、同じ作者による2、3年前に刊行された『察しない男、説明しない女』の話に私の耳は反応した。日常は動植物の図鑑しか読まず、本屋に行かなくなって5、6年となる私は当然、その題の本の存在も知らず、噂も聞いておらず、当然読んでもいない。
 何故、私の耳が反応したかというと、「あっ、それだよそれ、それが俺の結婚できない理由だよ」と思ったから。「察しない」という点では、私は男の中の男である。
 子供の頃から理数系(勉強は大嫌いだったが数学は得意な方であった)の私の脳は、日常のほとんどを論理的思考している。真っ直ぐ立って、真っ直ぐ前を見て、真っ直ぐ歩いてきた私は、常に直球を待っているので変化球に弱い。変化球に私は気付かない。
     
 付き合っている女性がいた頃、彼女が急に不機嫌になったりしてもそれが何故なのか男脳の私には全く判らない。「どうした?」と訊いても彼女は説明しない。説明しないので男脳の私は数学の問題が解けなかった時のようにイラっとする。そういったことが2度目3度目となると面倒臭いので放っておく。放っておくと女性はさらに不機嫌になる。私はさらにイラっとする。ちっとも楽しくない。で、「別れよう」となる。
 女性と付き合って、女性脳に翻弄されながらも耐えに耐えて何とか女性脳を少しずつ理解できるようになって、イラっとすることも減って行き、楽しい付き合いができるようになる。女性脳を理解できるようになることは幸せな結婚をし、幸せな結婚を長続きさせるための男の修業なのかもしれない。その修業を怠けてきた私、だから結婚できない。

 『察しない男、説明しない女』をネットで検索してみた。本を紹介するサイトに、
 男と女はこんなに違う!
 男は結果を重視する/女は過程を重視する
 男はナンバーワンになりたい/女はオンリーワンになりたい
 男は日常が好き/女は記念日が好き
 男は「初めての男」になりたい/女は「最後の女」になりたい
 男は使えないものを集める/女は使えそうなものを捨てられない
 男は子どもでいたい/女は女でいたい
などというのがあった。これを見ると、私は男の中の男では無いようだ。私は過程が楽しい、オンリーワンでいい、初めてでも最後でもどうでもいい、使えないものを集めない、子供でいたくない。この6項目の内、私が当てはまるのは「日常が好き」だけ。
 そうだよ、私の脳は全くの男脳ではないのだ。デートしている時、彼女が寒そうにしていたらそれを察することができる。そして、自分の着ている上着の半分を彼女の肩に掛け彼女の肩を抱く。そんな優しさも持っているのだ。そうだよ、私が結婚できない理由は他にあるはずなのだ。見た目の問題とか、経済力の問題とかいったものだ。
 「察する男」とは、もしかしたら相手を思いやる優しさの他、相手を思う時間を惜しまない余裕と寛容を持った男なのかもしれない。私に優しさは少々あるが、余裕と寛容がまったく不足している。「説明しない女」にイラッとするのはそれが理由になっていると思われる。だから結婚できない。後期オジサンとなった今、結婚は諦めているが。
     
 記:2017.4.21 島乃ガジ丸


チョウセンサザエ

2017年04月21日 | 動物:魚貝類

 沖縄のサザエ

 若い頃、キャンプによく行っていた。キャンプ仲間にはダイビングを趣味とするものが多くいて、時には彼らが収獲してきた海産物を食べる機会もあった。彼らが「サザエ」と呼んでいたものも何度か口にした。確かにそれはサザエの味だったが、概ねはワタの部分に砂が混じっていて、砂を噛んで不快な気分になることがあった。
 「ヤマトゥ(大和:倭国のこと)のものと違って砂が混じっているね」と訊くと、
 「ヤマトゥのものは岩場に生息しているけど、沖縄のものは砂場にいるものも多いから砂を含んでいるんだ。ヤマトゥのものとは形も違うよ。」とダイバーの1人が答えた。
 「形?どこが?」
 「ヤマトゥのものはツノがあるけど、沖縄のものには無いんだ」

 「ツノが無い」と聞いて、「南のものはのんびり生きていて怒ったりしないからツノも生えないんだ」と私は勝手に想像していたが、今回調べると、ヤマトゥのサザエと沖縄のサザエは種が違うということが判った。沖縄のものはチョウセンサザエという種。
 写真は2007年9月のもの。前日、釣りや潮干狩りを趣味としている従姉夫婦から頂いたもの。それから10年近くが経った今年(2017年)4月、その写真と図鑑とを照らし合わせてチョウセンサザエと判明した。そして、10年近くも私はサザエを食べていないということも判明した。食べたいなぁ、けど、高いだろうなぁ。

 我が身の貧乏を嘆いてもしょうがない。今回、もう1つ発見があった。畑関連、新居関連で大工仕事もよくやる私、大工道具の名前も建材金具の名前も多く知っている。ネジは当然良く使うので知っているが、その漢字表記を初めて知った。広辞苑によると、螺子・捻子・捩子・螺旋の4つとなっていた。その中の最初の螺子の螺は、サザエを調べている時に螺という字が「うずまき状の貝」を指すことを知り、さらに広辞苑を深入りした結果そこからネジが螺子と書くことまで知った。サザエは食えていないけれど、こういう知識を得ることでも私は幸せを感じている。そんな年齢になったようである。

 
 チョウセンサザエ(朝鮮栄螺)
 リュウテンサザエ科の巻貝 九州南部~西太平洋熱帯域に分布 方言名:マーンナ
 名前の由来は資料が無く不明。サザエの漢字表記は広辞苑にあり、栄は「さかえる、はえる、はなやかさ」といった意。螺はニシと読み、「うずまき状の貝。巻き貝。」(広辞苑)を指す。サザエの類は巻貝なので螺、巻貝の中でも美味なので栄とついたのかもしれない。栄を何故サザと読むかについては不明。本種の分布は上記の通り「九州南部~西太平洋熱帯域」なので、何故本種にチョウセン(朝鮮)とつくかも不明。
 沖縄にはリュウテンサザエ科の巻貝が10属19種生息するらしいが、図鑑を見る限りでは、本種は他の種と異なり表面が凸凹していて、私の写真が本種であると判った。
 サザエとほぼ同じ大きさだが、サザエにある棘状突起が本種には無い。見た目はその違いがあるが、サザエと同じく肉は食べて美味しい。
 潮間帯から水深20m以内の珊瑚礁や岩礁に生息する。殻高90ミリ内外、殻径70ミリ内外の巻貝。形は拳状。殻口は銀白色の真珠光沢がある。
 
 調理されたチョウセンサザエ

 記:2017.4.12 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『沖縄釣魚図鑑』新垣柴太郎・吉野哲夫著、新星図書出版発行
 『水族館動物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団監修・発行
 『磯の生き物』屋比久壮実著・発行、アクアコーラル企画編集部編集
 『沖縄海中生物図鑑』財団法人海中公園センター監修、新星図書出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『サンゴ礁の生き物』奥谷喬司編著、株式会社山と渓谷社発行


他人の評価

2017年04月14日 | 通信-社会・生活

 2月24日付ガジ丸通信『可哀想な新米農夫』を書いている時、「俺は他人から見ればできない男、可哀想な新米農夫に見えているのかもなぁ」と他人の評価を勝手に想像しながら、「いや、俺は1日10時間も畑仕事ができる、できる男だぞ」などと、自分の勝手な想像に自分自身で反論もしていた。「いや、確かに作物の出来は悪いが、自分が食う分の収穫はあるぞ、さほど可哀想ではないぞ」とも反論していた。
 文章を書いている時は思考があちらこちらに及んで、自分に対する他人の評価についても想像してしまったが、じつは私は、他人の評価などほとんど気にしていない。ほとんど気にしていないが一部は気にしている。世に多くいる美女から見た評価は気にしている。しかし、それ以外は、例えば、男から見た評価などはどうでもいいと思っている。
 「どうでもいい」には理由もある。私はけして嫌われてもいい、軽蔑されてもいいなどとは思っていない。街に遊びに出掛けることもほとんどなく、日々コツコツと畑仕事をしている生き方であれば、特に嫌われたり軽蔑されたりすることは無かろう、嫌われたり軽蔑されたりしなければ、あとはどうでも良かろうと思っているだけ。
 あとはどうでも良かろうと思っているので、私の髪はいつもボサボサ、髭は3~5日に1回しか剃らないので無精髭の日がほとんど、襟袖がよれよれで破れているシャツを着、見えないけれど時には破れたパンツも履いている。靴は畑の土埃でいつも汚れている。
     
 ボロの服を着ている私、ブログをアップするために毎週金曜日に通っている事務所の事務員に「あんた、外で会っても私に声を掛けないでよ」と言われている。でもさ、私のようなオジサン、あるいはジイサンはきっと多くいるはず。人目を気にせず自分の好きな格好で、自分の好きなように行動する。死ぬまでの一時だ、それで良いと思う。

 他人の評価を気にするのは女性に多いのではないか。自分がどうしたいかというより他人からどう見られるかを大事なこととしているようである。だから化粧をし、きれいなべべも着る。だから、本音と建前を使い分け男を翻弄する。
 恋人が髪形を変えたのにも気付かない、香水を替えたのにも気付かない私だが、今(恋人がいた頃から20年経っている)ならその言い訳ができる。
 髪が短くても長くても、パーマでもストレートでもそんなことどうでもいいこと。香水がミカンの匂いでもバラの匂いでもそんなことどうでもいいこと。私にとっては、あんたがあんたでいることが大事なこと。あんたがあんたでいれば・・・見た目のことじゃないよ、あんたの存在そのものとか生き方とか感性とかだよ、それがあんたであり続けるならいつまでも好きでいられる。という言い訳、ちょっとカッコ良過ぎか?

 今やっている介護施設の運転手というバイト、私にとってはストレスなんだが、介護職員達から見れば「何言ってるの、あんたは運転だけでしょ、何がストレスよ」なのかもしれない。だけどさ、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という諺もあるじゃないか、私は若くないのだ、引退している身だ、もう苦労は卒業してもよかろう。これでも若い頃は現場の仕事を覚えながら、勉強していくつかの資格を取って会社に貢献し、パソコンも勉強して仕事に関わるいくつかのソフト使いこなせるように頑張ったのだ。現役引退している身の死ぬまでの一時、好きなことをしてのんびり生きてもいいじゃないかと思う。
    

 記:2017.4.14 島乃ガジ丸