ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

肌荒れの元

2018年04月27日 | 通信-科学・空想

 今年(2018年)2月頃から、腰、尻、腿にかけて痒みが出てきた。3月になると痒みが酷くなったので軟膏(ムヒ)を塗るようにしたが、1ヶ月経っても改善しない。「ムヒの効能範囲ではないかもしれない、ただの乾燥肌とかでは無く、何かの皮膚病かもしれない」と思って、4月中旬から別種の軟膏を使うようにしている。・・・と書きながら思い出した。「畑に皮膚病に安全でよく効く薬があるじゃないか」と。
 皮膚病に安全でよく効く薬については→アロエを参考していただくこととして、ここでは「3ヶ月近くも続いている痒みはいったい何なんだ?何が原因だ?」を考えた。
     

 腰痛が、「もしかしたらヤバイかも」と思ったのは去年(2017年)の5、6月頃であるが、ノーテンキな私は「そう酷いことにはならないだろう」と楽天的に考え、その後も腰を酷使する農作業など続けて、そして、10月下旬になって腰の痛みが酷くなり、尻から腿、ふくらはぎにかけて痺れが走るようになってやっと、「こりゃいかん」とノーテンキも気付いて、「何とかしなきゃあ何ともならんかも」と思うようになった。
 何とかしなきゃあと思ったのだが、バカ(私のこと)はバカ(私のこと)のやってきた自由気ままな生き方の後始末に時間がかかってすぐには何とかできない。腰の痛みは一進一退、休ませていると楽になるが、少しでもきつい仕事をすると痛みはぶり返す。そうこうしている内に、痒みが出て、赤い発疹のようなものもできた。
 「痒みは腰痛の痺れと何か関係があるのだろうか?」と考えたが、痒みは薬を塗っておけば楽に耐えられる。腰の痛みや腰から尻、腿、ふくらはぎにかけての痺れがきつい。痛いと痺れにより大きく意識が向くので、痒みはそう気にならず軟膏に任せておく。

 腰の不具合で2~3センチは縮んだかもしれないが、前(20年くらい前)に計った時は身長170センチちょいあった。その身長で20年頃前は体重が70キロ近くあって、その頃は体調も良くなかった。酒をたらふく飲むことに溺れ、つまみをたらふく食うことにも溺れていた。その頃は肌荒れもあり、脂肪種摘出手術などもやった。
 「いかん、太り過ぎだ、痩せなきゃ」と一念発起し2001年頃から食事量を減らすとともに、お菓子、ファストフードなどの、どんな化学物質が入っているか知れない食い物を断ち、運動もして、2002年には65キロ内外、2003年には61キロ前後と徐々に体重を減らし、2011年以降は60キロ台に戻ることはなく、300坪の畑を始めた2012年夏以降は56キロ内外となる。もちろん、体調も良くなった。
 去年(2017年)夏に腰痛を患い、運動量は減っているのに秋頃から体重が減り始めた。10月には54キロ台、年明け1月にはついに53キロを切った。高校1年の頃の体重だ、「いかん、痩せ過ぎだ、太らなきゃ」と思う。その頃、友人達からも「お前は痩せすぎ、甘いものも食え、肉を食え、肉は老化防止になる」などと助言があり、それらの助言に従い、意識して多く食べるようにし、そして徐々に太っていった。
 3月20日に55キロ超えし、4月18日には58キロ。3ヶ月で5キロ増となった。食い過ぎか?と思う。鏡に映る自分の顔、頬が弛んできている。
 そして、お菓子や駄菓子、スーパーの惣菜(食品添加物が多い)などの食い過ぎか?とも思う。肌荒れは、そういった不自然な食事のせいかもしれない。
     

 記:2018.4.27 島乃ガジ丸


2018.4.27 シーミーは遅めに

2018年04月27日 | 週一日記17-18

 私が子供の頃、清明祭は賑やかであった。我が家の清明祭で言えば、私の家族、祖父母、父母、姉、弟、私の7人に加え、母の弟家族、父の姉家族など大人子供合わせて30人ほど集まることもあった。
 その後、私と同世代の従姉妹たちが嫁行ったり、仕事で沖縄を離れたりして参加者はだんだん減っていくが、両親が生きている頃はまだ、10人ほどは我が家の清明祭に集まっていた。であったが、母が死に、父が死んでからは淋しくなる。一昨年から参加者は私1人、昨年も1人、そして今年もまた、私1人となった。
 二十四節季の清明に入るのは概ね4月上旬。我が家はしかし、清明が過ぎて次の穀雨に入ってからの、ゴールデンウィークが始まる頃に清明祭をやっていた。それはきっと父母の心遣いだ。親戚の人達が集まりやすいようにと、休みの日を選んだからだと思われる。
 私も両親に倣って我が家の清明祭は世間一般からいえば遅い時期にやっている。しかし、ゴールデンウィークにはやらない。土日の休日にもやらない。清明祭の時期の休日、墓地は混む。その混雑を避けてのこと。
 
 今年のシーミー
 昨日(26日)、我が家のシーミーを行う。掃除は墓前の前だけで、いつもの三分の一。お菓子が3個とお茶と花で、ご馳走は無し。掃除やご馳走を怠けたのは腰痛があるせい。


私はもう死んでいる

2018年04月27日 | ガジ丸のお話

 子供の頃からごく親しくしている従姉M、彼女の友人の何人かも子供の頃から親しくしてもらっていた。先日、その内の1人Sさんと2日連続して会った。場所は2日とも別の従姉Hが店主をやっている喫茶店。久しぶりに会ったのに初日はひどく説教された。「何で結婚しなかったの?これから生活はどうするの?」といったようなことから、
 「あんた、死んだ魚のような目をしているよ」、「頭はまともに動いているの?どこか病気なの?」、「このまま弱っていく年齢じゃないでしょ!」、「誰かのために、世の中のために、まだまだできることがあるでしょ!生きていかなきゃいけないでしょ!」などと叱咤され、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」とまで言われた。
 1日目はそのようにひどく叱られたのであったが、2日目はしかし、「大丈夫?元気だしなよ」など、逆に慰められたり激励されたりと、ずいぶんと優しくされた。

 彼女と会って話をしているその時の私は普通の私。特に落ち込んでいるというわけでも無かったのだが、子供の頃から私を知っていて、大人になってからも20代後半から30代まではちょくちょく会っていた彼女の目には「落ち込んでいる状態」に見えたのかもしれない。ともかく、2日目の彼女にはとても癒された。幸せ気分になった。
     


    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 


 2018年2月、引っ越しが決まって、旧居の後片付け、引っ越し作業を続け、同月26日から新居で暮らしている。初めは畳間に布団を敷いて寝ていて、1ヶ月以上も経た3月7日にやっとベッドを運び入れ、その夜からベッドで寝ることができた。
 ベッドで寝るのが私の普通である。お陰で、夜中に1~2回は小便で(たぶん老齢による頻尿)起きるが、概ねは足して7時間前後の十分な睡眠ができている。その睡眠もたぶん、レム睡眠ノンレム睡眠を規則正しく繰り返していると思われ、夢を多く見る。
 十分な睡眠ができるようになって2ヶ月近くになるが、その間、たくさんの夢を見ているが、特に記録しておこうと思うような面白い夢、奇想天外な夢は無い。夢の中の登場人物も普通の人、ほとんどが友人知人、あるいは、死んでしまっているが父や母。

 上記の文章も最近見た夢の1つ、これも記録しておこうと思うほどの内容では無かったのだが、夢から覚めた時、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」と言うSさんのセリフが頭に残っていた。漫画の『北斗の拳』にそのようなセリフがあったことを思い出し、そうか、「私はもう死んでいる」のかと思って、目覚めた後も記憶に残った。

 腰痛が酷くなっていた去年(2017年)11月以降、生きていけるかという不安感に陥った。不安感は、この先食い物を生産できるか?畑辞めて他の仕事ができるか?生活の糧は稼げるか?友人知人たちと付き合っていけるか?などといった不安。
 不安感から思考はさらにネガティブになり、このまま腰痛がさらに酷くなったらと考えるようになる。すると、役に立たない人間になる、誰からも相手にされないようになる、何もできないので何もしない、明日の希望も持たないなどと思考が闇に走る。
 そんなネガティブ思考は、引っ越しが決まって引っ越し準備を始めた2月には薄れていき、生来の呑気者は「なるようになるさ」という気分でいたのだが、不安感は心のどこかにまだ少し残っているのかもしれない。夢の中でSさんに説教されている私は、明日の希望も持たない「あんたはもう死んでいる」状態だったのかもしれない。
     

 去年(2017年)11月以降の不安感についてもう1つ思い出したので最後に、

 畑の回りには時々、飼い主が捨てたと思われる犬が野犬となって徘徊している。それまで、野犬に会っても私はそう恐怖を感じなかったのだが、腰の弱った今、走ることもできない今、野犬に襲われたらきっと彼の餌になってしまうという不安感もあった。

 記:2018.4.23 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


リョクチク

2018年04月22日 | 草木:ヤシ竹特殊類

 明後日は来週であり、来月であり、そして来年でもある。来年だ、2012年だ。ついこのあいだ2011年が来たかと思ったらもう2012年だ。
 正月のことを初春とも言うが、この「春」は旧暦で言う正月のことで、新暦にすると概ね1月の終わりか2月の初め頃となる。その頃は一年で最も寒い時期だ、春と言われても体が納得しない。たぶん、春を待ちわびているせっかちな人が、「名前だけでも春として気分を温かくようぜ」と言い出したに違いない。ホントの春が来るまでの約一ヶ月、名前だけでも春を味わおうという魂胆なのであろう、・・・たぶん。

 春、ホントの春が来たなら楽しみは一杯ある。嫌いな食べ物がほとんど無い私は、好きな食べ物はたくさんある。たくさんある中でもタケノコは上位に入る。春になればよく食べている。旬じゃない時でも真空パック入りの茹でタケノコをたまに食べている。
 私は自産自消を目指している。タケノコもそうしたいのだが、竹は広がると聞いているので、自分の狭い畑に植えるのを躊躇している。私はまた、自産自消ができない場合は地産地消を心掛けている。ところが、沖縄産タケノコがスーパーなどで売られているのを今まで見たことが無い。三十年程前、沖縄でタケノコを生産しているという噂を聞いたが、その現場を見ておらず、その後はそんな噂をちっとも聞かない。
 沖縄でタケノコを栽培しないのは、私がタケノコを栽培しないのと同じで、土地が狭いからかもしれない。米軍基地に取られて余裕がないのだ、・・・きっと。
 
 リョクチク(緑竹):景観、添景、食用
 イネ科の常緑竹類 原産分布は関東以南、沖縄、他 方言名:マータク
 名前の由来は資料が無く不明だが、棹が緑色をしているので緑竹だと思われる。棹が緑色をしている竹は他にも多くあるが、本種は特に緑なのであろう。
 方言名のマータクは、漢字で書くと真竹となるが、同じ漢字表記のマダケとは別。竹の中の竹、これぞ竹といった「真の竹」の意味だと思われる。
 「食用栽培として多い」と文献にあったが、沖縄産リョクチクのタケノコがスーパーの店頭に並んでいるのを見たことが無い。そもそも、沖縄産タケノコはどの種類も見たことが無く、営利栽培はされていないと思われる。ただ、本種のタケノコは「とても美味」らしいので、自家消費で栽培しているところはあるかもしれない。食べてみたい。
 高さ6~12m、径3~12センチ。株立ち性。筍は4~11月に出て美味らしい。

 記:島乃ガジ丸 2011.12.30 →沖縄の草木目次

 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
 『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
 『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
 『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
 『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
 『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
 『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
 『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
 『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
 『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
 『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
 『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
 『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
 『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
 『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行


マチク

2018年04月22日 | 草木:ヤシ竹特殊類

 私は、女女した女性が苦手である。「女女(おんなおんな)した」とは漠然とした言い方であるが、言い換えると、・・・言い換えてしまうと、世の女性を敵に回すことになりそうなので、少し躊躇するが、ここは一つ勇気を持って、言い換えよう。・・・言い換えると、「なまくら刀で竹を横に割ったような性格」となる。・・・ごめん。
 さっぱりと割れない。たくさんの何かが、たくさんのどこかに引っかかってごちゃごちゃしている。いつも何か難しいナゾナゾを出されているような気分になる。「映画に行きたいのか、行きたく無いのか、はっきりせい!」、「ラーメン食いたいのか、食いたくないのか、はっきりせい!」などに対しては、「私が映画に行きたいのか行きたくないのか、ラーメン食べたいのか食べたくないのか、ってことは、あなたが感じてよ。」ということなのだろうか。あー、頭痛がする。私は長く生きている割には、人の心を読むという修行が不足している。本心がどこにあるのかを掴む、ことを苦手としている。
 友人のK女は人妻であり、三人の子供の母であり、孫もすでに一人いる。もう十分にオバサンであるが、私は彼女が好きである。彼女は、竹を(縦に)割ったような性格をしている。意思がはっきりしていて、感情の焦点もボケたりしない。喜んでいるときは喜んでいるし、悲しんでいるときは悲しんでいるし、怒っているときは怒っている。修行不足の私にとってはまったく、付き合いやすい人なのである。

 彼女の住まい(10年ほど前に新築して今は別だが)を訪ねた時、その庭の一角にマチクが植えられていた。マチクは何本もの幹を真っ直ぐ空に向けて立っていた。その力強さと真っ直ぐな立ち姿が、まるで彼女を表しているかのようであった。
 
 マチク(麻竹):景観、添景、建材、食用
 イネ科の常緑タケ類 ミャンマー 原産 方言名:ファーマギーダキ
 真竹ではなく、麻竹と書いてマチク。名前の由来は資料がなく不明。麻は麻布の材料となる植物麻のことだが、本種とは全然似ていない。漢字の麻には「繊維をはぎとるさま」という意味があるようだが、本種から繊維が採れるとは文献に無い。
 方言名のファーマギーダキは、ファー(葉)のマギー(大きい)竹。高さは15~25m、径10~15センチとなり、沖縄に自生する竹では最も大型の一つ。地下茎は長く伸びることはなく、株立ち性となる。
 非石灰岩質土壌(沖縄島では中北部)に適し、そのような場所に自生する。また、庭木としても古くから利用され、沖縄島南部でも見ることができる。
 竹の子は7~10月に出て美味とのこと。あの、ラーメンに欠かせないメンマの原料とのこと。中国文化の影響を強く受けた沖縄ではスンシー(筍絲)と呼ばれ、炒め煮などの惣菜として古くから親しまれている。ただし、スンシーはほとんど台湾産。沖縄産は見たことが無い。本種は、沖縄では主に庭木や建築用材として利用されたらしい。
 学名は、Dendrocalamus latiflorus Munro
 2009.10訂正加筆(K女の孫は二人となった)
 
 棹

 記:島乃ガジ丸 2006.7.15 →沖縄の草木目次

 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
 『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
 『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
 『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
 『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
 『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
 『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
 『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
 『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
 『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行