ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

反省の読書

2013年10月31日 | 通信-その他・雑感

 若い頃は良く読書した私だが、オジサンと呼ばれるような歳になった頃からはあまり読まなくなった。仕事関係の本以外はほとんど読まず、ガジ丸HPを始めてからは沖縄の動植物の図鑑なども見るようになったが、じっくり読書はほとんどなくなった。
  そんな私が今年(2013年)1月2月にはたくさん、といっても3冊だったか、じっくり読んだ。その1冊、『島唄!』には深く反省させられた。

 「命こそ最も大切なもの」という意味で『命(ぬち)どぅ宝』という沖縄に古くから伝わる言葉を、私はこのHPやブログにたびたび登場させている。2005年2月11日には沖縄の生活文化の一つとして『命どぅ宝』そのものがタイトルの一文を書いている。その中で『命どぅ宝』の出自をいかにも知っていた風に紹介している。以下引用。

 薩摩の侵攻後、わずか10日で敗れ首里城を明け渡す。その際に尚泰王が詠んだとされる琉歌(和歌とは違い8、8、8、6という字数、リズムに柔らかさがある)がある。
 いくさゆ(戦世) ん(も) すまち(済ませ)
 みるくゆ(弥勒世) ん(も) やがてぃ(やがて)
 なぎくなよ(嘆くなよ) しんか(臣下)
 ぬち(命) どぅ(こそ) 宝
戦世も終わって、平和(弥勒菩薩が平和をもたらすという仏教思想に基づく)がやがて来る。(戦に負けて、城を明け渡したからといって)嘆くなよ皆(臣下は家来のこと)、生きているということが大事なのさ。といった意味。

 以上が私の書いた記事。『島唄!』の著者は沖縄ではとても有名な役者、平良とみ。映画『ナビィの恋』のヒロイン、NHK朝ドラ『ちゅらさん』ではヒロイン国仲涼子のオバァ(祖母)役でもあった人。その彼女が書いた『島唄!』に「命ど宝の出自」というタイトルの一文があった。それを読むと、私が「首里城を明け渡す際に尚泰王が詠んだ」と書いたのは間違いだと分かった。少し長くなるが、またも引用。
          

  「命ど宝」という言葉はむかしからあったことわざで、「銭と命は右左」という教訓とともに、「命ど宝どう、銭金は二番どう」とも言い聞かされてきました。(中略)
 「戦世も済まち・・・」の歌が山里永吉さんの琉球処分をえがいた史劇「首里城明け渡し」や「那覇四町気質」のなかに出てくる歌・・・(中略)尚泰王の作品のなかにこの歌がないのを見れば、作者の山里永吉さんの創作である・・・。

 ということである。そうか、民や家来の命を無駄にせずに済むと心優しい王様が言ったのは、史実では無く、芝居のセリフに過ぎなかったのか、それを確かめもせず、さもそれが真実であるかのように私は公表してしまった。無名のオッサンの、人気の無いホームページなので、社会に与える影響はほとんど無いと思われるが、もしも、これを読んだどこかの誰かが信じてしまったとしたら大変申し訳ない、と反省した。・・・反省はしたけれど、テーゲー(大概)で生きている私なので、「これからは無い」とは言えない。
          

 記:2013.10.31 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行 
 『島唄!』平良とみ著、株式会社講談社発行


カーブチー

2013年10月31日 | 飲食:果物・菓子

 土着のミカン1

 去年11月、東京在の友人I氏とヤンバルドライブへ出かけた際、宜野座村の道の駅でオートーを見つけた。カーブチーは?と探したが見当たらなかった。その代わりタルガヨーという聞き慣れない名前のミカンがあったので、両方買って帰る。
  タルガヨーはともかく、オートーを紹介するからにはカーブチーも紹介しなければと、ヤンバルドライブへ出かけた際はカーブチーが無いかと探したが、見つからなかった。それから約1年が経った今年の10月、近所のスーパーでカーブチーを発見。
 収穫時期はオートーもカーブチーも10月~11月とそう変わらないのだが、その頃のオートーは酸味が強く、カーブチーは甘味があって、果物としてはカーブチーの方が人気らしい。というわけでたぶん、近所のスーパーにカーブチーはあるがオートーは置いてなかった。宜野座村の道の駅ではたぶん、カーブチーは売り切れだったのだろう。

 去年買って食べたオートーはその説明通り酸味が強く、シークヮサー同様、果物としてはあまり向かない。「料理用、泡盛の香り付け用だな」と判断し、半分はそのようにして使った。ところがカーブチーは、これもその説明通りで果物として合格。
 去年食べたオートーとタルガヨーはその種を採り、播いて、300坪の畑なっぴばるに10本ほど植えた。それ以外に8株の苗木があり、これも近いうちに植える予定。だが、どうせ植えるなら美味いものが良いと思い、その予定を変更しようかと考えている。
      
 カーブチー(皮厚):果樹・添景
 ミカン科の常緑中木 原産地は不明 方言名:カーブチー
 カーブチーは沖縄語でこれが和名となっている。皮厚という漢字は私の想像。名前の由来はいくつかの文献に書かれており、カーは皮、ブチーは厚いという意とのこと。ブチーという沖縄語は無いが、ブター(太っている)から来ているものと思われる。カーブチーは皮が厚いという意になるが、その通り、果皮が他の沖縄在の柑橘系に比べ厚い。
 果実の大きさは60グラム程度。果面は粗い。果皮が厚く浮皮になるため果肉歩合が低く、果実の大きさに比べ果重が小さいため収量が少ない。また、結実は不安定で、隔年結実性が強いなどの特徴から経済果樹としての価値は劣るようだ。
 収穫時期は10月上旬から11月下旬だが、糖酸バランスを考えての収穫適期は10月中旬から11月上旬とのこと。オートーに比べ樹勢が強く、樹形の仕立ては少々難しいとのこと。『沖縄大百科事典』に「種子が多いのが欠点」とあったが、そうでもない。

 記:2013.10.26 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


不倒翁

2013年10月25日 | 通信-環境・自然

 今年は台風が多い。6月下旬から2ヶ月半ほども続いた干ばつがあって、作物がほとんどできないという試練を新米農夫は経験したが、干ばつが終わったと思ったら今度は台風だ。10月になると23号、24号、26号、そして今週水曜日から大東島を暴風圏に巻き込んだ27号。27号は沖縄島にも強風の影響を与えた。
  台風が来るたんびに私は、実家へ行き、宜野湾の畑へ行き、ナッピバルへ行きそれらの台風対策をやっている。もちろん、住まいであるアパートのそれもやっている。台風が通り過ぎると同じ個所を全て回って、台風の被害状況を確認し、補修するところがあれば補修している。そういったことによる時間的損失は大きい。
 今回の27号に関して言えば、火曜日に宜野湾の畑の台風対策、水曜日にナッピバルの台風対策、昨日は実家の台風対策と我が住まいの台風対策をした。宜野湾の畑ではたいした対策は無く、そこまでの往復の約30分。ナッピバルでは、飛びそうなものを飛ばされない箇所へ移動し、テントをたたむなど約1時間。実家も対策はたいしたことないが、往復の時間が約1時間。被害状況確認も同じ時間なので計5時間の損失となる。
          

 5時間、たいした時間では無い。だけれども、台風が来なければ使う必要の無い時間、また、実家が早く売却できていれば台風が来ても2時間の損失は無い。いや、そもそも実家が早く売却できていれば、実家の管理、荷物の整理処分、ツイタチジュウグニチの神事などのために実家に通い、作業に費やす多くの時間も無くて済む。「無駄な時間だぜ」などと考えて少し面白くない気分になる。が、しかし、「待てよ」と思い直す。
 「無駄な時間」なんてもしかしたら存在しないのではないかと思い直す。実家の管理などに費やす時間は私の収入(金を儲ける)にはならない。収入にならない労働は無駄だと考えれば無駄に違いないが、収入にならない労働だけど何かの役に立っていると考えればちっとも無駄では無い。何かの役に立っているか?・・・立っている。
 家を売却するにあたって、家の中のモノの整理処分は必要なこと。家の売却は私のこれからの生活が快適になるために必要なこと。よって、実家の管理などに費やす時間は私の幸せのために役に立つこととなる。淡々とやっていけばいいのだ。
          

  そう考えれば、台風対策している時間も無駄では無い。畑小屋が倒れないため、畑の作物が無事育つための作業だ、将来の私の幸せのために役立っている。台風が来るたんびに同じことを何度も繰り返しているが、それも淡々とやるしかない。抜いても抜いても生えてくる雑草の除去も淡々の作業だ。土を耕し、種を播くのも淡々だ。
 広辞苑で面白い言葉を見つけた。それが表題の「不倒翁」、フトウオウと読む。字の意味から考えると「倒れない爺さん」となるが、「起上り小法師」のこと。起上り小法師は知っている人も多いはず、オキアガリコボウシと読み「達磨の形に造った人形の底におもりをつけた玩具。倒してもすぐに起きなおる」(広辞苑)のこと。
 干ばつで農作物に多大な被害が出たとしても、挫けずにまた一からやり直す。台風で被害が出ても淡々とやり直す。それを1年に何度も繰り返し、何年も同じことを繰り返す。倒れても倒れてもその都度起き上がる。そんな中できっと幸せに浸れる時間もあるはず。不倒翁だ、倒れないオジーだ、そんなオジーに私はなりたい。

 記:2013.10.25 島乃ガジ丸


ズッキーニ

2013年10月25日 | 飲食:食べ物(材料)

 見た目はキュウリ 

 元美人妻の友人Iさんは食い物屋を営んでいるが、去年那覇市から宜野湾市へ店を移して、新たにパートナーを得て、店は食い物屋兼飲み屋となった。新たなパートナーTさんは洋食のコックで、Iさんが和食で、Tさんが洋食担当。
  和洋食とも上質であり、食事としても酒の肴としても文句の無い料理。夜、飲み屋となれば、酒は日本酒もありワインもあり、客はいろいろ楽しめる。
 私が畑を始めたことを知ると、Tさんから野菜の注文がいろいろあった。ズッキーニもその一つ。ズッキーニはフランス料理やイタリア料理によく使われるとのこと。Iさんはそのズッキーニの漬物も作る。和食にもなるというわけだ。

 25年ほど前、初めてパスポートをとり、初めて海外へ旅行した。旅行先はアメリカ合衆国。旅行中、初めて食したものがいくつかある。中華の飲茶もその時初めて経験した。初体験の食材としてはズッキーニがある。他にもあったかもしれないが、記憶に残っているのはズッキーニだけ、不思議な味がしたからだと思う。
  不思議な味とは、見た目はキュウリなのにカボチャみたいな食感だったこと。その時出された料理はズッキーニのフライ、パン粉(アメリカ風の細かいもの)を衣にしたもの。場所はレストランでビールの肴にしたと覚えている。美味しいと思った。
 ズッキーニは花も食材となることを私は知っている。記憶は定かでないが、花にミンチのようなものを詰めて、揚げたか焼いたかした物もその時食べたような気がする。
 10年くらい前から近所のスーパーでズッキーニを見かけるようになった。地産地消のコーナーにあった。沖縄でも栽培できることをその時に知った。
 
 
 ズッキーニ(zucchini):果菜
 ウリ科の一年草 北アメリカ原産 方言名:なし
 zucchiniは英語で、ズッキーニはその日本語発音。
 私が見たことのあるズッキーニは緑色のキュウリ形だが、同じウリ科でもカボチャ属。食べるとその食感はキュウリと遠く、カボチャに近い。ただし、品種は様々あり、形はキュウリ形、円盤形、球形など、色は黄色、緑色、薄緑色、縞模様などがある。
 若い果実を食用とするが、花も食べられる。花ズッキーニといい、幼果とともに収穫して、花の中にチーズなどを詰め込んで揚げたり、蒸したりするとのこと。
 夏野菜で、沖縄では春植え、初夏に収穫。

 記:2013.10.5 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


標的の村

2013年10月18日 | 通信-音楽・映画

 先週金曜日は、前日実家に泊まり、朝早く起きて実家のガラクタの整理処分をし、宜野湾へ行って30坪の畑ナツヤの台風被害状況を確認し、ガジ丸HPをアップして、お昼過ぎには家に帰った。掃除洗濯をして、2時間ばかり昼寝をした。結果、300坪の畑なっぴばるを欠勤した。7月上旬に宮崎の友人Iとヤンバルドライブへ出かけた時も、その前に朝早く畑へ出ている。9月に埼玉の友人Kと伊計島ドライブへ出かけた時も、その前に畑へ寄っている。なっぴばるの完全欠勤は梅雨時の6月上旬以来久々。
 その前日の木曜日は、車の半年点検で整備工場に車を持って行った。整備工場は浦添市の那覇市との境界付近にあり、実家に近い(車で2~3分)。実家からは桜坂劇場が近い(徒歩15分位)。点検が3~4時間かかると言うので、その間に映画を観に行く。映画が終わって、整備の済んだ車を取りに行って、実家に戻って、実家のガラクタの整理処分をした後、夕方から友人FとOとの3人で、自家近くの居酒屋へ飲みに行った。
  Oとはその前の週に友人の娘の結婚披露宴で同席し、酒を酌み交わしているが、Fとは4月にOの家で枝豆パーティーをして以来久々。ちなみに、その日の飲み代はFの奢り。9月23日付のガジ丸通信『貧農の貧産家』で「FやE子は生活できる収入があり、しかも、不動産を多く持っている。「奢るのはそっちだろう」と私は思う」と書いたのを読んで、その通りに奢ってくれた。もうひとつちなみに、OはE子の夫、「次は俺が奢るよ」と言ってくれた。そして、その次は私の番となる。「倍返しだな」と覚悟した。

 話が違う方向へ流れてしまった。今回は先週木曜日に観た映画の話。映画もまた、今年2月に同じ桜坂劇場で観て以来久々。2月に観たのは『LOVE沖縄その2』、ヘリパッド建設反対運動をしている高江と、普天間代替基地建設反対運動をしている辺野古、両方のテント村の人々と、その正義と奮闘を撮ったドキュメンタリー映画。
  今回観た映画は『標的の村』、これは高江のことに多くの時間を割いているが、辺野古にも触れており、普天間基地でのオスプレイ反対運動も映していて、内容は『LOVE沖縄』のその1、その2とほぼ同じ。ただ、『LOVE沖縄』は運動をしている人々の目線に近い描き方だったのが、この映画は「マスコミの目線」というのが違った。
          

 マスコミとはテレビ局、沖縄のQAB(琉球朝日放送)。テレビを観ない私は知らなかったが、『標的の村』は同テレビ局の取材したドキュメンタリーで、前に報道番組として放送されたもので、それに新たな映像を加え映画版として編集したもの。テレビで放送された『標的の村』は大きな反響を呼び、何とかいう賞を得たとのこと。
 『LOVE沖縄』を観た時、温厚な(自分で言うがたぶん他も認めている)私が大いに腹を立てた。あんまり腹が立ったので、その後まもなく舞台となった辺野古と高江のテント村を訪ね、彼らの歴史と現況を聞き、そして、激励した。
 闘っている人々の主役はウチナーンチュだ、基地建設に係る工事関係者もウチナーンチュだ、座り込みをしている人々を排除する警官達の多くもウチナーンチュだ、「何でウチナーンチュ同士が闘うんだ!利益を得る日本国やアメリカは高みの見物じゃないか!」と腹が立ったのである。似たようなことを『標的の村』で闘うウチナーンチュ達も言っていた。ヘラヘラ笑っている会議室の権力者達を想像して、終いには悲しくなっていた。
          

 記:2013.10.18 島乃ガジ丸