ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

電話は必要、ですが

2018年11月30日 | 通信-社会・生活

 過日、従姉H子から「パソコンで解らないことがある、教えて」と電話があり、教えに行った。そこには既に彼女の友人M子もいて、2人でパソコンをあれこれいじっているが目的の事ができないらしい。Hは数年前からパソコンを始めたばかりで、まだ初心者のレベル、MもHよりはずっと増しだが、そう慣れているわけでは無いようだ。そんな2人がパソコンを使って何やら新しいことを始めようとしているらしい。
 2人とも私より少し年上のおば様、その年齢で新しいことに挑戦するというのはあっぱれなこと。そんなあっぱれなおば様たちが教えて欲しいという内容は、

 自分たちの作品をネットで販売したい、既存のネット上の店には登録を終えている。友人から作品の写真が添付されたメールがあり、それを出品しようとしている。
 作品を出品するのはパソコンからとなるが、作品の写真はスマホにあって、パソコンには無い。スマホにある写真をパソコンに送るにはどうしたらいいか?

 などというごく初歩的な質問。スマホに来たメールをパソコンのメールアドレスに転送すれば良いだけのこと。ところが彼女たちは、転送の仕方が判らないのだと言う。
 「あんた、やってよ」とHが私にスマホを渡そうとしたのだが、私はスマホを使ったことがなく、さらに、その時老眼鏡を持っていなかったのでスマホの小さい文字を読むのが面倒、ということでそれは拒否する。ただ、MはHより理解力があり、「あー、解った」と、Hのスマホを操作して、しばらくしてパソコンに転送メールが届いた。
 その後は私の仕事。届いたメールに添付された写真をパソコンに保存し、その写真を加工(大きさ、明るさなど)し、Hが既に開いて準備していたネット上の店の出品サイトページに添付する。その後は彼女たちの仕事、作品の販売価格やら作品の紹介コメントやらを書いて送信するだけ。結果を見ずに私は帰ったが、きっと上手くできただろう。
     
 彼女たちと何だかんだやっていたのは30分ほどであったが、その時、彼女たちがスマホの扱いに「解らない!できない!」と愚痴るのを聞いて私が思ったことは、「スマホってパソコンを覚えるのと同じくらい面倒なんだ」であった。
 「パソコンがあるならスマホは要らないんじゃないの?」と言うと、
 「スマホは便利なのよ、ラインは只だし、得でもあるのよ。」
 「連絡は電話とかショートメールでいいじゃないか?」
 「ショートメールでも1回3円かかるのよ」などという会話になってしまった。
 スマホが便利かどうかは皆がそう言うのでそうなのかもしれない。しかし、私は四六時中ネットのようなものをやっていたくない。ネットは家に帰ってからで十分。携帯電話は電話とメールができればいい。散歩中にネットをしようなどとは思わない。
 しかし、ネットは不要だが電話は必要。命に関わるいざという時の「ヘルプミー」に必要。今すぐネットから得なければならない生きるに必要な情報って何だろうと考えても思い付かない。「今日飲み会がある」、「入院した」などは電話で済む。
 今年春、スマホへ機種変更しようと思ったが、2年縛りなるものがあることを知り思い留まっていた。今は「俺にスマホは不要」と思う。ガラケーが滅びないことを祈る。
     
 記:2018.11.30 島乃ガジ丸


不調の体で物置作り

2018年11月28日 | ガジ丸のお話

 「いつか腰が治ったら畑を再開しよう、次は30~40坪程度の広さの畑を借りて、年寄りらしく無理しないでのんびりやっていこう」と思っているが、腰はなかなか回復してくれない。それでもまだ諦めたわけではない。なので、畑道具は手放していない。
 畑道具には草刈り用の鎌の類、座った姿勢で使うもの、立ってできるものなど数種類あり、刈った草をかき集めるレーキ、集めた草を山積みするためのフォーク、耕すためのショベルやクワなどがあり、収穫時の鋏、高い所の枝落しに使う脚立などがある。これらの多くは、後を継いだGさんに頼んで、まだ畑の物置に置かせてもらっている。鎌やヘラなど小型の道具とショベルの2種、土混ぜに使うバケットなどは車に載せっ放し。
 さらに、趣味の木工に使う大工道具もあれこれある。大工道具の半分は家の中に置き場所があるが、塗料、刷毛、シンナーなど塗装に使うもの、くぎ抜き用の大型バールなど残り半分は車の中、他に、使う当てはないが捨てるには惜しい材料も車の中。
 ということで、私のミニキャブ愛(されていない)車はいつも重たい。

 ということで、私が住んでいるアパートの1階にある親戚の事務所、その隣の空きスペースにある物置、作って(作ったのは私)から30年近く経って、数年前からほとんど役に立っていない物置、度重なる台風襲来でボロボロになってしまった物置を、私の畑道具や大工道具を仕舞う物置として使えるよう修繕しようと試みる。
 そうしようと決め、家主の了解も得たのは10月中頃、大まかな設計図を書いて、ボロボロになったドアなどの解体に取り掛かったのは10月19日。雨の日は休み、腰がひどく痛い日は休み、腰のことを考えて作業時間は1日3~4時間までということにしていることもあり、1日1時間で「腰が・・・」の日もあって作業はなかなか捗らない。
 作業は外側のボロボロのドアの作り直し、壁の修繕などの他、全体の補強(筋交いを足すなど)、中に物を置くための棚作りもあったが、作業に取り掛かってから1ヶ月以上経た11月23日になってやっと外観ができ、中の棚なども概ね形はイメージができた。後は棚を組み立て、塗装の必要な個所は塗装するなど残っているが、それらはそう考えることではない。やっと完成が見えてきた。しかし、それにしても時間かかり過ぎ。
     
     
     
     
     
     
     
     

 物置作りに時間がかかったことを腰痛のせいだけにしたが、じつは、やる気の問題もあった。「よっしゃ、働くぞー!」という元気がなかなか出なかった。もう1つ、脳味噌の問題もあった。設計図を引いている時も、現場で作業していている時も良いアイデアがなかなか浮かばない。「これでいいか」と思ってノコを挽いたり、釘を打ったりするが、後でそれらが「よくなかった」と判明し、やり直しとなることがしばしばあった。そういうことが何度かあった後は慎重になって、私の仕事はのろまな仕事となってしまった。
 さらにもう1つ、お金をなるべくかけないようにしようと決め、修繕の材料は物置の中にあった廃材のような木材や、畑に置いてあった使う当てのない木材、畑に作ってあったあまり役に立っていない棚などを解体した材料を利用した。材木屋で材木を買えばたいていは設計図通りの寸法に切るだけでいい。であるが、廃材の場合は寸足らずがほとんどななので、継ぎ足し継ぎ足しして設計図通りの寸法にしなければならない、これが面倒。
 「これをこっちに使ったらあっちの分が無い、これはあっちに使ってあれをこっちに使うか」などと考えることがいっぱい。ということもあって時間がかかった。

 そして、外観が完成してから2日後の11月25日、内部も一応の完成を見る。翌26日、車に載せっ放しだったあれこれの道具を物置に収め、物置作り作業はやっと終了。
 「この程度、腰が元気なら1日3~4時間の作業であっても1週間程度で終わる仕事だったんだがなぁ」と、腰をさすりながら少し溜息し、完成したことを静かに喜ぶ。
 苦労した物置作り、この先2度と畑仕事ができず、畑道具は利用されることなく無駄になるかもしれない。しかし、「いつか腰は治る、治ったら畑しよう」という夢は持ち続けていこうと思っている。それがきっと生きる力になる、・・・はず。
     
     
     

 記:2018.11.27 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


キンイロコオロギバチ

2018年11月26日 | 動物:昆虫-膜翅目(ハチ他)

 偏食?

 私は、自己評価で言えば偏食ではない。人間の食物として多くの人が食しているものであればほぼ食える。人間の食物として一般的ではないものでも、人間の食料として存在しているものならヒージャー(山羊)の金玉の刺身でも、スズメの姿焼でも、イナゴでもハチノコでも食う。それらはしかし、好物ではない。好物ではないが食おうと思えば食えるといった程度の物。一般的食い物の中でもベッタリ甘いケーキの類は好みではないが、それでも食えないことはない。他に食うものが無ければ1週間連続でも食える、はず。

 今回紹介するキンイロコオロギバチはハチ(蜂)の一種だが、「えっ、そんな偏食で大丈夫?生きていけるの?」と、本種を紹介している図鑑の説明文を読んでいる時に思ってしまった。コオロギバチのコオロギは鳴く虫で有名なあのコオロギ(蟋蟀)であるが、コオロギに見た目が似ているハチという意では無く、コオロギを餌としているハチだからその名となっているようだ。私も本種がコオロギを捕獲して巣に運ぶのを見ている。「コオロギが餌」では驚かないが、「コオロギだけが餌」というのであれば驚く。
 「コオロギだけが餌」なのであれば、コオロギが滅びたら本種も滅びるのかと思い、コオロギのいない所では生きていけないということかと思って「大丈夫?」と心配したわけだが、コオロギだって何種類もいる、全てのコオロギが滅びるまでには相当の時間を要するに違いない。よって、「心配ご無用」であろう。・・・地球は1つしかないけど。
 
 キンイロコオロギバチ(金色蟋蟀蜂):膜翅目の昆虫
 アナバチ科 奄美以南の琉球列島、台湾、中国、東南アジアに分布 方言名:ハチャ
 名前の由来は『沖縄昆虫野外活用図鑑』に「頭部、胸部、前伸腹節には黄金の毛を密生する」ことからキンイロ(金色)、「コオロギバチ類はコオロギ類を狩ることでよく知られ」ということからコオロギ(蟋蟀)とつくものと想像できる。
 同書にはまた、「(コオロギバチ類は)沖縄には約10種分布する」とあり、その分類や生態などの詳細は不明とのこと。私の4枚の写真のものが同一種かどうかも不明。
 「雑草間や地表面を徘徊し」、コオロギを狩るとのこと。「一撃で麻痺させ」るほどの毒針を持っているようである。が、私が見たものは花の蜜を吸っていた。「麻痺させ、その間に土中の巣へ運び入れる」とあるので、幼虫の餌がコオロギなのかもしれない。
 体長は20ミリ内外、出現は3~11月。私は本種を数回見ているが、そのほとんどはサクナ(ボタンボウフウ)の花が満開の頃の10月。ただ1度、2月末頃に地面の上でコオロギを捕らえ巣に運ぼうとしている本種を見ている。2月でも暖かい日だった。
 
 横から
 
 顔
 
 地面を徘徊する
 
 狩り
 
 記:2018.11.24 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
 『琉球列島の鳴く虫たち』大城安弘著、鳴く虫会発行
 『沖縄の生きものたち』沖縄生物教育研究会編著、発行


時代という郷

2018年11月23日 | 通信-社会・生活

 私が若い頃、沖縄のバスは30分以上待っても来ないことがよくあった。それは全く普通のことで、バスが時刻表通りに来ないからと言って怒る人はほとんどいなかった。いわゆる沖縄タイムという奴だ。例えば、夜7時から飲み会があったとする。7時に来る奴は稀、1時間遅れも普通にあった。飲み会はまだ責任がないからいいが、結婚式なんてものにも遅れるのが普通だった。のんびりしているといえば聞こえが良いが、時間にだらしないというだけのこと。お互いがそうなので、遅れたからと言って誰も文句は言わない。
 「南の島なんだもの、のんびりでいいじゃないか」という気分。
 「郷に入っては郷に従え」という諺は、広辞苑によると「(童子教による)人は住んでいる土地の風俗・習慣に従うのが処世の法である」とのこと。「そりゃぁそうだ」と私は若い頃からその諺に納得していた。もしも沖縄に来た観光客に「15分もバスを待っているのに来ない」といって憤慨している人がいたとしたら「沖縄のバスってそんなもの、15分なんて全然屁みたいなものですよ。」と言ってあげたい。
     

 しかし、最近の沖縄は時間を守るようになっている。バスはまだいくらか遅れたりするが、そう大幅に遅れたりはしない。モノレールは概ね時刻表通り。夜7時から飲み会があったとすると、だいたいその時刻、遅れる奴でも30分遅れ程度でやってくる。結婚式などに遅れる者は今あまりいない。そうなったのはいつ頃からだろうか。
 1972年5月15日、アメリカ軍施政下にあった沖縄が日本に復帰した。アメリカ軍施政下にあった頃でも、テレビやラジオ番組は日本の番組(ローカルも含め)だったし、新聞や雑誌も日本語だったし、沖縄の生活のほぼ全てを和文化が占めていた。それでもまだ倭国資本はそれほど沖縄に入ってきていない頃で、沖縄タイムは普通だった。
 本土復帰後、倭国資本がどんどん入ってくると、沖縄タイムが経済上不利になる。のんびりしていると置いていかれる。商売上の付き合いでも時間にルーズは信用を失う。ということで沖縄もしだいに沖縄タイムを失うことになったのだと思われる。
 「南の島なんだもの、のんびりでいいじゃないか」という気分が私は大好きなので、飲み屋で人を待たせることに罪悪感はない。飲み屋に限らず、1人で待っていても退屈しない場所(デパートとか市場とか)での待ち合わせであれば、相手が遅れても自分が遅れても気にしない。夏の暑い日、冬の寒い日に外で待たせるのは罪悪感を感じる。

 さて、現代社会は「金儲け主義」の時代で、アメリカもロシアも中国もその他多くの国が金儲けのためになりふり構わぬ行動をし、これからもそうしようとしている。地球環境悪化に関してはおざなり程度、あるいは口先だけの態度にしか見えない。
 今の時代はお金が優先する時代。いかに金を稼ぐかが生きる前提となる。それなのに私は「金儲け主義」に反発するという建前で自給自足芋生活の道を歩こうとした。時代という郷に従わずとも生きていけると思っていた。それはしかし、パソコン、携帯電話、冷蔵庫、車など現代社会の恩恵を大いに受けていながらの勘違いだった。腰痛を患って以降は時代の恩恵を大いに受け、時代に助けられているんだなぁとつくづく感じている。
 「郷に入っては郷に従え」に倣うなら「時代に入っては時代に従え」となる。のだが、それでいいのかとも今なお思う。時代が「戦争」へ向かっていたらどうする?
     

 記:2018.11.23 島乃ガジ丸