ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

重き荷を笑顔で負う

2017年12月29日 | 通信-その他・雑感

 うろ覚えなので正確ではないかもしれないが、徳川家康の言葉で「人生は重き荷を負うて長き道を歩くが如し」というのがあった。「人生を生き抜くには努力や忍耐といった生きる力が必要である」ということではないか、と私は捉えている。

 今年(2017年)9月3日、旧盆の初日、我が家の位牌を預けてある寺へ行きウンケー(御迎え)の行事をし、同じフロアーにある従姉の実家の仏壇を覗く。従姉はご先祖を大事にし、何かの行事には欠かさずお参りしている。沖縄の行事に精通しており、旧盆の飾りつけは毎年立派にやっている。ところが今年は何もやっていない。メールすると、脚を骨折して入院中との返信。入院は2~3ヶ月続きそうとのこと。
 12月22日、冬至の日、沖縄ではトゥンジー(冬至)ジューシー(雑炊)なる炊き込みご飯を仏前に供える慣わしがある。その日、時間を合わせ、従姉と久々に会った。
 「2週間前には退院して1週間前からは車の運転もしている」
 「俺は腰痛になって、畑も諦めようかと考えている」などと、しばらくはお互いの近況を語り合い、親戚の誰それはどうしている?などの話も済んだ後、「実はね・・・」と、ちょっと真面目な顔になって、彼女は語る。
 「この半年、私、大変だったのよ・・・」と切り出して、夫に膵臓癌が見つかり、手術する前に脳梗塞で倒れ、生死の境を彷徨い、命は取り留めたが半身不随となり、膵臓癌の手術は延期され続け、大学病院へ移り、手術して貰い、それは成功した。
 「そんなこんなで忙しくて、私は疲労骨折してしまったさぁ」とのこと。
 「夫は癌の転移があり、半身不随も続いている。だけどね、話ができるようになって、意思の疎通はできている。それはとても嬉しいこと」と、少し涙声になる。私も歳取って涙脆くなっているので、思わず貰い泣きしそうであった。
 話し終わると彼女はいつもの笑顔になって、お供えしたものを下げて、「これ食べなさい、これも食べなさい」と、いつものカメーカメー(噛め噛め:沖縄語で食べなさい食べなさいという意)おばさんに戻った。苦難は続いているだろうに明るい人である。

 私の腰痛は大したことない、背中を反らすような格好になると強い痛みが走るが、ただ座っている立っているだけでは痛みはない。しばらく立っていると腰が少し痛くて尻から脚にかけて時々痺れもあるのだが、歩けないほどではない。たとえ完治しなくても、腰に負担のかかるような動きをしなければ普通に生きて行けると思われる。その程度の腰痛で私は、「このままでは歩けなくなるかもしれない、将来が不安だ、畑仕事を辞めよう」なんて弱音を吐いている。従姉の苦難に比べれば屁みたいなものなのに。

 翌土曜日、久々、半年ぶりくらいに模合(モアイ:相互扶助的飲み会)へ参加した。久々の友人達の顔を見て心癒される。家のローンが残っているなど、それぞれに重き荷があるだろうけど、みんな笑顔であった。その笑顔に癒された。
 重き荷、内容はいろいろあるだろうけど、それを負って人は生きていく。私の周りには重き荷を笑顔で負っている人が多くいる。「みんな頑張っているんだなぁ」と改めて思った。私に重き荷はあるか?と問えば、無い。だから、考えが甘いのかもしれない。
     

 記:2017.12.29 島乃ガジ丸


2017.12.29 ユンタク続く

2017年12月29日 | 週一日記17-18

 先週はユンタク(おしゃべり)が多かったという話を書いたが、今週もまた、多くの人とユンタクした。
 先週金曜日、従姉夫婦に私の相談事(我が家の位牌や墓の件など)を中心に会議風な会話をし、翌土曜日は、知人のGさんが畑を訪ねてくれ、しばしユンタクし、その夜は、久々に模合(助け合う飲み会)へ参加し、久々の友人達と2時間ほどユンタクした。日曜日は友人E子が畑を訪ねてくれ、しばしユンタクしてくれた。
 水曜日は、ダンシャリしたあれこれを、要る人がいるかもと3ヶ所を回り、計7人と計1時間ほどユンタクする。木曜日は友人の整体師Sを訪ね、腰の治療をして貰いながら30分ほどユンタクした。この間、隣の大家さんと短い時間だが数回、近所の先輩農夫Nさんと30分前後の数回、それぞれユンタクしている。
 私はユンタク好きではなかったのだが、最近は、ユンタクして心癒されるようになった。相手の笑顔を見ると安心感を得るようになった。歳のせいか?
 今年ももうすぐ終わる。また1つ歳をとって、私はさらに淋しがり屋になるのかな?来年もよろしく。
 
 初来訪
 私の畑にはいろんな種の鳥がやってくる。畑の番鳥のイソヒヨドリは常駐している。冬期にはダイサギ、チュウサギ、コサギ、シロハラなど来るが、アオサギは初来訪。


コバノツルアズキ

2017年12月29日 | 草木:雑木雑草

 「かれのはら」という文字列を見て「彼の腹」を想像する人は・・・な性格。「枯れ野原」と想像する人は・・・な性格。というような性格判断なんてのはないだろうか?

 それはさておき、名前に「ノ」のつく植物は多くある。その場合の「ノ」は、格助詞の「の」ではなく、野原の「野」であることが多い。例えば、
アレチノギク(荒地野菊)
スズメノエンドウ(雀野豌豆)
ノアサガオ(野朝顔)
ノイチゴ(野苺)など。
 格助詞の「の」の場合ももちろんある。例えば、
イヌノフグリ(犬の陰嚢)
タツノツメガヤ(竜の爪茅)
ネズミノオ(鼠の尾)など。

 今回紹介するコバノツルアズキの「ノ」は後者の方。「小さな葉の」という意。「だから何だ」と問われると困るが、「彼の腹」と「枯れ野原」を思い付いたので。

 
 コバノツルアズキ(小葉の蔓小豆):野草・蔓植物
 マメ科の蔓性多年草 原産分布は不詳 方言名:不詳
 名前の由来、『沖縄植物野外活用図鑑』に「小さい葉の蔓アズキの意」とあった。「小さい葉」も「蔓」も納得。アズキはあの食用のアズキ(小豆)と同属の植物だからということで納得するが、しかし、そのアズキそのものの由来が不明。
 原産分布は資料がなく不詳。文献の写真は八重山諸島の西表島で、私の写真は宮古諸島の宮古島。もしかしたら、沖縄島には分布しないのかもしれない。
 葉はマメ科植物でよく見る形の3出複葉。花は黄色でいかにもマメ科植物の形状で大きさは1センチほど。野原や道端に生え、莢果(きょうか)は食用にならない。
 ちなみに学名、
 アズキ Phaseolus angularis W.F.Wight
 オオヤブツルアズキ Phaseolus reflexo-pilosus Ohwi
 コバノツルアズキ Phaseolus minimus Roxb.

 記:島乃ガジ丸 2017.12.26 →沖縄の草木目次

 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
 『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
 『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
 『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
 『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
 『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
 『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
 『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
 『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
 『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
 『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
 『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
 『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
 『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
 『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行
 『熱帯植物散策』小林英治著、東京書籍発行
 『花卉園芸大百科』社団法人農山漁村文化協会発行
 『ニッポンの野菜』丹野清志著、株式会社玄光社発行
 『藤田智の野菜づくり大全』藤田智監修、NHK出版編
 『やんばる樹木観察図鑑』與那原正勝著、ぱる3企画発行
 『熱帯の果実』小島裕著、新星図書出版発行
 『熱帯花木と観葉植物図鑑』(社)日本インドアグリーン協会編、株式会社誠久堂発行
 『ハーブを楽しむ本』川口昌栄編集、株式会社集英社発行
 『沖縄やんばるフィールド図鑑』 湊和雄著 実業之日本社発行


ローゼル茶

2017年12月29日 | 飲食:飲物・嗜好品

 サッパリ系お茶

 今年(2017年)10月、・・・日記を調べると10月26日の午後4時頃、近所の先輩農夫Nさんが帰りがけに私の畑に寄って、「これ、お茶にして試してみて」と、何かの蕾のような赤いものをくれた。蕾のようなものは30個ほどもあっただろうか、名前をすぐには思い出せないが以前に見たことがあるもの。「ローゼルだよ」とNさんに言われて、「あー、はいはいはい」となった。Nさんはローゼルも植えているとのこと。Nさんが持ってきたのはローゼルの蕾ではなく、花が終わった後の萼片と苞。

 ローゼルを前に見たのはいつだったか、はっきり思い出せないが、その時、少し齧ってみて「酸っぱい」味であったことは思い出せた。
 翌日(10月27日)、Nさんから頂いたローゼルの萼片と苞を煮出してお茶にする。洗ってそのまま丸ごと使うとNさんは言っていたが、私は最初、ジャムにしようかと思って、「ジャムなら堅い種は不要」と種を取り除いた。が、その途中で「ジャム作りは面倒だな」と思い返して、萼片と苞だけを煮出してのお茶となった。
 できた量は約1リットル、これを冷蔵庫で冷やして飲む。ちょっと酸っぱい、サッパリ爽やかな味だった。そのまま少し飲んで、残りは晩酌、泡盛のローゼル茶割りとなる。それもまた旨かったので、「まだあるよ」とNさんが言っていたのを思い出す。
 11月5日、Nさんの畑を訪ね、ローゼルをたっぷり頂く。それも全てお茶にし、数日後には飲み干した。その時のローゼルからはその種を採取し、来年には植えてみようと思っている。サッパリは私の好物、飲食物だけでなく、サッパリした性格も好き。
     
     
     

 ローゼル(roselle):果物・切花・繊維
 アオイ科の一年草 アフリカ原産 方言名:なし
 熟した萼片と苞が食用となる。私も食べてみたが酸っぱい。生食ではなくジャムやゼリー、または果実酒の材料として利用が多いとのこと。酸味を生かして梅干しの代用にもなるとのこと。葉にも酸味があり、サラダや煮物に使われるとのこと。

 記:2017.12.24 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


無視という抹殺

2017年12月21日 | 通信-その他・雑感

 腰痛で元気に動けなくて、このところボーっとしていることが多い。ボーっとしていると妄想する、元気な時の妄想はたいてい楽しい内容だが、最近の妄想は悲観的である。我が身を省みて「俺の生き方はこれでいいのか?」と柄にもなく考えてしまう。
 「これでいいのか?」と問い、「これでいいのだ。」とこれまでは答え、「何とかなるさ、明日は明日の風が吹くさ」とテキトーに生きてきたこれまでの人生。体が弱って心も弱っている最近は、これまでのあれこれを思い出しては反省ばかりしている。

 今の住まいは平屋の一軒家で2世帯が住める形になっている。その内の1世帯が大家さんで、残る1世帯が私。大家さんは私より年上の女性、親切な人で最初から仲良くしてくれた。手料理や、市販の食べ物飲み物をくれた。私も大家さんを招いて挽きたてコーヒーを出したり、縁側に2人腰掛け、七輪でイカを焼き日本酒を御馳走したりした。
 大家と店子の関係は、私としては顔を合わせば挨拶し、たまに(週一くらい)10~20分ほどのユンタク(おしゃべり)をする仲で良かろうという感じ、これまで住んでいたアパートでも、そこの大家さんとは概ねそんな間柄であった。ところが、今の大家さんは距離が近い。一時期は毎日のようにドアのチャイムを鳴らした。「これ食べて」、「これ飲んで」といった差し入れが多い。一人であることが好きな私はついに、腹を立てつつ言葉は穏やかに、「揚物、スナック菓子はあまり食べない、昼寝している時は起こされたくない、疲れているので早く休みたい」などの理由を付けて差し入れを断った。
 それでも大家さんはいろいろ持ってきた。先月(11月)からは私も諦めて、差し入れの品を頂いたら「ありがとうございます」と冷たく言って、さっさとドアを閉めるようにしていた。あれこれ断る理由を探すのも面倒臭くなってしまっていた。
     
 
 12月15日、午後3時頃から甥と一緒だった。我が家の墓やトートーメー(位牌)など、これからのあれこれを話し合い、夕方からは私の家で酒を酌み交わしながら、なおもあれこれ話し合い、夜には友人のO夫妻も来てくれ、楽しい飲み会となった。
 みんなが帰った(午後10時頃)後、私はこれまでに無い深い孤独を感じた。「寂しいとはこういうことなのか?しかし、甥や友人が来てくれたじゃないか、何でだ?」と考えた。考えて、「夫婦、親子のような深い関わりが、私には無いからか?」と思う。
 「一人で生きていけるさ」と私は自信を持っていた。なので、嫌だなぁと思う人と付き合うことは時間の無駄とまで思っていた。嫌だなぁという感情が大きくなると、その人を無視することになる。無視って・・・最悪の虐めじゃないかとその時気付いた。
 私の最近の大家さんに対する態度は無視と言える。言葉を交わすことさえ面倒臭がっている。それは「消え去れ」と思っているようなもの。そう思われる人は悲しかろう。
 無視するというのは、自分の心からその人を抹殺することではないかと思う。「それはいかんだろう、俺は間違っていたかも」と反省(いつまで続くか?)する。
 そう反省し、過去のあれこれを後悔しつつほとんど眠れない夜を過ごした翌朝、昨夜の楽しい飲み会を思い出し、「いいさ、楽しければいいさ。過去は過去、何とかなるさ」と吹っ切って元気が戻る。でも、無視は今後あまりしないようにしようと、このいい加減で傲慢な私が殊勝にも思った朝であった。でも、殊勝がいつまで続くか自信は無い。

 記:2017.12.21 島乃ガジ丸