ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

人生楽しくなければ

2005年02月25日 | 通信-社会・生活

 今週の月曜日に模合仲間の二人と飲んだ。話題の多くはMの新婚生活話であったが、別の友人が会社を辞めて事業を起こそうとしているという話から、三人のそれぞれの将来のことも少し話題になった。女好きのTには何か考えがあるようであったが、新婚のMはこう言う、「何も考えていない。退職金で何とか食いつないで、後は年金生活だ。ダラダラ、ゴロゴロ暮らせれば、それが一番幸せ。」とのこと。思っていることと口にすることにギャップのあるMのことなので、そのままそっくり鵜呑みにはできないが、でも、まあ、多くのウチナーンチュは彼のような考えに近い。「生きていればいいさ」なのである。
 この「生きていればいいさ」が、しかし最近、沖縄の男たちに忘れられてしまっているようで、沖縄の男性の自殺者率は全国で2位だという。沖縄県で自殺した人の約8割が男性で、しかも、その多くが40歳以上の中高年世代とのこと。
 全国的にも自殺者は年々増加している。警察庁の統計によると、平成14年の自殺者は3万2千人余り、これは交通事故による死亡者の約3倍。その内、40歳以上の中高年齢者が全体の75.9%を占めているとのこと。男女別では、男性が7割以上とあった。
 先日、大学時代の友人からメールがあった。彼のメールはたいていいつも真面目、生きるとは何?などと真剣に考えているからそうなっているのかもしれない。彼に限らず、日本人は多くが真面目であると思う。あんまり真面目に考えすぎると、一つの辛いことが、多くの楽しいことを覆い隠してしまう。一つ楽しいことがあれば、九つの辛いことがあっても全体的には何となく楽しい、と思うわけにはいかないだろうか。
 「人生は楽しいものである」ということを多くの人が思ってくれれば、「いやー、周りに迷惑をかけてばかりいるんだが、この先生きていれば楽しいことがたくさんあるので、簡単に死ぬわけにはいかないんだよ。」なんてことにならないか。「いやー、人生には楽しいことがいろいろあるので、簡単に人の命を奪うなんてできないよ。」なんて思う悪人も増えてくるのではないか。楽しみの無い刑務所暮らしなんて死んでも嫌だと思う悪人が増えれば、世の中の犯罪も減るというものだ。「人生は楽しいものである」と、多くの人が思うことのできる社会にして欲しいものだ。“人生楽々党”なんて政党が出てきてくれないか。
 先日、離婚間近のママさんが一人でやっている小さなスナックで、ママさんの友人であり、私の友人でもある不良賢母と飲んでいたら、午前1時も近くなってからもう一人の不良人妻がやってきた。彼女ら中年の沖縄女性はすごく元気。亭主のことなんか放ったらかしで、我が人生を楽しむ。彼女らにとっては楽しもうとしない亭主の方が変なのだ。彼女らにとっては「楽しくなければ人生では無い」ということだ。ちなみに、離婚率が全国一位という座を長く守っている沖縄で、沖縄の女性の自殺率は全国最下位とのこと。

 記:2005.2.25 ガジ丸


春闘無く、残業有り

2005年02月18日 | 通信-社会・生活

 私が高校生の頃、春になるとバスストという恒例行事があった。労使交渉がもつれてストが4月まで続けられたりすると、バスストの日は学校も休みとなって、我々勉強嫌いの仲間は大いに喜んだ。沖縄は電車が無いので、バスが止まると通学ができないのだ。
 大学の頃は東京に住んでいたが、そこでも春になるとストライキがあった。交通ゼネストといって、電車もバスも止まった。よく覚えていないが飛行機もたぶん止まった。
 このごろ、交通ゼネストという言葉をあまり聞かなくなった。調べてみると、1981年が交通ゼネストの実質的な最後だったらしい。労働組合のあるような大きな会社に勤めたことが無いので気付かなかったが、そうなのだ。スト無し春闘となってからもう20年以上も経っているのだ。春闘そのものはずっと続いていて、多くの労働組合はちゃんと賃上げ要求をしている。が、バブル崩壊後は賃上げどころか現状維持が精いっぱいのところが多いようだ。労働時間の削減もままならず、労働環境は悪くなっているらしい。
 それに加えて、バブル崩壊後は企業業績回復の名のもとにリストラが横行している。労働者の首をポンポンと切る。まるで、これは贅肉を削ぎ落としているのである、良い行為なのである、かのように、当然のこととして行われている。失業者も増えた。
 つまり、現況は、企業側の力が強いのだ。会社の言うことを聞かないと辞めさせられるとなれば、多少のことは受け入れなければならない。サービス残業も当たり前となる。
 今週火曜日、水曜日と二日続けて現場に出た。久々の肉体労働のお陰で、両日ともたいへん美味しくシャワーの後のビールを飲むことができた。美味しいビールは、初日はいつもの時間に飲むことができたが、二日目はだいぶ遅くなった。なぜなら、初日は事務仕事もあったので3時過ぎには現場を抜け、いつもの退社時間に帰ることができた。が、二日目は朝から作業終了まで現場にいた。作業が終了したのは空も薄暗くなった6時半。会社に戻ったのは7時前、家に着いたのは7時半。ビールは8時過ぎとなった。
 決められた退社時間は5時半、私が現場監督(数年前まではたまにやった)の場合は、よほど忙しくない限り、概ねその少し前には現場から戻って、道具の片付けなどをして、5時半には帰れるようにした。残業は極力避けた。ところが、その日の現場監督は若いT君。彼は皆の意見も聞かず(私はガジ丸記事書きで毎日忙しいので、残業を打診されたら断っていた)に、さも当然のごとく、時間過ぎても作業を続けた。1時間半の残業となった。しかし、残業代は付かない。いわゆるサービス残業というものである。
 バブル崩壊後から会社勤めをしている若い人にとっては、サービス残業なんて当たり前のことなんだろうか、ただ働きすることに疑問は感じないんだろうか、と私は不思議に思った。そして、そんな社会状況に少し腹が立って、サービス残業に疑問を持たないT君にも少し腹が立って、そして、私のただ働きについては大いに腹が立ったのであった。

 記:2005.2.18 ガジ丸


アトム以下で

2005年02月11日 | 通信-その他・雑感

 先週の、計算すると、水曜日の朝のこと。テレビから「戦いはアトム以下で始まる」といった内容のアナウンサー(大塚さんだったかもしれない)の声が聞こえた。まだ布団の中でぐだぐだしていた私は、その寝ぼけた脳味噌で考えた。「戦う?アトム以下で?・・・アトム以下ということは10万馬力以下ということだ。1馬力は、確か大人の男を1秒間で1m持ち上げる力だったはず。10万馬力だと、10万人の男を“あー”と言う間に1m持ち上げる力だ。そんな力以下で戦うというのはどういうことだろう?誰が戦うのだろう?どんな戦いなのだろう?・・・などなど気になって、目が覚めてしまった。
 出勤して、仕事の合間にパソコンで調べる。1(フランス)馬力は正確に言うと、1秒当り75kg/m。10万馬力とは、7500トンの重さのものを“あー”と言う間に1m持ち上げる力ということになる。ジャンボジェット機が燃料満タン、乗客と荷物を一杯積んで約350トンというから、7500トンというとそのおよそ20機分。確かに鉄腕アトムはジェット機をも軽く持ち上げていた。すげぇー力だ。そんな力での戦いとはいったい。
 旧暦で言うと正月二日、新暦だと昨日の10日木曜日、その朝、テレビはサッカーの話題でもちきり。前夜は一人で旧正月をし、民謡に浸っていて、私はテレビを観ていなかった。若い頃はプロ野球、大相撲、プロボクシング、ラグビーなどよく観ていたが、オジサンになってからはスポーツ観戦に興味を無くしてしまっている。「勝った負けたと騒ぐじゃ無いぜ」といった気分。試合なんて所詮他人事だろう、そんな他人事に熱狂するサポーターの気持ちは、私の気分とは遠く離れている。たかが玉蹴りだろう?
 「アトム以下」の謎は、日曜日の情報番組を観た時に解けた。「北朝鮮戦まで、あと三日です」とのアナウンスがあって、その「アトミッカ」を聞いて、気付いた。先週水曜日の朝、(たぶん大塚さん)は「戦いは後六日で始まります」と言ったのだ。
 たかが玉蹴りの試合ではあったのだが、面倒な問題を多く抱えている北朝鮮と日本の試合は、勝ち負けとは別な意味で興味はあった。もし日本が負けたとしても、日本人のサポーターが北朝鮮の人たちに酷いことをしないでくれと願っていた。中国のサポーターたちのような低レベルの応援になってくれるなと願っていた。そんな私の願いは、まあ、勝ったということもあろうが、叶えられた。ニュースによると、試合はフェアなプレーで終始し、サポーターたちも変に騒がず、すごく良い試合だったようだ。政治とは関わり無く両チームとも十分に(10万馬力に匹敵する)力を発揮できたようだ。それは嬉しい。

 記:2005.2.11 ガジ丸


挑戦するオヤジたち

2005年02月04日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日(29日)の夕方、用があってGさんの事務所へ行く。そこにはGさんの友人のNさんもいた。Nさんは建築設計の仕事をしている人で、前にも一度Gさんの事務所で会っている。前に会ったときもそうだが、この日もまた三人でパソコンの話となった。
 GさんもNさんも60歳。二人とも設計図面を引く仕事。以前は手書きの仕事だったのだが今はパソコンを使っている。Nさんがパソコンを使い始めたのは55歳になってからのこと。Gさんの方はNさんより少しキャリアが長い。歳とってクファチブルー(堅い頭)になってからのパソコンは難しい。Nさんは、解らないことがあるとGさんに尋ねに来て、Gさんはまた私に尋ねる。私は二人より少しキャリアが長い。
 新HP作成ソフトの攻略に悪戦苦闘している私だが、いつも使っているCAD(コンピューターで図面を引くソフト)は長いこと扱っているので、まあまあ使いこなせている。還暦二人の疑問、質問にはたいてい答えることができる。キャリアの浅いNさんはまた、パソコンそのものについてもまだ理解が十分でなく、パソコンの初歩の質問も多い。
 「設計図面のデータを全部フロッピーに保存している。そのフロッピーがたくさん溜まり過ぎて、使いたい図面を探すのに苦労している。」とNさんが言う。
 「パソコンのハードに保存しておけばいいじゃないですか。設計図面のデータ程度なら向こう50年くらいの量は十分納まるはずですよ。」と答えると
 「データの件数が多いので、パソコンに入れるとデータ名がずらっと並び、かえって欲しいデータが探し辛い。」とのこと。つまり、Nさんはフォルダ管理を知らないのだ。いやいや、それを笑ってはいけない。解らないことは教えてもらわないと解らない。本を読んで理解するなんてことは、オヤジの脳味噌では難しいことなのだ。
 営業して、仕事を取ってきて、設計図、届出書類を書き、それらを役所へ提出し、許可が出たら現場へ出て、作業員に指示し、また営業へ行く。昼間は現場、営業、役所通いをこなし、夜、設計図、届出書類等を書く。誰よりも早く会社へ出て、誰よりも遅くまで会社に残っている。それがGさんの日常。頑張るオヤジだ。
 頑張るオヤジはまた50歳を過ぎてからパソコンに挑戦し、休みの日には私のところへ来たり、私を呼んだりしてパソコンを勉強する。そうやって解らないことをどんどん克服し、今では仕事上必要なことは軽くこなすようになっている。できるオヤジだ。
 Gさんに少し遅れたNさんも、今はまだ解らないことだらけみたいだが、諦める様子は無い。何とかなる。やればできるといった気概が感じられる。挑戦するオヤジだ。
 歳をとってもなお、新しいことに挑戦し続ける元気なオヤジたちは、きっとこの日本にはいっぱいいるのだろう。そして、殺人、強盗、詐欺、悪徳商法などが増えたとはいえ、まだ世界の経済大国であり、平和であり続けるこの国の元気は、おそらく、「明日に向かって挑戦するオヤジたち」が下支えしているお陰なのではあるまいか。あっぱれ!

 記:2005.2.4 ガジ丸


空き缶を叩くような音

2005年02月04日 | 通信-政治・経済

 昨日(29日)、零細企業の社長3人と話をする機会があった。3人はGさん、Nさん、Tさん、共に還暦の友人同士。もうそろそろ引退して、老後生活を送ってもいい頃だと思うのだが、そんなことは全然頭に無い。そんなこと考えている状況では無いらしい。
 Tさんの会社(Gさんと同業の設備工事会社)のCADソフトがおかしくなっているから直してくれないか、と頼まれ、Tさんの事務所を訪れた。Nさん(建築設計事務所の経営者)も同行。おかしくなっていることの原因はおおよそ見当がついていたので、頼まれごとは5分で済ます。あとは、4人で仕事の話、パソコンの話などをする。
 GさんとNさんはパソコンを使っている。二人とも50歳をだいぶ過ぎてからパソコンに挑戦している。あれこれ試行錯誤しつつも、使いこなすことができつつある。
 Tさんはパソコンを使っていない。息子さん(若いけれどまだキャリア不足でパソコンの不調を直せなかった)がパソコンを担当している。パソコンを息子に任せ、Tさんは今でも手書きで図面を引いている。細かい線引きなど老眼の目にはきつかろうが、ドラフター(製図板)に向かって黙々とやっているとのこと。
 デジタルの還暦二人とアナログの還暦一人、いずれも零細企業の経営者。長引く不況でパソコンを使える人材を雇う余裕は無い。毎晩遅くまで図面引きに追われているというアナログの還暦さんは、息子がパソコンやってくれていくらかは助かっているが、いずれにせよオヤジたちはみな一所懸命なのだ。生きるために頑張っている。
 さて、世の中のオヤジたちが、かように何とか踏ん張って、かんとか頑張って、この国の何らかの役に立っているというのに、だ。
 野党第一党の前代表が頭を丸めてお遍路しているっていうニュースは半年前くらいだったか。前代表は、この国の将来を見据えてきちんと物事を考える人だ、と私は思って、応援もしていたが、丸刈りから半年過ぎた彼の頭は、毛は生えたが、中身をどっかに置き忘れちまったようだ。もはや、叩いても空き缶のような鈍い音しか出ないようなのだ。
 今朝(30日)、テレビの情報番組で国会での議論の様子を見せていた。現状維持ではない、この国を良くするぞって意欲のある二人の政治家のやり取りを期待して観た。ところが、そんな私の期待は大きく裏切られて、
 「オメエ、トイレに行って雲子を流し忘れただろう。」
 「いや、流した。」
 「いや、流していない。」みたいな議論をしていた。情けないことだ。国会という場で議論するようなことかい、と思ったのだ。缶な音と濃い墨総理のやり取りは。

 記:2005.1.30 島乃ガジ丸