ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

酔通餅

2017年11月24日 | 通信-その他・雑感

 10月に入ってからだと覚えているが、近所のスーパーの店員が三角錐の形をした帽子を被るようになった。「何それ?」と訊くと、「ハローウィンの格好です」と答えた。ハローウィンについては「何それ?」と訊くまでもなく、仮装する日だと何となく知っている。10月31日だったか、ラジオから「今日はハローウィン」といろんな番組から何度も聞こえた。それを聞きながら、私が青年の頃はそんな祭りなかったぞ、いつからか?ここ4、5年か?などと考えながら、もう1つのお祭りのことも思い浮んだ。
 もう1つのお祭りとはバレンタインデー、これも私が子供の頃まではさほどメジャーでは無かったように覚えている。高校生の頃になって、女子から男子へチョコレートを贈るなんてことが、私とは離れた所であったという噂は聞いていた。
     

 子供の頃から甘いものがあまり好きでなかった私だが、チョコレートは好きであった。子供の頃に食べたチョコレートで覚えているものがある。今でもあるかどうか不明だが、当時、ウィスキーボンボンと呼んでいた。ウィスキーボンボンは広辞苑に記載があり「結晶化させた砂糖でウィスキーを包んだ一口大のボンボン」のこと。ボンボンはフランス語で、同じく広辞苑に「キャンデーの一種。外側を糖製品で包んだ中にリキュール・果汁などを入れた一口大のもの。さらにチョコレートで包んだものもある」とあった。
 子供の頃から甘いものがあまり好きでなかった私だが、和菓子は好きであった。大人になるとチョコレートはあまり食わなくなったが、大人になっても和菓子(餅菓子も含め)は好んで食べている。そこで、酒大好きオジサンである私は1つアイデアが浮かんだ。ウィスキーボンボンを包んだ餅菓子があれば、さぞ旨かろうと考えた。食べて酔う、まさに酒好きの食い物である、通の餅なので酔通餅(ようつうもち)と名付けたい。
     

 畑仕事をしながら時々歌が出てくる。歌は頭の中で流れることが多いが、たまには口からハミングとして出てきたり、覚えているものはちゃんと歌ったりしている。
 今年(2017年)の夏からある替え歌の替え歌がよく出てくるようになった。替え歌は、タイトルは覚えていないが、1番の歌詞は確か「1月は正月で酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」であった。その元歌は『ビビデバビデブー』、ある映画の挿入歌であったことは覚えているが、何の映画だったかはよく覚えていない。
 それはともかく、私の思い付いた替え歌の替え歌は、
 京子は遊び過ぎて腰が痛ぇぞ 腰が痛ぇ痛ぇぞ 腰が痛ぇぞ
 敬子はギックリ腰で腰が痛ぇぞ 腰が痛ぇ痛ぇぞ 腰が痛ぇぞ
 詠子は太り過ぎで腰が痛ぇぞ 腰が痛ぇ痛ぇぞ 腰が痛ぇぞ
 葉子は年を取って腰が痛ぇぞ 腰が痛ぇ痛ぇぞ 腰が痛ぇぞ
 誰もがみんな腰が痛ぇぞ 腰が痛ぇ痛ぇぞ 腰が痛ぇぞ
といったもの。ちなみに、女性の名前が出てくるが、いずれも実在の人物ではない。

 それはともかく、私は今、酷い腰痛である。10月下旬からほぼ毎日ストレッチをやっているが、一向に良くならない。私はもはや、腰痛持ちのオッサンとなってしまったようだ。「腰痛持ちか」と溜息つきながら、「美味しいかも」と酔通餅を思い付いた。
     

 記:2017.11.24 島乃ガジ丸


汗水節(アシミジブシ)

2017年11月24日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 農夫の応援歌

 畑仕事をしながら時々歌が出てくる。歌は頭の中で流れることが多いが、たまには口からハミングとして出てきたり、覚えているものはちゃんと歌ったりしている。
 畑仕事をしながら出てくる歌はいくつかあるが、その1つに「何でこの歌?」と自分でも不思議に思うのがある。確か、私が小学生の頃に流行った歌、園まりの『逢いたくて逢いたくて』。1番しか覚えていないので、1番ばかり繰り返している。ちなみに、
 愛した人はあなただけ 分かっているのに 心の糸が結べない 二人は恋人
 好きなのよ好きなのよ 口づけをして欲しかったのだけど
 切なくて涙が出てきちゃう
私の記憶が正しければ以上が1番の歌詞。園まり、当時まだ20歳前後だと思うが、こんなに色っぽい人は他にいないと、少年の私は股間を熱くしていたと覚えている。
     

 畑仕事をしながら出てくる歌で、「これは当然」と思う歌もある。それは『汗水節』、アシミジブシと発音する琉球民謡。これも1番しか覚えていないが、実は最近、その1番でさえ間違えて覚えていたことに気付いた。出だしの「あしみじゆながち」が、私の記憶では「汗湯水流し」で、「汗を湯水のごとく流し」という理解であった。正確には、
 汗水ゆ流ち 働ちゅる人ぬ 心嬉しさや 他ぬ知ゆみ
 ユイヤ サーサー 他ぬ知ゆみ スラーヨー スラ 働らかな
となる。『汗水節』は『正調琉球民謡工工四』の第一巻に収められている。出だしの「汗水ゆ流ち」は「汗水を流し」という意。「ゆ」は沖縄語で、格助詞の「を」にあたる。
 私の不十分なウチナーグチ(沖縄語)知識でその意味を述べると、
 汗水を流して 働いている人の 心嬉しさは (そうでない)他人の知るものではない
となる。ちなみに、「ユイヤ サーサー」と「スラーヨー スラ」は囃子言葉。歌詞は6番まであり、大雑把にいうと「働いて、お金を貯めよう、働いて60歳になっても元気でいよう、子供には学問をさせよう、社会のために尽くそう」といった内容。

 『汗水節』は『沖縄大百科事典』に解説があり、作詞は仲本稔、作曲は宮良長包で、1929年に発表されたもの。宮良長包は有名な沖縄の作曲家で、私でも知っている。彼の作品に『えんどうの花』があり、これはウチナーンチュの多くが知っている。
 1929年と言うと、もう戦争の足音が聞こえてきた頃だろう。そんな社会で作られた歌、世のため一所懸命働こうといった内容はそんな社会の雰囲気を映しているのかもかもしれない。しかし私は、少なくとも1番の歌詞についてはそんな雰囲気をちっとも感じないまま歌っている。難儀な作業を、少しでもその難儀を軽減させようと歌っている。実際に心嬉しさはある。作業を終えて家に帰ってからを想像すると心嬉しい。
     

 畑仕事を終えるとクタクタに疲れているが、夕方家に帰って、畑の作物を料理している間は「美味しいだろうな」と想像し幸せを感じている。シャワーを浴びてサッパリして、テーブルに料理を並べて、ジョッキにビールを注いでいる間も幸せ。そして、自分で作った料理を食べて美味いと感じ、ビールをゴクゴク飲んで幸せの最高潮となる。
 ビールのために農作業という難儀な仕事をしているとも言えるが、確かに、草刈や耕す作業などに面白さは無いのだが、種を播くと、芽が出るかどうかの楽しみがあり、芽が出ると、育つかどうかの楽しみがあり、花が咲き、実が着く楽しみがある。収穫したものをいかに料理するかの楽しみがあり、食べる楽しみがある。畑仕事は、お金にはちっともならないが、天が人間に与えた「幸せに生きるための仕事」と、私は思うのであった。
     

 記:2017.11.18 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行


不安な老後

2017年11月17日 | 通信-その他・雑感

 沖縄は11月でも蚊がいる。寒くなると少なくはなるが12月も1月も2月もいる。亜熱帯の沖縄では年中蚊がいる。11月はまだ暖かいので夏と同じ位に蚊がわんさかいる。ということで、畑では蚊取り線香がほぼ年中の必需品となっている。
 10月30日、畑の蚊取り線香が無くなりそう(残り4日分位)になっていたので、買いに行った。畑からは寄り道になるが、私がポイントカードを持っているBスーパーが5%割引の特別な日だったので行く。この際だからと、日持ちのするレトルト食品やお菓子なども買おうと店に入る。レトルト食品やお菓子は買ったが、蚊取り線香を忘れる。
 11月1日、畑の蚊取り線香が無くなりそう(残り2日分位)になっていたので、同じくBスーパーへ買いに行った。「蚊取り線香だけを買うのに寄り道するのは嫌だなぁ、何か他に買う物無いかなぁ」と考えて、「しょうがない、今日は休肝日の予定だったが何か肴になるようなもの買って、今日も飲む日とするか」となって、寄り道のスーパーへ寄って肴をいくつか買い、家に帰る。蚊取り線香を買い忘れたことに、酒飲んで、肴を全部食い終わって、そろそろ寝るかとなって歯磨きをしようと思った時に気付いた。
     

 話は少し飛ぶが、4、5日前のこと、50歳までに1度も結婚の経験が無い比率、男性では沖縄が1番高いとラジオのニュースで言っていた。私の友人達にもその高い比率に貢献している者がいる、OR、ZY、TTなどの顔が思い浮んだ。私も貢献者の1人。
 私としては、1人暮らしに不自由は無い、料理はできるし、掃除洗濯も苦ではない。それに私は1人でいることを好む煩がり屋である。そんな私のような偏屈者に結婚は必要ないのではないかと思う。ただしかし、「結婚しなさい」という世間の圧力、親、親戚の圧力は理解できる。少子化対策とか、家系の存続とかであろう。
 そしてもう1つ、老後の生活を考慮すれば、結婚して子を成し育て、その子が子を成し孫ができる、などといったことは現在の、年金とかの社会保障が不備であった時代には必要だったのであろう、子が年老いた親の面倒を見ることが必要だったのであろう。
 それを踏まえて、結婚する理由と、私が結婚できなかった理由を考えてみた。
 1、老いた時に面倒を見て貰う為に結婚し、子を成す。
 2、恋に落ちて、何も考えずに事を成し、できちゃった結婚となる。
 3、この人を守ってあげたい、一生一緒にいたいと思って結婚する。
 私の場合、1については、全く考えに無かった。2については、恋に落ちた相手にはことごとく振られているので、できなかった。3については、後から思えば、そういう人がいたのだが、気付くのが遅れた。ということで、私は結婚を逃してきたと思われる。
     

 何で今更そんなこと考えるのかと言うと、上述したように、私は年々忘れ物が酷くなっている。この先さらに酷くなって、財布を落としたり、オレオレ詐欺に引っ掛かったり、火を消し忘れたり、親しい友人や近い親戚の顔を忘れたり、帰る家を忘れたりするかもしれない。独居老人(将来の私)は、無意識に世間に迷惑を掛けるかもしれない。
 さらに、このところの腰痛で体力にも不安が出てきた。屈んだ姿勢から立ち上がった時によろけることもたまにある。いつか、散歩の途中で道に倒れるかもしれない。道に倒れて誰かの名を呼び続け・・・ることができないかもしれない。誰も覚えていないので。

 記:2017.11.17 島乃ガジ丸


ミツバコマツナギ

2017年11月17日 | 草木:雑木雑草

 ガジ丸HPを立ち上げて沖縄の植物を紹介するようになって長い、2004年9月からだから13年余になる。それだけやっていると、ミツバコマツナギという名前を見て、ミツバが三つ葉の意であることが無意識に頭に入ってくる。「さすが俺」と自分を褒める。
 ミツバコマツナギという名前を見て、しかし、そんな私でもコマツナギについては、すぐには何のことか判らないかった。「まだまだだぜ俺」と謙虚になる。

 参考文献に名前の由来は無かったので、自身で想像してみた。コマツナギ、「コマとツナギ」か、「コマツとナギ」のどっちだと考える。植物であることを考慮すれば「コマとツナギ」より「コマツとナギ」の方が想像しやすい。
 「コマツとナギ」であれば「小松梛」であろう、「小さな松のような梛の仲間」ということになる。ところが、梛はマキ科の常緑高木針葉樹で、ミツバコマツナギはマメ科の多年草である。「全然違うじゃねーか」となって、この案は却下。

 「コマとツナギ」ならどうなる?「コマって独楽かなぁ、駒かなぁ」と考えている時、広辞苑を思い出した。で、コマツナギを引いたら、何とそれがそのままあった。駒繋ぎと書き、第一義は「馬をつないでおく所」とあり、第二義に「マメ科の低木状草本。地面を這う。原野にごく普通・・・」とあり、さらに、「小さいが茎が強靱だからいう」と名前の由来まで載っていた。「早く広辞苑を思い出せよ、ばーか」と自分自身を罵った。
 
 ミツバコマツナギ(三つ葉駒繋ぎ):海岸野草
 マメ科の多年草 原産分布は不詳 方言名:不詳
 名前の由来、漢字の駒繋ぎは広辞苑にあった。その字を見て「ロープで繋ぎ止めなくても馬がそこから離れないほど馬の大好きな草だから」と私は想像したが、広辞苑の説明の中に「小さいが茎が強靱だからいう」とあった。ミツバは3出複葉だからであろう。
 別名としてナハエボシグサとあり、那覇烏帽子草と漢字を充ててみた。烏帽子は葉の形がそのように見えないことも無いが、那覇は?、那覇特産ということは無い。
 原産分布が私が手元に置いて利用しているどの参考文献にもなくて不詳。広辞苑には「原野にごく普通」とあり、コマツナギは全国に分布しているようである。本種ミツバコマツナギは、参考文献の『沖縄教材植物図鑑』、『沖縄植物野外活用図鑑』の写真は両者とも沖縄島、私の写真は宮古島。『沖縄教材植物図鑑』のサブタイトルは「路傍の草木」なので、沖縄島、宮古島では「ごく普通」だと思われる。そしておそらく、沖縄や宮古で普通ならば八重山でも普通に見られるとも思われる。
 茎は基部で多数分枝して横に広がり、高さは15センチほど、長さは40センチほどに伸びる。小型の3出複葉、裏面に毛が生えていて粉白色をしている葉が特徴。花は緋紅色で小さく目立たない。海岸や砂浜に多く見られる野草。

 記:島乃ガジ丸 2017.11.11 →沖縄の草木目次

 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
 『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
 『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
 『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
 『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
 『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
 『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
 『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
 『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
 『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
 『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
 『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
 『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
 『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
 『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行
 『熱帯植物散策』小林英治著、東京書籍発行
 『花卉園芸大百科』社団法人農山漁村文化協会発行
 『ニッポンの野菜』丹野清志著、株式会社玄光社発行
 『藤田智の野菜づくり大全』藤田智監修、NHK出版編
 『やんばる樹木観察図鑑』與那原正勝著、ぱる3企画発行
 『熱帯の果実』小島裕著、新星図書出版発行
 『熱帯花木と観葉植物図鑑』(社)日本インドアグリーン協会編、株式会社誠久堂発行
 『ハーブを楽しむ本』川口昌栄編集、株式会社集英社発行
 『沖縄やんばるフィールド図鑑』 湊和雄著 実業之日本社発行
 『グリーン・ライブラリー』タイムライフブックス発行


理想の老後

2017年11月10日 | 通信-社会・生活

 友人の先輩農夫Tは5人の子持ちである。その内の1人はまだ学生だが、それも来年には卒業する予定で、彼が社会人となり、娘二人が嫁いで家を出ていったらT夫妻は晴れて子育て終了となり、夫婦二人の自由な時間がやってくることになる。
 Tの女房のK子は、私の目から見れば健気な人という印象である。T夫妻と話していると、「あー、この2人、仲良いなぁ」と感じる程にお互いを見る目が優しい。
 その女房もよく知っている、あるいは、その亭主もよく知っている私の友人夫婦は何組もいるが、T夫妻ほど優しさに包まれた夫婦はいないと感じている。
 そのTが先日、私の畑にやってきて、しばしユンタク(おしゃべり)していった。今年の夏は暑かった、10月になっても前代未聞の暑さだなどの話から、このまま温暖化が進んでいったら沖縄の作物も熱帯地方で育つようなものに替えなきゃあとなり、この先どんな社会になるかとなり、互いの老後(数年後)の生活にまで話は至った。

 Tは転職はしているが長年会社員として働き、結婚し、マイホームを建て、実父実母の面倒を見、5人の子供を育てるだけの稼ぎを得てきた。彼の老後は、「子供がみな独立したなら、家を売って、女房と2人で田舎暮らしをしたい、小さな畑で自給の野菜を育てながらのんびり生きて行きたい」とのこと。そう、あの女房と2人なら、幸せな老後を暮らせるだろうと、口にはしなかったが、私はそう思い、少し羨ましくなった。
 人にはそれぞれ「幸せ時間」というものがある。幸せを感じている時間のことで、幸せ時間が長いほどその人の顔は柔和になる。Tはきっと、優しそうなオジーになるはず。
     

 私の老後は、田舎に30坪ほどの土地を買い、そこに5坪ほどの小屋を建て、10坪ほどは畑にしてのんびりと季節の野菜を育て、収穫したものを料理して美味しく頂く。もしかしたら、オジー(爺さん)になってもカメラ片手に散歩を趣味とし、パソコンを使い文章を書いてブログやっているかもしれない。晴耕雨読ならぬ晴耕雨パソコンだ。
 もちろん畑仕事もパソコン作業も、我が身が生きていればの話で、生きていて五体満足に動き、脳味噌にもさほどの不自由がない状態であるという条件付きとなる。
 五体満足に動くとはもちろん、若者のように体が動くということではない、年齢なりに動けばいいのだ。ゆっくりでいいから歩くことができ、ゆっくりでいいから10坪ほどの畑で野良仕事をし、自分が食べる分の季節の野菜を育て、ゆっくりでいいから収穫した野菜を料理し、それを食べることができればいいのだ。酒が飲めればなお良い。
 脳味噌にもさほどの不自由がない状態とは、多少の物忘れ、例えば、畑へ出て農作業道具を忘れる、昼飯食べるのを忘れる、パンツ履くのを忘れるなどといったことは可で、料理して火を消し忘れて出掛けるなんてことになったら不可、といったようなもの。

 さて、私のそんな老後、80歳(生きていればの話)になってもそうかと言うと、それはあまり期待できない。「10坪ほどの畑で農作業をし、自分が食べる分の季節の野菜を育て、収穫した野菜を料理し、食べることができる」は難しいと思われる。それが出来なくなったらどうする?・・・そう、自分で自分の面倒を見ることが出来なかったら、私の場合、死んでしまえば良いとなる。私はきっと、冷めたオジーになるはず。
     

 記:2017.11.10 島乃ガジ丸