ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

初むくみ

2019年10月28日 | 通信-社会・生活


 8月に琉大附属病院で2泊3日の入院、9月になって国立沖縄病院に入院、これは今も続いていて、既に1ヶ月余りとなっている。これらの入院生活で私の初体験となったものがいくつもある。そもそもが入院の大元の舌癌も初体験だが、それは置いといて、

 社会人となって約40年、自身の健康管理も自己責任であると解ってはいるが、この40年、私は役所が主催する定期検診や、職場が提供する健康診断などには全く参加せず、「人間、放って置いても生きようとする。天が定めた寿命までは生きようとする。誰でも死ぬときは死ぬ。その時が寿命だと思えばいい。譬え途中で事件、事故、天変地異などで思わぬ邪魔が入ったとしても、それはそれでまた、「人生はドラマである。ハプニングは付きもの」と思って、「軽く口笛でも吹きながらやり過ごしたら良い」という考え。
 検診も行かない私は、そもそも自らの健康のために病院へ行くことも滅多にない。小学校高学年の時、交通事故に会って左腕を骨折し、約3ヶ月の間、入院した経験がある。勉強しなくていい幸せな3ヶ月だった、入院はそれ以来約40年ぶりのこと。
 入院とまではいかないが、病院で何らかの治療を受けた経験は、歯科医を除けばこの40年間で、私が覚えている限りで言えば、背中の脂肪腫の切除、膝関節炎で両膝に溜まった水を抜く手術、これらはどれも1~2時間、あるいは半日で終えて、日帰り。

 「俺は病院とは縁の無い男だぜ!」と、咥えタバコの煙に目を細めながらニヤッと笑うニヒルな男、そんな男になりたいと日頃から思っていた・・・のだが、天は、そんな傲慢な男に「人生をそう甘く見るなよ」と罰を与えたのかもしれない。
 それはともかく、今回は初体験の話。
 もう既に8月の琉大病院に入院している時に初体験を済ませていることがある。それを先に書いておくと、点滴、CTスキャンとかの放射線使用の医療機器数種、車椅子などが初体験。若い女性(看護師)に股間を洗ってもらったのも初体験
 そして、よく知らないが、飲んだ薬、打った注射にも初体験は多くあっただろう。薬の中でも特に印象に強いのは降圧剤。10月17日から、私もついに降圧剤を飲むようになった。畑やっている頃は140程度だった私の血圧、腰痛を患ってから160台となり、舌癌を患ってからは180を超えることもあった。それでも飲まなかった降圧剤。
 降圧剤は一旦飲み始めるとずっと飲み続けなければならない、という友人たちの噂を信じ、「降圧剤が無ければ生きていけないということか?それは面倒だな」と思った。

 2週間ほど前から足がむくんでいる、むくみも初体験。2週間経ってもむくみは一向に改善しない、悪くなる一方。むくみはついに膝を超え、太ももの裏にまで進出。
 むくんでいる所を触ったり、擦ったりすると、皮膚と筋肉(または骨)の間に異物が存在していることに気付く。硬めのパン生地ほどの弾力のあるものが詰められて、これがあるために、皮膚を押してもすぐには元に戻らず、へこんだクレーターはしばらくへこんだままとなる。これがあるために、足首が自由に動かない。時々痛みも出る。これがあるために、足が重たい。歩くのに少々鬱陶しい。生きるのに不都合。今のところ、医者が「放って置いても治る」と言っているので放ってある。どうなるやら、お楽しみ。
     
     

 記:2019.10.28 島乃ガジ丸


病中の飲食

2019年10月25日 | 通信-社会・生活

 点滴を外し、喉から食物を摂取するようになったのは10月10日のこと。舌が動かなくてモノを咀嚼できない私なので、もちろん初めは流動食。流動食は重湯が主食で、あとは味噌汁とかスープとかの汁物、そして、とろみのついたおかず風のもの。
 噛まない、咀嚼しない、ただただ飲み込むだけなので、1口1口を味わうなんてことはほとんどできない。味わうことはできないが、味には敏感に反応する。
 口にものを入れて、それを咀嚼して、喉を通して摂取するということを長いこと(約2ヶ月)やってこなかったものだから、舌癌が治りつつある舌を含め、口中全体が敏感になっているようだ。甘い、塩辛い、辛い、苦いなどの味が強いものは、舌を中心に口中全体が刺激を受け、時にビリビリと痛みも出て、「食ぇねぇよ」となる。
 病院給食の流動食は重湯(後にお粥)なので優しい味だが、汁物類もまぁまぁ大人しい味だが、おかずの類は味が濃い。デザートに位置しているであろうパック入り飲料もヨーグルト味やらコーヒー味やらいろいろあるが、どれにしても私の舌には激しく甘い。
 それらの病院食、初めの頃は半分食うのがやっとだったが、10日ほども経って、幾分慣れて来て、多少の我慢(不味くても栄養)はしているが、最近はほぼ完食している。

 運ばれてくるお盆にはいつも1枚のカードが置かれてあって、今回の料理名が書かれてある。そして、病人から食堂へメッセージが書ける空欄もある。私はほぼ毎回、少なくとも「ごちそう様」とは書いている。そしてしばしば、料理への感想などを書いている。
 料理の感想は、なるべく褒めようとは思うのだが、舌が思うように動かず、食べるのにあれこれ不都合のある私なので、また、普段から自分で料理をしていて、料理には少々煩い私なので、ついつい料理への注文となってしまう。「煩ぇ爺さんだ」と病院の厨房の人たちには思われているかもしれない。が、煩ぇ爺さんには良いことも起きる。
 給食への意見である私のコメントを読んで、沖縄病院の給食を管理している栄養士がたまに私のところを訪ねて来てくれる。栄養士は若い(アラサーか?)、スラッとした長身の色白美人。美人とユンタク(おしゃべり)するのはオジーとなった私でも嬉しい。
     

 10月19日、私の要望で病院食の主食が重湯からお粥(3分)に替わった。しかし、主食は変わっても副食は相変わらず。時には味噌汁も出るが、多くはトマトスープ、コーンスープなどの洋風汁物、ポテトムース、パンプキンムースなどの流動食がおかず。
 「そんなのお粥と合わねぇよ」と思うのだが、「和食が食べたい」と要望も書いたのだが、今のところ、まだ変化なし。今のところは、市販の梅干し、インスタント味噌汁などを買ってきて独自の副食としている。お粥と梅干と味噌汁。和風である。それに加えさらに、和食料理人のIさんに頼んで、Iさん手作りの佃煮やら練り梅、練り味噌など持って来て貰った。それらはとても美味しい。さっぱりしながらも、味ははっきりしていて「美味いぜ」と1口1口感じながら食べている。病床の私も大いに満足している。
     

 食事は、栄養補給のための餌というだけではない、食べて、美味しいと感じて、幸せを感じて、心にも栄養を与える生きるに必要なものと私は思う。Iさんの料理はまた、Iさんの愛情もたっぷり籠っている。その愛情も心の栄養になるものと思う。

 記:2019.10.26 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行 


オキザリス

2019年10月23日 | 草木:蔓蔦

 「オキザリス」と言われても、「何それ?リスの置きもの?」となる。
 「何だよ、リスの置きものって?」と問い返され、
 「いや、漢字で書くと「置き座リス」、座ったリスの置きものかなぁって」と、スットコドッコイの私は答えたかもしれない。でも、それは昔の話。植物調べを始めてもう20年近くなる今の私は、「オキザリス」と聞いたらそのイメージも思い浮かぶ。
 オキザリスは和語で言うと「カタバミ」の仲間。カタバミと言えば何しろ、沖縄では超有名な雑草、畑の敵になっている、農夫が頭を悩ます強害草のカタバミがある。ウチナーグチ(沖縄語)で言えばメーハジチャーだが、農夫が頭を悩ます強害草のカタバミはそれではなく、もう1つ別の種、ウチナーグチでいうところのヤファタのこと。ヤファタとは和語で言うとムラサキカタバミのこと。根絶不能の害草。

 そんなカタバミの種類の中に花壇草花に利用される種類があることを知ったのは、植物調べを始めてから数年も経った頃、いくつかあって、前にオオキバナカタバミを紹介しているが、今回紹介するオキザリス・トライアングラリスもその1つ。
 
 オキザリス・トライアングラリス(Oxalis triangularis):花壇
 カタバミ科カタバミ属の球根植物 ブラジル原産の園芸植物 方言名:なし
 名前の由来、オキザリス・トライアングラリスは学名の日本語読み。別名がいくつかあり、ムラサキノマイ(紫の舞)、サンカクバオキザリス(三角葉オキザリス)などとある。葉色が紫色で葉形が三角形をしていることからそういった流通名なのであろう。私としては紫三角葉カタバミにしてくれたら、きっと一発で覚える。
 高さは5~30センチ、花色は白色や桃色、開花期、倭国では6~10月。沖縄では11月になっても咲いている。葉の色形が魅力的というだけでなく、花も可愛いので花壇の草花として利用されている。
 
 花
 カタバミ科カタバミ属なので畑の強害草であるカタバミと同属。ちなみに、
 カタバミ Oxalis corniculata
 ムラサキカタバミ Oxalis debilis subsp. corymbosa
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae

 記:島乃ガジ丸 2019.10.19 →沖縄の草木目次

 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
 『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
 『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
 『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
 『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
 『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
 『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
 『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
 『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
 『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
 『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
 『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
 『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
 『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
 『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行
 『熱帯植物散策』小林英治著、東京書籍発行
 『花卉園芸大百科』社団法人農山漁村文化協会発行
 『ニッポンの野菜』丹野清志著、株式会社玄光社発行
 『藤田智の野菜づくり大全』藤田智監修、NHK出版編
 『やんばる樹木観察図鑑』與那原正勝著、ぱる3企画発行
 『熱帯の果実』小島裕著、新星図書出版発行
 『熱帯花木と観葉植物図鑑』(社)日本インドアグリーン協会編、株式会社誠久堂発行
 『ハーブを楽しむ本』川口昌栄編集、株式会社集英社発行
 『沖縄やんばるフィールド図鑑』 湊和雄著 実業之日本社発行
 『つる植物』沖縄都市環境研究会著 (有)沖縄出版発行
 『熱帯アジアの花』ウィリアム・ウォーレン著、チャールズ・イー・タトル出版発行
 『講談社園芸大百科事典』野間省一編集、講談社発行
 『沖縄の薬草百科』多和田真淳・大田文子著、那覇出版社発行
 『ネイチャーガイド琉球の樹木』大川智史、林将之著、株式会社文一総合出版


病状経過その1

2019年10月21日 | ガジ丸のお話

 去年(2018年)夏頃、左下奥歯の1本がグラグラしていたので歯医者へ行く。グラグラしている歯は、放っておけば抜けるというので放っておくことにして、歯槽膿漏と診断され、歯の掃除をすることになり、その後数回通う。
 その時「舌の裏が歯に当って炎症を起こした痕がある」と指摘された。
 同年秋頃、炎症を起こした痕から少し離れた個所に径1センチほどの円形の膨らみがあることに気付く。「何か怪しい」と思うが、放って置く。
     

 今年春、円形の膨らみの周りがただれていることに気付く。気付いて、またも「何か怪しい」と思ったが、2019年6月中旬までは、ただれもそう広がることは無く、痛みも無かったので放って置く。2019年6月下旬からは痛みが出てくる。
 7月に入ると、ただれている個所が広がり始め、舌の左側が膨らんで、舌が動かしにくくなり、唾液が止まらないと感じるほどに多く出るようになった。舌の左側の膨らんだ個所の下部から出血もあり、痛みも強くなる。ここまでくると知らんぷりはできない。
 7月下旬になると食事(食べ物を口内に入れ咀嚼すること)するのもきつくなる。
 「何の病気だ?」とネットで調べ、「舌癌かも」とあり、
 「病院は何科?」と調べると口腔外科とあった。
 家の近くの口腔外科を調べると琉球大学付属病院がある。しかし、琉球大学病院で診療を受けるには「紹介状」が必要とのこと。そんなこんなで手間暇かかって、診察をうけることができたのは、やっと8月8日になってから。その日、即日入院となった。

 琉大病院の診断は「舌癌でしょう、それも末期です」とのことだった。
 さすが大学病院で、検査は口の中だけでなく体全体に渡った。2泊3日の入院生活となる。医者は「手術した方が良い」との意見であったが、西洋医学に疑問を持っていた私は即答はせず、「考えさせてください」と、一旦退院することになった。
 その後、何度か通院して、今後どうするかを医者と相談する。
 8月28日、主治医とこれからの話をした。
 「なるべくなら、抗癌剤治療も放射線治療もやりたくない。死ぬ時が来たら死んでいいという想いです。」と希望を述べると、主治医は正直に答えた。
 「抗癌剤にしろ放射線にしろ、あるいは手術による摘出をしたにしろ、あなたのその後の人生は病院暮らしとなります。抗癌剤投与となると副作用も大きいので、苦痛も伴います。治療を何もしなければ副作用の苦痛はありません。しかし、治療をしなければ癌の進行は進みます。命にかかわることですが、これはもう生き方の問題です。あなたがそのような生き方をしたいのであれば、医者として反対もできません」とのこと。
 「そのような生き方」とは、「苦しみながら3年生きるか、楽しく1年生きるか、を選ぶのなら、楽しく1年の方がいい」ということ。

 入院するなら「国立沖縄病院」が適しているかもしれないとの医者の勧めで、9月12日そこで面接となり、合格となって、入院することとなる。
 国立沖縄病院はホスピスであり、主たる目的は治療ではなく今の痛みを緩和して生きることをより楽にすることを目的にしているらしい。「病気を積極的に治すことはしないけど、生きている間はより楽に生きることができるようにしますよ」ということらしい。私が望むこととピッタシカンカンであった。
 ところが、琉大病院の医者もそれを進めていたが、沖縄病院の主治医も「いかがでしょうか」と勧める癌治療があった。「そんなに言うのなら」と承諾した。
 それは放射線治療。9月19日午後4時頃から放射線照射の初治療を行った。放射線治療は10月4日までの間に10回行った。初治療以降、酷い副作用があったが、治療したお陰で、私の舌癌は今治りつつある。というか、主治医が言うには「癌はほぼ治っています」とのこと。ということで私は、元気になりつつ現在に至る。・・・続く。
     

 記:2019.10.21 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次