ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

農夫の敵はいくつも

2012年08月31日 | 通信-環境・自然

 沖縄に近付く頃の台風はだいたい950ヘクトパスカルだと記憶しているが、今週日曜月曜に沖縄島を襲った台風15号は沖縄近海でなお発達しながら、沖縄島最接近時には910ヘクトパスカルに達すると予想された。「強さも大きさも過去最大級の台風です、最大級の台風対策をお願いします」とラジオのニュースからも流れた。
 ということで、台風対策をする。宜野湾の畑、西原の畑、実家、アパートの4個所。まだ嵐の前の静けさであった金曜日、先ず実家へ行き台風対策を一通り済ませる。宜野湾の畑は収穫できるものを収穫し、小屋の扉に補強をした。そこまでは楽勝。問題は西原の畑だ。作成途中の畑小屋は台風に対する十分な強さが無い。で、同金曜日、畑小屋にある程度の補強をする。それでも不安で土曜日、さらに補強する。それでも不安で、風の強くなった日曜日にも出かけ、枝がぶつかりそうな周りの木の枝を剪定した。

 地下に実の生る甘藷などはともかく、地上部に実の着いているパパイア、オクラなどはきっと最強台風に勝てないと予想していた。そして、風雨(まだ強風圏)が少し治まった月曜日の午後、西原の畑と宜野湾の畑の台風被害確認へと出かけた。
  台風15号は沖縄島直撃とはならなかったようで、最大瞬間風速70mの予報が、40m程度に留まった。ということで被害は思ったより少なかった。宜野湾の畑はオクラやキクイモが傾いただけ、西原の畑はバナナの葉がいくつか折れただけだった。
 西原の畑はまだ本格的に植付をしておらず、作物の被害は元々あったパパイヤとバナナくらいであろうと予想していた。その予想より被害はずっと少なかったわけだが、西原の畑は作物よりもむしろ作りかけの畑小屋に対する不安が大きかったのだ。対策はしたつもりだが、果たしてあれで十分だったのかとずっと心配していた。運を天に任せるという心境のまま一日半が過ぎ、そして、その結果・・・無事だった。ほっ。
          

 今回の台風15号で、少なくとも私の畑は風による被害はたいしたこと無かった。しかし、気になることが一つあった。15号は風も強かったが、それより雨量が凄かった。通り過ぎた後も大雨が長く続いた。アパートのベランダが池になるほど降った。
  それがなくても今年の夏は雨が多い。沖縄気象台のデータによると、那覇の8月の降雨量平年値は240.5ミリで、今年の8月は昨日までで674.0ミリと3倍近くとなっている。雨は「恵みの雨」と呼ばれることもあるが、あんまり多いと土壌が常に湿った状態となってしまい、それによって植物が根腐れし、枯れてしまう。
 長雨はまた、日照不足となり、植物が十分に育たないという結果を招く。逆に雨が降らないのも困る。旱魃は植物を枯らす。雨も太陽も畑の作物に必要なものであるが、長雨や旱魃は農夫の敵となる。むろん、強風で作物をなぎ倒す台風も敵である。
          

 農夫の敵と言えば病害虫も強敵だ。殺虫剤を使わないつもりの私にとってはたぶん、彼らに勝利することは難しい。何とか「この辺りでご勘弁を」と、ある程度の被害は覚悟しなければなるまい。ある程度で済めば有難いと思うくらいである。
 その他にも実は、農夫の敵が存在する。それは最近、友人の脱サラ農夫Tから聞いて知った。「パパイヤが収穫直前にごっそり盗まれた」そうだ。野菜泥棒がいるのだ。

 記:2012.8.31 島乃ガジ丸


学力

2012年08月31日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 「強さも大きさも過去最大級の台風、最大瞬間風速は70m。」と予報された台風15号は、今週日曜日の昼前から翌月曜日の昼前まで沖縄島を暴風圏に巻き込んだ。予報された最大瞬間風速70mに畑も大きな被害を受けるだろうと覚悟していたが、最大瞬間風速は40m程度に控えてくれ、オクラが傾き、キクイモが倒れただけで済んだ。
  沖縄気象台のデータを確認していないが、今年(2012年)は沖縄に影響を与える台風が例年より多いと思う。「台風の当たり年」となっているみたいだ。15号が沖縄島周辺を襲った直前には台風14号が八重山周辺を、15号が沖縄島を過ぎた後にも14号はUターンして八重山を襲った。この8月は、台風11号も沖縄島に来た。
 台風11号は15号ほどの勢力は無く、私の畑の被害も、キャッサバが1本倒れたが、その他はオクラやキクイモが少し傾いただけだった。傾いてもキクイモは根を食すので収穫には無関係、オクラはその後も毎日数本ずつ収穫できている。

 さて本題に入る。台風11号が過ぎた8月8日、いつものように4時半に起きて、6時にはなっぴばるに着き、いつものように草刈りをする。「これ以上やると倒れるぜ」と体が悲鳴をあげた頃、太陽がガンガン照りつける午後2時頃まで頑張った。
 家に帰って、洗濯して、掃除して、撮り溜めた写真の整理やらガジ丸記事書きなどやっていると、夕方、ラジオから気になるニュースが流れた。
 「全国学力テストで沖縄県は全ての教科で最下位」とのこと。「最下位」が気になったのでは無い。私もそうだったが、沖縄の子供達は概ね勉強が嫌いである。嫌いなものはなるべくやりたくない。よって、学力は上がらない。最下位は当然のこと。
 「これではいけないので、何とか対策を」という教育関係者たちのコメントが気になった。「学力向上がそれほど大事なことか?」という疑問である。

 沖縄の古い諺・・・では無く、まったく私の創作であるが、こんなの考えた。
 サンミンやならんてぃんチムやウフッチュ

 サンミンとは計算のこと、ならんてぃんは「できなくても」、チムは心、ウフッチュは大人のこと。「計算はできなくても心は大人の力がある」という意になる。大人とは「考え方・態度が老成しているさま。分別のあるさま」(広辞苑)のこと。

  大人になるための勉強は、学校で習う国語算数理科社会ばかりでは無い。大人になるためには「生きて行く力を着ける」ことが必要で、そのための勉強は他にいくらもある。生きて行く力の基本にはもちろん、読み書き算盤(そろばん)もある。言葉を知ることは、生きて行くために必要な知識を得ることができる。算盤も因数分解や微分積分などは要らないが、加減乗除はできた方が良い。買い物ができる、生きるにはそれで十分。
 万有引力や相対性理論など知らなくても、いつ種蒔き、いつ収穫し、どう料理するかなど知っていれば生きて行ける。もう少し勉強して、台風対策、病害虫対策などもできればなお良い。炎天下で働き続けたら熱中症になる場合がある、風邪を引いたらこの草を煎じて飲めば良い、なんてことも勉強すれば、さらに良いウフッチュとなるはず。
     
     

 記:2012.8.27 ガジ丸 →沖縄の生活目次


身の程農法

2012年08月24日 | 通信-環境・自然

 もう25年ほども前になるか、農業をやってみたいと思っていたら、高校の同級生であるT子(私は面識無し。私の通っていた高校は1学年14クラス、1クラスだいたい45名ほどの生徒がいたので知らない同級生も多くいる)が無農薬有機で農業やっていると、良く知っている同級生のK子から聞き、T子を紹介して貰って弟子入りした。
 T子のやっている農法は自然農法と言われるものであった。T子からそれがどういうものであるか教わり、そして、本を読み、自分でも勉強した。福岡正信という名をこの時知り、自然農法とは不耕起(耕さないということ)で、肥料も農薬も使わず、除草もしないという農法であることも知った。そして、T子から教わったことは、
 「沖縄は雑草天国なので草は刈る。刈った草は捨てず、土の上に置いておけばそのうち肥料になる。」、「明日雨が降りそうだなという日に種を撒き、水はやらない。根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる。」などといったこと。

 T子の農法は、除草剤も殺虫剤も使わない、水を遣らない、市販の肥料を使わない、という点では自然農法だが、全くの不耕起では無い、ある程度除草をする、自家製の肥料を用いる場合もある、などといった点では福岡正信の自然農法とは違う。
  私がT子の畑に通っていたのは、たぶん半年ほどだったと覚えているが、その間、彼女が殺虫剤を用いるのを見ていない。畑小屋にそれらしきものも無かった。彼女の畑にも病害虫はやってきたであろうが、あまり気にしている様子は無かった。「水をやらなければ根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる」ということが功を奏しているのか、彼女によれば、「丈夫な作物は病害虫にも強い」とのことであった。 
 私が通っていた頃には既にいなかったが、以前は馬を飼っていたと言う。「馬を使って耕していた」とのこと。昔の農村の風景がそこにあったようだ。馬はいなかったが鶏は数羽いた。「玉子を採るためと鶏糞を肥料にするため」とのこと。「肥料をやると作物が大きく育ち、収量も多い」ようだ。確かに、「今回は全くの無肥料で植えてみよう」といって育てたジャガイモを収穫したら、ジャガイモはみな小粒であった。

 彼女はまた、沖縄在来野菜の種を保管していた。「市販の種のほとんどはF1品種というもので、一代限りのものだ。その種を播いても作物はできにくい。それに対し、在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ。」とのこと。
  7月から300坪の畑に出勤し、除草やら小屋作りに毎日励んでいるが、家に帰るとパソコンを開いて、どんな畑にするかを考えている。あまり耕さない、あまり除草しない、あまり水をかけない、肥料は畑に生える草で賄うなどとし、「できる分だけができる」という農法。それらは福岡正信の自然農法に少し似て、T子の農法により近い。
 どんな畑にするかを考えている時に「T子の農法に近い」ことに気付き、彼女を想い出し、そして、「在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ」も思い出した。芋を収穫したら種芋を残しておき、時期が来たら植える。その他の野菜も同じように種を残しておく。つまり、種、肥料を含め外から何も買わないということだ。その土地にあるものだけで作物を育てることを目指すことにした。私の農法はつまり、「貧乏農法」ということになる。いや、それでは畑が可哀そうなので「身の程農法」としておこう。
          
          

 記:2012.8.17 島乃ガジ丸


島燃ゆ

2012年08月24日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 300坪の畑を借り(まだ仮だが)て以来、300坪全面に大いに茂った雑草を刈り取るのと、休憩場所となる畑小屋の製作とで毎日が忙しくなった。そのため無期限延期となっている作業がいくつもある。「加害者としての沖縄」調べもその一つ。
 沖縄戦で多大な被害を蒙り、多くのウチナーンチュが不幸に会ったが、ウチナーンチュもまた戦地へ出征した中にはアジアの人々に酷いことした兵士もいたであろう。日本兵から差別されることのうっぷん晴らしに、より弱い立場にいる朝鮮から徴集された兵隊たちに差別的な言動を取る兵士もいたであろう。被害者としてだけでなく、加害者であったことも書いておかなければ、右寄り教科書に文句は言えないと思ってのこと。
 ウチナーンチュの差別意識はしかし、戦時中における外国人に対してのものを調べるまでも無く、沖縄の中にあった。首里王府のある沖縄島はオキナワである。宮古諸島はミヤコであり、八重山諸島はヤエヤマだ。つまり、それぞれが独特の文化を持った気分的には独立した地域である。それは単なる区別なのだが、王府は差別した。

 宜野湾市立図書館の郷土資料コーナーに気になる本を見つけ、借りた。本は漫画の単行本。題名は『島燃ゆ』。人頭税廃止のために闘った宮古の農民たちを描いている。作者は新里堅進(しんざとけんしん)氏。新里堅進の名は知っている、私の200冊を超えるコミック単行本の中に氏の作品『水筒』がある。画質のしっかり(漫画チックでは無いという意味で)した、真面目に対象を捉える漫画家という認識を私は持っている。

  『島燃ゆ』の題材となっている人頭税、広辞苑の説明では「各個人に対して頭割りに同額を課する租税。納税者の担税能力の差を顧慮しない不公平な税とされる反面、経済的には中立的な税とされる」となるが、『沖縄大百科事典』に沖縄での人頭税(ニントウゼイと読む)が詳しく載っている。大雑把にまとめると「起源は定かでないが、薩摩侵入(1607年)から20年ほど後ではないか、廃止年は1903年。13歳から50歳までの男女に課せられ、個人の能力、土地の能力、天災などを考慮しない税制」となる。
 怪我や病気で動けなくなっても、台風や干ばつで不作であってもお構い無しの過酷な税だ。「そのうえに在地役人のなかには・・・収奪をかさね」たこともあり、宮古では「赤子の圧殺、堕胎などの間引きをはじめ・・・」などとある。元々過酷な税制の上、在地役人(ウチナーンチュだ)に悪い奴らがいて、悲惨なことが起きたのである。
     

 『島燃ゆ』は宮古島での人頭税廃止運動を描いている。那覇人の城間正安と新潟人の中村十作という若者二人がリーダー格となって、地元農民たちと団結し、様々な妨害、困難を乗り越えて、ついに人頭税廃止を勝ち得るまでの物語。
  薩摩藩の琉球侵入以降、薩摩に搾取され、琉球王府も金に困り、しょうが無くかような過酷な税制を課したという言い訳もあるが、王府にとっては宮古・八重山は武力によって征服した属国であり、差別して構わないという気分もあったのであろう。
 『島燃ゆ』には私の知りたかった「加害者としての沖縄」がかように描かれている。ではあるが、作品の主題は「不屈の闘志」と「正義」である。「不屈の闘志」によって「正義」が達成される。「そうだぜ、世の中はこうでなくてはいけない」と不屈の闘志を持たない私(正義感は少々持っている)は、気持ち良く本を閉じたのであった。
     

 記:2012.8.6 ガジ丸 →沖縄の生活目次


食っていける一式

2012年08月17日 | 通信-社会・生活

 便所座りという言葉はもう死語であろうか、和式の便所に座る格好のことだが、コンビニ前で不良たちが煙草を吸う時の格好でもある。ウチナーグチ(沖縄口)ではトゥンタッチーと言う。トゥンは「鶏の」、タッチーは「立ち方」という意味。
  なっぴばると名付けた仮に借りている300坪の畑は、放置されて半年以上が経っており、地面が見えない程に雑草が茂っていた。それをトゥンタッチーして、鎌を使ってコツコツと手作業で刈り取っている。経験のある方はご存知だと思うが、トゥンタッチーは腰への負担が大きい。1時間もその格好でいた後、立ち上がって腰を伸ばした時には思わず「痛っ!」と声が、あるいは「うー」とうめき声が出るほどの痛みが腰に走る。
 300坪に蔓延った雑草の刈り取り作業を本格的に始めたのは7月16日なので、昨日で丸一ヶ月が過ぎたことになる。その間、一日(アルバイトがあった)を除いて毎日出勤している。その内、三日間(台風や小屋材料運びなど)を除いては朝6時出勤している。我ながら頑張っていると思う。暑さと腰の痛さによー耐えていると思う。

  300坪の草刈りは今週火曜日(14日)で一通り終わった。延べにして約90時間を費やした。草刈り機を使えばおそらく2~3日、時間にして10時間ほどで済んだのではないかと思われる。知人のGさんや元同僚のMからも「草刈り機あるよ、貸すよ、300坪を手作業では大変さぁ」と有難い申し出があったが、お断わりした。
 「機械を使わず手作業」には理由がある。当初の草の繁った状態でも前の小作人が植えた背の高いグヮバ、パパイア、アセローラなどが外から見え、中に入ると、ウコン、パッションフルーツ、甘藷などが見え、草を掻き分けるとバジル、ニガナ、ニラ、シマラッキョウ、サクナ、ゴーヤーなどが顔を出し、甘藷はあちらこちらに植えられていた。機械だとそれらも一緒に刈り取ってしまう恐れがあったからだ。
          
          

 300坪を一人で手作業は草刈りだけでなく、草刈り後の耕す作業も耕運機を使わず鍬を使っての手作業の予定である。「機械を使わない」は機械の賃料を使わない、燃料代も使わない、つまり「お金を使わない」ということになる。
 「手作業で」の他にも「こういうやり方で行こう」と決めていることがある。肥料は購入せず、畑に勝手に生える雑草を土の上に被せ、勝手に腐らせて肥料にする。大宜味村の有機農家から教えて貰った堆肥作りも、そのために必要な材料を購入せず、さっき述べたように畑に勝手に生える雑草を用いるだけ。「お金を使わない」ため。
 「既にある作物を刈り取ってしまわないように」と「お金を使わない」といった理由で手作業をしているのだが、もう一つ、「これができたら、ひょっとしてこうなるのでは」という理由もある。それは、大それた理由といってもいいのだが。

 「鍬と鎌と、芋の数個と野菜の種があれば体一つで作物を得ることができる」ということは、世界のどこか、農地として役に立つ土壌があり作物の育つ気候であれば、世界のどこでもその一式があれば、体一つで食っていけることになる。
 さらに言えば、「鎌と鍬と、芋の数個と野菜の種」を飢えに苦しんでいる国の人々に送れば、彼らは食物を得ることができるのではないか、と、これが大それた理由。
          

 記:2012.8.17 島乃ガジ丸