ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版093 土が無けりゃ

2009年06月26日 | ユクレー瓦版

 オキナワはまだ梅雨の季節が続いていて、雨の日が多いらしいが、この島には博士の発明した天気コントロール機械があって、農作物の都合の良いようにしか雨は降らない。よって、人が活動している明るいうちはたいてい晴れている。で、今日も青空、真夏まではまだ少し時間があるらしい爽やかな風が吹いている。

 そんな中、いつもの週末、いつもの散歩を終えてユクレー屋を覗いた。すると、ガジ丸がカウンターに立っている。「へー」と思いつつ、中へ入る。
 私やケダマンがマスターやっている時はほとんどいなかった客が、今日はカウンターに1組の夫婦と、テーブル席にオジサン3人がいる。村の人たちだ。私とは顔見知り。どちらにも軽く会釈して、カウンターの夫婦とは反対側の端っこに座る。
 「やー、ガジ丸のマスターは久しぶりだね。」
 「あー、ちょっとな、時間が空いたんで。・・・ビールか?」
 「うん、ありがとう。頼むよ。」
 出されたビールを二口、三口飲んでから、改めて店の中を見渡す。客は私を含めて6人だけだが、何だか全体に暖かい雰囲気がある。店内には邪魔にならない程度のボリュームでBGMが流れている。古いジャズみたいだ。それもイイ感じ。

 「ちょっと時間が空いたって、今日はジラースーの船が着く日だよね?」
 「あー、もう着いてるよ。爺さん三人が帰って来て、トシもテツもいて、んで、船の荷卸しはジラースーを合わせて六人もいる。で、俺は途中で抜けてきた。」
 「勝さんたち、やっと帰ってきたんだ。一ヶ月の予定が二ヶ月になったな。思いの外、楽しかったんだろうね、オキナワが。」
 「十分楽しんだみたいだぜ、特にトリオG3としてはな。このあいだはジラースーの家の近く、民謡酒場でもライブをやって、盛況だったみたいだぜ。」
 「ふーん、そうか、トリオG3のプロデビューもあながち夢ではないかもな。」

  夜になって、ジラースーたちがやってきた。トリオG3も元気な顔を見せる。
 「やー、お帰り、楽しかったみたいだね、オキナワの旅は。」
 「うん、楽しかったね、特に演奏している時はね。」(新)
 「じゃあ、これからも時々はライブツアーに出かけるんだね。」
 「いや、”時々”はきついな。”たまに”だろうな。」(勝)
 「そうだね。都会の空気は、我々には毒だね、長くはいられないね。」(太郎)
 「生活のリズムも違うし、土の地面が無いというだけでも違和感がある。」(新)
 「そうだな。土は、太陽と空気と水と同じくらい生きるのに必要な物だと思うけど、都会の人間は土が無くても生きていける。我々とは体の仕組みが違ってる。」(勝)
 「まったくだよ。土が無けりゃ人は生きていけないのにね。」(私)

 「そのこととは余り関係ないが、都会は住み難いって唄を作った。」と、ガジ丸はピアノを弾き、1曲披露した。題は『ミミズの引越し』とのこと、トリオG3のための新曲とのこと。その爺さん3人はしかし、疲れたということでその夜は早く帰った。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.6.26 →音楽(ミミズの引越し)


鉄分過多

2009年06月26日 | 通信-沖縄関連

 私が勤めている会社は零細企業で、会社が企画しての健康診断などやった試が無い。そういう時間的、経済的な余裕が無いのである。健康管理は個人の責任となっている。
 役所から5年に1回くらい「健康診断受けてください」との案内が来る。前々回は行く気無しであったが、前回は、血圧に多少の不安があったので、受けてみようかとちょっと思った。が、あいにく都合つかなくて、行きそびれた。
 というわけで、私はここ20年以上健康診断を受けていない。なので、私は私の健康状態を、主観的にはまあまあ良好と判断しているが、客観的には知らない。

 身長170センチに胴周り75センチなのでメタボとは縁遠い。ただ、血圧が少々高めである。ここ何年もの間、概ね上が140前後、下が90前後で推移している。
 私は子供のころから甘いお菓子よりは塩気のある(煎餅とかポテトチップとか)お菓子の方が断然好きであった。最近、甘いもの(饅頭の類)をよく食べるようになったが、それでもまだ、塩系お菓子が多い。料理も甘い味付けよりは塩味が好きだ。ということで、私の血圧が高めなのは塩分の取り過ぎだと考えられる。
 「最近、甘いもの(饅頭の類)をよく食べるようになった」のは、塩分の摂り過ぎを反省してのこと。スーパーへ買い物に行って、煎餅やポテトチップに手が伸びたときは、2回に1回はその手を引っ込めて、甘い饅頭やら大福餅やらを選ぶようにしている。昨日は煎餅を食ったから今日は饅頭、という風にしている。甘いものを食べ過ぎて糖尿病になるかも、という不安はあまり無い。1日1個位なので、たぶん、「過ぎて」はない。

 最近、摂り過ぎているんじゃないかと気になるものがある、鉄分。
 私の部屋の水道の蛇口をひねると、鉄錆の混じった水が出る。越してきた15年前にそれは気付いており、特に半日以上水道を使っていない場合は鉄錆が多いので、蛇口をひねって、水を数秒間流した後に飲料用の水は使っていた。
  三ヶ月ほど前に私の部屋の水道パイプ交換工事をやった。で、「もう大丈夫」と私は安心して、「数秒間流した後に」をやらずに水道水を摂取し続けてきた。三ヶ月経ってからやっと、鉄錆は以前より酷くなっていると認識し、パイプ交換工事は部屋のパイプ交換であり、道路の本管からアパートまでのパイプは古い錆パイプのままなんだ、ということに気付いた。この三ヶ月私は、鉄錆たっぷりの水を飲んでいたというわけ。
 鉄分過多が体にどのような影響を与えるか不明だが、ここ数年消えていた肩凝りを感じるようになり、この間は、寝ている時に胸の痛みを感じた。関係あるだろうか?
          
          

  沖縄の空は鉄分過多である。沖縄の空には軍用機が多い。最近は特に、沖縄以外の基地からも多くの軍用機がやってきて、訓練を行っているらしい。
 64年前、沖縄の空は今よりはるかに鉄分過多であった。夥しい数の鉄の塊から夥しい数の鉄が「鉄の暴風」と表現されるほどに振り撒かれ、地上もまた、鉄分過多であった。その鉄分は今もなお、不発弾として残り、沖縄の鉄分過多は続いている。
 「鉄の暴風」に比べれば私の鉄分過多などどうでもいい話。今週6月23日は慰霊の日であった。沖縄戦終結(組織的戦闘が終わったとされている)の日。黙祷。
          

  記:2009.6.26 島乃ガジ丸


瓦版092 ウフオバーの実力

2009年06月19日 | ユクレー瓦版

 ユーナもマナもマミナもケダマンもいなくなって、ユクレー屋を手伝う者がいなくなった。週末だけなら私でもできるのだが、「いいよ、面倒でしょ。」とウフオバーに気遣いされて、私がカウンターに立つことは無い。客相手は概ねオバーがやっている。私は時々洗い物を手伝っているだけ。客も、酒や料理を運ぶのはセルフサービスだ。
 それにしても、ウフオバーのエネルギーには驚く。昼間はマミナの代わりに子供たちの面倒を見ている。ユクレー屋の昼間は今、寺子屋みたいになっている。
 「勉強も教えられるんだね。」と訊いたら、
 「勉強は、村人の何人かに手伝って貰っているさあ。私はね、勉強はあまり教えられないけど、生きることは楽しいってことを教えているさあ。」
 「生きることは楽しいか・・・。」そう、それが一番大事なこと、と私は思う。長く長く長く生きているオバーに教えられたら、子供たちも納得するだろう。

 そんなある日の金曜日、夜はいつものようにユクレー島運営会議がある。今日帰ってくる予定だったトリオG3のメンバー、勝さん、新さん、太郎さんは、既にジラースーの家まで来ているらしいのだが、帰りを一週間延期するとのこと。で、運営会議には爺さん三人の代わりをしているオジサン二人、トシさんとテツさんが加わっている。
 トシさんとテツさんは、ジラースーほどではないが、二人ともオジサン(40代とのこと)にしては逞しい肉体をしている。若い頃に、トシさんはボクシング、テツさんは柔道をやっていたとのこと。現役を退いてからも、ジョギングや筋力トレーニングは続けていて、今流行(はやり)のメタボリックとは無縁の肉体だ。
 「運動を続けているのは健康のためなの?」と訊いた。
 「それもあるけど、強い肉体でありたいという思いですね。」(トシ)
 「私も同じですね。ジラースーには憧れますね。私達よりずっと年上なのに、私達よりずっと強い。20年後、そこまでなれなくても、近付きたいですね。」(テツ)
 「ふーん、強くなることは必要なの?」とさらに訊くと、それにはガジ丸が答えた。
 「何が強いかの”何”がにはいろいろあるが、肉体が強くなると心に余裕ができる。予期せぬことが起きても慌てない。周りを見定める余裕ができる。」
 「それが人生にとっては必要なことなんだ?」
 「生き抜くという意味で必要だな。それはつまり、正しい状況判断が素早くできるということだからな。ジラースーなんか見てみろ、空手の達人でありながら、彼の一番の得意技は、どうすれば戦いを回避できるかを一瞬に判断できることだ。」

  確かにそうだ。ジラースーがケンカなんてことは、知合ってから何十年にもなるが、これまで一度も、見たことも聞いたこともない。ジラースーを見る。
 「いやー、まあ、そうだな。相手の力量を見定めて、相手の立場を考えて、逃げたりすかしたりだな。でもよ、俺なんかよりウフオバーの方がずっと強いんだぜ。」
 確かに、言われてみればそうなのだ。それは、オバーがケンカして強いという意味では無い。オバーの力はそんなことよりもずっと高度なもの。どんな相手でも、優しい気分にさせる力である。オバーの周りに争いは無い。それが究極の力なんだろう。
 その後、ガジ丸が新曲を披露した。力を持っているものが調子に乗って傲慢になる。それが人間社会の不幸の種の一つになっているとのこと。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.6.19 →音楽(少々調子に乗ってるね)


調子に乗って

2009年06月19日 | 通信-社会・生活

 隣の住人が半飼いしているネコは、自由でありながら食うに困らない身分である。半飼いというのはつまり、そういうことを言う。家への出入りは常時自由で、餌はいつでも貰えるということ。そういった身分が、彼を横着者にしている。
  私の部屋の周りをウロチョロし、私の畑のシマラッキョウの上を昼寝場所にして、私を見ても逃げようとしない。奴が寝そべっている辺りのシマラッキョウは、お陰で生育が悪い。「コノヤロー、人が下手に出てりゃいい気になりやがって!」と思うが、他人のネコなので、蹴飛ばすこともできない。蹴飛ばす振りをして追い払うだけ。

 自由でありながら食うに困らないというのは、生きる上で大きな自信になる。その自信は時に、鼻持ちならない態度として現れる。隣のネコのような奴だ。シマラッキョウの上で寝そべって、こっちが睨んでも、「何だ、文句あっか?」というような態度。
 「食うに困らないからといって、調子に乗るんじゃ無ぇ。」と私は思うのだが、向こうにしてみれば、「別にお前に食わして貰っているわけじゃねぇ、俺がどこで何しようと、とやかく言われる筋合いはねぇ。」ということなのであろう。
 「ケンカすれば俺の方が強いぞ!」と思うのだが、だからといって、暴力を振るうなんて真似はしない。勝つと解っているケンカをするほど私はお調子者では無い。「こっちは譲歩してるんだ。そっちもせめて畑の作物を荒らすようなことはするな。」などと、ネコを睨みつけてテレパシーを送るだけだ。むろん、ネコは聞かないが。
          

 「極東の安全のために必要なことだ。」と偉い人がおっしゃる。「沖縄県民はそのことを理解しなければならない。」ともおっしゃる。名護市に新たな軍事基地を建設するのは必要なことだから、沖縄県民は駄々をこねてはいけない、我々の言うことを大人しく聞きなさい、多少のことは我慢しなさい、ということである。
 彼(その偉い人のこと)の表情を見ると、「何でこんな明白なことが理解できないんだろう、バカを相手に説明するのは疲れるぜ。」という感じを受ける。「俺たちはわざわざ太平洋を越えてやってきて、家族や恋人とも離れて、お前達の安全を守ってやっているんだぞ。ありがたいと思え。」という風にも見える。
  「頭良いからといって、ケンカが強いからといって、調子に乗るんじゃ無ぇ。」と私は思うのだが、向こうにしてみれば、「調子に乗ってるわけじゃない。これが最も合理的な考えであり、ごく当然のことだ。」ということなのであろう。

 名護市以外の場所では、受け入れ地を選定し、地元を説得し、など、計画、設計、実施するのに時間がかかり過ぎる。海外移転では米軍に日本国からの金が入らない。私が彼の立場なら、シビアな考えをする私なので当然、「名護移転でGO」だ。
 しかし、私ならそれが「ごく当然のこと」などとは思わない。なので、あれこれ説明して、「沖縄県民には本当に迷惑をかけるが、実に申し訳ないのだが、ここは一つ譲歩してもらえないだろうか。」などと頭を下げて頼むようなことだと思う。
 ※もちろん、頼まれたからといって素直に応じることはない。言い成りになる必要は無い。ならどうするかについては、ちょっと考えてみたが、長くなりそうなので次回。
          

 記:2009.6.19 島乃ガジ丸


人気取り政治

2009年06月12日 | 通信-政治・経済

 沖縄地方の今年の梅雨入り宣言は10日ほど遅れた。遅れただけでなく、宣言後も梅雨らしい雨の日は少なかった。「人間が勝手に宣言しているだけだ。俺たちは人間の指図は受けねぇ。」と雨に関わる神々は思っているのかもしれない。
 今年は年初から雨量が少なくて、沖縄島の水瓶であるヤンバル(山原と書く、沖縄島中北部の通称)のダムは、ことごとく貯水量が少なくなっていて、このままでは断水の可能性が高いと、地元テレビのニュースでやっていた。
 それが、今週の水曜日の夜からいかにも梅雨らしい湿った風が吹く。湿度100パーセントじゃないかと思うほどのねっとりした空気、じっとしていても肌がベタベタする。そう、それが梅雨の時期の空気だ。そして、私がそう感じ、「もうすぐ雨が降るな。」と予想した通り、翌日木曜日の午後から雨となり、夕方からは大雨となった。
          

  人間用の水だけでなく、畑の作物や野山の植物などに必要な量の雨が、年間を通して適当な時期に適度に降ってくれるのが最も好ましいのだが、この時期にはだいたいこの程度の雨が降るという例年通りの雨量であれば、人間は少なくとも生活に困らない。行政はそれにそった水整備をし、個々はそれにそった生き方を形成している。
 困るのは、予想に反した天候が続くこと。雨が降らなければ水を得ることができない。農作物も野山の植物も枯れてしまう。逆に雨ばかり続いても畑の作物は育たない。いずれにせよ天候不順は、食糧不足に繋がる。えらいこっちゃとなる。

  食糧不足になったとしても、数年後には自ら芋を栽培する予定の私は、野山の食えるものもあれこれ知っているので、一般の人よりは生き延びる可能性がいくらか高いと思う。さらに、この先世界的食糧不足となって、人類の大半が餓死することになって、その内の一人になったとしても、私は既に日本人男性の平均寿命まで残り二十年余となっているので、数年後、あるいは十数年後に死んだとしても、さほど残念ではない。
 これから夢を実現させようと思っている若い人たち、どんな夢があるか探す楽しみを持っている子供たち、彼らにとっては十数年後の食糧事情は大問題である。食糧不足に繋がる異常気象、異常気象の要因になっているかもしれない地球温暖化、地球温暖化の要因になっているかもしれない二酸化炭素、その排出削減にはもっと関心を持っていいと思う。

 昨日だったか、あっそうだろう総理が日本国の二酸化炭素削減目標を発表した。目標を定め、それに到達すべく努力をすることはとても良いことだと思う。ただ、しかし、私は総理の言葉を全く信用していない。高速道路料金を安くして、どんどん車に乗りなさい、どんどんガソリンを使いなさいと言った人である。この人は政治的信念というものを持っていないに違いない、そうでなければ、二重人格者に違いないと私は判断している。
 彼はおそらく、心の中では「十年後なんて俺の知ったことか。こう言っとけば少しは人気回復になるだろう。」とでも思っているのかもしれない。
 自民党だけで無く民主党も他の政党も、選挙が近いからといって人気取りの政策ばかり口にしてたんでは真実が見えない。さらに、そんな政策を実行されたんでは国民が不幸になるばかりだ。国民だけじゃない、地球が不幸になる。
          

 記:2009.6.12 島乃ガジ丸