ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

甘ちゃんのうつ

2018年06月11日 | ガジ丸通信-科学・空想

 前回の通信『心の栄養』で「老人性うつ」について語ったが、「俺は老人性うつというものなんだ」と判断し、その後「敵を知り己を知れば・・・」ということでうつ病を調べた。ネットや本で調べた。その結果、私はどうやらうつ病ではなく、ただのうつ状態のようである。恋をして振られて落ち込んでいる状態みたいなもの、そのうち治る。
     

 「うつ病とは何だ?」をもう少し知っておこうと、若い頃にうつ病を患い、病院通いをしながら、もう30年もうつ病と付き合っている女性に話を聞きに行った。
 彼女の住まいは私が借りていた畑から近くにあり、去年までは収穫した野菜を届けに年に数回は通っていたが、畑を辞めた今、遠く宜野湾市へ引っ越した今はなかなか会いに行けなくなった。去年まで何度も会っているが、彼女がうつ病であると意識して会ったことはこれまでほとんど無い。彼女もまた、私と会話している時に「私はうつ」といった雰囲気はほとんど出していなかった。私と会話している間は少なくとも普通の人である。
 でも、自分が「うつかも」と思って、その勉強も少しやった今は、彼女の気分が少しは解るようになったと思う。彼女はこれまでもうつ気分をいくらかは出していたであろう。それなのに、鈍感な私がそれに気付かなかっただけのことのようである。
 彼女は、うつ病となって数年後には母親が脳梗塞で倒れ、引き籠りとなっていた彼女が母親の面倒をみることになって、母親の介護歴も25年ほどになる。だから、彼女は30年もの間、外へ働きに出ていない。母親の付き添いで病院へ行く、自分の治療で病院へ行く、屋敷の庭掃除をする、など以外、彼女はほとんど外へ出ないとのこと。

 その日、「老人性うつというものになっていた」と私の状況から話をすると、「退職後になりやすいってものでしょ」と、さすがうつ歴30年、彼女はそういうものがあるということを知っており、「でも、うつ病ではないみたい」と続けると、「そりゃそうでしょうよ」といった風な笑みを浮かべ、自らのきつかったうつ体験を少し話してくれた。
 死にたくなる、1人でいるのがたまらなく淋しい、何もやる気がしない、などといったことで、30年経った今でも時には精神安定剤が必要とのことであった。
 私はたまに淋しい気分になるけど概ねは独りで平気。物事への興味はあって本を読む元気もあり、ブログ書く気力もあり、車を運転してあちこち行って、誰かとユンタク(おしゃべり)もしている。「死んでもいいや」と思うことはあっても「死にたい」とはあまり思わない。なるべくなら天命のままにあの世へ行きたいと思っている。
 私がたまに気が塞ぐのは、腰痛が治らないこと、この先の生きる術がまだ手探り状況で不安であること、グラグラしている奥歯の1本が鬱陶しいこと、などに対する憂さでしかなく、彼女から見れば、私は甘ちゃんのようである。「その程度のことでウダウダしやがって、うつ病はそんな甘いもんじゃないのよ!」と言いたかったかもしれない。

 私は、ちょっとしたことを我が身かわいさに大げさに考えていたようだ。転んで、膝をちょっと擦りむいただけで泣き喚く子供のようなものだ。それを反省して、うつ病をもう少し勉強してみた。普通の人に対する気配りも私は不足しているが、うつの人に対する気配りが私には足りなかっただろうと思っての勉強。抗うつ剤の副作用など知った。
     

 記:2018.6.11 島乃ガジ丸


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心の栄養

2018年06月06日 | ガジ丸通信-科学・空想

 先月(5月)24日の友人宛メール、彼と共通の友人が4月から入院していて、しばらく見舞いに行っていないことから、その言い訳をしながら、
 私は腰痛がぶり返して見舞いに行く元気がない、酒飲む元気はあるんだけどね、何でかねぇ。その何で?を調べたら、老人性うつという言葉に辿りついた。
 うつは鬱病のうつ。「意欲や集中力の低下、認知機能の低下がみられることが多い」とのことで、そのきっかけとして、退職など社会的役割の低下、自身の病気、健康状態の低下などがあるらしい。それらは全て私に当てはまる。「俺は何の役にも立たない男だ」という気分。貴兄は退職した後、そういった気分になったことはありませんか?
 それに対する彼の返信は「自分もそうかもしれない」といった内容であった。

 そのメールの数日前、友人のO夫妻とTを新居に招いて夕方から飲み会をし、遅く(11時過ぎ)まで飲んで、そう多くは飲んでいないのに久々に酔っ払っての翌日、
 朝目を覚ますと頭痛がし、気分がとても塞いでいる。頭痛は二日酔いということだろうが、気分が塞いでいるのは、直接的には友人たちがわざわざ来てくれたのに十分なもてなしができなかったことをウダウダ気に病んでのことだったが、以前の私ならそんなことを気に病むなんてことはこれっぽっちも感じることは無かった。「何でこんなこと位で気が塞ぐんだ?」と考えた。ここ数年、元気を失くしている数人の友人達の顔が浮かんだ。この年齢で何か共通する気鬱の元があるかもしれないと思って調べる。
 その日一日、元気を失くしている友人達の顔を思い浮かべ、彼らが語っていたことを思い出し、そして、自分自身の最近の心の状況を顧みながら、「何だこの物憂さは?」と考え、ネットで調べ、そして、老人性うつに辿りついたわけ。

 先週、5月31日、知人のGさんに誘われ飲みに行った。私としては久々の外(お店)飲みだった。自分の家、友人の家以外で飲むのは久々、今年3月、東京からの友人Iと行って以来のことで今年2回目。去年1年間でも外飲みは片手で数える程しかない。外飲みは面倒、家で1人飲んでいる方が楽といった気分。「元気無ぇ」と自分でも思う。
 さて、その日飲みに行った店は首里石嶺にあり、ママさんが1人でやっている店。Gさんは私より1世代年上だが、私よりずっと元気、肉体も元気だが精神も大元気。飲みに行くとよく食べよく飲み、よく語り、よく笑い、カラオケも大いに歌う。店のママさんもGさんと同世代だが、彼女もまた、五十肩で右肩が痛いと言うがそれ以外は元気。
 元気の源はたぶん、二人とも家族がいて日常に会話と笑いがある。だけでなく、外に出て誰かと会話し、冗談を言い合い、笑顔になる。といったことではないだろうか。
     

 私は大人になってから1人暮らしが長い、結婚したことも無ければ好きな女と同棲したことも無い。実家を出てから今まで25年間ずっと1人暮らし。300坪の畑を始めた2012年夏、その少し前に会社を辞めていて、それ以降、畑でもほとんど1人。話し相手は鳥くらいで、たまに近所の先輩農夫と会話するくらい。家に帰っても1人。
 外に出る、誰かと会話する、笑う、笑わすなどといったことが心の栄養になり、元気の元になるのではないだろうかと、元気なGさん、ママさんを見てそう感じた。
     

 記:2018.6.6 島乃ガジ丸


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脳を元気に

2018年06月01日 | ガジ丸通信-科学・空想

 前回、5月30日付記事『カシマサン』の最後に書いた、
 「えーい、カシマサン!治らなきゃぁ治らないなりに何とかなるさ、生きていく術はいくらでもあるさ、目標持って努力していけば、それが元気の源になるさ」となった。そう思った2日後にはある目標を定め、目標達成のための努力を始めた。
 について少し補足。

 ある目標とは、抽象的に言うと「ジジイの手習い」、具体的に言うと「パソコンを使いこなす」。パソコンを使いこなすという目標をたて、参考書片手に勉強している。
 畑の片付けもほぼ終了し、ほぼ毎日パソコン作業ができるようになった。「腰が治らないなら肉体労働はできない、ならば、頭脳労働で何かできること探そう」と思って、パソコンやネットを勉強し、周りの人達に教えられるほどにはなりたいと思った。
 先ずは、家のパソコンをウィンドウズ7からウィンドウズ10にグレードアップする。しかし、パソコンの世界は日進月歩、6年間も畑ばかりに精を出して、パソコンの勉強はしてこなかった私に、ウィンドウズ10は解らないことやできないことが一杯。「どうする?」と自問し、「面倒だ、諦めるか。・・・いや、努力してみよう」と決める。
 ここ数年、本は図書館から借りてばかりで購入するなんてことはなかったが、先週木曜日(24日)、久々、何年ぶりかに本屋へ行き本を1冊購入した。ウィンドウズ10の参考書を購入して勉強を始めた。ところが、勉強を始めたのはいいが、人は体も年取るけど頭も年を取るということに気付く。理解するのに悪戦苦闘している。

 今年3月下旬頃から時々頭痛があった。パソコン画面の見過ぎだと思って、その後は時々眼を休ませるようにし、そしたら頭痛も消えた。のだが、5月の中頃からまたも頭痛を感じるようになった。たまたま友人が脳出血で入院しているということもあって、「俺もそれか、血圧も高いしなぁ」と不安を持つ。その頃から肩凝りも復活していた。
 「1時間に10分程度はパソコン画面から離れるようにしているが、それでもダメなのか、眼も老化して、その程度の休憩時間では足りないのかなぁ」と思う。あるいは、画面から出る電磁波が健康に悪いと聞いている。私は電磁波を1日に何時間も近距離(パソコン画面と眼は50~60センチ離れているだけ)から浴びている。私の頭痛は眼の使い過ぎによる眼精疲労によるものか、電磁波による悪影響なのか今のところ不明。
     

 5月27日頃からまあまあ眠れるようになった。その理由はだいたい判っている。
 その数日前にウィンドウズ10の参考書を買って、悪戦苦闘しながらも努力している。やる気出してがんばっていると元気も出て来る。また、パソコン作業時の休憩時間を増やし、目の疲れを減らしている。そういったことで心と体の負担が減り、まあまあ眠れて頭痛も軽くなっているのかもしれない。が、最も大きな理由は他にあると私は思う。
 眠れるようになった最も大きな理由は、人と会って話をする時間が増えたことだと私は思っている。声を出し、笑顔になると脳の感情部分が元気になる。畑でも1人、家に帰っても1人だった私に「感情が動く」は最も不足していたもの。ほとんど死んでいた感情部分の脳細胞が元気になって、脳全体が元気になって眠れているのではないだろうか。
     

 記:2018.6.1 島乃ガジ丸


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老人性不安症

2018年05月28日 | ガジ丸通信-科学・空想

 5月中頃、父の命日で位牌を預けてある寺へ行き、我が家のロッカー式仏壇を開き、お茶、酒、お菓子を供え手を合わせる。その同じフロアーに伯母一家のロッカー式仏壇もあって、我が家の位牌を拝んだ後にはたいてい伯母一家の位牌にも手を合わせていた。
 で、その日もそうしようと伯母一家の仏壇ロッカーを開けようとしたら鍵がかかっている。位牌を盗むなんて罰当りなことをする人はいないので、仏壇ロッカーの多くは施錠していない。私も我が家のロッカーに鍵はかけていない。伯母一家の仏壇ロッカーに鍵がかかっているのもこれまで見たこと無い。何か変事があったかと、伯母の娘であり私の従姉であるK子にメールした。が、彼女のメールアドレスは通信不能となっていた。
 K子はもう1年以上、脳梗塞で倒れた夫の介護をしている。今年2月に話をした時に、「疲れて、最近、体調不良なのよ」と言っていた。仏壇ロッカーに施錠、電話は、もしかしたら使われなくなった。ということは「彼女も病気で入院か?」と心配になる。

 それより数日前、埼玉から友人のKが遊びに来ていて、彼が帰る前日に我が家に招いて飲み食いした。その時の話で、彼は沖縄に着いたその日に携帯電話を紛失していたが、それが誰かに拾われて警察に届けられ、それを明日受取りに行くとのことであった。であったが、その「明日」になっても、その翌日になっても彼から電話が無い。「電話を受け取ることができなかったのか、ならば困っているのではないか?」と心配になる。
 2年ほど前に大腸癌を患って、手術して今は元気になっている友人Tのことも時々気にかかる。夜中目が覚めた時・・・目が覚めるのは怖い夢を見たとか、何か心配になるような夢を見てハッとして起きる・・・というのでは無く、頻尿の尿意で起きるのだが、小便してベッドに戻って、たいていはその後すぐに眠りにつく。ところが、いつ頃からだったか、今年4月頃からだったか、不安を感じて眠れないということが時々あった。その「時々」はしだいに増えていって、5月中頃になると「たびたび」となっていた。
     

 それまでそういったことはほとんど無かった。「何で俺は、いつから俺はこんな心配性になったんだ?」と不思議に思う。私はどちらかというと「他人は他人、自分は自分」と考える方で、他人のことをあれこれ心配するような性格ではないはずだ。で、そういった心配はどこから来るのかと考えた。他人のことを鏡にして、本当は自分のことを不安に思っているのではないかと考えた。腰痛となって一人で生きる自信を失って、考えなくても良い事まで考えて過剰な心配をするようになっているのではないか、過剰な心配は他人に対してではなく、実は自分に対してではないか?・・・たぶんこれが正解だと思う。
 歳取ると不安を感じやすくなると先日ラジオで言っていた。「それかなぁ、老人性不安症なんていうものなのかなぁ、不安多爺になっているのかなぁ」と思う。
 不安多爺と書いて思い出した。前に『脳廃る爺と不安多爺』という題で記事を書いている。2004年12月3日付の記事だ。友人から「学生の頃を思い出して涙が出てしまった」という内容のメールがあって、彼に「脳廃る爺」という称号を与え、夢と現実がゴチャゴチャになっている私自身に「不安多爺」という称号を与えるといった内容。
 その時は、「脳廃る爺」も「不安多爺」も冗談であったが、それから14年近くも経った今、それらは、私について言えば2つとも当てはまる称号となっている。
     

 記:2018.5.28 島乃ガジ丸


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体のダンシャリ

2018年05月23日 | ガジ丸通信-科学・空想

 3週間ほど前のこと、友人T夫妻に会った時、夫の方がダイエットしてだいぶ痩せたという話から体重の話になり、「俺は太らなきゃと思ってあれこれたくさん食うようにして3ヶ月で5キロ太ったよ」と私が言うと、妻の方から「前見た時は痩せすぎて気味悪いと思っていた」と言われる。私は気味悪いと見られるほど痩せ過ぎていたようだ。

 2018年4月27日付ガジ丸通信『肌荒れの元』にも書いたが、
 私の身長は170センチちょいで、若い頃の一時期体重が70キロあった。その頃、体調は良くなかった。2001年から減量に努め、しだいに体重は減っていき、2011年以降は60キロを切り、その年8月から去年5月までは56~58キロで推移する。体調も良く、「この程度が俺のベスト体重だな」と自信を持つ。
 体重は、1度も計っていない月もあるが、だいたい月に2~3回は計り、日記に記している。その日記を確認すると2017年5月28日に57キロだったのが、約1ヶ月後には53キロちょいにまで落ちている。ただ、この時は体重計の故障であった。
 体重計を直して7月~8月は56キロ前後に戻るが、それからまた減り始め、10月には54キロ前後になり、そして2018年1月にはついに53キロを切る。この時は体重計の故障ではない。実際に私は痩せていて「痩せすぎて気味悪い」となっていた。
 その後、太ることに努める。肉を食い、お菓子など甘いものを食い、2月には55キロ前後、3月には56キロ前後、4月の初めには57キロ、そして4月下旬には58キロとなる。ところが、急に太ったせいか、加工食品や駄菓子などのジャンクフードを摂りすぎたせいか体長が悪い、口角に吹き出物、鼻にも吹き出物、脚には発疹ができる。
 「いかん、太るのはいいが、摂っているものが良くない」と反省し、ジャンクフードを減らし、主食(芋、玄米、パン、麺類など)を増やして、5月中旬からは体重56キロ前後となっている。体脂肪率も11~13%と私としては普通の値。
     

 4月の下旬、体重が58キロとなり吹き出物が出て、「食べ物が悪い」と反省し、ジャンクフードを減らし、主食を増やし始めた頃、もう1つ、始めたことがある。
 知人のGさん、70歳過ぎているがまだまだ元気、「青汁はいいよ、青汁飲むようになって体調が凄く良い。飲んでみたらいいよ、腰痛が治るかも」とのアドバイスがあり、そう言われてから1ヶ月も経った4月下旬、たまたま近くのスーパーでお試し品を安売りしていたので買った。買って翌日から飲んだ。飲んで4日後の朝、変化があった。
 私は元々便通は良い方で、便秘はほとんど経験ない。腰痛で落ち込んでいた去年12月だったかに、1度便秘(1日の内で1度も便が出ない)があったが、それも、記憶は定かではないが、おそらく数年ぶり、あるいは10数年ぶりのこと。快便は私の特技と自信を持っていた。であったが、青汁を飲んで4日後の朝、便がそれまでの5割増しは出た。

 宿便というものがあることを聞いたことがある。「腸内に長くたまっていた便」(広辞苑)のこと。「いつも以外の量は宿便ということかな?」と思うが、それが正解なのかどうかはいまだに不明。その後、青汁は飲み続けているが、5割増しは1回だけだった。しかし、1回でも宿便が出たのなら、それは体のダンシャリになったと思われる。
     

 記:2018.5.23 島乃ガジ丸


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