ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

老人の自覚と役割

2018年10月19日 | 通信-社会・生活

 私はテレビを観ない。観なくなってからもう7年余が過ぎたが、テレビを観なくても家にテレビが無くてもちっとも困っていない。オジサンと呼ばれる年齢になってからは芸能スポーツに興味を失くしていて、歌番組もドラマもスポーツ中継も観ていなかった。笑わせてくれるバラエティー番組を時々観ていたくらいなので、テレビは生活に不要となったわけ。知っておかなきゃならない政治社会のニュースはラジオでも聞ける。
 ラジオは何かしながら聴ける。たいていはパソコン作業しながら、食事しながら、掃除しながら聴いている。「聴いている」と言うか、政治社会のニュースや天気予報以外はBGMとしている。熱心に聴いていないので今の流行りについては疎い。元々、オジサンと呼ばれる年齢になってからは、流行りのものについても興味を失くしている。
 世間の流行りのものに興味を失くしていく内に、自分が他人にどう見られているかということにも無頓着となり、ファッションは40年前と変わらずジーパンとTシャツか作業着姿。髪は2ヶ月に1回ボサボサ伸びたら短く切るだけ。髭を剃るのも週に1~2回だけとなる。若い頃、「自分が良いと思えば良い、他人の目を気にする必要は無い」という風な身嗜みの汚いオッサンを軽蔑していたが、そんなオッサンに私がなっている。

 前の前の前の散髪、腰痛が酷く、この先の人生に不安を大いに感じている頃だから3月の終わり頃のこと、今の住まいからは遠いが30年ほども通っている馴染みの理髪店へ行く。30年来の馴染みなので何も言わずとも、いつものように刈ってくれる。
 いつものように挨拶し、座って前を見る。すると、そこには見慣れぬ自分がいた。草臥れ果てたようなオッサンがいた。「ィヤーヤ ターヤガ?マーヌターヤガ?」(お前は誰だ?どこの誰だ?)と思わず思ってしまった。爺さんみたいな自分を自覚する。
     

 8月の終わり頃、具志川警察署で道を訪ねた。「警察署の人間は目つきが悪い、いつも不機嫌、無愛想」というのが、私がこれまで持っていた沖縄の刑事警官に対する印象であったが、この時は違った。数名の、中年男性3人と若い男性1人が道を訊く私に対応してくれたが、皆、愛想よく柔らかな顔で応対してくれ、しかも、時間を掛けて私の目的地である場所の地図を大小2枚プリントしてくれ、詳しく説明もしてくれた。
 「何だ何だ、この親切?この人達はヤマトゥンチュー(大和人)か?ウチナーンチュにこんな親切な警察官は見たこと無ぇぞ」と思うほどの応対に私は少し戸惑いも感じながらも良い気分。警察署を出て、目的地へ向かう運転中に「あー、そういうことかも」と気付く。「彼らの親切は年配者に対する一般的な親切だったのであろう」と。
 確かに、彼らより私は年配であった。その時の私はジーンズにTシャツといういつもの若い格好であったが、人間観察のプロとも言える刑事から見れば「相当の年配者である」と気付いたのであろう。子供の運動会で競争競技に出て、若い頃と同じように走れるだろうと勘違いして転ぶオヤジと同じだ、私は自分の見た目が若い頃とほぼ変わっていないと勘違いしていたようである。理髪店の鏡で爺さんみたいな自分を自覚したはずのに。
 法律的に爺さんと呼ばれるのももうすぐ、そう呼ばれることに抵抗は無い。だが、その年になった時、爺さんであるという自覚が伴なうかどうか。自覚して、社会に対する老人の役割を果たせるかどうか。役割・・・知識と経験を語ることを私は目指そう。
     
 記:2018.10.19 島乃ガジ丸


電気頼りの現代社会

2018年10月01日 | 通信-社会・生活

 私の危機管理は大丈夫か?電気水道がなくても生きていけるか?と問う。予め(1日~2日前でも)災害がやってくると知っていれば、電池のストックを増やしておく、持っている水筒に飲み水を入れ、風呂桶に水を溜め、水缶にもトイレ用水を溜めておく、火を使わない食い物(缶詰など)を買い足しておく、などといった用意もできるのだが、台風の場合はそういうこともできるが・・・などということを前にも書いたが、

 台風24号は土曜日(29日)の未明に沖縄島を暴風圏に巻き込んだ。その日私は未明4時頃に小便で起きているが、その時には既に窓の外からいかにも台風らしい風音がしていた。その後、6時過ぎには起床し朝食を摂った後、台風情報を確認する。沖縄島最接近はお昼過ぎとの予報。ならば懐中電灯や携帯ラジオなどの準備は10時頃でいいか、停電しないかもしれないしと、のんびりコーヒーを飲んで一服して、「ブログの記事書きでもするか」とパソコンを開く。まさにその時、電気が消えた。午前7時だった。
 私は普段、家で使う乾電池は100均で買った充電式乾電池を使っている。充電済みのそれが6個あり、さらに、金曜日に普通の電池を4個買い足していた。
 先ずは灯、昼間はともかく、夜は灯が無いと料理もできない。生活上では懐中電灯よりずっと役に立つランタン型携帯電灯に新しい電池を入れる。4個使用する。
 次はラジオ。ラジオがないと台風の情報が入ってこない、で、携帯ラジオを探す、探すがいつもの場所にない。引っ越しの際に別の場所に仕舞ったかもしれないと心当たりを探すが無い。で、普段はAC電源で使っているCDラジオに電池を入れる。これには残り6個の電池を使う。とりあえず、これで灯と情報源のラジオを確保し、一安心。
     

 台風24号、土曜日の昼間1時間ほどは台風の目に入って風雨は弱まったが、それ以外は日曜日の未明まで滅多にない激しい風が吹き続いた。日曜日の午前9時頃になってやっと雨は止み、風も弱まった。で、アパートの周りを点検する。
 あれこれの飛来物、木の枝葉などはもちろん、金属製の、配電盤の蓋らしきもの、どこやらの看板らしきものなどがアパートの周りに溜まっていた。近くの公園の樹木が根こそぎ倒れたものがあり、たくさんの折られた枝が散らばっていた。私の部屋のベランダにも木の葉の類が散乱していたが、修復を要するような大きな被害はなかった。
 灯とラジオを確保して嵐の一夜を過ごし、特に被害も無く、何とか乗り切った台風24号であったが、私の想定外のことが起きていた。停電が続いていた。停電は日曜日の午後6時過ぎまでの約36時間続いた。前夜、ランタン型携帯電灯を点けっ放しにしていて、朝には電池が切れていた。台所は窓が無いので薄暗い中での料理となった。
 想定外の長時間停電によって私の危機管理の甘さに気付かされる。停電するとクーラーはもちろん、扇風機も使えない。部屋の全ての窓を閉め切っているので暑い。パソコン使えない、ネット使えない、掃除機も洗濯機も動かない、シャワーに入れない。以上は想定内であったが、停電が36時間も続くという想定はしていなかった。冷凍庫の冷凍食品は溶け、冷蔵庫に保存していたものも腐敗の心配が出てくる。点けっ放しでは電池も持たないことなど私は想定していなかった。現代社会での停電、侮ってはいけない。電気に大いに頼っていたのだと私は認識した。今(10月1日朝)でも9万戸が停電とのこと。
     

 記:2018.10.1 島乃ガジ丸


煽情的または煽動的

2018年09月24日 | 通信-社会・生活

 私は自分の住まいにインターネットを引いたことがない。勤めている時は、会社のHPを作成していたこともあって職場で自分の調べ物もついでにやっていた。職場が在宅勤務のようになってからは従姉の夫の事務所に概ね週に1度通って、ネットをやっていた。2018年3月からの現在の住まいは、その従姉の夫の事務所のすぐ近く。よって、毎日インターネットができる状況にある。で、最近はほとんど毎日ネットを開いている。
 ネットを開くと先ずは天気予報を確認する。天気を確認して今日の予定を考える。そして、ニュースの見出しを見る。興味を惹くのがあればクリックして読む。ニュースの見出しには煽情的と感じさせるものも多くある。1行15文字くらいで「あっ面白そう」と興味を持たせクリックさせるには多少オーバーな表現が必要なのかもしれないが、記事を読んで「なーんだ、つまんねぇ」と思ったことが何度もある。それに慣れた今は、ラジオのニュースで語られたことの確認などにネットのニュースを利用している。
 ニュースには、社会人として知っておかなければならないこともあるので一応目を通すのだが、インターネットを開いて最初に出て来るホームサイトには、私がほとんど興味のない芸能ゴシップがトップに出て来る。誰それが不倫している、結婚した、嫌われている好かれているなどなど、そんなの私は全く興味が無い。それらの見出しはニュースよりさらに煽情的である。煽情?・・・と、ここで自分の知識に疑いを持って広辞苑。
     

 煽情(せんじょう)は「情欲をそそりおこさせること」のこと。情欲(じょうよく)は「男女の情愛の欲。性欲。色情」のこと。その意味で言えば、芸能ニュースの中にはそういうのもあるが多数ではない。一般ニュースの中にはほとんど無い。ということで、「あっ面白そうと興味を持たせクリックさせる」に適した言葉を探したら、あった。
 煽動(せんどう)、同じく広辞苑で「人の気持をあおり立てて、ある行動をすすめそそのかすこと」とある。「あっ面白そう」と気持ちをあおり立て、クリックという行動をそそのかしている。ネットのニュース見出しは煽動的という言葉がピッタリくる。

 私が使っているブログサービスには管理ページというのがあり、そこを開くと自分の記事の何がどれだけ見られているかを知ることができる。それには私も関心があるのでたびたび開いて見ている。その頁にはその他、他人の人気のあるブログ記事の見出しも並んでいて、それにも自然に目が行く。見出し文は1~2行の30~60文字ていど。一部ではあるがその中に煽動的文章があり、「えっ!そんなことが?」と私の目を引いた。
 「ほう」と思ってその見出し文を読む。しかし、よく読んでみるとそれらの多くは「ではないか、と思われる、そう期待される」といったような、書いた個人の願望のようなものがほとんどで、したがって記事の内容が真実かどうかは大いに疑問。
 また、政治的内容の見出しの中には攻撃的文章、政治的に敵対関係にある者を誹謗中傷する文章も多くあって、過激な見出し文に目は行くが「ケンカの際の罵り合いに近いものであろう」と思い、それに煽動されクリックして記事の全文を読んだことは無い。
 私が若い頃、スポーツ新聞の中に煽情的または煽動的記事が多くあり、そんな記事に私は大いにそそのかされていた。誰もが情報発信できるネット社会の今、煽情的または煽動的記事はネット上で激増したと思う。軽はずみに煽動されないよう気を付けよう。
     

 記:2018.9.24 島乃ガジ丸


平和へ貢献する人

2018年09月18日 | 通信-社会・生活

 テレビを観ない上、オジサンと呼ばれる年齢(30歳後半辺り)となってからは流行りの音楽やドラマなどにも興味を失くしてしまったので、ここ20年ほどに出てきた歌手や俳優、ここ20年ほどに流行った歌やドラマなどを私はほとんど知らない。
 流行りのアイドルでは「おにゃんこクラブ」をその名は覚えているが、メンバーの名前は1人も知らない。ドラマではNHK大河の「新撰組」、スマップの香取シンゴが主役だったのを覚えており、NHK朝ドラの「ちゅらさん」は好きで良く観ていた。歌手だと松田聖子、中森明菜、宇多田ヒカル辺りまでは顔を何となく思い出せる。
 昭和の頃の歌手ならいくらでも出て来る。3人娘と呼ばれていたかどうかはよく覚えていないが、南沙織、小柳ルミ子、天地真理。3人娘と確か呼ばれていた山口百恵、桜田順子、森昌子。その他キャンディーズ、ピンクレディーなどなど。
     
 私が流行り歌、流行りドラマに興味を失くして以降でも、沖縄出身のタレントには関心があった。「チバリヨー(気張れよー)ウチナーンチュ」といった気分。
 例えば、安室奈美恵、MAX、SPEEDなど、その歌う歌はほとんど知らないけど応援はしていた。そうそう、彼女たちの歌う歌で唯一知っているのがある、安室奈美恵のキャンユーセレブレイト。結婚式、私の世代ではなく、私の子供達の世代の結婚式で入場曲として使われているのを何度も聴いた覚えがある。ヒット曲がいくつもある、というだけでなく、安室奈美恵は歌もダンスも一流の人であると噂に聞いていた。

 話は少し飛ぶが、9月30日投開票の沖縄県知事選及び宜野湾市長選、既に公示日は過ぎて今、各陣営とも大いに選挙運動をしている最中。県知事選、宜野湾市長選とも辺野古に新基地が建設されるかどうかに大きく影響するので、政治に関心のある人には大きな政治的話題である。特に県知事選は全国的にも注目されている。であるが、ここ数日は、ラジオ放送(私はテレビを観ないのでラジオが頼み)は政治の話より、県知事候補のタマキデニーやサキマアツシより安室奈美恵の名前を聞くことがずっと多い。NHKのトップニュースも安室奈美恵だった。もちろん、沖縄ローカル局はずっと安室奈美恵。
 ここ数日のラジオから流れる安室奈美恵関連の話を聴いていて感じたことがある。安室奈美恵は「多くの人に愛と平和を与えた偉い人なんだ」と。彼女のために多くの人が集まり、彼女のパフォーマンスに多くの人が喜びを感じ、笑って、泣いて、彼女の存在に多くの人が愛を感じ、笑って、泣いて、自分の心にも愛があることを確信する。
 宗教家みたいなことを言うようだが、「平和な社会」の重要構成アイテムは「愛」だと私・・・正確に言えば「理想の私」は思っている。周りの人々を愛おしく思う、それだけで争いは無くなる。愛をたっぷり与えてくれた安室奈美恵さん、「平和な社会」への貢献に関してはそんじょそこらの政治家たちが足元にも及ばない人なんだと感じた。

 安室奈美恵さん引退の日(16日)、樹木希林さんが亡くなったというニュースを聞いた。芸能界オンチの私なので安室奈美恵はよく知らないけれど、芸能界オンチの私でも樹木希林はよく知っている。子供の頃から、彼女が悠木千帆という芸名であった頃から知っている。私の大好きな、吉永小百合の次くらいに好きな女優。彼女もまた、愛たっぷりの人だと思う。その顔を、表情を見ているだけで愛と平和を感じる人。合掌。
     

 記:2018.9.18 島乃ガジ丸


社会と関わる幸せ

2018年09月13日 | 通信-社会・生活

 25年ほど前までの10年余、素人が集まっての(真剣では無い)遊びのテニスサークルに入って週一でテニスをやっていた。その頃はプロテニスにも興味があって、4大大会と言われるものなどはテレビで観戦もしていた。選手の名前も覚えている。ジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズ、この2人は確か、何かの決勝戦で死闘を演じた。
 女子選手ではマルチナ・ナブラチロワとかグラフとかを覚えている。日本人選手だと松岡修三や伊達公子などもその顔と共に記憶にある。これらの選手たちは私が遊びのテニスをやっていた頃の世界のトップ選手たち。その後のテニスを私はほとんど知らない。
 先日、ラジオのニュースから「全米オープンで大阪なおみが優勝、男女を通じて4大大会で日本人選手が優勝したのは史上初」と聞いた。「大阪なおみ」という名前の選手を私は知らなかった。その数日前に同選手が「ベスト4進出」というのを聞いてその名を知ったのだが、若干二十歳とのこと。これからさらに活躍していくだろう。拍手。
     

 私はもう長いことテレビでも生でもスポーツ観戦をしていない。プロ野球も大相撲も見ない、サッカーも見ない、オリンピックでさえ見ない。観なくなってもう10年、あるいは20年くらいになる。私がその現役バリバリを知っているプロ野球選手は落合博光以降だと野茂英雄、清原和博、桑田真澄、工藤公康、松井秀喜、松坂大輔辺りまで。大相撲でいえば朝青龍辺りが何となく記憶にある程度。ただ、海外で頑張っていた宮里藍選手やイチロー選手などは気になっていて、ニュースなどでその活躍を見て応援していた。
 テレビを観なくなってからは彼らの活躍もラジオのニュースでしか聞かない。ニュースは聴くけど、ラジオであってもスポーツ中継は聴かない。夕方からビール飲みながらプロ野球中継に耳を傾ける、なんてことももう20年くらいやっていない。
 プロ野球のペナントレースの期間中は夕方から、高校野球の季節は昼間から、大相撲の場所中は午後4時頃からラジオはその中継放送をしている、その時間帯に他のラジオ局が流行りの音楽番組などやっていると、それを聞くのも嫌なので聴きたいラジオ番組が無いという状況になる。そんな時はオーディオで自分の好きな音楽を聴いている。

 私も若い頃はスポーツ大好きだった。子供の頃は王、長嶋、大鵬が大好きだった。王、長嶋が好きでもプロ野球チームは広島カープのファンだった。プロレスにもプロボクシングにも熱中し、具志堅用高の試合ではテレビ観ながら声も出すほどだった。
 それがいつかしらスポーツに興味を失くしていく。何故そうなっていったか?・・・大雑把に言うと、私はテレビの向こうの人と知合いでは無い、知合いで無ければ時間を使う必要は無い、時間は生身の人間、目の前の人に使おう、という考え。同じ理由からニュース以外のテレビ番組全般や芸能人などにも興味を失くし、テレビを観なくなった。
 多くの人が興味を持っているスポーツ芸能に私は興味が無い。まるで、社会との関わりを失くした世捨て人みたいだが、いやいや、全くそうではない。これからもスポーツ芸能が好きになるということは無いだろうが、少なくとも人との関わりは大事にしようとは思っている。先日、散歩をしていたら庭に咲いている花のことでその家の爺様としばしユンタク(おしゃべり)でき、私が庭掃除をしていたら散歩中のご婦人に声を掛けられしばしユンタクした。そういったことも関わりの内、そういったことに幸せを感じている。
     

 記:2018.9.13 島乃ガジ丸