ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

梅雨が明ける頃

2005年06月24日 | 通信-沖縄関連

 数年前のこと、友人のHから「すごく面白い」と言って勧められた本がある。今手元に無いので正確な名前は思い出せないが、ゴーマニズム宣言とかタイトルに付いていて、戦争論とかについて語っている漫画。作者は有名な漫画家。「ある一方向から見た攻撃的でユーモアのある読み物」としては私も楽しく読めた。が、友人のように「こいつの言っていることが本当は正しいのではないか」と感化されることは無かった。むしろ、その友人同様、その本に多くの若者が感化されているらしい、ということについては不安を持った。
 読者の思考に対してある方向に向かうよう誘導している。自分の正当性を確信させるために、考えては欲しくないところには壁を設けている。などと私は感じ、そして、友人や若者たちが、そんな作者の誘導にたやすく引っかかっているのかと思うと、神の国、神風、聖戦などという宣伝に「勝ってくるぞと勇ましく」と多くの国民が洗脳された頃が重なって不安を持ったのである。でも、まあ、隣の国のように国がそうしたことをやり、若者たちに日本への憎しみを植えつけたことに比べれば何ほどのことも無い。ゴーマニズムのような本はあっても良いし、読み物としては面白い本だと思う。読む方が、一方向への洗脳本だと認識して、その上で楽しく読めばいいのであると思う。
 ゴーマニズムの最新刊「沖縄論」が出る(もう出たのか)と聞いた。ウチナーンチュとしては読みたい気分もあるが、今までと同じように壁の多い内容だと、窮屈で退屈かもなあ、と思ったりして、悩むところである。誰かが買ったら借りることにしよう。
 さて、昨日は6月23日、梅雨が明け、セミが鳴く頃のこの日はウチナーンチュにとって特別な日である。沖縄県の条例によって公休日にもなっている。60年前の6月23日に沖縄戦が終わったとされていて、沖縄ではこの日を慰霊の日と定め、戦争で犠牲になった多くの人々の魂を慰めると共に、二度とこのような悲惨なことが起こらない、あるいは起こさないことを誓う日とした。正午になると時報が鳴り、1分間の黙祷を捧げる。高校生の頃までは私も黙祷していたが、大人になってからは概ね忘れてしまっている。心では平和を願い、犠牲となった御霊が安らかになることを祈ってもいるが、黙祷はついつい忘れるのだ。昨日もその時間は運転中。昼飯何を食うかで頭が一杯だった。
 6月23日が沖縄戦の終わりの日である、ということについては、当初から多くの異論があったようだ。軍部の組織的な戦いが終わっただけで、その後もしばらく殺し合いは続き、多くの市民が犠牲になったという。県民の立場から言えば、軍隊による市民への殺戮が無くなった日を沖縄戦の終わりの日にしたいところであるが・・・。
 自分たちが隠れるために防空壕から市民を追い出したり、泣き声がアメリカ軍に聞こえるからと赤子を殺したり、さらには集団自決を強要したりした日本軍もまた、県民にしてみれば命を奪う敵だったのである。無抵抗な市民を攻撃しないアメリカ軍よりも日本軍は性質(たち)が悪かったのである。だから、日本軍が組織として潰れたとなれば、それは敵の消滅が近いということとなり、平和がもうすぐやってくるということになる。ならば、この日、6月23日を慰霊の日としたことについては妥当性がある。
 60年前の6月も沖縄は梅雨であっただろう。降りしきる雨の中を人々は逃げ回ったのだろう。60年前の6月にもセミは鳴き始めただろう。梅雨の晴れ間に、砲弾の音が無い時には、平和だった日々と同じようにセミの声は聞こえただろう。逃げ回りながら、命の不安を感じながら人々は、平和だった頃を懐かしく思ったに違いない。
 二度と繰り返してはならない悲惨な出来事を、これから先も二度と繰り返さないようにするためには、悲惨な体験を経験者が伝え、聞いた人が伝え、いつまでも多くの人々の心の中に「二度と繰り返さない」という思いがあり続けること、だと私は思う。

 記:2005.6.24 ガジ丸


恋人はロボット

2005年06月17日 | 通信-科学・空想

 愛知万博で、私が最も観たいと思っていたのは最先端のロボット工学。しかしながら、辛抱弱いというウチナーンチュのDNAのせいで、その目的は果たせなかった。
 マジンガーZは、ガンダムは、鉄腕アトムは夢のままで終わるか、はたまた現実のものとなるのか、とても興味がある。ペットロボットのアイボくらいでは、私は満足しない。アイボがもう少し進化して、アトムのように感情を持ち、臨機応変に人間と付き合えるようになれば満足する。満足はするが、ペットを飼うのがあまり好きでは無い私は、そんなロボットを買って、手元に置こうなどとは思わない。
 私の欲しいロボットは、頭の良いロボット。物事を処理する際に、それが合理的であるか、効率的であるかなどの判断能力があり、処理する際の作業においても計算が速く、行動も速やかである事務処理に長けたロボット。いわば、“できる”秘書ロボット。
 秘書ロボットはしかし、人間型ではあっても良いが、女性のような体をしていてはいけない。美人でもあろうものなら、彼女に恋をしてしまう恐れがあるからだ。人間としての尊厳を守るためにも、恋人はロボットなんていうようなことは無いようにしたい。
 秘書ロボットはだから、スターウォーズのC3POのような外見が良い。恋をする可能性が極めてゼロに近いからだ。事務処理は事務的に処理し、余計な感情は持たない。質問すると、的確な答えをすぐに出してくれる。中性的な声で、はきはきと明瞭にしゃべる。それに加え、世間話や日常的なことについての話においては冗談を言い、冗談を判ってくれる。控えめに驚き、控えめに笑い、控えめにムッとしたりする。そういったロボットが秘書でいてくれたら、私の日常はとても楽になると思うんだが・・・。
 まあ、そんなロボットがもしできたとしても、それはまだまだ先のことであろう。あと50年後か、100年後か。その時、既に私はこの世にいない。しかし、それよりずっと早く、愛玩用の人間型ロボットは実用化されるかもしれない。少女を監禁して、自分の意のままに操ろうとする人間が、バーチャルの世界と現実の世界を混同するような人間が、この先増えるであろうと予想されるからだ。そんな彼らのために、意のままに動かせる愛玩用(設定により奴隷型仕様にもなる)ロボットが必要になってくるに違いないからだ。
 恋人はロボット、子供は人工授精、育児は育児用のロボット、なんていう人生の煩わしさを経験しない若者が増えてくる。彼らはまたコンピューターの扱いに長けているので、若いうちから社会のリーダーになっていく。バーチャルな彼らは、自分にとって役に立つか立たないかでモノを判断する。役に立たないモノは切り捨てる。アナログな生き方をしている私なんかは真っ先に切り捨てられる。でも、心配は要らない。そんな世界がやってきたとしても、その頃、既に私は先の無い年寄りとなっている。
 爺さんとなった私は、まだ健康であれば、田舎である沖縄の、さらにその田舎に住み、畑を耕しながら自給自足の生活をしているであろう。私の恋人はロボットでは無く、土と風と太陽と水と草木など。思いっきりアナログの暮らしをしている。ロボットを恋人に持つデジタルの若者たちから見れば、理解不能な人間。役に立つか立たぬかも不明。切り捨てるも何も無い。もはや見て見ぬ振りをする外無い。その時には、「これが人間だ!参ったか!・・・雲子も臭せぇぞ!」と言ってやるのだ。

 記:2005.6.17 ガジ丸


日本人の美徳

2005年06月10日 | 通信-その他・雑感

 確かめたわけでは無いがたぶん、沖縄には行列のできるラーメン屋、すし屋、饅頭屋などは無い。4、5分位なら待つかもしれないが、10分待つくらいなら普通の食堂で、待たずにゴーヤーチャンプルーを食った方がましだと思う。もしも沖縄のどこかで行列のできる飲食店があったとしたら、その行列に並ぶ多くは観光でやって来た倭人であろう。
 愛知万博の人気の高いパビリオンは2時間待ち、3時間待ちなどとなる。そんな時間を列に並び辛抱強く待つことは、私には不可能であった。会場へ向かうリニモで待たされる。会場の入場口で待たされる。各パビリオンで待たされる。並んで待つことを苦手としているウチナーンチュには、万博見学はしんどいものであった。正統派ウチナーンチュの私は1日でウンザリしてしまい、「もう2度と来るまい」と決心したのであった。
 しかし、それにしても、のんびり屋のウチナーンチュは待てなくて、せっかちな倭人が待てるなんて、いったい、いかなるわけだろうか。
 名大関貴乃花が死んだというニュースは名古屋3日目の夜だったかに聞いた。私の祖母が貴乃花の大ファンで、北の湖との対戦の時などは「クヌ(この)北の湖ワタブター(腹太)ヒャー(め)死ニクヮレー(死んでしまえ)」などと、テレビを観ながらえらく興奮していた。私は、顔が不細工だからという理由で不人気らしい北の湖に同情し、「死んでしまえ」なんて言い方をされては気の毒だと思った。しかし、そのうち世間の多くの不細工な顔の持ち主たちも、私(私は私の顔が不細工なんて微塵も思っていない)同様北の湖に同情するに違いない。北の湖の無念な気持ちが良く解る彼らによって、人気もでてくるに違いないと期待した。ところが、北の湖はいつまでたっても人気がでなかった。どうやら世間の多くの不細工な顔の持ち主たちも私同様、自分では不細工と思っていないらしい。
 話が飛んだが、死んだ貴乃花が、兄である先代若乃花と一緒に出ていたコマーシャルがあった。何のコマーシャルだったかは覚えていないが、「人間、辛抱だ」(おぼろげなので正確では無い)というセリフは、先代若乃花の渋い顔と共に記憶に残っている。
 愛知県は大相撲の力士の輩出が最も多い県だと聞いた。沖縄県出身の力士は少ない。私の記憶では、十両以上の関取になったのは過去2人しかいないのではないか。おそらく沖縄県は力士輩出のもっとも少ない県であろう。辛抱を必要とする大相撲の世界でそうだということは、ウチナーンチュは辛抱弱い性質なのだと考えられる。愛知県は逆に、辛抱強い人間が最も多い地域なのであろう。辛抱強いの代名詞ともなる徳川家康を生んだ国である。戦国の世から続く美徳は、名古屋の経済発展にも大きく寄与しているに違いない。
 辛抱強いのはもちろん、愛知の人ばかりでは無い。長い時間並んで待つ光景は、旅先でも見るし、テレビのニュースでもよくやっている。おそらく沖縄を除く日本国民は概ね辛抱強いのであろう。サッカーのサポーター、感情に任せて暴れたりする他国に比べ日本人は辛抱強い。暴れている外国のサポーターたちには、その精神力の弱さを感じる。負けた悔しさにじっと耐えている日本人サポーターを見ていると、何だか誇らしくなるのだ。

 記:ガジ丸 2005.6.10


愛知万博見聞禄その2

2005年06月10日 | 通信-その他・雑感

   ウチナーンチュは頑張って30分

 万博見学をメインとした今回の名古屋への旅、当初は月曜日だけ休みを取っての週末を予定していたが、ホテルが空いてなくて日曜出発となってしまった。それはしかし、平日の万博見学となり、間違いなく週末よりは空いていると思われたので、混雑の大嫌いなウチナーンチュにとっては好都合でもあった。リニモの混みよう、ゲート前の混みようは予想外であったが、それも週末に比べればたいしたことでは無かろうと想像された。
 万博会場内へ入ったのは10時を過ぎていた。ゲート前にはたくさんの人がいたが、中へ入ると広い。右へ左へ人は流れて行き、混み合っているという雰囲気は無かった。「よしよし、さすが平日、これならば見たいパビリオンが楽に見られそうだ。」とほくそ笑みながら、先ずは企業パビリオンのゾーンへ向かう。途中に各パビリオンの混み具合を示した電光掲示板があった。60分待ち、120分待ちなんて書かれてあったが、「人気はいくつかのパビリオンに集中しているのだろう。全てが混んでいるわけではあるまい。」と予想された。が、それは甘い予想であった。私が最初に向かった企業パビリオンAゾーンは、Bゾーンに比べると前評判の高いパビリオンは少なかった。ところが、そのAゾーンにあったどのパビリオンにも長蛇の列ができていた。何てこった!なのであった。
 確かに、広い道は混雑していることは無かったのだが、パビリオンだけでなく飲食店のある建物の周り、ベンチのある広場などにはたくさんの人が群れていた。平日なのになんで?・・・じつは、平日だからこその混みようであった。あっちこっちに群れている人々のなかに、たくさんの高校生、中学生、小学生たちがいた。彼らは修学旅行、または遠足での万博見学であった。今は修学旅行のシーズンでなのであった。不覚であった。
 企業パビリオンには60分待ち、120分待ちなんてざらにあり、中には180分待ちなんてのもあった。並んで待つことを苦手としているウチナーンチュにとっては、60分待つことも無理。2時間、3時間なんて論外の話だ。30分待つことでさえ、はるばる沖縄から来たんだけどなあ、どうしようかなあ、などと悩んでしまう。
 待ち時間の無い、あるいはほとんど無い外国のパビリオンを先に見学する。グローバルコモンと呼ばれる各国パビリオンの集まったゾーンをコモン3、コモン4、コモン5、コモン6と続けて巡り、パビリオンを全部で20箇所余り覗く。その多くが観光客誘致やらその国の物産展みたいになっていて、ここでも商業主義かいと思い、感動も何も無い。地球環境がどうのこうのをテーマにした国は少なかったように感じた。
 雨が降り出した。午前中にもパラパラとあったが、午後3時頃から降り出した雨は、小雨ではあったが降り止まない。軒の下を伝いながらいくつかの外国パビリオンを見て、休憩場所へ行って少し休む。そこにパーラーがあったので、ビールを一杯飲む。30分ほどボケーっとする。ボケーっと過ごすくらいならその30分、列に並んでもいいのではないかと考える。立ち上がったが、その時雨が強くなった。食堂へ入って、味噌カツとビールを頼み、さらに30分を過ごす。それからグローバルハウスへ向かった。友人に薦められていたハイビジョンによる大画面映像を見るためだ。幸運なことにそこは15分待ちで済んだ。マンモスは屁みたいなもんだったが、ハイビジョンはすごかった。すごかったのだが、私は途中から寝てしまっていた。ビールの酔いが回ってしまったのであった。
 その後、わざわざ沖縄から来たんだからと大決心して、30分待ちという列に並ぶ。前評判の高い長久手日本館。昼間はここも2時間待ちだったが、夕方になってやっと30分待ちとなった。最後尾に並ぶ。そして、長い間待って、立ちっぱなしの腰がガクガクになったころ、やっと360度の映像の部屋に入る。映像は5分もあったかどうか。他の多くの人はどう感じたのか知らないが、満足した人もいたかもしれないが、私には「こんなものに何で俺は30分も待ったんだろう」という内容の5分間であった。

 記:ガジ丸 2005.6.5


愛知万博見聞録その1

2005年06月03日 | 通信-その他・雑感

   大きなお腹に小さなお口

 開場は朝9時だっちゅー(パイレーツ、元気かな?)ので、また、開場までの所要時間は、名古屋駅から地下鉄東山線に乗り、終点の藤が丘からリニモに乗り換えて約1時間だっちゅー(パイレーツ、オジサンは好きだったけど)ので、8時ちょっと前に名古屋駅を出る。
 平日の朝8時過ぎはラッシュの時間であることをすっかり忘れていた。大学の頃、満員電車が嫌いだった私は1時限目の授業には出席しなかった。お陰で、5年間大学にいるはめになり、5年生になって英語やら仏語やらの基礎教養科目なるものを履修しなければならないはめにもなった。それらは概ね1時限目にあり、大学の最後の1年は、私にとって満員電車の苦しさを味わう年でもあった。それ以来の満員電車。うんざりする。
 藤ヶ丘駅からリニモの駅までそう遠くは無い。が、リニモに乗り込むまで30分ほどかかった。乗客の数に比べリニモの便数は少なかったのだ。リニモを待っている長い行列の中でたまたま私は運が悪く、後ろに並んでいる人がえらいせっかちな人であった。私の前の人と私との間に少しでも隙間があると後から押してくる。1センチでも前に進みたいようでグイグイ押す。急かされているような気分に陥り、私はここでもうんざりする。
 万博会場では入場ゲートで手荷物検査をする。旅人である私はリュックの中に4日分の着替え、タオル、洗面道具、ノート、鉛筆、カメラ、行動用の小さなリュック、間違って持ってきたナイフなどが入っている。小さなリュックにノートと鉛筆、カメラ、タオルなどを入れ、残りはコインロッカーに預けておけば、手荷物検査も簡単に済むし、場内での行動も身軽になるだろうと思い、コインロッカーを探す。が、ゲートの外には無い。
 大きなリュックを担いだまま、ここでもまた、長い列に並ぶ。入場券を買って、手荷物検査を受けて、ゲートを過ぎるまでに20分ほどかかった。うんざりする。
 コインロッカーは場内にあった。うなぎの寝床のような間口の狭いコインロッカールームは左右にロッカーが並び、奥行きは20m近くある。一方のロッカーのドアを開け、対面のロッカーのドアを開けると、もうそこは人が通れないほどの狭さ。奥のロッカーに荷物を入れた人は外へ出るのに難渋する、スミマセンを4、5回言わねばならない。私は真中辺りのロッカーを使ったので、スミマセンは2回で済んだ。でも、うんざりした。
 会場内はしかし、歩くのに面倒なほどの混雑はほとんど無かった。敷地は広く、道幅も大きく取ってあり、荷物も軽くなった私は、沖縄にいるかのようなのんびりした気分に戻り、楽に歩く。でも、何で中はこんなに広いのに、入るまでにあんなに時間がかかるのだろうかと不思議に思った。リニモの車両数、あるいは便数を増やし、入場ゲートの数も増やせば、客は楽に入れて、たっぷり楽しめるだろうにと思った。
 万博会場はまるで、大きなお腹に小さなお口をした生き物のようであった。腹一杯になるのを待たずに1日が終わってしまうのだ。よって、会場内に人が溢れて混乱する可能性は低い。さすが徳川家康を生んだ土地、何事も腹八分で済ませようという考えであろう。

 記:ガジ丸 2005.6.3