ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

苦い芋

2011年01月28日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 粗食少食の私は、週に16食(5日間は1日2食なので)のうち、5食前後を芋食にしている。その芋、昨年(2010年)11月から自産でまかなっている。
 畑の芋の収穫は11月に1回、12月に1回の計2回行ったが、12月の収穫は9日のことで、既に一ヶ月が過ぎて、先々週末には全て消費している。1度に1坪分を収穫しているので、1坪分から収穫できる量が私の一ヶ月分の芋消費となっている。
 一ヶ月分といっても、週に5食前後の芋食なので量はそう多く無い。じつは、1坪分の収穫量は当初予想していたものより少なかった。収穫時期を逸して、出来が悪かったということもあるが、当初予想していたより虫食いの芋が多かったということもある。
  収穫量の約2割が虫食いで食用とならなかった。「芋は虫が入る」ということは知っていた。その虫は方言名のイリムサーという名前でウチナーンチュの多く(若い人は知らないかも)が知っており、和名のイモゾウムシという名前でもよく知られている。
 イモゾウムシの幼虫が芋を食害する。奴らに侵入されたイモは非常に臭くなり、味は苦くなり、とても食用にならない。その臭さ不味さは豚も食わないほどとのこと。

 芋を掘り出して、表面からでも「虫入り」の判るも のもあるが、表面を見ただけでは判断できないものもある。概ね、「虫入り」が芋の大部分であるものは判りやすいが、一部だけのものは判りにくいとなっている。一部分のものでも匂いを嗅げば臭いので判断できる場合もある。が、掘り出した全ての芋の匂いを嗅ぐのは面倒なので、見た目で明らかに虫食いと判るもの以外は全て持ち帰って食用としている。
 芋を洗って、煮たり焼いたりして、口元に持って行って、「あっ、臭ぇ」となるものが少なからずある。匂いに気付かずに齧りついて、「あっ、臭ぇ、あっ、苦ぇ、不味っ」となることもたまにある。それはそれはとても不味いので、テンションが一遍に下がる。不幸せな気分になる。で、私もバカでは無いので、そいうことを何度か経験した後は、食べる前に芋を輪切りにして、虫の有る無しを確認してから口に入れるようにしている。

  イモゾウムシのことをウチナーグチ(沖縄口)ではイリムサーと言う、ということを周りの誰かから聞いて私は知っていたが、沖縄大百科事典にはヒームシャとあった。地域に寄って呼び名がいろいろあるのだと思われる。・・・と、ここでテーゲー(いい加減)性格のガジ丸は普通終わるのだが、今回は頑張ってもう少し調べてみた。
 沖縄語辞典で確認すると、イリムサー、ヒームシャは共に「虫(イモゾウムシ及びアリモドキゾウムシ)の入った芋」のことを指し、イモゾウムシ(アリモドキゾウムシも)のことはヒームシとあった。ヒーはおそらく「屁」のこと。ヒームシ「屁のように臭い虫」といったことであろう。イリムシという言葉も沖縄語辞典にあり、これは「芋に虫が入ること}とのこと。イリは和語と同じで、「入り」ということであろう。
 ウチナーグチの名詞は語尾を伸ばすと「○○のモノ」という意味になったりするので、イリムサー(イリムシャーとも)は「イリムシ物」、ヒームシャ(ヒ-ムシャーとも)は「ヒームシ物」で、それぞれ虫に食われた芋を指すことになる。

 いずれにせよ、イモゾウムシは甘藷(かんしょ:サツマイモの正式名称)の大敵。自産自消芋生活を目指している私にとっても「恐るべき奴」となる。自分で甘藷を植え付け、育て、収穫して、初めて、そのことを深く認識できた。
 イモゾウムシの被害を抑えるための対策を、ヤンバル(山原:沖縄島中北部の通称)で農夫をしている知人に聞いた。次回の植付の際はそれを試してみるつもり。どのような方法かについては、その結果と共にいつか紹介したい。

     
    
     

 イモゾウムシ(芋象虫):甲虫目の昆虫
 ゾウムシ科 原産地は中米辺り 方言名:ヒームシ
 ゾウムシは広辞苑にあり、「ゾウムシ科の甲虫の総称」で、「象の鼻状に長く突き出した口吻をもち」からゾウムシという名。本種は甘藷(かんしょ:サツマイモのこと)を食害することからイモ(芋)と付く。方言名のヒームシ、ヒーはヘ(屁)のことで、本種の幼虫、及び、幼虫に食害されたイモが悪臭を放つところからきていると思われる。
 本種に食害されたイモはいくらでも見つけることができる。そのイモを割れば、本種の幼虫も見つかる。しかし、成虫を私はまだ見たことが無い。小さくて見つけにくいと文献にもあった。体長はその通り小さく、3~4ミリ程度。
 幼虫がイモを食害する。ウジ虫状の形をしていて、色は白。体長は、文献に記載は無かったが、私の見た限りで言えば5ミリ内外。
 食害されたイモはとても臭いし、味も苦くなって食用とならない。畑のイモがこれによって全滅するということがあれば、ウチナーンチュの命に関わることだが、戦前はいなかったらしい。「沖縄へは戦後寄生植物に付着して侵入したものと考えられている」(沖縄大百科事典)とのこと。現在はイモが食えなくても、食い物は他にある。
 本種がいるということで、沖縄の芋は他府県へ持って行くことができないでいる。甘藷の他、ノアサガオ、エンサイ、グンバイヒルガオなどにも寄生する。

 記:2011.1.17 ガジ丸 →沖縄の生活目次


公共の福祉

2011年01月28日 | 通信-社会・生活

 「公共の福祉」という言葉が確か、憲法のどこかにあって、それは「共通の利益」とかいう意味であることと記憶していた。念のため広辞苑、「社会構成員全体の共通の利益」とのこと。「おー、当たっているじゃねぇか」と、自分を褒める。
 ただ、「福祉」というと福祉施設とか福祉機器とかの福祉が思い浮かんで、「弱者を助けること」と私はイメージし、したがって、「公共の福祉」は「公的弱者救済」のことではないかとも思っていた。つまり私は、「公共の福祉」が「共通の利益」ということは知っていたが、それを正確に理解し、納得していたとは言えない。
 で、今回、「公共の福祉」とは何かを改めて考えてみることにした。「何でまた急に、そんな面倒なことする?」というと、「栽培は自由だが、製造は禁止」という問題にぶち当たったから。何の「栽培が自由で製造は禁止」なのかというと、タバコ。

  先週のガジ丸通信で、「製品が無いのであれば、自分で作ればいいのだ。昔はタバコも塩も酒も自家生産は禁止されていたが、今は自由だ。幸い、沖縄にはタバコ農家があり、葉タバコが生産されている。生産者から葉タバコを購入し、それでタバコを作る。キザミを作る。上手くすりゃあ葉巻だって作れる。」と書いたが、その後、詳しく調べると、葉タバコの栽培は自由だが、タバコの製造は禁止という法律があることを知った。
 その法律とは別に、私が若い頃は専売法という法律があって、たばこ・塩・酒は専売されており、個人が製造することは禁止されていた。それらの法律はそれぞれ1985年、1997年、2001年に廃止されている。「個人が自分で飲む酒を自分で作って何が悪い!」と若い頃の私は思って、自由になる前の1982年に日本酒を作っている。それは数日間はとても旨い酒であった。数日後には酸っぱくなってしまったが。
 1982年に酒を作ったことは法律違反であるが、2001年以降は個人の酒造も自由なので、今は自家消費の酒造は許されている。塩も1997年に自由となって、以降あちらこちらで「何とかの塩」というのが多く出はじめた。
 ということで、私はタバコも酒と同じで、自家消費するだけなら自由であろうと思ったわけだ。ところが、確かに酒も塩も個人で作っても構わないのだが、タバコは駄目なようなのである。「葉タバコの栽培は自由だが、タバコの製造は禁止」らしいのだ。
         
         

  「別によー、タバコを製造して、他人に売ろうと思っているわけじゃないんだ、自分が吸う分を自家生産しようと思っているだけだぜ、何でそんなことも禁止なんだ?」と不思議に思う。その不思議を解明しようと考えている時に「公共の福祉」という言葉が思い浮かんだ。タバコ製造は「公共の福祉」に反することとなっているのではないか?
 タバコには税が多く掛かっている。その税はたぶん公共の福祉に使われている。タバコを自家生産するとその税を払わないで済む。よって、「タバコの自家生産は、税を払わないので公共の福祉に反する」と考えた。しかし、税なら酒も同じこと。
 酒は、適量であれば健康に良く、タバコは健康に悪いとされている。税の掛かっていない酒を飲んでも本人が健康であれば、医療費を使わないから公共の福祉に著しく反しているとは言えない。しかし、税の掛かっていないタバコを吸って、健康を害して、医療費を使うとなっては、それはもう、著しく反していることになる。のかな?JTさん。
         

 記:2011.1.28 島乃ガジ丸


煙草屋が消えても

2011年01月21日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日、実家へ行った。その前の週にツイタチジュウルクニチの神事(ヒヌカンに水と米を供え、線香を点てる)があったので行っているし、このところ雨が多いので、鉢物に水をやる必要はないし、特に用は無かったのだが、行った。那覇(首里も那覇だが、首里人は首里と那覇を区別して、そう言う)へ出かけるのに、用事一つでは時間の無駄のような気がして、ついでに実家を見回っただけ。用事は別にあった。
  新都心にあるタバコ専門店へ行き、刻みタバコを買うことがその日の大きな用事。で、実家を見回った後、その店へ向かう。実家から車で5分程度の大通り沿い、「確かこの辺りだったが・・・」と記憶している場所に着いたのだが、店は見当たらなかった。

 二日後の月曜日、映画を観に行った。映画は何かのついでというわけでは無い。私は映画が好きである。映画は日常とは違う世界へ連れて行ってくれる。いつもと違う空気を味わうことによって気分がリフレッシュされる。それが心地良い。(ついでに言うと、同じ理由で私は旅も好きである。)ところが、大好きな映画なのに、昨年の7月以来ご無沙汰となっていた。遺産相続手続き、遅れていた畑仕事、HPの移動などあれやこれや忙しくて、映画を観に行く暇を作れなかったのだ。只券を3枚も無駄にした。
  映画館は桜坂劇場、桜坂劇場は那覇にある。大好きな映画だからといって那覇へ出かけるのに用事一つではやはり、時間の無駄のような気がして、ついでの用事を作る。作る用事は当然ながら、二日前に果たせなかったこととなる。
 パレット久茂地にあるタバコ専門店へ寄った。以前、煙管をよく使っていた頃、キザミはその店でいつも購入していた。しかし、その店もまた、消えていた。

 先週のコラムにも書いたが、2011年、元旦の計は「風流なオジーになることを目指す」とした。風流なオジーになるための一つに、「煙管(きせる)を使い、キザミ(刻みタバコ)を嗜む」ということがある。で、キザミを求めているわけ。
 実は、先週金曜日にも別のタバコ専門店へ行っている。そこは酒屋の一角にあり、わざわざでは無く、酒を買いに行くついで寄った。その酒屋は金曜日の職場から家に帰る途中にあるので月に1、2回は訪れている。で、何年か前にタバコのコーナーが規模縮小されたのも知っている。だから、期待はしていなかったが、やはり、キザミは無かった。
         
         

  「禁煙しろ」気分が何年も前から世間に蔓延って、その圧力で喫煙者が減った、昨年10月にタバコが大幅値上げしてさらに減った、などの理由でタバコ専門店は商売あがったりとなって、店じまいしたり、規模縮小を余儀なくされたということであろうか。「健康のため」という大義名分を掲げられているので、抵抗もし辛いのだが、「これでは、煙管とキザミの文化も途絶えてしまうぜ」と、私は寂しい気分になる。紙巻きタバコは消えてもいいが、煙管とキザミは残して欲しいと、風流オジーを目指す私は思うのだ。
 しかしここで、「諦めるなオジー」と私は私自身を励ます。製品が無いのであれば、自分で作ればいいのだ。昔はタバコも塩も酒も自家生産は禁止されていたが、今は自由だ。幸い、沖縄にはタバコ農家があり、葉タバコが生産されている。生産者から葉タバコを購入し、それでタバコを作る。キザミを作る。上手くすりゃあ葉巻だって作れる。
         

 記:2011.1.21 島乃ガジ丸


学ぶ喜び

2011年01月14日 | 通信-社会・生活

 多くの人に知的好奇心なるものが備わっていると思う。知る喜び、理解できた喜びなども多くの人が持っている感情だと思う。だから、知的好奇心を満足させ、知る喜び、理解する喜びなどを与えてくれる学校は、多くの人にとって良い場所だと思う。
 ところが私は、学校が、休み時間と給食時間と放課後を除いて、大嫌いだった。私に知的好奇心が無かったということは無い。友人たちとの遊びの中で必要な事は熱心に覚えたし、祖父や祖母から教わったこと(メジロの飼い方、釣り餌の採り方、作り方、オーハンブシーの作り方など)には興味を持って覚えて、今でも忘れないでいる。
 私の両親は善人で、真面目で、働き者で、少なからず尊敬もできたのだが、教育の仕方は間違っていたのではないかと思う。知的好奇心を普通に供えていた少年は、「学んで知る」ということにきっと喜びを感じたはずだが、両親にとって勉強は、「学んで知る」というよりも「良い成績を取る」ことが目的となっていたようだ。テストの成績や通信簿の評価が大事なのであった。毎日毎日「何だこの成績は!もっと勉強しろ!」と怒鳴られ続けて、それでたぶん、私は勉強が大嫌いになり、学校も嫌いになった。

 先週土曜日(1月8日)、友人KK子から興味深い話を聞いた。要約すると以下。
  「戦争で義務教育を受けられなかったお年寄りがいっぱいいて、その中には今からでも勉強したいと思っている人達も多くいて、で、そんな人たちを支援しているNPO法人があって、学校作って、学ぶ機会を与えているんだけど、資金が足りない。それで、国に資金援助を申し入れているんだけど、これがなかなかOKが出ないのさ。」
 国が起こした戦争で、教育を受けられなかったんだ、国が補償するのは当然ではないかと私は思い、「何で?」と訊いた。「文科省と厚生省とで管轄がどーのこーの」とKK子が答えたように思うが、酔っ払いが邪魔して、その辺ははっきり覚えていない。
 ただ、国への陳情のための会合が行われると聞いて、それには参加したいと思った、当事者(学びたくても学べなかった人たち)の話を聞いてみたいと思った。国の責任がどーのよりも、「学ぶとは何か」に私は興味があった。で、翌日、出かけた。
         

 会場に着いて、教室を覗く。教室には既にたくさんの人が集まっていた。ほぼお年寄りばかり。そして、教室の外には黒服のいかつい体をした男共が6、7名いた。「何者だ、こいつら」と思って、その中の一人に訊いた。「警備です」とのこと。
  そこで思い出した。そういえば昨夜、KK子が「岡田幹事長もやってくる」と言っていた。そうだった、だから、厳重な警備なのだ。黒服はSPだったのだ。お年寄りばかりの教室へも入り辛かったし、岡田幹事長にはほとんど興味無かったし、「マスコミもやってくる」と言うし、何か煩そうだなと思って参加は中止。そのまま帰った。

 岡田幹事長に興味は無いが、「学ぶとは何か」には興味がある。私の両親の考えのように「良い成績を取る」ことが「学ぶ」目的では無いはず、ジョギングの目的が「他人と競って勝つ」では無く、「己の健康のため」なのと同じことのはず、と私は思う。
 学べなかったお年寄りたちが「学ぶ喜び」を語るはず。「やんどー」と私は得心するはず。「いやいや、良い成績を取り、良い会社に入るためだ」と思う人も多かろうが。
         

 記:2011.1.14 島乃ガジ丸


日曜学校

2011年01月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 実家の隣の隣は教会になっている。いつごろからあるのか覚えていないが、私が子供の頃は無かった。高校の頃も、大学に通っていた頃も無かったと記憶しているので、まあ、せいぜい25年から30年前にできたものと思われる。
  実家の私の部屋からその教会が見える。屋上へ上がると、大きな十字架が目の前に見える。時々、教会から歌が聞こえてくる。歌といっても讃美歌では無く、ロックとかポップスの類、バンド演奏している。コンサートのようであり、練習のようでもある。
 そういえば、その教会から讃美歌が聞こえたことは無い。たまたま私が実家へ行く日が讃美歌の日では無く、ロックやポップスの日となっているのかもしれない。

 そういえば、教会で讃美歌を聞いたという記憶があまり無い。従妹の結婚式は教会で行われたが、そこで讃美歌を聞いたかもしれないが、もう40年近くも昔の話、記憶は定かでない。それから、私はミッション系(というとカッコ良いが、米軍施政下にあった頃なので、そういう系は多くあった)の幼稚園に通っていた。教会のある幼稚園で、先生はシスターで、園長は牧師だった。そこではおそらく何度も讃美歌を聞かされ、おそらく何度も歌わされたかもしれないが、もう50年近くも昔の話、ほとんど記憶にない。
 そんな幼稚園を出ているが、私はキリスト教信者では無い。ついでに言うと、仏教徒でもイスラム教徒でもヒンズー教徒でも無い。ただ、無宗教であるともはっきり言えない。親から教え伝えられた神事、仏事はやっているのだ。それもしかし、神や仏の存在を信じてやっているわけでは無く、もしも霊というものがいて、親がそれで存在していたら、このくらいはやっておかないと嫌な思いをするだろうなと思ってのこと。

 小学生の頃、隣の隣に教会は無かったが、歩いて2分ていどの場所に教会があった。キリスト教徒では無い私だったが、日曜日になるとその教会へ通った。教会へ行って説教を聞いた覚えは無い。日曜日、教会へ行くとお菓子が貰えた。それが目当て。
 日曜日の教会へは私だけでなく、近所の子供たちが何人も集まった。それは日曜学校と呼ばれていて、「日曜学校に行きなさい」と親は言い、「日曜学校に行こうぜ」と子供達は言っていた。日曜学校、アメリカ施政下にあった沖縄独特のものかと今の今まで思っていたのだが、広辞苑に記載があり、沖縄だけのものでは無いと判った。
 日曜学校、「キリスト教会で、宗教教育を目的として子供を集めて日曜日に開く学校。教会学校。」とのこと。沖縄だけでなく、日本国だけでなく、世界的なものらしい。
     

  今日(23日)、実家へ行った(鉢物への水遣りなどの用で)ついでに、隣の隣の教会へ行き、そこの牧師さんに話を聞いた。日曜学校は、その教会では『教会学校』という名前で今でもあるとのこと。お菓子をあげる場合もあるとのこと。でも、この飽食の時代、お菓子に釣られる子供はおらず、参加者はとても少ないとのこと。
 その時ついでに、時々聞こえてくるロック音楽の演奏についても聞いた。音楽を楽しむ若者たちを応援して、コンサート会場として利用させているとのこと。その日たまたま、若者達のコンサートがあって、そのチラシを頂いた。ちょうどその時、1組のバンドがリハーサル中であった。若い女性だけのバンドだった。「若い女性」に惹かれたが、煩い音楽が苦手な私は、参加についてはご遠慮申し上げた。午後からは畑仕事があったし。
     

 記:ガジ丸 2010.12.23 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行