ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

命溢れる大地

2013年06月28日 | 通信-環境・自然

 梅雨明け前から晴れの日は暑かったが、梅雨明け後は曇りの日でも暑い。1時間も肉体労働をしていると体から水分が滝のように流れ出し、体が干乾びて行くのを感じる。晴れた日の日中はもう大変、肉体労働を1時間続けるのは無理、30分がやっと。動けない。今はまだ午後も働いているが、7月からの畑仕事は午前中だけのつもりでいる。
 太陽の下で肉体労働をすると、筋肉も心臓も長く走り回った車のエンジンのようにたっぷり熱くなる。車は、エンジンが熱くなったら冷やす機能がついている。熱くなりっ放しだとエンジンが壊れる。それと同じように体の熱さは人間を壊す。おそらくそれが熱中症の大きな要因の一つであろう。であれば、体を冷やさねばならない。冷やす道具はビールが一番。というわけで、最近は毎日ビール(発泡酒)。休肝日が無い。

  暑さはしかし、動物達、特に昆虫たちにとっては心地良いようで、なっぴばるには今、たくさんの虫たちがやってきている。やってきているというか、元々そこにいて、土の中から、あるいは草葉の陰から湧いてきている。蝶も蜻蛉も飛蝗も蝉も。
 セミは、シーミーグヮー(クロイワニイニイ)が4月からずっと鳴いており、ナービカチカチ(アブラゼミ)が今盛り。サンサナー(クマゼミ)ももうすぐ鳴き出すはず。
 トンボはどこにでもいるウスバキトンボがここにも多くいて、ショウジョウトンボやハラボソトンボも数回見た。畑小屋の裏に沼があるので、そこを住処にしていると思われるシオカラトンボが数としては最も多い。珍しいギンヤンマも一度見ている。
  チョウは、モンシロは年中いて、冬場は彼らがもっとも多い。モンキも多く見られる。春にはアオスジアゲハが目立ってきて、今は彼らの数が最も多い。畑小屋の裏にタイワンウオクサギがあって、畑の向かいの森にはヤブカラシの花が咲いていて、それらの蜜を吸いに来ているのだ。沖縄で最も普通に見られるシロオビアゲハはもちろん、ナミアゲハ、ナガサキアゲハの姿も見ている。アサギマダラ、カバマダラ、ツマグロヒョウモン、ウスキシロ、ウラナミシロ、イシガケ、ツマベニもやってくる。シジミのいくつか、セセリのいくつかも種類は確認していないが、しょっちゅう飛んでいる。ガの類もおそらく夜になればたくさん飛んでいることであろう。ガの幼虫はたくさん見ている。
 もちろん、その他の昆虫、バッタ、ハチ、ハエ、アブ、カメムシ、ハムシ、カミキリムシ、カナブン(ハナムグリ)などの類もたくさんいる。休憩時間、畑小屋の陰の下で一服しながら畑を眺めていると、彼らのいくつかが常に視線の中に入ってくる。

 今のところ作物の出来は、私の満足が100点満点だとすると、10点ほどしか無い。労働という投資を10ヶ月余も続けているのに、種や道具に多少の金銭も投資しているというのに、これまでに売りあげた野菜の総額は6千円ほどしか無い。それでもまだ、私は無施肥無農薬による農業を諦めてはいない。いつか何とかなると思っている。
 何しろ、私の畑には命が満ち溢れているのだ。これだけの命が生きている大地ならば、人間の私一人分が生きていけるエネルギーもあるに違いない。大地はきっと、作物が育つように造られているはず。農夫がそれに沿うよう努力すれば良いはずなのだ。
 そういえば、去年8月に畑を耕し始めた頃はいなかったミミズが、しだいに増えて行って最近は多く見られる。農夫の努力をミミズは認めてくれているようだ。
          
          

 記:2013.6.28 島乃ガジ丸


コフキゾウムシ

2013年06月28日 | 動物:昆虫-甲虫目

 ビール党の敵

 いつもより早く梅雨明けした沖縄は6月も下旬になって、ほぼ晴れの日が続いている。腕まくりをし、手に唾をつけ「いよいよ本気出すか」モードの太陽が地面と我が身に降りかかる。太陽の下で畑仕事をすると暑い、糞暑い、死ぬほど暑い。暑さはこれからなお増していく。太陽はさらに襷をかけ、鉢巻を締めてマジ本気となる。
  暑さは厳しく辛い。「夏よ早く過ぎ去れ」と毎日願っている。ただ、そうやってネガティブに物事を捉えてばかりいると人生が楽しくないので、良い方向にも考えるようにしている。暑いけど、太陽のお陰で植物は育つ。暑いけど、そのお陰で畑にはさまざまな鳥や昆虫たちがやってきて生命に満ち溢れている。彼らのオーラを少しずつ感じて、人間の私も元気を貰える。それより何より、暑いけど、ビール(発泡酒)がとても旨い。

 収穫時期のピークはゴールデンウィークの頃だったが、一ヶ月ほどの間、採れたてエダ マメを肴にビール(発泡酒)を飲むことができた。自産自讃をするが、無施肥のエダマメは味が濃いと感じられ、特に、蒸して食べると最高に旨かった。
 エダマメが旨いと当然ビール(発泡酒)も旨い。畑の恵みに感謝し、ビール(発泡酒)を発明した人、及び現在生産している人達に感謝した。

 エダマメは去年までも宜野湾の小さな畑で作っていた。去年まではまったく気付かなかったが、あるいはそれがそこには存在していなかったか、エダマメにも虫がつくというこ とを今年になって初めて知った。なっぴばるのエダマメにはコフキゾウムシという小さな昆虫がたくさん付いていた。去年までのエダマメより生育が悪かった (実着きが少ない)ので、彼らが食害していたかもしれないが、正確には不明。何しろ、なっぴばるの野菜たちは皆生育が悪いので、虫のせいなのか無施肥のせ いなのか判断が難しいのだ。
 しかし、もし、コフキゾウムシがエダマメを食害しているのであれば、彼らはビール党の敵となる。ビール党の敵であれ ば私の敵でもある。断じて許しては置けない。が、許した。生育が悪かったとはいえ、一ヶ月の間楽しめる分の収穫はあったのだ。それで十分なのだ。多少は虫に食われても、虫から貰う元気と相殺できる範囲内だと思う。

 
 コフキゾウムシ(粉吹象虫):甲虫目の昆虫
 ゾウムシ科 本州以南、沖縄、宮古、石垣、台湾などに分布 方言名:不詳
 名前の由来、ゾウムシは「象の鼻状に長く突き出した口吻をもち」(広辞苑)ということから。コフキは『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「体は黒色だが、淡緑色~金緑色の鱗片を装い」とあり、その鱗片が粉を吹いているように見えることから。
 寄主はマメ科植物で、タイワンクズの葉上で多く見られると文献にあった。私が見たのは私の畑なっぴばるで、エダマメを収穫している際、本種に気付いた。去年までのエダマメにはいなかった本種、今年のエダマメにうじゃうじゃいた。
 体長は6ミリ内外と小さいけれど、うじゃうじゃいたので目に付いた。成虫の出現は4月から7月、私が見たのは5月、エダマメの収穫時期。
 
 横から
 
 交尾
 
 黒っぽい個体
 
 やや黒っぽいもの

 記:2013.6.24 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


粋より恋

2013年06月21日 | 通信-社会・生活

 先週、野暮と粋の話を書いたが、その続き。
 先ずは言葉の説明(広辞苑による)から。「野暮」は「世情に通ぜず人情の機微をわきまえないこと。特に、遊里の事情に通じないこと」(全文)。
 「粋」は「人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に関して精通していること」(第二義抜粋)のこと。つまり、「人情の機微」をわきまえていると粋、わきまえていないと野暮、あるいは、「遊里の事情」に通じていると粋、通じていないと野暮となる。
 で、私は「人情の機微」においても、「遊里の事情」においても全くの野暮であると前回書いたが、これについては自他共に反論は無い。

  「粋なオジサン」または「粋な爺さん」と呼ばれるような者に私はなりたいと思っているが、粋はたぶん、私のような生き方をしていては身に付かない。「人情の機微」についてはこれからの努力で何とか通じることができても、「遊里の事情」についてはもはや手遅れ。いまさらそれに通じるなんて、ほとんどその意欲も元気も無い。
 無粋な私に比べ、大阪市長はきっと粋な人に違いない。遊里の事情、風俗の事情に詳しいと思われる。風俗を商売にする女はいつの世にでもどこにでもいる、それを利用したい男だっていつの世にもどこにでもいる、社会の裏とはそんなもの、なんてことをよく御存じなのであろう。「人情の表裏に通じ、遊里・遊興に精通している」に違いない。

 「粋な人」の「な」を取り除いた「粋人」という言葉がある。「いきびと」では無く「すいじん」と読む。粋人には3つの意味があって、広辞苑によると以下、
 1、風雅を好む人。
 2、世態・人情に通じた人。さばけた人。通人。
 3、花柳界・芸人社会などのことに通じ、行動がおのずからその道にかなっているような人。
 とある。私がこの先努力して粋人になれるかどうか検証すると、「3」の意味でははとうてい無理、「2」は奮闘努力をすれば到達できるかもしれない。「1」は、これは多少の努力をすれば何とかなりそう。風雅にもいくつか意味があって、「みやびなこと」という意味ではとうてい無理だが、文芸という意味では、私は文章を書いている。このまま書き続けて行けば、いつか私の作文も文芸の域に達するかもしれない。

 さて、夢の話はこれくらいにして、現実の話。
 粋な人である大阪市長さんはまた、これは私もそうであると自負しているが、正直な人だと思う。若い男が風俗産業を必要としていることは事実だと思うし、沖縄在の若い兵士たちが下半身の欲求を持て余していることも当然の事と私も思う。彼らに必要とされて風俗産業が存在し、お姉さんたちも生活ができている、はずだ。
 遊里の事を悪所とも言う。下半身の欲求を持て余していた若い頃、私も悪所に通ったことがある。2度だけある。たった2度の経験だが、結論としては「好きでも無い女の裸に触れてもちっとも楽しく無い」だった。女であれば誰でも良いという男もいるだろうが、しかし、私は言いたい。「恋せよ若い兵士達」、その喜びが数段上。
          
          

 記:2013.6.21 島乃ガジ丸


ヨツメオサゾウムシ

2013年06月21日 | 動物:昆虫-甲虫目

 優れ者?

 沖縄では地方公共団体の一種である○○村のことを「○○ソン」と発音する。例えばクニガミソン(国頭村)、オオギミソン(大宜味村)、ナキジンソン(今帰仁村)、イゼナソン(伊是名村)、イヘヤソン(伊平屋村)などなど、沖縄の村の全ては○○ソンと発音される。倭国(他府県)ではしかし、概ね○○ムラとなっている。
  そうやって訓読みするからには、村長も訓読みしたらどうかと思う。「私んところのムラオサは保守系でのう、弱者に対する思いやりが足りないんじゃ」とかだ。何だか柔らかい語り口に聞こえる。「しょうがないのう、金を持ってくるからいいが」みたいな。
 村長は、広辞苑によると、ムラオサと読んで「一村を治める長」となり、ソンチョウと呼んで「地方公共団体である村の最高責任者」となる。どちらも同じ地位のことを言っているが、後者は「法律的に定められた」みたいな意味が含まれていると思う。

 オサゾウムシのオサが何を表しているのか考えている時、すぐに思いついたのが長であった。体長が細長いからだろうとの理由。ただ、広辞苑でオサ(長)を引くと、「最もすぐれたもの」という意で、「長い」という意は無い。チョウ(長)もオサとほとんど似たような意味となっている。長は「長い」と形容詞になって初めて「長い」となる。
 というわけで、まあ、重箱の隅を楊枝でつつくようなことで、どっちでもいいやと思われるだろうが、オサゾウムシが「ゾウムシに似た体長が長めの昆虫」というのであれば、ナガゾウムシという名前の方がより正確ではないかと思ったのだ。
  「石橋を叩いて渡る」ようなことから程遠い性格の私だが、この時は「いや、待てよ」ともう一度考え直してみた。「もしかしたらさ、甲虫の中では最もすぐれたものかもしれないぞ。だからわざわざオサと呼んでいるのかもしれないぞ」と考えた。「例えばさ、何か必殺技を持っていて、カブトムシにもクワガタムシにも喧嘩して負けないとかさ」と思った。のであったが、文献をいろいろ調べてみたが、そのような情報は無かった。

 ちなみに、同じオサゾウムシ科にはあの有名なコクゾウムシ(穀象虫)もいる。人間の食べる穀物を食っているのだ、米を食っているのだ、他の甲虫に比べると知能が高いのかもしれない。であれば、「優れ者」と言えるかもしれない。

 
 ヨツメオサゾウムシ(四つ目長象虫):甲虫目の昆虫
 オサゾウムシ科 奄美諸島、沖縄諸島、八重山諸島、台湾などに分布 方言名:不詳
 名前の由来、『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「上翅外縁の基部と翅端部に1対ずつ、計4個の黒紋をもつ」ことからとあり、ヨツメ(四つ目)はそれで分かる。ゾウムシは広辞苑に「象の鼻状に長く突き出した口吻をもち」とあることから分かる。が、オサについては資料が無く不明。オサゾウムシ科というゾウムシ科とは異なる科で、おそらく、ゾウムシ科に比べ、全体が細長いのでオサ(長)と付いたのではないかと思われる。
 ちなみに、オサゾウムシ科にはあの有名なコクゾウムシ(穀象虫)がいる。子供の頃、家の米櫃にいたのを何度も目撃しているが、大人になってからは見ていない。
 灰色粉が黒紋の周りを縁取っていて目のように見える。その灰色粉は落ちやすいとのこと。「生息地は林地や山地で、しかも局地的である」とあった。私の畑で発見。体長は12ミリ内外。成虫の出現は2月から8月。寄主はゲットウ、クマタケラン類。
 
 横から

 記:2013.5.28 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


野暮な人生

2013年06月14日 | 通信-その他・雑感

 「野暮用でちょいと遅れました」というセリフをテレビドラマか何かでよく聞く。野暮用、「くだらない用事」という解釈を私はしていたが、広辞苑を引いてみた。
 「取り立てて言うほどのものでない、つまらない用事。趣味や遊びに関わらない、仕事のための用事」(全文)とのこと。「くだらない用事」という解釈は当たっているが、後半の「趣味や遊びに関わらない、仕事のための用事」までは考えが及ばなかった。
 「野暮」は「世情に通ぜず人情の機微をわきまえないこと。特に、遊里の事情に通じないこと」(全文)と広辞苑にある。
 野暮に対する言葉として「粋」というのがある。これも広辞苑、
 「人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に関して精通していること」(第二義抜粋)のことで、「人情の機微」をわきまえていると粋、わきまえていないと野暮、あるいは、「遊里の事情」に通じていると粋、通じていないと野暮となる。
 わざわざここで宣言しなくても、私の友人知人などにはよく知られていることだが、私は「人情の機微」においても、「遊里の事情」においても全くの野暮である。

 野暮用という言葉があれば、粋用という言葉もあるかというと、それは無い。「粋用でちょいと遅れました」と言うと、「遊里で可愛い女と情愛を交わしていて遅れました」ということになりそうだが「粋用」という単語は広辞苑に無かった。「情事、いろごと」という意味では「粋事」という言葉がある。これも悲しいことに私には無縁。
 野暮用の意味の中で「趣味や遊びに関わらない、仕事のための用事」を私に当てはめると、日常の私はほぼ野暮用ばかりだ。畑仕事は楽しみでやっていたので趣味と言っても良かったのだが、夏の炎天下での作業を考えると「楽しみ」とはならない。むしろ、苦行と言っていい。滝に打たれる代わりに太陽に焼かれるみたいなもの。

  野暮用は畑仕事だけでは無い。畑仕事以外の野暮用も多くある。先々週は、
 法務局へ行って抵当権抹消手続きの方法を聞き、銀行へ必要な書類を取りに行く。不動産屋と会って家土地売買の交渉をする。車の点検で整備工場へ行く。
 市役所へ住民票を取りに行く。法務局で抵当権抹消手続きをし、銀行へ借りた書類を返しに行く。家を買いたいという人に実家を案内する。
 今週もまた、銀行へ必要な書類を取りに行き、法務局へ抵当権抹消手続きの不足分書類を届け、車の補修で整備工場へ行き、家を買いたいという人に実家を案内した。
 などということをしながら、もちろん畑にも通っていた。

  畑は今、土木作業と除草作業を主にやっている。土木作業は台風対策のためのアンカー作り、水捌けを良くするための勾配作りで、穴掘ったり、土削ったり、土運んだり、土均したり、穴埋めしたりなどなど、力のいる肉体労働を太陽に焼かれながらやっている。出来上がりつつあるのを見るのは楽しいが、作業そのものは辛い。全くの野暮用。
 ただ、救われているのは、こうやってブログを書いたりする時間があること。それは全くの趣味で、野暮用では無い。野暮用では無いが、粋な事でも全く無い。いつかネオン街のお姉様達に「粋なお人」と呼ばれたいが、それはきっと無理ですな。
          
          

 記:2013.6.14 島乃ガジ丸