ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

似非貧乏

2015年05月29日 | 通信-その他・雑感

 歩き疲れては夜空と陸との 隙間に潜り込んで
 草に埋もれては寝たのです 所構わず寝たのです
 歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
 歩き疲れ寝たのですが 眠れないのです

 この頃は眠れない 陸をひいては眠れない
 夜空の下では眠れない 揺り起こされては眠れない
 歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
 歩き疲れ寝たのですが 眠れないのです 

 今月14日から週休2日でアルバイトをやっている。仕事はビニールハウス内の作業、私の仕事は概ね力を使う肉体労働だが、時には花芽摘みという肉体的に楽な作業もある。楽と言ってもハウス内の作業は暑い。作業は午前中の4時間だけだが、晴れた日、ハウスが太陽に照らされ、しかも力を使う肉体労働の場合は「何じゃいこりゃ!」という位糞暑い。曇りや雨の日でも蒸し暑く、たっぷりの汗をかく。お陰で毎日ビールが旨い。
 友人のGが同じバイト仲間(彼からこのバイトを紹介された)で、(これまでの人生で肉体労働の経験が無い)Gは専ら花芽摘み作業をしている。先週火曜日、私も彼と同じハウス内で彼と同じ花芽摘み作業をした。Gはいつもポケットラジオを腰に付けて作業している。その日その時、そのラジオから懐かしい名前と唄が聞こえてきた。
 聞こえてきたのは高田渡とその唄。高田渡没後10年ということで渡の特集番組であった。「そうか、もう10年も経ったか」と、髭面の渡の顔が目に浮かんだ。
 若い頃大いに影響を受けた高田渡、「命日は4月だったか、供養しなくちゃ」とその時思い、翌日になってギターを手にした。滅多に手にしない私のギターは何とか音を出してくれたが、私の指は思うように動かなかった。でも、3曲ばかり歌った。
          

 冒頭の歌詞は高田渡が歌う『生活の柄』、渡の代表作とも言える作品。歌詞の元の作者は我が敬愛する沖縄出身の詩人、山之口獏、ほぼ同じ内容の同名の詩がある。
 2番までは覚えていたが、3番以降がうろ覚え、そういえば、若い頃でも通して歌ったことは無かった。渡が歌うのを聴くのは好きだったが、自分が歌うには少々抵抗があったように思う。親の仕送りで生活している自分が軽々しく歌えるようなもんじゃないと。
 この後の歌詞を聴けばこの詩の趣旨が解ると思うが、少し説明すると、(浮浪者なので路上で寝るしかなく)草に埋もれて寝たのだけど・・・が1~2番の内容で、この後3番だか4番だかの歌詞に「そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか」と出てきて、そして、「秋は、秋からは浮浪者のままでは眠れない」となる。
 山之口獏は、若い頃、詩の内容のような生活をしていたこともあり、本当に貧乏だったらしい。私は時々このブログで自分のことを貧乏人であると書いているが、それは全く似非貧乏なのである。来月は数万円のバイト代が入る予定だが、畑からの収入は1年で数万円しかない。だけど、2年前に解約した生命保険の金が、細々と生活すればあと1年は持つほどある。路上生活しなくても良いのだ、『生活の柄』、まだ本気では歌えない。
          

 記:2015.5.29 島乃ガジ丸


蕎麦屋

2015年05月29日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 伝統の美味さ

 「こんどの日曜日、桜坂劇場で落語がある、チケットが1枚余っている、一緒にいかが?落語の後は飯でも食いに行かないか?」と友人Mからメールがあり、お言葉に甘えさせて貰った。演者は柳家三三(さんざ)、私は初めて聞く名前、Mによると「テレビにほとんど出ないので有名では無いが実力者」とのこと。その通りの巧の芸であった。
     
 その日の演目は「金明竹」、「粗忽の釘」、「文七元結」の3題、どの噺にも私は引き込まれた。「伝統の技」を深く感じた。久々の感動、友人Mに感謝する。そしてその日はまた、落語に感動した後、さらに感動する伝統の技に出会った。

 今住んでいるアパートの近く(徒歩5分ほど)に宜野湾市民図書館があり、よく利用させてもらっている。畑は西原町翁長という場所にありアパートから南南東の方向、図書館はアパートから南南西の方向なので、畑の往き帰りに図書館を通るということは、普通はない。でも、たまには畑からの帰りに図書館へ寄ることもある。
 畑から図書館へ行く時、普段は通らない裏道を通る。その裏道の通り沿いにはゴルフレンジ、自動車整備工場などもあるが多くは民家が建ち並ぶ住宅地。その民家の一つに、引っ越してきた当初から気になっていた一軒がある。その家の前には看板が立っており、看板には「日本蕎麦 家族庵」とある。「何でこんなところに蕎麦屋?」と不思議に思っていた。日本蕎麦は沖縄ではメジャーでは無い。沖縄ソバは大好きと言うウチナーンチュは多くいるが、日本蕎麦が好きという人は少ないと思う。需要が少なくても、人通りの多い場所であれば商売は成り立つ。しかし、家族庵は辺鄙な場所にある。

 想像力豊かな私は想像した。蕎麦処の信州かどこかで永く蕎麦屋を営んできた初老の夫婦が、老後は沖縄で暮らそうと沖縄へ移住してきた。「のんびり老後」を予定していたので、西原町の人通りの少ない閑静な住宅地の中古住宅を購入した。「のんびり老後」はしかし、暇だった。「お客さんが少なくてもいいからさ、ここで蕎麦屋をやろうよ」と女房が提案し、「そうだな、沖縄に蕎麦屋が少ないというのは俺も気になっていたよ、沖縄の人に本物の蕎麦の美味さを知って貰いたいという気持ちにもなっていたんだ。」と亭主も応え、腕に覚えのある蕎麦職人は老骨に鞭打ち、立ち上がった。
 ということで、沖縄では需要の少ない日本蕎麦屋が、人通りの少ない閑静な住宅地の普通の民家で開業した・・・のではないかと私は想像した。そうであれば、その店の蕎麦は美味いに違いない。倭国に旅すると、蕎麦を食うのを楽しみの一つとしているほど蕎麦好きの私としては、「この店、気になるなぁ」とずっと思っていた。ただ、見た目は普通の民家、入口らしき場所も普通の民家の玄関で、一人では入り辛い雰囲気であった。

 落語を観終わった後、Mが「車で来たから、食い場所はお互いの家が近い宜野湾にしよう」と言い、彼の案内する店へ行く。ところが、そこは満員で断念。で、私は閃いて、提案し、食い場所は兼ねてから気になっていた蕎麦屋「家族庵」となった。
 Mは天ざる、私はざるとビールを注文。蕎麦屋に日本酒が無いということに少々不満はあったが、蕎麦は美味かった。「これだよこれ、本物の蕎麦」と感激するほど。蕎麦作りにはきっと伝統の技があるのだろう、私がよく食べているスーパーの総菜の蕎麦や冷凍蕎麦などとは雲泥の差があった。その日私は、昼は日本伝統の上手さを味わい、夜は日本伝統の美味さを味わうことができた。落語と蕎麦と、友人Mに感謝。
     
 帰りがけ店の主人に、「蕎麦湯も出してくれるんですか?」と訊いたら、「あります、御注文頂ければいくらでもお出しします」とのこと。「やはり、そんな蕎麦だぜ」と私は納得。次に来た時、貧乏な私にはちょっと高め(蕎麦屋としては普通の値段)なのでそうは来れないが、蕎麦湯をたっぷり頂こうと思った。伝統の美味さを伝える名店家族庵、辺鄙な場所にあるが人気はあるはず。これ以上人気が上がって、混んで、食べたいと思った時に食べることができないなんてことになると嫌なんだが、美味さに対する感謝として宣伝しておきたい。頂いた名刺に住所と電話番号があるのでその画像を載せて置く。
 ちなみに、想像力豊かな私の想像は外れていた。店には客が多くいて、ご主人や女将さんとゆっくり話をする機会を得なかったが、家族庵の女将さんは初老と呼ぶにはまだ遠い人、主人と思われる蕎麦職人はさらに若く見えた。帰りがけ、ご主人に「ご出身はどちらですか?」と訪ねたら「大阪です」と答えた。大阪で蕎麦屋を営んでいたか?御主人は蕎麦職人だったのか?何故こんなところで?などについては次回訊いてみよう。
     

 記:2015.5.24 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次


有志たちの集い

2015年05月22日 | 通信-政治・経済

 先週日曜日(10日)、友人Mに誘われ、落語を観て、その後、夕食も一緒した。その席上、「次の日曜日、辺野古基地反対の県民大会があるけど?」と、それへの参加をやんわり勧められた。彼はマスコミ業界にいて、彼の会社も主催の1つとなっている。
 「いや、バイトも始まるし、畑仕事もあるし、参加できないと思う」と私もやんわりと断った。もちろん私は、辺野古基地反対の立場だし、県民大会にはたくさんの人が集まってくれることを願っている。その思いはMにも十分伝わったと思う。
 5月17日、辺野古反対県民大会が沖縄セルラースタジアム那覇で開かれた。主催者発表では3万5千人の参加があったとのこと。話半分だとしても1万8千人程、私はそれで十分の多さだと思う。天気の良い日曜日、家族でお出かけしたい日和だ、それを犠牲にしてまでの参加は1人で2人分の価値はある。また、参加したいけど都合が悪くできなかった人も多くいよう。そういった人達も含めれば3万5千人を遥かに超えるだろう。

 私はその日朝からバイト、同級生のN社長が経営する農場に朝7時に出勤し、サウナのように激しく蒸し暑いハウス内での作業を4時間ほどやって、11時には終業。友人のG夫妻は9時出勤、同じくハウス内での作業をやって、彼らも11時に終業。その後、事務所でN社長も含めた4人でしばらくユンタク(おしゃべり)した。
 ユンタクの主な内容は「ハウスの中は激しく暑い」ということであったが、4人のそれぞれのこの後の予定なども話した。私は私の畑へ行き農作業、N社長は神社の祭りがありそれに参加、G夫妻は辺野古反対県民大会へ参加するとのこと。
 翌日、バイト先でGと会い、県民大会の話を聞く。
 「いやー、会場はいっぱいだったよ。混んで大変だった。」
 「主催者発表で3万5千人って言っていたけど、そんなにいた?」
 「プロ野球も開かれる野球場が満杯なんだ、その位は十分いただろう。」
 主催者発表を話半分としなくても良かったわけだ。嬉しい気分になる。ウチナーンチュがこれだけ気合を入れて反対しているんだ、もしかしたら・・・と期待も持てる。
          

 嬉しい気分になることは他にもあった。それより数日前のニュースだったか、「宮崎駿監督が辺野古基金の共同代表になった」とラジオから聞こえてきた。辺野古基金についてはさらにその前のニュースで知っていたが、より正確に知るためにネット版の新聞記事を読む。辺野古基金とは「辺野古への基地建設を断念させる活動を支援しようというもの」で、当初の共同代表には県内の政財界の大物たちの他、菅原文太さんの妻の菅原文子さんともある。生きていれば菅原文太さん自身が共同代表になったのであろう。
 菅原文太という名前だけでも嬉しいのに、最近になって宮崎駿監督も加わった。その作品を観る限り、平和をこよなく愛する人である。「辺野古への基地建設を断念させ」たいウチナーンチュにとっては心強い協力者となる。私はとても嬉しく思った。
 あんまり嬉しいのでちょっと妄想に走る。私が女だったらぜひとも、たとえ一瞬でもいいからこんな女になりたいと思っている、簡単に言えば我が敬愛する女性、吉永小百合さんが共同代表に加わる。そうすると、政治家のオッサン達にはサユリストも多いはず、小百合様が言うのであれば、と辺野古への基地建設を断念するかもしれない。
          

 記:2015.5.22 島乃ガジ丸


ベテラン農夫の能力

2015年05月15日 | 通信-環境・自然

 例年なら大型連休が終わると沖縄地方は梅雨入りなのだが、今年はまだ。週間天気予報を見ると、向こう1週間も雨マークは無い。梅雨入りは遅れている。
 例年なら梅雨が明けると台風シーズンなのだが、今年は早々と台風がやってきた。「5月に台風は珍しいなぁ、難儀だけど、台風対策やっておくか」と、近所の先輩農夫Nさんがそう言って、自分の畑に向かった今週月曜日の朝、私も台風対策の最中であった。
 台風はまだまだ先と思っていたので、強風で飛びそうな物が小屋の周りに多くあり、私の台風対策は時間がかかった。この日、アルバイトの面接があったので午前中の1時間ほどは抜けお昼前には畑に戻る。畑小屋の台風対策を続け、お昼になって弁当を食おうとしている時、近所の大先輩農夫N爺様が小屋前までやってきた。
 「何している?」、「台風対策です」、「台風?この台風は沖縄には来ないよ」と言って、無駄な難儀をしているなぁとばかりにハッ、ハッ、ハッと笑った。ベテラン農夫はそう言うが、ラジオの情報では「沖縄に向かっている」だったので、N爺様が帰った後も私は台風対策を続け、強風に耐えられるようバナナの葉の剪定、ビワやモモなどの果樹へ支柱設置、トンネルネットの撤去などし、「台風にやられるくらいなら」とまだ十分太っていないエダマメ、その内の大きめのもの10株ほどを収獲し、小屋前テントを畳み、最後に小屋の補強をして、夕方5時過ぎにやっと終了。疲れる作業であった。

 「強い台風」とラジオのニュースが言う台風6号は、12日未明には沖縄地方の一部を暴風圏に巻き込んだとのこと。朝目を覚ますと、外はいかにも台風のようではあった。でもそう激しくは無い。畳もうかどうしようか悩んで、結局そのままにして置いたベランダの遮光シートも、パタパタ風に煽られてはいたが、飛ばされそうな気配は無かった。8時頃には暴風警報も解除され、路線バスも走り、学校も登校になったらしい。
 風がだいぶ弱まった昼過ぎに畑へ出ると、小屋も物置も、畑の作物にも被害は無い。収穫した10株以外のエダマメ約100株も全く倒されていない。畳み忘れていたネットの1つも無事。つまり、台風対策はしなくても大丈夫だったのである。
 そこで、「この台風は沖縄には来ないよ」という89歳N爺様の言葉をを思い出した。台風6号は、確かにニュースが言う通り沖縄地方を暴風圏に巻き込んだが、それは一部であり、進路も予想の中心から離れ。風速も予報より弱かった。結果的に台風6号は、N爺様が言外に表現したかったであろう「台風対策などしなくていいよ」の通りとなった。ベテラン農夫は天気を肌で感じる能力があるのではないかと思った。
          

 見習い農夫の私は、昨日(14日)からバイトを始めた。同級生のNがハーブ農場を営んでおり、人手が足りなくて困っているということで、その仕事を手伝っている。
 仕事は収獲の済んだバジルの引き抜き作業。まあまあの力仕事だが、日頃から畑仕事で体を鍛えている私にとってそうきつくはない。であったが、ハウス内は厳しかった。暑いのである。ハウス内は激しく暑いのである。力仕事で要する筋肉の疲労を感じないほど暑かった。作業が終わってから腕が筋肉疲労で痺れているのに気付いた。
 思えば、N爺様は夏も畑仕事をしている。N爺様は夏でも涼しい顔をしている。89歳のどこにそんな力があるのか不思議に思う。ベテラン農夫の能力は計り知れない。
          

 記:2015.5.15 島乃ガジ丸


生きようとするエネルギー

2015年05月08日 | 通信-科学・空想

 近所の大先輩農夫N爺様は時々食べ物を私にくれる。食べ物は食パン、菓子パン、生菓子類である。爺様の家の近くにパン工場があり、それらの食べ物はそこの製品。爺様がくれるそれらの食べ物は例外なく消費期限切れのもの、1~2日過ぎたものであればまだいいが、たいていは4~5日過ぎたもの、消費期限が4~5日過ぎた菓子パンは食べずに捨て、生菓子類はカビが生えていないか確認して、生えていなければ食べている。
 何で消費期限切れのパンや菓子を持っているのか先日爺様に尋ねた。パン工場は商品を卸したスーパーなどから消費期限となったものを回収し、工場に持ち帰る。それはたくさんの量となる。それらを残飯と呼ぼう。残飯の処分は先ず、あらかじめ契約している農家に格安で売る。農家はそれを家畜の餌とする。N爺様の次男が以前鶏を養っていて、契約農家の1人となっているらしい。養鶏を辞めた後もパン工場との契約は続いており、時々残飯の中の、期限切れ直後のものを購入し、食べているとのことであった。
          

 私は、食い物に関しては割と好奇心が強く、概ね「何でも食べてみよう」精神を持っている。その精神は「胃腸は丈夫」という自信(根拠無し)から来ていると思う。若い頃、少々酸っぱい匂いがして「傷んでいるかも」と判断したものでも、構わず食っていた。そのせいか、丈夫な胃腸が酷い腹痛、下痢に襲われたことが何度かある。ただ、下痢はあるけれど、これまでの(私が自分を認識できる年齢から)人生で便秘は無い。
 朝起きて、朝飯食って、起きてから1時間ほども経つと便意を催す。トイレに行って便座に腰掛けるとすぐに脱糞する。その脱糞が最近特に調子いい。以前は「まだ大腸に残っている」感があって、終了まで3分以上かかっていたが、最近の脱糞は概ね30秒ほどで済む。さっと出て、すっきり出し切っている。絶好調である。
 去年の暮れからホウレンソウ、ニンジン、ダイコン、キャベツ、フェンネル、ジャガイモ、タマネギ、ニンニクなどが次々収穫でき、毎日たっぷりの野菜を摂っている。毎日の昼食は概ね芋(甘藷)なので、私は毎日たっぷりの食物繊維を摂取している。それが私の絶好調脱糞の要因となっているのではないかと考えられる。

 もう一つ、これもたっぷり野菜のお陰だと思われるが、朝7時から午後4時まで畑仕事をしての疲労感が以前より軽くなっている。そして、たまにだが朝立ちがある、こんなビンビン、十数年ぶりではないだろうか。野菜には元気を与える力もあるようだ。
 食べ物には蛋白質とか炭水化物とかビタミンとか生命維持に必要な栄養素がいろいろあるみたいだが、私は、科学的根拠の全く無いテキトーな考えだと断った上で、食べ物にはそれ自身が持っている「生きようとするエネルギー」もあるように感じる。それはきっと元気の素である。私は私の畑の野菜たちから生命維持の栄養だけでなく、美味いという喜びと共に、元気も頂いているのではないかと最近感じるようになった。
 私の畑の野菜たちは無農薬はもちろんのこと、無施肥(有機肥料さえ与えない)でもある。耕してはいるので正式な自然農法では無いが、それに近い栽培でできた野菜たちだ。科学の力を借りない自然のままの食べ物、太陽と大地の力のみで育った自然の食べ物、そんな食べ物はきっと「生きようとするエネルギー」も強のではないだろうか。カップ麺とかお菓子とか加工食品はたぶんそれが弱いのだと私は思う。科学的根拠は無い。
          

 記:2015.5.8 島乃ガジ丸