ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

サプリメントは要らない

2013年04月26日 | 通信-環境・自然

 若い頃、「俺は頭痛持ちなんだ」というのがまるでカッコイイことのように思えて、頭痛薬を常備し、時々飲んでいた。「俺は肝臓が少しやられている」というのもカッコイイことのように思えて、肝臓の薬(ビタミン剤のようなもの)を常備し、それも時々飲んでいた。頭痛も肝臓の不調も全くのウソというわけでは無かった。その頃、浴びるように酒を飲んでいたので肝臓が弱り、二日酔いの頭痛が日常茶飯であったのだ。
 若い頃は風邪薬や胃薬もよく飲んだ。病気は薬(薬局で売られているものや病院で処方されるもの)で治すのが当たり前と思っていたので、すぐに薬に頼った。
 いつ頃からか、少なくとも20年位前からは私は薬を飲むのを止めた。風邪も腹痛も根性で治すようにした。根性とはつまり、我が身の自然治癒力、免疫力のことだが、それに頼ることにした。薬に頼らなければ自然治癒力が鍛えられる。私はまた、栄養ドリンクはたまに飲むこともあったが、それ以外のサプリメントは全く摂っていない。

 私の父と母は沖縄に昔から伝わる薬草を使った何とか酒、何とか茶、何とかの蜂蜜漬けなどを作り、それらを利用していたが、市販のサプリメントのいくつかも常備し、それらもよく飲んでいた。しかし私は、薬草の何とか酒などは稀に(風邪などの時)飲んだが、「これ体にいいよ」と母に勧められても市販のサプリメントは一切飲まなかった。
  サプリメントを飲まないのは、「普通に食っていれば栄養は足りるだろう、サプリメントは普通に食えない人のものだろう、俺は普通に飯が食えている、よって、サプリメントを摂る必要は無い。」と思ってのことだが、その頃(20年位前)、ある月の模合(正当な理由のある飲み会)の席で、「サプリメントなんて、普通に飯食っていりゃ不要だろう」といったことを私が言うと、模合仲間の一人が「今の野菜は昔の野菜に比べ栄養が少なくなっている、なので、ビタミン剤などのサプリメントが必要になっている」と反論した。
 「そうか、そういうことか」と私は思い、それに対しその場で再反論はできずにいた。しかし、それでもなお、サプリメント摂取に賛同したわけでは無かった。「いやいや、そうはいってもだ]と考えて、後日、「ならば、昔の野菜のようなものを食えばいいんだ」と結論した。昔の野菜、つまり、化学肥料を使わない野菜、有機野菜を食えばいいのだ。
          

  以来私は、できるだけ(財布に相談しつつ)有機野菜を買って食っている。そして、「サプリメントも薬も摂取しない」はずっと続いている。それで私が健康なのかどうかについては明言できない。私はもう30年以上健康診断なるものを受けていないので、私が健康かどうかについては化学的立証ができないのだ。でも今、私はほぼ毎日畑で8時間程度肉体労働をし続けている、それができている。ほぼ毎日酒を飲んで、煙草も吸っている。それらによる体の不具合は今のところ無い。一応、表面的には健康であり続けている。
 ラジオを聴いていると、「痩せるサプリ」、「骨を強くするサプリ」などサプリメントのコマーシャルがいくつも流れる。「食事制限は要りません。飲むだけで痩せます。」とかいうやつ。痩せたいんだったら食事制限すれば良かろう、必要以上に食わなけりゃ良かろう、そうすれば食費も浮くし、サプリメントを買う金も浮く、経済的にも良いじゃないかと私は思うが、そういうコマーシャルが多いということは、それを望む人が多くいるのだと認識できる。欲望を過剰に満たして、そのケアをサプリメントに頼っているわけだ。
          

 記:2013.4.26 島乃ガジ丸


アオドウガネ

2013年04月26日 | 動物:昆虫-甲虫目

 臭くて覚えられる

 子供の頃、昆虫が特に好きだったわけでは無いので、虫の名前も知識として私の脳に刻まれたものはごく少ない。チョウについてはモンシロチョウ、モンキチョウ、アゲハチョウ程度は判別できたが、セミは全てセミ、トンボは全てトンボであった。
 チョウの他に判別できたものとしては、バッタの中に頭と尻の尖ったバッタがいて、それはキチキチバッタ(ショウリョウバッタのこと)という名で呼んでいた。もう一種、カナブンの類には金色に輝くカナブン(ツヤハナムグリの類)の他に、形はほぼ一緒だが輝かないものがいることを知っていて、それはクスブ ンという名で呼んでいた。
 クスブンがアオドウガネという和名であることは今回調べて分かったが、クスブンという名の方が覚えやすい。クスは沖縄語で糞とか臭いとかいう意、臭いカナブンということでクスブンだ。実際、クスブンは臭かった。カナブンは手で捕まえることに何の抵抗もなかったが、クスブンを捕まえるのは嫌だった。
 臭いと言えばカメムシも別名ヘッピリムシとあるように臭いものがいるらしいが、カメムシの臭さにやられた経験は無い。じつは、クスブンの臭さも経験が無いかもしれない。どのような匂いか記憶に無い。であるが、「そいつは臭い」と父からも友人達からも何度も聞いていて、想像の臭さが私の頭に刻まれたのかもしれない。

 
 アオドウガネ(青胴金):甲虫目の昆虫
 コガネムシ科 本州から南西諸島に分布 方言名:クスブン
 名前の由来は資料が無く不明。青胴金という漢字も私の推理によるもの。胴金という言葉は広辞苑にあり、「刀の柄・鞘、槍の柄の千段巻の部分などに留め金としてはめた環状の金具」のことだが、それと本種が似ているからということかもしれない。あるいは、それとは全く関係無く、胴体が緑色をしているのでアオドウ(青銅)、コガネムシ科なのでガネ、ということで、アオドウガネということかもしれない。
 危険を感じると腹端から褐色の臭い体液を出すとのこと。方言名のクスブンはそれから来ており、クスは臭いという意の沖縄語、ブンはカナブンのブン、カナブンもコガネムシ科で、見た目よく似ている。
 体長17~26ミリ。成虫の出現は4月から8月。寄主はサトウキビで、幼虫がサトウキビの根を食う。大量に発生してサトウキビを枯らすこともあるらしく、沖縄ではサトウキビの重要害虫となっている。成虫はテリハノブドウなどの葉を食べるとのこと。
 
 翅

 記:2013.4.10 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


草の匂いのする里

2013年04月19日 | 通信-環境・自然

 実家は那覇市の街中にあり、生活に便利である。便利とは、バス停が近い、モノレールの駅までも徒歩10分程、徒歩5分圏内には3つの銀行、郵便局、2つのコンビニ、いくつもの飲み屋、食い物屋、いくつもの病院、ひとつの小学校がある。
  徒歩5分を少し超えた所に中規模の公園があり、そこまで行けばデイゴやガジュマルの木に出会え、草の匂いを嗅ぐことができる。が、実家の周りはコンクリートとアスファルトに囲まれている。庭のある家も少なく、庭があったとしても玄関前のほんの小さなスペースしかない。実家の北隣はその小さなスペースにツツジなどを植えているが、南隣と東隣の家、そして私の実家の敷地には土の地面がほとんど無い。
 隣家との間は隙間も小さい。3軒とも1~2m前後しか無い。よって、実家の西は道路に面して明るいが、隣家のある北、東、南に面した部屋はいつも暗い。 

 先月、千葉に住む弟が帰省した際、「定年になったら沖縄に帰ろうかと考えている」と彼が言うので、「なら、この家を残しておいて、ここに住めば?」と私は提案した。弟の答えは「この家は暗い」であった。暗いので住みたくないということだ。
 私は、暗さはあまり気にならなかった。私の部屋が他の部屋に比べて比較的明るかったせいかもしれない。そういえば、居間や食堂、トイレなどは昼間でも電灯が必要で、弟の部屋なんかはそんな中でも特に暗かった。私が実家に住む気になれないのは、暗いからというのでは無く、実家の敷地には土の地面がほとんど無い、という理由である。

 従姉の息子の女房M女は美人で賢い私好みの女性で、よくメールのやり取りをし、たまには会って話もする。彼女とは楽しい時間を過ごせる。であるが、彼女には大きな欠点が2つある。1つは「酒が飲めない」で、もう1つは「虫が苦手」。「苦手」はアリさえも嫌がるほど。小さな蛾が体に着いただけでギャーギャー言う。
 飲みに行く以外にデートアイテムが無いという私にも問題があるが、酒が飲めないのでデートに誘えない。また、虫が苦手なので土いじりも難しい。草の間、地面の上、地中にたくさんの虫がいる私の畑でお手伝いなんて、とても無理。というわけで、彼女と私は共有できる時間をほとんど持てない。よって、メル友付き合いとなる。残念だが。
 「大地は命の糧、草の匂いは命の息吹」だと私は思うのだが、虫が嫌いで野良仕事もできず、草原を歩き回ることもできない、そんな人は今、きっと増えているのだろう。コンクリートとアスファルトの社会が育て上げた人種なのかもしれない。
          

  私が小学一年まで住んでいた家は庭があり、祖父がトマトやトウモロコシなどを育てていた。小学二年の時に今の実家に引っ越した。その頃、周りの道路がアスファルト舗装され始めた。それでもまだ、2軒隣には空き地があり、草が茂っていた。徒歩5分ほども行くと、小金森という名のちょっとした森があり、少年たちはコーラル(サンゴ石灰岩)敷きの道を歩いて小金森へ入り、木に登り、草に埋もれ、泥んこになって帰った。
 私が土の地面に愛着を持っているのは、そのような子供の頃の幸せな体験があったからかもしれない。土に触れていると安心感を得られる。草の匂いを嗅いでいると気持ちが良い。私の終の棲家は草の匂いのする里以外には無いと思っている。
          

 記:2013.4.19 島乃ガジ丸


ミズスマシ

2013年04月19日 | 動物:昆虫-甲虫目

 スイスイ世間を渡る

 「良い歌だね、面白い歌だね」といった評価をくれる人が片手で数えるほどしかいないので、その歌が世間に出ることは無く、この先出ることもほとんど期待できないけれど、私はこれまで、たくさんの歌を作っている。作詞作曲している。
 歌作りは高校の頃からやっていて、その当時のもの、歌詞を書いたノートも楽譜も消え失せているが、それでもまだその内のいくつかは覚えている。その後、大学生になってからも創作は続け、その中のいくつかは歌詞を書いたノートも楽譜も残っている。

  大学生になってから作った作品の一つに『ミズスマシ』というタイトルの歌があって、それは歌詞も曲もほぼ完全に私の脳が記憶している。曲を記憶しているのは何度も演奏したから。歌詞を記憶しているのは、その歌の歌詞がごく短いから。
 すいすい すいすい 風のように
 すいすい すいすい 一人ぼっちで
 世間を渡って行くのさ おいらミズスマシ
 歌詞はたったこれだけ。その前に延々と楽器だけの演奏があって、最後にこれだけを歌うという作品。これを当時結成したばかりのバンドのリーダーが気に入って、練習曲の一つとなった。で、私がボーカル(作った人の自己責任)となって何度も演奏した。

 じつはその歌、今さら訂正するのも申し訳ないことであるが、タイトルのミズスマシについて私の誤認があった。当時のバンドリーダーKは、楕円形のミズスマシがスイスイと軽やかに水上を流れている光景を想像したかもしれないが、私の頭にあったミズスマシはアメンボであった。私はずっと、アメンボのことをミズスマシと思っていたのだ。そうで無いことい気付いたのは、このHPで昆虫を紹介するようになった数年前の事。

 
 ミズスマシ(水澄まし):甲虫目の昆虫
 ミズスマシ科 琉球列島、台湾、中国、東南アジアなどに分布 方言名:不詳
 ミズスマシは「ミズスマシ科の甲虫の総称」とのことだが、語源については資料が無く不明。澄ましは「洗い浄めること」(広辞苑)のことだが、別に「平気な様子をする」(同)という意味もある。水面を平然と走り回るということで私は納得。
 池沼や水田、水たまりなどの止水域で見られ、たいてい集団となっている。氷の上を自在に滑り回るスケーターのように水面を滑るようにぐるぐる動き回っている。ほとんど水面上で生活しているようだが、水中に潜ることもできる。
 ミズスマシの仲間は沖縄に4種が分布するとのこと。オキナワオオミズスマシ、ツマキレオオミズスマシ、オオミズスマシ、ヒメミズスマシとある。この中でオキナワオオミズスマシの体長は15~20ミリあり、日本最大のミズスマシとのこと。文献にはもう一種ツマキレオオミズスマシも載っており、その体調は8ミリ内外とのこと。
 体は流線型で、上から見るとラグビーボールを縦半分に割った形。ミズスマシの仲間は複眼が上下2対に分かれ、水中と水上を同時に見ることができるとのこと。
 成虫は周年見ることができる。なお、写真はどの種であるか判別できなかった。

 記:2013.4.8 ガジ丸 →沖縄の動物目次


素材の味

2013年04月12日 | 通信-社会・生活

 先週金曜日、宜野湾にある金曜日の職場(働いてはいない、インターネットを使わせて貰っているだけ)に行ってガジ丸HPのアップ作業をして、そこからそのまま家を素通りして、元いたアパートの近くにある長年愛用している散髪屋へ行った。もちろん、髪を切りにだが、そこの、アウトドア大好きの亭主や女将さんと懇意にしているので、髪を切っている間のユンタク(おしゃべり)も楽しみとしている。
  夫婦は私が去年の夏から仕事を休職してハルサー(農夫という意のウチナーグチ)していることも知っている。で、その話となる。「今、何ができているの?」、「今までどんなものを作っていたの?」、「畑仕事は大変でしょう」などと言ったこと。で、私が「無施肥でやっているので作物の出来は悪い。ニンジン以外はタマネギもダイコンもジャガイモもとても小さく、売れなかった」などと現状を語ると、
 「肥料の力で大きくしていない分、味は濃いんでしょ?私は食べてみたいさぁ。」と女将さんが嬉しいことを言ってくれた。

 なっぴばるの東南側隣の畑は、冬場はキャベツを栽培している。隣人はプロの農夫で、いつ何をどれだけやるかがもう毎年決まっているようで、除草剤を撒き、枯草を集め燃やして、トラクターを入れて耕し、堆肥を入れて、耕運機で畝立てして、苗を植付け、化学肥料を苗間に撒き、その後は週に1回くらいやってきて、水撒きなどで長くても3~4時間、短い時は見回るだけの数分しか畑にいない。それで、その人のキャベツは1月に苗を植えて、3月には大きく育ち収穫となった。たったの二ヶ月だ。
 私のキャベツは売り物になるほどの大きさ(それでも隣のよりはずっと小さい)になるまで四ヶ月かかった。四ヶ月の間にモンシロチョウの餌食になって三分の二は食うところが無く、残りも穴だらけになって結局売り物には1個もならなかった。
 そのキャベツ、2個は友人にあげたが、残りの7~8個は自家消費している。7~8個と言ってもその半分は虫食いの葉を剥いでいって拳大の大きさしかない。なおかつ、生で食べても、煮て食べても市販のキャベツより硬い。「柔らかい=美味しい」が流行りの昨今ではたぶん売りに出しても「硬い!」と苦情が出るだろう。
 そのキャベツ、でも、私は美味しいと思う。いかにもキャベツの味がする。しみじみと美味しい。私の作物は収穫まで時間がかかる上にほとんどが小さい。しかし、小さなジャガイモもタマネギも、ホウレンソウもダイコンも私には美味しいと感じられた。
          

  なっぴばるのニンジンは1袋100円が3千円分ほど売れた。後日、買った人2名の意見を聞くことができた。「硬いけれど美味しかった」とのこと。じつは、ホウレンソウをあげた友人2名から「美味しいホウレンソウだ」、ジャガイモをあげた友人2名から「美味しいジャガイモだ」との評価も得ている。解る人は解るのだ。
 自家消費の野菜たち、私は生でも食べるが、煮たり焼いたりもしている。その中でもっとも私が好きなのは蒸し野菜。蒸したニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ダイコン、ホウレンソウに塩やマヨネーズを付けたり、ポン酢をかけたりして食う。でもじつは、それらを酒の肴にする時には塩もマヨネーズもポン酢も要らない。そのまま食う。いかにもニンジン、ジャガイモ、その他の味がする。素材そのものの味だ。しみじみと旨い。
          

 記:2013.4.12 島乃ガジ丸