ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

役に立つという喜び

2011年11月25日 | 通信-社会・生活

 先々週の木曜から土曜日までの三日間デイサービス施設でアルバイトをした。多少の傷は心に負っても体に負っても平気な私は、まあ、早く言えば、心も体も大雑把にできている私は、気遣いの必要な仕事は向いていないということがよく解った。
 この人は右の膝が曲がらないので・・・、この人は左腕がリウマチなので・・・、この人は食事ができないので・・・、などとあれこれ覚えなければならないことが一杯あったが、うっかり忘れてしまう。ベテランスタッフの一人にしょっちゅう注意された。
 長く肉体労働をしていたので力仕事は苦にならない。老人一人持ち上げたからといって腰が痛くなるなんてことも無い。その面ではスタッフの役に十分立ったと思う。私は頭が良い(自分で言うのもなんだが)ので頭脳労働も得意だ。お年寄りたちと話していて、その人が何に興味を持ち、何を語りたがっているのかを理解することができる。その面ではお年寄りたちの役に立てたと思う。私の体は人の役に立つに足りている、私の頭も人の役に立つに足りている、しかし、私の心はどうやら不足しているようだ。

 最終日、三日目の土曜日、私はギターを弾いた。人前でギターを弾いたのは20年ぶりくらいのことだ。ギターを弾いて歌った。お年寄りたちと合唱した。声を発する力の無い人、耳が聞こえなくて歌えない人、寝たきりの人などを除いて合唱したのは3人のお年寄りだけだったが、声を出せない人も耳を傾けていてくれたと思う。良い時間だった。良い時間に参加できて私も嬉しかったが、お年寄りたちも喜んでくれたと思う。
 私は、このバイトをする前、年寄の楽しみは食うことだろうと思っていた。ところが昼飯時、施設のまかないのHさん(私とは旧知の料理上手おばさん)の料理は美味しいはずなのに、お年寄りたちは皆、そう楽しそうでは無い。ただ黙々と食っている。ゲームをしている時や歌っている時に比べると、食事の時は笑顔の量が少ない。で、それは何故か?と考えた。お年寄りたちの喜びは何なんだ?と考えた。バイトの分際で。

 たった3日間のバイトの分際で、これから生意気なことを言う。「実際に仕事としてやっている私達は世話を見るだけで精一杯なのよ、一人一人のお年寄が何を望んでいるかなんて考える余裕は無いのよ。」なのかもしれないが、生意気を言う。

 食事をしている時、風呂に入っている時、トイレに行く時など、お年寄りたちはスタッフの世話になっている。「世話かけて申し訳ない」とたぶん思っている。
  ゲームをしている時は、「スタッフと一緒に楽しんでいる」と、思ってはいないかもしれないが、(たぶん)心のどこかで感じている。歌っている時は、「楽しい時間に参加して、私も協力している」と、思ってはいないかもしれないが、(たぶん)心のどこかで感じている。私と話している時、「この男は私の話に興味を持ってくれている」と、思ってはいないかもしれないが、(たぶん)心のどこかで感じている。
 そういった面で、私がこの3日間でもっとも強く印象に残ったのは一人の老婆とユンタク(おしゃべり)している時のことだ。「Tさん、私にウチナーグチ(沖縄口)を教えてくれませんか?」と頼んだ時、Tさんはとても嬉しそうな顔をした。「あー、そうか」と思った。「自分も人の役に立っている」という喜びなんだ、と思った。
          

 記:2011.11.25 島乃ガジ丸


カバマダラ

2011年11月25日 | 動物:昆虫-鱗翅目(チョウ・ガ)

 私のふんどし

 毒虫といわれるものはいくつもあるが、私はその毒牙にかかったという経験があまり無い。ブヨに2度、ハチに1度あるが、いずれもたいしたことなく、薬を塗ることさえもしなかった。ただ、毒虫で印象に強く残っているものが一つある。毒牙にかかったのは私ではなく父、もう大分昔、私が高校生の頃だったと思う。
 父はベランダに上半身裸で寝ていて、その上半身の前にも後ろにも脇にもたくさんの蚯蚓腫れが走っていた。酷い状態だったので即、病院へ行った。
 父を病院送りにしたのはアオバアリガタハネカクシという虫。毒虫というとハチ、ムカデ、毒蛾しか思い浮かばなかった私は、見慣れぬ虫に恐怖を感じたのを覚えている。

 毒虫にはアオバアリガタハネカクシなるものがいることを知り、高校生の頃ブヨに嚙まれて、ブヨもそうであると知った。そして、ガには毒を持つものがいることは子供の頃から知っていたが、チョウにも毒を持つものがいることをこのガジ丸HPを始めるようになってから知った。もっとも、ガとチョウには明確な違いは無いらしいが。
 カバマダラは体内に毒を持つことによって鳥などの天敵から身を守っているらしい。メスアカムラサキやツマグロヒョウモンはカバマダラに体を似せることによって同じ効果を得ているらしい。メスアカムラサキやツマグロヒョウモンは謂わば、他人のふんどしで相撲を取っているようなもんだが、カバマダラは「私のふんどし」ということになる。

 カバマダラ(蒲斑):鱗翅目の昆虫
 マダラチョウ科 分布は南西諸島、東南アジアなど 方言名:ハベル(チョウの総称)
 翅の色が蒲色をしているからカバマダラという名。はて、蒲色ってどんな色?で、広辞苑を引く。蒲色とは「 蒲(がま)の穂の色。赤みをおびた黄色。」とあった。なるほど確かにカバマダラの翅の色は赤みを帯びた黄色をしている。翅の縁は黒い。
 カバマダラに似たチョウを何度か見かけたが、カバマダラと断定できずにいたところ、ある日、チョウのものと思われる幼虫を発見した。幼虫は写真を撮るのが簡単。撮って、文献を調べる。カバマダラの幼虫と思われた。幼虫はトウワタの葉についていた。3匹もいた。そして、しばらく後には成虫の姿を発見、これは間違いなかろう。
 前翅長38ミリ内外。成虫の出現、沖縄諸島では3月から12月。幼虫の食草はトウワタなどガガイモ科の植物。トウワタに毒があり、それを食うカバマダラにも毒がある。
 
 成虫1  
 
 成虫2  
 
 幼虫   
 
 交尾   

 記:ガジ丸 2005.8.14  →沖縄の動物目次 →蝶蛾アルバム
 訂正加筆 2011.8.14

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行


ツマグロヒョウモン

2011年11月25日 | 動物:昆虫-鱗翅目(チョウ・ガ)

 他人のふんどし

 何年か前に撮ったチョウの写真があって、それを去年、ガジ丸HPで虫を紹介するようになってから図鑑で調べた。生来いい加減な性格なので、最初の頃はテキトーな調べ方をしていた。で、そのチョウのことはメスアカムラサキであると判断していた。
 最近になって、その古いチョウの写真を改めて調べてみた。この頃はたくさんのチョウの写真を撮ったりして、少し知識も増えたので、写真のチョウがメスアカムラサキでは無く、カバマダラであることが判った。メスアカムラサキの雌は、カバマダラに似てはいるが、それは他人のふんどしで相撲を取っているようなもの。いわゆる擬態。
 カバマダラは毒を持っており、鳥などに襲われにくい。カバマダラに似せておけば自分もまた鳥などに襲われにくいというわけだ。

 他人のふんどしで相撲を取っているようなこと、つまり擬態は、昆虫の世界では多くの例があるようだ。カバマダラのふんどしで相撲を取っているチョウも、メスアカムラサキだけでは無く、ツマグロヒョウモンもその一つといわれている。

 ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋):鱗翅目の昆虫
 タテハチョウ科 本州南部以南、沖縄などに分布 方言名:ハベル(チョウの総称)
 「つまぐろ」を広辞苑で引くと、漢字で褄黒、または端黒と書き、「縁の黒いこと」を表すとある。「ひょうもん」は豹紋。したがって、ツマグロヒョウモンは縁が黒い豹柄のチョウということになる。オスはその名の通りの翅模様。メスはちょっと違っていて、メスアカムラサキと同じく自らに毒は無いが、毒を持つカバマダラに擬態している。
 前翅長35ミリ内外。成虫の出現時期はほぼ周年であるが、チョウも沖縄の直射日光はきついらしく、真夏には少なくなる。幼虫の食草はスミレ類。
 
 雄1   
 
 雄2   
 
 雌1   
 
 雌2   
 
 交尾   

 記:ガジ丸 2005.8.14  →沖縄の動物目次 →蝶蛾アルバム
 訂正加筆 20011.8.8

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行


リュウキュウアサギマダラ

2011年11月18日 | 動物:昆虫-鱗翅目(チョウ・ガ)

 着物の柄

 「あさぎ」とは良い響きの言葉である。平安時代、公家の女房が着ていそうな着物の柄に浅黄色が使われた、などと根拠の無い想像をするほどに上品な響き。
 「あさぎ」を広辞苑で引くと、浅黄という字があり、「薄い黄色」と説明されている。また、別に浅葱という字も当てられ、「薄い藍色、みずいろ、うすあお」と説明がある。薄い黄色と薄い藍色ではイメージが全然違うじゃないか、頭の中で整理がつかないじゃないか、どうしてくれる広辞苑、どっちなのかはっきりせい、と言いたくなる。

 アサギマダラについては、まだその実物を見ていないので何とも言えないが、リュウキュウアサギマダラについて言えば、その翅の色は、黒い筋の箇所を除いては「薄い藍色、みずいろ、うすあお」と言っていい。それは、上品な色だと私は思う。
 以上の理由からアサギマダラの漢字表記は浅葱斑が正確ではないかと私は思うが、アサギマダラを広辞苑で引いたら、浅黄斑という字が当てられていた。広辞苑、大権威なので、ここでは逆らわない。

 リュウキュウアサギマダラ(琉球浅黄斑):鱗翅目の昆虫
 マダラチョウ科 奄美大島以南、沖縄、先島、東南アジアなどに分布 方言名:ハベル
 名前の由来は資料が無く正確なところは不明。アサギは浅葱と書いて「薄い藍色、みずいろ、うすあお」(広辞苑)のこと。本種の翅の色がそのような色であるところから付いた名前だと思われる。奄美大島以南に生息するのでリュウキュウと付く。
 竹富島や西表島でも見かけたが、石垣島の於茂登岳の山道でたくさん見た。近付くと逃げるが、その場所でじっとしていると戻ってくる。ゆっくり写真を撮ることができた。
 似たようなチョウは職場の庭でも飛んでいるところを何度か見たことがある。停まってくれなかったので写真は撮れていない。今回調べたところ、リュウキュウアサギマダラにそっくりのアサギマダラというチョウもいて、職場で見たものがどれかは不明。写真のものもどちらか迷うところだが、文献の写真をじっと観て、本種と判断した。
 春から秋にかけてはいろいろな花に訪れ、吸蜜活動をし、冬には集団で越冬するとのこと。集団は500~600頭もの大集団になることもあるとのこと。
 前翅長45~50ミリ。成虫の出現時期は周年。食草はツルモウリンカなど。
 
 八重山産1
 
 八重山産2
 
 沖縄産1 
 
 沖縄産2 
 
 求愛   

 記:ガジ丸 2005.11.27  →沖縄の動物目次 →蝶蛾アルバム
 訂正加筆 2011.8.2

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行


帰る場所の無い黄昏

2011年11月18日 | 通信-社会・生活

 旅は私の大好物だが、概ね国内に限っている。これまでアメリカへ3回旅行し、そのついでのカナダを含め外国は2ヵ国だけ。外国へ行かないのは言葉が通じないからという理由による。土地の人と話ができなかったら旅はつまらない。
 旅は私の大好物だが、概ね一人旅である。その日その土地で何をするかの計画は立てているが、気が変わることも多いので、一人旅の方が都合が良いのである。一人だと寝坊して予定していた電車に乗れなかったり、あるいは、乗るべき電車、乗るべきバスを間違えて計画変更を余儀無くされたりもするが、それもまた良しとしている。

 旅先で、私は大いに歩く。一日のほとんどを歩きっ放しということも珍しくない。街中を歩き、その街の雰囲気を味わうのも好きだし、大きな公園や野山を歩いて、植物や動物を見て、その土地の自然を感じるのも好きである。
 宿泊するホテルは概ね安いビジネスホテルで、それらはたいてい駅の近くにある。一日歩いて、あるいは美術館や観光名所を観て回ったりして、黄昏時にはホテルのある駅に着くようにする。駅からホテルへ向かう途中の居酒屋に入って、ビールを飲み、土地の料理を食い、日本酒を飲んで、珍しい料理を食いなどして店を出る。コンビニかスーパーへ寄って、ビール1缶と日本酒の小瓶を買い、ホテルにチェックインする。
 というのが、私の「一人旅での一日の過ごし方」の最も多いパターンだ。ただ、このパターンはホテルが駅から歩いて行ける範囲である場合に限る。

 ホテルが駅から遠いというのも何度か経験している。温泉宿にはそういったところが多い。確か石川県を旅した時だ。NHK大河ドラマの「加賀百万石がどーのこーの」の前の年だった。10年くらい前だ。金沢で一泊して翌日、加賀市の山城温泉へ向かった。温泉宿を予約してあった。駅名は忘れたが、北陸本線の駅から歩いた。もちろん、バスも走っていたのだが、途中の景色を楽しもうと思い、徒歩にした。
 駅を出たのはお昼後だったと思うが、地図で見る直線距離よりもはるかに道のりは長かった。途中からは家のほとんどない、道と野原と山ばかりの景色となる。あとどのくらい歩けばいいのか到着時間の目処がまったく立たないうちに黄昏時となった。寝場所に辿り着けるかどうか不安になる。季節は秋、10月の北陸、野宿では寒かろう。とにかく前へ進む。暗くなって、空に星が瞬く。遠くに街の灯りが見えた時はホッとした。

  先週木曜日から土曜日までデイサービス施設でアルバイトをした。利用者は介護を必要とする老人たち。寝たきりの爺さんがいた。少々アルツハイマーで、ほとんど話のできない婆さんがいた。そういった重い障害の人ばかりでは無く、民謡の上手い婆さん、見た目もお喋りもお洒落な婆さん、私に方言を教えてくれた婆さんなどがいた。
 その、私に方言を教えてくれた婆さんは、私と話をしている時はしっかりしていたが、帰る時間になるといつもおどおどした。「私はあんたと一緒に帰れるかねぇ?」と、いつも一緒に帰って同じ家で寝ている隣の婆さんに訊いていた。それは、黄昏時に帰る家の見つからない不安のようであった。「私には私の帰る家があるのだろうか?」という不安。人生の黄昏時に帰る場所がない。そんな老人はきっと多くいるに違いない。
          

 記:2011.11.18 島乃ガジ丸