知人のKさんから水曜日(29日)の夕方電話があって、「会わせたい人がいるんだけど、来ない?」と誘われる。Kさんの言う会わせたい人とは、女では無く男、中年のオジサンであったが、会いに行く。ジャズのライブハウスで0時過ぎまで飲む。
その席で、Kさんから「基地の中に面白い店がある。日曜日に行こう」と誘われる。「基地の中の面白い店」には非常に興味をそそられたので、応諾する。
Kさんの家を明日訪問するという予定も入っている。これは、Kさんとは直接の関係は無い。Kさんの奥さんと中学生になる娘に、もう2ヶ月以上も前から約束していたことなのだが、その約束がやっと果たせるのだが、彼らを相手にパソコン講座を行うことになっている。友人の、新婚の娘の、買ったばかりのパソコンにソフトをインストールするという作業も頼まれていて、これも明日行う予定となっている。
見た目が優しそうに見える私は、このような「頼まれ用事」がちょくちょく入る。「頼まれ用事」は、仕事が忙しい時期にはできなくて延期していたことも多い。仕事が忙しかった時期に延期、または中止したことは「頼まれ用事」だけでは無い。ここ3、4ヶ月ばかりは映画も観に行っていない。その時間が作れない。美人人妻からデートのお誘いもあったが、すべて断っている。その時間も作れなかった。
人妻からのお誘いは断っているが、ところが、断らない、断れない、断りたくない相手から3週間前にお誘いメールがあった。で、先週土曜日、久々にデートをする。相手は21歳の可愛い娘。美術展を観、おしゃべりし、食事をし、の5時間を過ごした。
21歳は、自身の感性の良さがはっきりと見えないらしく、オジサンにそれを褒められてもはにかむだけである。「私なんか」とか、「私には無理」と思うこともいくつかあるらしい。まあ、私も若い頃は自分に自信が無くて、彼女と同じように、自分で自分の可能性を否定し、自分で自分に鎖を掛けるみたいなところがあったのである。おそらく、世の中の多くの人はそうなのだろうと思う。プロボクシングの亀田兄弟みたいに、若い頃から自信満々で、自分に不可能は無い、などと思っている人は僅かであろう。
1970年に発表されたサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」は、世界的に大ヒットし、私も知っている。メロディーだけなら口ずさむこともできる。ただ、歌の内容は知らない。英語だから、私は英語が読めないから。それでもおそらく、「明日に希望を持って生きようぜ」といった内容であろうと、その題から想像する。
さて、表題の「明日に架けるはしご」であるが、じつは、「明日に架ける橋」に続編があった、・・・というのはウソ。それは、21歳とのおしゃべり中に私が思いついたことである。高い所に大好きなケーキがあるが、手が届かない。そんな時はいろいろ工夫するだろう。考えて努力して何とか手に入れようとするだろう。はしごを思いつき、材料を探し、作って、架けて、1歩1歩登っていくだろう。つまり、「明日に架けるはしご」とは、自分の好きなもの、あるいは、自分の夢を手に入れるための「はしご」なのである。
「自分にできることを探すのでは無く、自分の好きなものを探して、それを目指すようにしたら」というのが、オジサンが若い娘に助言したことであった。「高い所にバナナがあったら、サルだってはしごを登るぜ」とも付け加えた。
記:2006.3.31 ガジ丸