ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

全島多難

2004年12月31日 | 通信-政治・経済

 国の策略は、目の前にニンジンぶら下げて市町村合併を行わせること。2005年3月までに合併すれば、ニンジンあげるらしい。ニンジンをあげることもニンジンの内容にも問題はあるのに、あたかも、合併でしか財政難の解決を図れないかのような通達だ。
 目の前にニンジンぶら下げられると正しい判断が妨げられる。その上、期限を区切られると市町村は慌てる。「とりあえず、やっちまえ。諸問題はあとから考えよう。」などというふうに、沖縄のいくつかの市町村も既に合併したり、合併を計画している。
 市町村は、じつは合併の前にやるべきことがあった。財政難を解決するために何をしなければならないか、自分たちの手で工夫できることは何かを考えることが必要だった。議員の定数、職員の給与、医療費の削減などいろいろ考えてはきたのだろうが、合併という大イベントに飲まれて、そういった自分たちによる工夫を忘れてしまっているようだ。
 合併した市町村も、しなかった市町村も来年は問題山積となる。沖縄にはまた、基地というやっかいな問題もある。基地はあったほうがいいのか、無いほうがいいのか、基地とどう付き合うか、基地はどう利用できるか、返還された場合、基地の跡地をどう利用するか等々をも考えねばならない。来年の沖縄も全島多難なようである。
 先週末、新しいパソコンがやってきてそのカスタマイズ(自分の使いやすい仕様にすることだと理解しているが、日本語では何ていうのだろう)で、いろいろなソフトのインストール(組み込みとでも言うのか)、旧パソコンからのデータ移動(自分の家ではLANができないので、これに時間がかかる)、その他の設定などを昨夜までコツコツとやる。
 今週はまた、年末追込みで仕事が忙しく、火、水は残業もあって、ガジ丸HPの記事を書いている暇がほとんど無かった。2005年が来る前に、HPで紹介する沖縄の草木の種類を100種類という目標を立てていたのだが、結果はその6割にも満たない。諦めの早いガジ丸は既に、沖縄の草木の種類を100種類という目標を3月末まで延期した。
 パソコンのカスタマイズは、まだその工程の半分も終わっていない。新しいHPソフトを購入し、インストールはしたが、まだ使っていない。マニュアルも読んでいない。
年末大掃除をやっている暇が無かった。正月に掃除をせねばならない。畑仕事もある。ここ2週間サボっているので、畑が荒れている。部屋の台所の床が抜けそうになっているので、その修理もせねばならない。沖縄全島も多難だが、私の前途も多難なのだ。
 今日、大晦日は、前日の晴天、暖かい日とは打って変わって、冬空の寒い日となった。北からの季節風が強く、気温もぐっと下がった。これまで半袖Tシャツに薄手の上着を羽織っていただけの私も今日は、今期初のブルゾン姿となった。そんな寒い中、掃除も畑もほっぽいて、ガジ丸HPの記事を書き、アップするために第二の職場KBに来る。が、たくさんは書けない。4時前には帰って、正月飲んだくれるための食材や、蕎麦、餅など年末年始の食材を買いに行かなければばらないのだ。・・・それではまた、来年。

 記:2004.12.31 ガジ丸


長イモの煮巻

2004年12月31日 | 通信-沖縄関連

 先週の水曜日に古新聞を資源ごみに出してしまって、記事に書かれてあった正確なことは覚えていないが、沖縄大使(この役職名も正確かどうか)が、「沖縄の人々も反対ばかりするのでは無く、米軍の立場も考えて欲しい。」などと離任の挨拶で語ったそうだ。
 米軍の立場を考えて基地を容認しろということなのだろうか。おそらく、アメリカにとって極東に大きな軍事基地を置くということはアメリカの利益に有効であり、極東の平和にも寄与しているということは沖縄人の私でも、ある程度は解っているつもりだ。で、百歩譲って、極東に大規模な米軍基地は必要、ということを認めよう。それならば大使は、苦しんでいる沖縄の人々の立場を考えて、自分の地元の自治体に、「沖縄の基地の何割かを受け入れよう」などと言ってくれるのだろうか。もし、そういうことであるならば、大使の「米軍の立場も考えて欲しい」発言は少なくとも、その考え方は理解できる。
 しかし、もし大使の発言のその心が、「私は米軍のアジア戦略については深く考えているし、よく理解できているが、その犠牲になっている沖縄についてはあまり考えていない。沖縄は今まで我慢してきたのだから、これからも我慢できるであろう。あまり大国に盾つかないで、現状でいてくれよ。」とのことなのであれば、ふざけた発言だと思う。
 今年、沖縄で発生したニュースで、この温厚な私でも「何やっていやがる!」と腹を立てたニュースがある。普天間のヘリ墜落事故だ。ヘリが墜落したことそれ自体は、「飛んでいるものは落ちることもあるだろう、街中にヘリ基地があるのだから、落ちる場所が民間地となる場合も当然あるだろう。」ということで、さほどの驚きでは無い。人身に被害が無かったことで「不幸中の幸い」とさえ思ったくらいだ。
 腹を立てたのは事故後、沖縄の警察が現場検証できなかったことだ。事故現場を米軍がガードして、日本の国民の生命と財産を守るべき義務のある警察官を、民間地で起きた事故であるにも関わらず、その現場に立ち入らせなかったのだ。おそらく、もし人身に被害が及んでいたとしてもアメリカ軍は同じようにしたであろう。フザケタ話だ。権力者に理不尽な仕打ちを受けて、なお耐えている奴隷のような気分になる。口惜しい。
 とは言え、権力者に逆らったり大国に逆らって生きていくのは何かとリスクも大きい。逆らうのでは無く意見を言う。話し合いを持つ。米軍の立場も理解し、こっちの立場も理解してもらう。などといったことで解決の方策を見つけることはできないものか。他国の人間の痛みなど露ほども感じない大統領のいる国に、そういったことを求めるのは酷というものか。唯一の超大国に歯向かえばどうなるかという見せしめになったイラクの不幸を思うと、長イモの煮巻かれて、・・・長いモノに巻かれていれば良いのだろうか。無念。
 普天間、辺野古に代表される基地問題があるだけで、沖縄の前途は多難である。しかしながら、明るい夢や希望も当然ある。明るい未来への展望は、年明けに書きましょう。

 記:2004. 12.31 ガジ丸


無言電話の正体

2004年12月24日 | 通信-社会・生活

 職場には今、事務員がいないので、概ね私が本来の私の仕事をしつつ、電話番という仕事も兼ねてやっている。部長は営業で外出することが多く、社長は、いても電話を取らないので、丸一日、私が電話の応対をするってことも珍しくない。
 電話は、その7割方は取引先とか顧客とかからであるが、3割近くは金融会社からの営業電話だ。「私○○ですが、××さんお願いします。」などと、社長の氏名の名の方を親しげに呼んだりする。うっかり、社長の友人だと思いがちだが、騙されてはいけない。「ご用件は?」と訊くと、「じつは、△△金融ですが、融資の件でお話が・・・」などと来る。そんな電話は、いろんな会社から、そして、同じ会社から何度も何度もかかってくるので、えらい営業妨害となっている。腹は立つのだが、怒鳴るわけにもいかない。
 このごろは少なくなったが、一時期、この春から夏くらいまでの数ヶ月間、ひと月に十数回もの無言電話が掛かって来た。呼び出し音が5、6回鳴った後に取ったのであれば、5、6回も待てないせっかちな人が電話してきたんだな、と思うが、1、2回で取った場合でも、「はい、○○です。」と応じると、すぐさまガチャっと切られたのだった。
 想像だが、「はい、○○です。」と応じる声が年寄りの声だったなら、「おれ、おれ」と答えが返ってくるのではないか。つまり、無言電話の正体は“おれおれ詐欺”なのではないだろうか。誘拐、殺人など、今年もまたいろいろ悲惨な犯罪がこの国にあったが、“おれおれ詐欺”は、近年流行った中ではじつに気分の悪くなる犯罪の一つではないかと思う。
 人の心の弱みにつけ込むなんて、何て卑劣な、って思うのだ。けして“やくざ”を誉めるわけではないが、昔の仁侠映画に出てくるその職業の人たちは、「堅気には迷惑を掛けるんじゃねぇ」などという誇りを持っていたように思う。「あれは映画の話だ。現実はそうではない。」かもしれないが、悪いことするにしても、健さんのように“人としての誇り”を持っていて欲しいものだと思う。甘い考えだが、そういう世の中になるといいね。
 電話の声は、「私だ。今度の衆院選で1億ばかり至急に要る。振り込んでおいてくれ。」というある大物国会議員。電話を受けたのは、ある特殊法人の理事長。ほとんど仕事をせずに濡れ手に泡の報酬を得ている天下り人。電話の話は、国会議員の声を真似た詐欺なのだが、この場合は、気分の悪くならない犯罪となる。“やれやれ詐欺”と呼んでいる。

 記:2004.12.24 ガジ丸


身の丈生活

2004年12月17日 | 通信-政治・経済

 収入が、平均よりだいぶ下回る私にはあまり関係無いが、どうやら、日本国政府は増税を考えているようである。増税しなければ、日本国の経営は成り立たないというわけがあるらしいのである。そりゃあ大変だ。ならば、協力せねばならない。・・・のか?
 公共工事を拠り所とする建設工事会社は、バブル以来概ねどこも経営が厳しい。公共工事額が減っているからだ。倒産した会社も多かろう。でも、まだまだ頑張っている会社も多くある。収入増がさほど見込めないとなった会社は、支出を押さえることにする。職場の細かな経費削減もあるが、大きなものは人件費削減、リストラだけでなく、ベースアップやボーナスの廃止、給与のカットなどの手段がある。私はその全てを受けている。
 給料が少なくなった従業員は、これはもうしょうがないのだ。経営責任は当然問うが、しかし、問うたからといって、会社の業績が上がるという保証は無い。会社の業績については、従業員一人一人にもいくらかの責任がある。社長以下管理職が、給与4割カットというならば、従業員も1割程度のカットは許せるのではないか。
 歳出削減も考えている、などと役人はおっしゃるが、考えてないで、そのように動けと言いたい。増税より先に、出る金の無駄遣いを無くすことが先なのは当然だろう。
 特殊法人の役員が受け取る退職金の総額は毎年約28億円、給与総額は約124億円。在職2年で退職金が1千万円近いという天下りさんたちは、よく知られている通り、無駄な箱物を作っては赤字垂れ流しにする団体の長であったりするが、年間2千万円余りの給与を貰いながら、本人たちはあまり働かない。ゴルフや海外旅行、高級料亭や銀座のクラブで飲み食いすることが仕事の人も多いらしい。
 特殊法人改革で、給与や退職金の額も減らされることにはなっているらしいが、また、役人の再就職先が見つけにくいということもあるらしいが、それにしても、天下りのための子会社を作り、やらなくてもいい仕事をし、仕事は独占して価値以上の不当利益を得るなんて、それはそれは、もう、たいそうな無駄遣いだろう。
 国が自らを律し、無駄を無くすために100%の努力をしたというのであれば、「国の財政のために50%ばかりの協力を国民にお願いしたい。増税したい」と頼まれても、そうですか、それならば協力しましょう、という気持ちにもなるのだが・・・。
 働いて得た給料の分で国民は生活しましょう。身の丈生活でつつましく生きましょう。その前に、国と地方の政治家や官僚たちこそが、借金だらけになったこの国の身の丈にあった生活をしていただきたい。小泉さん、貴方の小泉改革は、国民負担が先なの?

 記:2004.12.17 ガジ丸


必要な基礎学習

2004年12月17日 | 通信-社会・生活

 日本の子供たちの学力が落ちた、と先日、テレビのニュースでやっていた。知識の量が減ったというのであればそう気にならないが、物を考える力が落ちたというのであれば少し心配になる。今、政府がやろうとしていることはどういうことか、を考える国民が減ってしまうことになる。権力者たちの巧みな嘘に騙される国民が増えるということになる。
 仕事関係以外の本はほとんど読まない。大学は文学部日本文学科だったのだが、その頃から芥川賞作家、直木賞作家などに興味を持てなくて、以来、それらの作家の作品をほとんど読んでいない。で、「ノルウェーの森」を知らない。それを書いた超有名な作家の名前を今、(喉まで出かかっているのだが)思い出せない。前回、知識はさほど必要ではなかろう、というようなことを書いたが、それは、そんな自分へのいいわけ、自己擁護も少し含みつつ、でも、やはり、そんなこと知らなくても何の不安も持っていない。
 スーパーのレジのお姉さんもバスの運転手も算数なんて加減乗除程度で良かろう。微分・積分なんて、いったいどれだけの人が大人になってから使っているのだ。理工科系の仕事に携わっている人以外ではそうはいるまい。理系の仕事に進みたい、数学に興味があるっていう子供たちが、好きな数学の知識を深めていけば良いのだと思うのだが・・・。
 一人の人間が一人の社会人として自立して生きていけるための基礎学習においては、知識の量では無く、考える力をいかにつけるかが大切なのだと思う。ナクヨとかイイクニとか年号なんて覚える必要はない(もちろん、好きな人は覚えていい)のだ。奈良時代、平安時代、鎌倉時代という時代の流れを大まかに覚え、何故そのような時代になったか、何故その時代が滅びたかなどの、「何故」を考えるようにしたら良い。
 考える力をつけると、自分は何が好きか、自分に必要な知識は何かなどということが解ってくるのではないか。・・・などと偉そうなことを宣うガジ丸であったが、
 ガジ丸HPを立ち上げた当初に、HP内のメールアドレスが間違っていると義兄に指摘された。しかしHP作成ソフトの使い方を良く知らない私は直せないでいた。先週、友人からも同じ指摘を受け、ついに、今まで開くことの無かったHPソフトのマニュアル本を開いて、やっとアドレスの直し方を覚え、直したのだった。
 開いたついでに、マニュアルを少し読んでみた。そしたら、これがまた、「え!こんなこともできるの。こんなことが、こんな簡単にできるの。」などの発見でいっぱいだった。
 まったく、「自分に必要な知識が何であるかが解る」などと、いかにも自分はそうできるかのような大言壮語をしてしまったが、言っている本人がこんなもんである。自分に必要な知識が手元にあるのにも気付かない。それもこれもテーゲー(だいたい)で生きているウチナーンチュの性質のせい、ということにしておこう。
 気付かない、見過ごしてしまう、知っていても努力しない、なんてことはよくあること。どうやらこの世は、自分の好きなことでさえその知識を十分に得るのは難しいようだ。その上さらに、自分の好きでないこともたくさん覚えなければならない現代人の人生というものは、重い荷物を背負って坂道を登るが如く(家康)であるようだ。大変ですなあー。

 記:2004.12.17 ガジ丸