ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

オジサンは反抗期

2006年10月27日 | 通信-社会・生活

 飛行機が全面禁煙となったのは1998年辺り(日記を調べれば正確に判ることだが、面倒なので、まあ、だいたいということです)と記憶している。そして、それ以前は分煙であった。飛行機の後ろ側の座席に禁煙席があったと覚えている。分煙がいつごろから始まったかは全く記憶に無い。私が大学生の頃はどの席でも吸い放題だったと思う。私が大学生の頃はまた、映画館の中でもプカプカしていた。あー、懐かしき喫煙天国。
 飛行機の座席に座っていると、前方上方に禁煙マークとシートベルトマークが見える。離着陸の時はシートベルトマークのランプが点く。禁煙マークのランプは最初から最後まで点きっ放しである。「電気代が勿体無い」と思い、「そもそも、禁煙マークそのものが不必要ではないか」と思った。機内禁煙はもう周知されているだろう。
 札幌から稚内へ向かう列車は4両編成だった。その内の3両が指定席だったことにも驚いたが、喫煙可能な車両が無いということにも驚いた。最初、「まさか!そんな!」と思い、確認するために私は1両目から4両目を1往復した。そういえば、全国の特急列車は全面禁煙になるということを最近耳にしたことがある。でもそれは、まだまだ先のことだと思っていたのだ。禁煙包囲網は猶予期間も与えない厳しいものであったのだ。
 鉄道の旅での私の楽しみは、ビールを飲み、旨いものを食うこと。ビール1缶を飲み干す頃にタバコを1服すること。煙を吐きながら車窓の景色を眺めること。酒を飲み、旨いものを食うこと、酒の1合を飲み干す頃にタバコを1服すること。煙を吐きながらボーっとすること。そんな私の楽しみが奪われてしまった。しょうがないことではあるが。
 飛行機が禁煙、駅の構内が禁煙、列車が禁煙ということになって、私がタバコを吸えるのはホテルの部屋か、飲み屋でということになった。さらに、最後の夜の飲み屋ではタバコ嫌いの美女が一緒だったので吸えなかった。家を出るときに持っていた箱には17本のタバコが入っていた。その箱は帰る日の朝までポケットにあった。その朝、箱を開けると最後の1本が残っていた。とても美味しい1本となった。

  たとえば、ゴキブリが癌の特効薬であったとしても、ゴキブリは多くの人々から嫌われたままであろう。たとえば、タバコが何らかの病気の治療に効果があることが発見されたとしても、タバコは嫌われモノのままなのであろう。それはしょうがないことだと思う。だが、オジサンは決心した。今吸っているタバコは軽いが、今度から強いのに替えうと決めた。ニコチン10倍だ。タール10倍だ。オジサンは、反抗期なのである。
          

 私の住まいから大通りへ出るまでの500m位は狭い道である。電信柱が立っている箇所は行き交う2台がすれ違うことができない。対向する時、私の交通マナーでは電信柱のような障害物のある側が、その障害物の前で停まることとなっている。ところが最近の若い人たちには、そのようなマナーが浸透していない。「そこ退けそこ退け」と言っているような勢いで突っ込んでくる。そんな傍若無人の車に対し、反抗期のオジサンは概ね屈しない。こっちも構わず突っ込む。どっちが先に停まるかのチキンゲームになる。自分が正しいと思っているオジサンであるが、しかし、そんなゲームに半分は負けている。
  数ヶ月前にもそのようなことがあった。その時も私は負けた。私の傍を通り過ぎた車の運転手は若い女性であった。突っ込んでくるのは、実はそのような若い女性が多い。彼女らは、私は大事にされて当然と思っているのかもしれない。高ビーなのである。横を通り過ぎる女の顔を見た。銜えタバコをしていた。そして、美人だった。とても。
 タバコを吸う色っぽい美人は私の大好物である。その時、私は彼女に一目惚れしてしまったが、すれ違って、過ぎ去って、そのまま。以降、お目にかかっていない。
          

 記:2006.10.27 ガジ丸


回文、怪文

2006年10月20日 | 通信-社会・生活

 回文とは廻文とも書き、カイブン、またはカイモンと読むが、「和歌・連歌・俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの。」(広辞苑)などのこと。
 フジテレビの『タモリのジャポニカロゴス』を時々観ている。いつだったか、そのテーマが回文だったことがあって、番組を観ながら私もいくつか考えた。以前、その番組とは別の番組だったかもしれないが、「野茂の物」という回文が紹介されていて、「えっ!、固有名詞と格助詞を使えば回文なんていくらもできるじゃないか」と思ったことがある。それを思い出して、たとえば、
 那覇の花
 名護の粉
 コザの雑魚(コザは現沖縄市の一部の旧地名)
などが考えられる。それはしかし、少しインチキみたいで、それに短すぎて面白くない。固有名詞を使わない回文も一つ思いついた。
 カナノコは箱の中
これには格助詞の「は」が入っているが、その「は」を取って、
 カナノコ箱の中
でも、ちゃんと回文になっている。
          
 長い回文も考えた。これには固有名詞を入れてある。人名である。フジテレビのアナウンサー、可愛いということで有名な中野美奈子。
 サルサ下手中野美奈子波の彼方へ去るサ
彼女が実際に、サルサが下手なのかどうかについては、関知しない。もう一つ、高島彩の名前を使って、彼女が留学先から一時帰国したという想定で、
 帰省せる高島彩、親甘し、語る成績
これも、アヤパンの父親が甘いのかどうかについては、関知しない。
          

 さて、カイブンにはもう一つある。怪文書である。略して怪文と言う。怪文書は「いかがわしい文書。無責任で中傷的・暴露的な出所不明の文書または手紙。」(広辞苑)ということ。「文書または手紙」に「電子メール」も今は加わる。
 6月から職場のパソコンにいろいろな人からメールが来るようになった。最初の頃はローマ字の日本人名で、40日間で12件。7月10日から外国人名になり、50日間で54件、1日1件の割合となる。それが9月からは漢字の日本人名となって、その数は、昨日(10月19日)までの50日間でざっと270件。1日当たり5件強の数となっている。おそらく迷惑メールである。新手の詐欺メールに違いないと想像する。
 日本人名で、そのタイトル名が「ありがとう」とか「失礼しました」とか、「お詫び」とか「お願い」とかになっていて、一見、職場の誰かの知り合いで、何かしてくれたことへの御礼、何かしてしまったことのお詫びなどのメールかと勘違いしてしまう。うっかり開きかねないのである。あるいは、もしもその名前がたまたま自分の友人知人と同じ名前だったら、何の疑問も持たずに開いてしまうかもしれない。であるが、幸いにして、私以外の職場の人間がメールのやり取りをすることは無く、また、自分の友人知人と同じ名前のメールも来ていないので、私はまだ1件もそれらのメールを開いていない。
  メールを開いていないので、その内容が怪文かどうかは断定できないが、1日5件以上もいろんな名前で、似たようなタイトルでやってくるメールなのである。おそらく危ないメール、と私の危険予知能力は警告するのである。みんなも気をつけてね。

 カイブンにはさらにもう一つある。怪聞。「怪しいうわさ」(広辞苑)ということ。
 ケダマンに会いたいという人がいるが、もしも「ケダマンを首里城の近くで見た」なんてことを聞いたとしても、それはたぶん、怪聞ということになる。
          

 記:2006.10.20 ガジ丸


進化した恐竜

2006年10月06日 | 通信-科学・空想

 先月、脳を研究しているという大学教授KRさんと会食した。日頃思っている脳に関することを、私は文章にまとめて、その日それを話題にした。 
 その中の一つ『脳の退化』は、「人間の脳は人類が誕生して以来進化していないのではないか?むしろ、体を動かさなくなった現代人の脳は昔の人に比べて退化しているのではないか?」ということ。自然を相手にして体を動かす、例えば猟をしていると、次の場面にどんなことが起こり得るかを想像する。自分以外の生き物の行動を命懸けで想像し、行動する。それが脳の力となる。その力を現代人の多くが失っているのではないか。指先だけで扱うゲームではその力はつかないのではないかということである。
 KRさんにその話をしたら、「運動不足で脳が退化するかどうかは判らないが、少なくとも自然淘汰しない人類はとっくの昔から退化している」とのことであった。

 コンピューターゲームは指を単純に動かすだけだが、狩猟の道具を作ったり、その道具をいろいろ工夫しながら使ったりすることは、あれこれ想像しながら手先を器用に動かすということである。その運動がまた、脳の発達に大きく寄与したのではないかとも私は考えた。それについては、「どうでしょうかね。」と、ちょっと疑問の答え。脳が十分に発達したからこそ、手を器用に動かせることができるようになったとも言えるとのこと。それでも私は、直立二足歩行するようになって、手が自由になって、道具を作り、それを使いこなして、そうやって人類はどんどん頭が良くなっていったに違いないという考えを捨てきれない。ロープを結び、解くという作業だけでも脳はエライ働きをしているのだ。

 KRさんによれば、人類が直立二足歩行になったきっかけは、森から草原へと生活の場が変わったからということであるが、それについても私は違う意見をもっている。手を使って作業をする機会が増えるにつれて、後ろ足だけで立って、移動することがラクチンであるということに人類が気付いたのだと考えている。

 「二足歩行は人類が最初ではないですよね。」とKRさんが言う。
 「あっ、そうか、恐竜がいましたね。すると、地球に隕石がぶつかることなく、あのまま恐竜が進化していったら、人類のような知能を持ったということですか。」
 「そういうことになりますね。」
 「ティラノザウルスはあんまり短くて、さほど役には立ちそうにない手ですが、小さい恐竜の中には腕が十分長いのもいたでしょうね。そいつらは突然変異や、自然淘汰を繰り返して、何万年もの間進化を続ければ、人間並みの知能を持ったでしょうね。」
 「手の器用さで知能が発達するかはともかく、そういうことになるでしょうね。」

  もしも、恐竜が生き残って進化していれば、隣の住人が恐竜人だったりする。彼らはみな筋肉質で、腕力が強い。戦えば人類は負ける。しかし、彼らは人類を襲わない。それどころか、彼らの多くが人間をパートナーにしている。寒い時期には人間と添い寝をし、体を温める。彼らは変温動物だからである。進化した恐竜は可愛い奴なのである。
          

 記:2006.10.6 ガジ丸