ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

孤独自然死

2015年07月31日 | 通信-科学・空想

 子供の頃、『野生の王国』というテレビ番組があって、私は好きでよく観ていた。強いものに憧れている少年は草原に佇むライオン、森林に佇むトラ、荒野に佇むオオカミなどがカッコイイと思った。時が経って中学高校の頃、映画が好きでよく観に行った。特に西部劇が好きでたくさん観ている。荒野の用心棒など、一匹狼に少年は憧れた。
 それからまた随分経って、一匹狼に憧れた少年は十分オジサンになって、「男の本質はやり逃げ」という考えを持つようになった。荒野を彷徨い、雌を見つけ、口説いて、やることをやったら、また旅に出る。雌が妊娠したとしても知らんふり、子育ては雌任せ、その代わり、女房子供に感謝されることは無い、慕われることも愛されることも無い。

 現在、私の話し相手をしてくれる女性は数人いる。みな人妻。デートに誘えば付き合ってくれるであろうアラサーの独身女性が一人いるが、彼女はもう赤い糸で結ばれているであろう相手を探さなければならない切羽詰まった歳になっているので、そうそうオッサンに付き合わせることもできない。もう1人、アラサーよりずっと上の独身女性がいて、彼女も誘えば話し相手をしてくれるであろうが、静岡在なのでなかなか会えない。
 2ヶ月ほど前、友人のK子と昼飯デートをしたが、それ以前半年ほどデートは無く、その後も無い。去年1年間は無く、一昨年も無かったのではないか。であるが、それが淋しいと、私はちっとも思わない。心の片隅で気に掛けている・・・例えば、大病で入院したと聞けば見舞いに来てくれるような人が数人いれば、私はたぶん満たされる。

 友人のMは結婚して、離婚して、すぐに同じ人と再婚したという経歴の持ち主だが、会うと、たいていは女房への愚痴を聞かされる。「なら別れたらいいのに」と言うと、「俺は1人ではダメなんだ、1人のままだときっと頭がおかしくなる」と答えた。
 「淋しがり屋なんだ」と私はMのことをそう判断したが、淋しがり屋は他に、中年になって、20歳近い子供3人を持つバツ一女性と結婚した友人Tも「家庭は賑やかな方がいいんだ」と言っていたし、50も半ばを過ぎて結婚したIや50も半ばを過ぎて「結婚したい」と言っているKなども、たぶん淋しがり屋なのかもしれない。
          

 過日、ラジオから「孤独遺伝子」なる言葉が聞こえた。人間には孤独になりたがる遺伝子を持つ人と持たない人がいるとのことであった。「これだぜ俺は!」と思った。私はきっと、間違いなく孤独遺伝子を持っている。友人のMやTやIやKはそれを持たないのだろう。孤独遺伝子を持つ者がどのくらいの割合でいるかは聞いていないが、私の周りの淋しがり屋らしき友人達を数えたら、孤独遺伝子を持つ者は少数派に違いない。
 孤独遺伝子を持たない者にとっては女房がいること、子供がいること、家族団らんの時間があることなどが幸せで、孤独は不幸なのだと思う。しかし、孤独遺伝子を持つ者にとっては孤独こそが幸せとなる。記憶はおぼろげだが、昔の有名な哲学者が「結婚は人生の墓場」と語り、昔の有名な文学者が「結婚は忍耐」などと言っている。その哲学者も文学者もきっと、孤独遺伝子を持つ男だったのであろうと私は想像する。
 今の世は「やり逃げ」が許されない。私もそんなことはしていないが、逃げてばかりいる。そんな男はきっと孤独死だ。できれば老衰死で、孤独自然死と言われたい。
          

 記:2015.7.31 島乃ガジ丸


鳥たちの休み処

2015年07月31日 | 沖縄01自然風景季節

 私が借りている300坪の畑ナッピバルには1羽のイソヒヨドリが住みついている。イソヒヨドリは磯と名の付く通り海辺に近い場所で多く見られるとのことだが、沖縄では磯から離れた住宅街でも普通に見られる。私の畑の近辺でもあちこちにいる。雄にはたぶん縄張りがあって、ナッピバルにいるイソヒヨドリはナッピバルのすぐ傍に住処があり、ナッピバル近辺を縄張りにしているのであろう。他の鳥がやってくると追っ払ったりするので、私は彼をナッピバルの番鳥とし、河原万砂(かわらばんさ)と名付けた。

 万砂はモテない男みたいである。鳥たちの恋の季節は春、3~4月頃だと思われるが、その時期、彼もしきりに囀っている。去年の春もそうやっていたが、雌は住みついてくれず、6月から8月の初めにかけて彼は姿を消した。「傷心旅行でもしているのか」と私は勝手に想像したが、8月の初めには戻ってきて、今年の春も元気に囀った。
 万砂は努力する男みたいである。今年の春はたびたびナッピバルから消えた。あちらこちらに遠征して恋人探しをしていたのかもしれない。そんな努力はきっと男を磨く。男の逞しさを身に付けたか、見た目が良くなったか、囀り方が上手くなったのか知らないが、去年も一昨年も恋人ができなかったが、今年はできた。雌が2羽もやってきた。
     
 2羽の雌は5月の中頃から姿を見せ、万砂の恋人に立候補したようで、その後どのような選考過程があったかは知らないが、しばらくすると雌は1羽となった。万砂はその1羽と家庭を持ち、子作りをし、子育てをしていると思われた。ところが、6月になると万砂の姿が時々消えた。「あいつ、どこぞに妾でも作ったか」と私は想像した。
 浮気者(かもしれない)万砂も7月になるとナッピバルにほぼ常駐している。雌もたびたび姿を見せている。「子育てに忙しいのかも」と私は想像している。
     


 ナッピバルにはイソヒヨドリだけでなく他の種の鳥もやってくる。スズメ、メジロ、シジュウカラ、ウグイス、セッカ、ヒヨドリ、タイワンシロガシラ、キジバト、リュウキュウツバメ、ズアカアオバト、ハシブトカラスなどは年中いる。以上の内、リュウキュウツバメ、ズアカアオバト、ハシブトカラスは周りの森の中に住処があるようで畑に降りて来ることはほとんどないが、スズメとキジバトはしばしば畑に降りて来る。枯れ草を突っついたり、草の実などをついばんでいる。他の種は畑の果樹などに時々留まっている。
 季節季節にやってくる種もある。秋になるとキセキレイ、ハクセキレイ、ダイサギ、チュウサギ、コサギなど、何を食べているかは知らないが、彼らは畑の中をウロチョロ歩いている。ジョウビタキが畑の構造物の上でひと休みしているのも見る。ミサゴやサシバが上空を飛び回るようになり、彼らは地上には降りず、向かいの森の樹上に留まる。
 秋深くなるとシロハラが畑の草の中でガサガサし、冬になるとオオタカが畑の周りの樹上や電柱の上に来る。シマキンパラという種は、文献には1年中見られると書かれてあるが、私の畑では秋から冬の間にやってきて、畑の果樹などに留まる。

 ナッピバルを始めたのは2012年の夏なので、この夏で満3年となった。2012年の夏、灼熱の中、除草や開墾作業に大汗をかきながらも彼の鳴く声に私は気付いた。その独特の鳴き声は知っている。「おっ、森の中にアカショウビンがいる」で間違いない。寒くなるとアカショウビンの声は聞こえなくなったが、毎年春になると戻ってきた。
 アカショウビンは鳴き声だけでなく、その姿も独特である。ぜひともお目にかかり、その姿を写真に撮りたいと思い続けていた。今年(2015年)5月5日、畑仕事をしている時に彼の声が近くに聞こえ、その後、彼が私の近くを飛び、その姿を初めて見た。見紛うことなくアカショウビン、しかしながら、カメラを手にする余裕は無かった。
 独特の鳴き声の持ち主がもう1種いる、ホトトギス。その声に気付いたのは2013年の梅雨時であった。その時期になると毎年鳴き声は聞こえている。甲高く、澄んだ声なので「ホトトギスがいるぜ」とすぐに気付く。彼は上空高く飛んで、ナッピバルの周りの森を渡っている。西の森から東の森、あるいは東の森から西の森へ渡る時、ナッピバルの上空を飛ぶこともある。その時、鳴き声はひと際大きい。
 声が大きく聞こえた時は「おっ、上空を飛ぶぜ」と判断できる。そんな時に、私が休憩中で近くにカメラがあり、カメラを構えたことが2度ばかりある。上空にカメラを向け、左目でホトトギスの姿を確認し、右目でファインダーを覗き、ズームする。が、ズームした時のピントは合わせにくい。何度かシャッターを押したが全て失敗に終わった。
 ある日、ホトトギスがいつものように甲高く、澄んだ声で鳴きながら畑の上空を飛び、100mほど先の梢に留まったことがあった。すぐにカメラを取りに行き、ズームで写真を数枚撮った。止まっているものはピントも合わせやすい。が、100mはさすがに遠過ぎて、写真は鮮明でなく、写っている者がホトトギスかどうかの判別ができない。でも、鳴き声は確かにホトトギス、よって、写真に写っている鳥もきっとホトトギス。

 私が借りている300坪の畑ナッピバル、その周辺は畑を囲む3方の森を含めて、鳥たちの休み処となっているようだ。まだ姿は見ていないが、上記の鳥たちのどれでも無い鳴き声も何度か聞いている。自然が活き活きとしている場所なのだと思う。そんな恵まれた環境にいる間に、まだ見ぬ鳥も含め、アカショウビン、ホトトギスの写真は撮りたい。
 ちなみに、上に挙げた鳥たち、それらの、沖縄島で見られる時期を記しておく。

 アカショウビン 4~10月
 ウグイス 周年
     
 オオタカ 12~3月
     
 キジバト 周年
     
 キセキレイ 9~4月
     
 コサギ 9~6月
 サシバ 10~4月
     
 シジュウカラ 周年
     
 シマキンパラ 周年
     
 ジョウビタキ 10~3月
     
 シロハラ 11~3月
     
 ズアカアオバト 周年
 スズメ 周年
     
 セッカ 周年
     
 ダイサギ 9~5月9-5
     
 タイワンシロガシラ 周年
     
 チュウサギ 9~5月
     
 ハクセキレイ 9~4月
     
 ハシブトカラス 周年
     
 ホトトギス  5~9月
     
 ミサゴ 9~5月
     
 メジロ 周年
 リュウキュウツバメ 周年
     

 記:2015.7.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『検索入門 野鳥の図鑑』中村登流著、株式会社保育社発行
 『野鳥ガイド』唐沢孝一著、株式会社新星出版社発行


記録的な天変地異

2015年07月24日 | 通信-環境・自然

 生まれも育ちも沖縄の私は、もう50年以上も沖縄に住んでいるが、若い頃の5年間、大学生活で東京暮らしを経験した。初めての倭国生活であった、電車に戸惑い、都会のイカした女子たちに戸惑い、洒落た会話に戸惑い、食べ物に戸惑った。電車も都会の女子も洒落た会話も沖縄に無いもので、食べ物は沖縄にあるものが無かったことによる。
 以上のことは、住む前からまぁまぁ想像できたことなので、電車にも食べ物にもすぐに慣れた。でも、都会のイカした女子たちや、彼女彼らがおしゃべりする時の洒落た会話にはなかなか慣れなかった。そのせいか?私は5年間、恋人がいなかった。
          

 恋人がいたかどうかの話では無かった。地震の話。沖縄にも地震はあるが、東京暮らしを始める前の約20年間、沖縄で地震を経験した記憶が無い。少なくとも、部屋の電灯が揺れるほどの地震は無かったと思う。ところが東京は、地震がしばしばあった。部屋の電灯が揺れるほどの地震だけで無く、それ以上の、建物がグラグラするのを感じた地震も何度か経験した。友人達に訊くと、「たまにあること」とのことであった。
 その時「日本は地震の国であるか」と認識したが、後日、「活火山が多くあって、火山性地震の場合もある」と聞いて、「日本は火山の国でもあるか」とも認識した。そして、「沖縄に火山は無い、だから沖縄に地震は少ないのか」と勝手に想像した。
 最近、地震のニュースをよく聞く。また、あちらこちらで火山活動が活発化し、実際に噴火したというニュースも聞いている。「よく聞く」と書いたが、地震の少ない沖縄にいるからそう感じるのであって、倭国にとっては「例年よりちょっと多い位」なのかもしれない。火山の噴火についても「たまにあること、普通だよ」なのかもしれない。

 先日の台風9号は大きな被害だけでなく大雨ももたらした。水不足を心配していた農夫は、台風に大きな被害を受けながらも「雨は助かる」と思い、「水はこれで十分」とも思っていたのだが、9号が去って10日後、沖縄島は豪雨に見舞われた。
 20日の夜、大雨となった。激しい雨が西風と共に吹き付けた。私の部屋のベランダは西側にあり、西側にはベランダへ出る掃き出しの窓がある。だけど、ベランダには2メートル程の長い庇があり、西日を遮る簾を掛けてあり、同じく西日を遮るシートも掛けてある。なので、ほとんどの雨は窓の内側まで届かない。しかしその夜の雨は凄かった。ラジオの音が聞こえなくなる程の雨音と共に、部屋の中に雨が吹き込んだ。翌日のラジオのニュースでは「昨夜は記録的な豪雨」とのことで、被害も多くあったようだ。

 「記録的な」といえば、去年は史上最強と呼ばれる台風が2個あった。89歳の大先輩農夫Nさんが「こんな日照り初めてだよ」という干ばつもあった。
 「記録的な」といえば、夏の暑さもある。夏の気温の高さは年々記録更新しているのではないだろうか。沖縄も、以前は「33度って!」と数年に一度ビックリしていたのが、ここ数年は「33度超え」がしばしばある。地球温暖化は間違いないようだ。
 「記録的な」が流行りであるとしたら、地震や噴火だって「例年より多い」でも「たまにあること」でも無く、「記録的な」があるかもしれない。噴火はともかく、地震は沖縄も例外では無い。風速100mの台風が来るかもしれない。くわばらくわばら。
          

 記:2015.7.24 島乃ガジ丸


ウセートーン

2015年07月17日 | 通信-政治・経済

 先々週のガジ丸通信の記事「何が何でも辺野古」の中で、医者と患者の会話を木で鼻を括る(きではなをくくる)の喩え話として書き、その後に続けて、
 ちなみに、「木で鼻を括る(きではなをくくる)」とは「無愛想にもてなすことのたとえ」(広辞苑)のこと。「ちゃんと説明しない」→「無愛想」→「バカにしている」という喩え話のつもりであったが、・・・(後略)。
 と、書いたが、「ちゃんと説明しない」→「バカにしている」となるもっと解りやすい伝統的な言い回しが別にあった。「由らしむべし知らしむべからず」だ。
 「由らしむべし知らしむべからず」は略したもので、元は「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」といい、「人民を為政者の方策に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい。俗に、人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」(広辞苑)という意味。「煩ぇ!お前ら下々の者供がガタガタ言うんじゃ無ぇ、黙って俺の言うことをきけ」みたいなことであろう。
 「理由や意図を説明する必要はない」は「説明しても人民は理解できない」ということなのか、「不利益を被ると人民が知れば抵抗などして何かと煩いので、人民には説明しない方が良い」ということなのか、どちらにしてもバカにしていることには違いない。

 「何が何でも集団的自衛権は必要」と安全保障関連法案を通した政府は、もしかしたら「日本存立の危機」情報をアメリカのCIAか日本の007から得ていて、なので「何が何でも」と急いでいるのかもしれない。あるいは、証拠の無い情報に漠然とした不安感を抱いて、もしもの場合の、念のための安全保障関連法案なのかもしれない。
 国民の「何で?」については「現在の世界情勢から見て必要だから」とのみ言い訳し、詳しく説明しないものだから国民は「???」のままだ。
 「中国ロシアに対抗できる強力強大な新米軍基地は何が何でも辺野古に」と思っているように見える政府は、「何が何でも辺野古に」の言い訳として「普天間飛行場の危険性除去」と「抑止力の維持」を仰っているが、「危険性除去」なら県外でも構わないし、中国やロシアが軍事的脅威であって、戦争を避ける抑止力が目的なら新基地は辺野古でなくていい、沖縄のどこかでなくてもいい。中国北京やロシアモスクワにより近い、日本国内の他府県であっても、あってもじゃない、あった方がずっといいに決まっている。
 「何でカンナジ辺野古ヤル」(何で必ず辺野古なんだ)について、納得できる説明をしてくれないものだからウチナーンチュは「怒、怒、怒」となる。
          

 ウセーユンという沖縄語がある。「軽蔑する、バカにする」といった意味の動詞だが、「バカにしている」という状態を表す時はウセートーンと使う。中学生の時、ボーっとしている少年(私)は相手が怒っていることに気付かないことも多く、不良先輩に、
 「ィヤーやワン(お前は俺を)ウセートーラヤー(バカにしているな)、死ナサリブサミ(殺されたいのか)」と言われ、小突かれたことがある。
 国を動かしている政治家や官僚たちが、情報を隠したり、真意を曲げたりして、自分たちの都合の良いように人民を操ろうとしているのであれば、
 「国やワッター、ウセートーンどー」(国は俺達をバカにしているぞ)と使える。
          

 記:2015.7.17 島乃ガジ丸


形振り構わぬ主張

2015年07月10日 | 通信-沖縄関連

 私は、生業としている畑からの収入がほとんど無く、たまにやるアルバイトも年間で数万円の稼ぎしかないので「貧乏人である」といっていい。この先も細々とした暮らしを続け、大病や大怪我などで長期入院を要するようなこと、あるいは、不注意から交通事故などで他人を怪我させるようなことが無ければ、生命保険を解約した金で、あと数年は生活できる。なので、「貧乏人である」の前に「日本人の中では」と入れ、「貧乏人である」を「貧乏人の方である」と言い換えた方がいいかもしれない。こんな貧乏でも生きていける、日本は良い国だとつくづく思う。これからも良い国であってくれと願う。

 「こんな私でも」と書いたが、私はけして(自己評価だが)怠け者では無い。どちらかと言うと、むしろ働き者である。働き者だが、金稼ぎ者では無いだけである。「細々とした暮らし」と書いたが、外へ飲みに行かない、食いにも行かない、1日の内の1食は畑の芋で、畑の野菜も大いに利用しているなどといった点では「細々」言えるが、家賃、光熱費、通信費、ガソリン代などに毎月5~6万円は使っているし、食料も肉魚、豆腐、お菓子などに1~2万円、発泡酒や泡盛、煙草といった嗜好品にも1万円は使っている。なので、「細々とした暮らし」も「日本人の中では細々とした暮らし」となる。
 衣食住の内、衣の方は今のところ最も「細々」である。実家にあった父や弟、甥達の衣類を持ち帰り、その内のいくつかはもう既に利用している。そのお陰もあって、ここ数年では作業ズボンと作業着も兼ねたTシャツをいくつか購入したのみで、普段着のジーンズも滅多に買わないが、アウターなど他の衣類はもう何年も購入していない。

 穴の開いた、またはヨレヨレとなったパンツや靴下をはくのは、それらは外から見えるものでは無いので私は元々平気である。穴の開いた、または襟や袖がヨレヨレとなったTシャツも着ている。「浮浪者のようだ」と見られても平気になっている。収入のほとんど無いオジサンは形振り構っていられない、「浮浪者でもいいよ」と諦めている。
          

 形振り構わないといえば、家から畑への通勤途中、交差点の角に気持ち悪い内容の宣伝幕がしばらく前から掲げられている。「米軍を撤退させ、沖縄を中国領にする」と大きな文字で書かれている。その文の上に「翁長知事、驚きのホンネ暴露」とある。翁長知事がそんなこと言ったのかと思ったが、「翁長知事へのスピリチュアルインタビュー」と下段にあり、翁長知事が実際に言ったことでは無いようだ。「霊的手法でホンネを引き出したぞ!」と罰当りな輩の戯言のようだ。どこぞの宗教団体が掲げたもののようだが、スピリチュアルなんて言葉を使って相手を誹謗するなんて、恥ずかしいし、見っとも無いし、神を冒涜するものだし、形振り構わぬ自己主張、形振り構わぬ攻撃だと思う。
 「沖縄を中国領にする」については、実は、数ヶ月前に友人のFからもそのようなことを聞いている。Fは信頼できる人だが、私は「沖縄を中国領にする」は荒唐無稽な話だと思った。そんなこと米国が絶対許さない、日本国も許さない、国連も許さない、それより何よりウチナーンチュが絶対許さないこと。ボロを着て農作業をし、ボロを着たまま買い物にも行く形振り構わぬ新米農夫は、知事の狙いが「中国領」では無いことを確信している。彼を動かしている情熱は他にある。字数も尽きたので、それはまたいつか。
          

 記:2015.7.10 島乃ガジ丸