ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

リュウキュウコノハズク

2018年12月31日 | 動物:鳥

 良いお年を

 2018年の最終日、何か縁起の良い植物、あるいは動物を紹介しようと思って、つい最近、パソコンから見つかった写真の中にフクロウの類がいくつかあったので、その1つを紹介したい。フクロウの類が縁起の良い動物かどうかについては、森の知恵者と異名もあるフクロウは、少なくとも私には縁起が良いと感じられるので。

 畑仕事を辞めてから1年ほど経つ、手放す畑の後始末、引っ越しなどを終えて、時間に余裕ができたのは今年の4月頃、それから庭掃除、物置作りなどしながら知人のH爺様に頼まれている薬草表作りを7月初め頃から延々と続けている。10月終わり頃、使っていたパソコンが壊れるという事件があって、その修復に数日トライをし、結局直せず、バックアップしていたそのデータを代わりのパソコンに入れつつデータの整理を始める。いろいろなファイルがあり、もうすっかり記憶から消えていた画像なぞも出てきた。

 2010年8月、私は東京の友人Iのお供でヤンバル(山原:沖縄島北部の通称)の本部町へ出かけた。Iが用事を済ませている間、私は近くにあった本部博物館見学をする。小ぢんまりとした博物館、客はまばら、管理人は1人。「写真撮っていいですか?」と訊くと、「どうぞご自由に」との答え。ということで、バシバシ撮る。博物館の展示物にはヤンバルに住む動物もあり、動物には鳥類の剥製があり、傍には名札もある。長い間会いたいと願っていた鳥がいた。夜の森を歩かなければ会えないフクロウの類。
 「やっと会えたぜ、剥製だけど。」と私は大いに喜んだ。大いに喜んだのだが、フクロウの写真を撮ったことも、写真を撮って喜んだこともすっかり忘れて8年余も過ぎてしまった。我が脳の老化をつくづく感じつつ、2018年もサヨナラ。良いお年を。
 
 リュウキュウコノハズク(琉球木の葉木菟):フクロウ目の留鳥
 フクロウ科の留鳥 琉球列島に留鳥として分布 方言名:チコホー
 名前の由来は資料が無く正確には不明だが、木菟はミミズクと読み「フクロウ科の鳥のうち、頭に耳のように見える羽毛をもつものの総称」(明鏡国語辞典)とのこと。コノハズクは同辞書に木葉木菟と漢字表記され「森林にすむフクロウ科の鳥。日本では最小のミミズクで・・・」とのこと。本種は琉球列島に生息するので琉球とつく。
 本種もコノハズクと同様体長は小さく、全長約20センチ。体は上面が褐色で下面は淡茶褐色、虹彩は黄色。夕方から行動する夜行性で、昆虫やヤモリ、トカゲなどの小動物を捕食する。コホォー、コホォーとよく鳴く。日本では琉球列島に留鳥として分布。
 本土に生息するコノハズクとは別種とのことだが、そのコノハズクも冬期には沖縄に渡ってきて見られるとのこと。そのコノハズク、鳴き声がブックヮックヮー(仏法僧)とのこと。調べると、コノハズクは「ブッポウソウと鳴くことから「声のブッポウソウ」ともいう。」と明鏡国語辞典にあった。ブッポウソウは「げっげっ」と鳴き「姿のブッポウソウ」と呼ばれているとのこと。ちなみにブッポウソウは、沖縄では迷鳥で稀。
 リュウキュウコノハズクとコノハズクは別種だが、大東島にはダイトウコノハズクが生息しており、それはリュウキュウコノハズクと亜種関係。ちなみに学名、
 リュウキュウコノハズク Otus elegans
 ダイトウコノハズク Otus elegans interpositus
 コノハズク Otus scops

 記:2018.12.31 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行


血の絆『まぶいぐみ』

2018年12月28日 | 通信-音楽・映画

 12月も下旬になろうとしているのに「暑い日」と書かねばばらない12月19日、いつもの桜坂劇場に映画を観に行った。最近何かの大きな賞を貰ったという作品の、それを記念してのリバイバル上映らしい。観た映画は『まぶいぐみ』。
 その前に友人Kの家を訪ね、パソコンに詳しい彼に最近壊れた私のパソコンの話、携帯電話にも詳しい彼にガラケーからスマホへ替えるのは止そうかと思っている話などする。彼の家は私の実家からすぐ近く。近辺の景色は見慣れた懐かしい景色。母が11年前、父が8年前に亡くなって住む人のいなくなった実家、2014年2月には他人のものになってしまった実家とその周りの風景を思い出し、ちょっと感傷的気分になる。

 感傷的気分を振り払って映画館、ちょうど良い時間に着いて、トイレ行って用を足し、館内へ入って席を見つけ、そこへ座ろうとしている時にブザーが鳴り暗くなった。
 映画はドキュメンタリーで、「世界のウチナーンチュ大会」という5年に1度の行事を明るい表舞台として、移民として世界に散らばったウチナーンチュの歴史を描く。サブタイトルに「ニューカレドニア引き裂かれた移民史」とあるように、ニューカレドニアに移民として渡ったウチナーンチュと、その子孫である2世、3世たちがメインの登場人物。映画が始まって数分後、「あっ、しまった、この映画、前に観たかも」と気付く。登場人物の多くに見覚えがあり、ニューカレドニアの景色にも見覚えがあった。
 家に帰って日記を調べる。2017年8月10日に同映画を私は観ていた。ただ、「良い映画だった」と書いてはいるが映画に対する詳しい感想は無い、別項で書いた形跡もない、このブログで映画の感想はいくつも書いているが、『まぶいぐみ』については何も書いていない。「何故か?」はたぶん、その日の日記の記述の多くを占めていたのが別にあったから。映画の帰り、その日初めて、動けなくなるほどの腰痛を私は経験していた。
 
 私の腰痛はおいといて、映画『まぶいぐみ』は、血の絆というものを強く感じさせるものであった。マブイグミという言葉自体は「血の絆」とは関係ない。マブイは魂のこと。グミはクミの濁音化したもので「込み」の沖縄語発音。「魂込め」という意になる。
 何かとても恐ろしい思いをして、酷い衝撃を受けて、心ここにあらず状態になった時などに「魂を落とした」と沖縄では言う。そして、「魂を拾いに行こう」となり、魂を落としたと思われる場所へ行き「マブヤー、マブヤー・・・」と呪文を唱え魂を失ったと思われる者に魂を込める。私も子供の頃、何度かマブイグミをやって貰ったことがある。
 サブタイトルにある「引き裂かれた」は、太平洋戦争によって家族が「引き裂かれた」ことを言っている。移民の沖縄男性は現地の女性と結婚し、家族をつくったが、敵国民ということで強制収容され家族と引き裂かれる。それで、父を知らない2世、3世が育ち、彼らはルーツを失ったまま大人となり、親となり、「私は何者?」と問うことになり、ルーツが解らないということを「魂を失った」ということに譬えたのだと思われる。
     

 映画『まぶいぐみ』を観てから4日後、12月23日、平成天皇最後の天皇誕生日、今上天皇のお言葉をラジオから聞いた。戦争に触れ、沖縄のことにも言及した。天皇のこれまでの言動でも感じていたことだが、平和を切望している人だなぁと思った。
     

 記:2018.12.27 島乃ガジ丸


カボチャ

2018年12月26日 | 飲食:食べ物(材料)

 好物ではないけど

 過日、素麺をたくさん頂いたので、このところの朝飯は素麺のことが多い。農作業という肉体労働をしなくなってから1日2食に戻し、昼飯は摂らなくなっていたが、11月末頃、柿をたくさん頂いたので、昼飯には柿1個を食べることが多い。晩酌の肴は、その主体は豆腐、概ね豆腐で腹を満たし、肉や野菜がおかずとなり、酒のつまみとなる。
 ということで、普段、米の飯を食う機会があまりない。ここ半年ばかり、家でご飯を炊いていない。半年前の2キロ入り玄米がまだ半分は残ったまま。ということで、3日に1日は休肝日としているが、休肝日の日はなるべく米の飯を食べるようにしている。

 家で米を炊かないので米の飯はスーパーの惣菜コーナーで買っている。ご飯はなるべく玄米ご飯を買うようにしているが、それが無い時は玄米弁当を買い、それも無い時はしょうがなく白米にしている。であるが、それより優先してしまっているのが半額シール。スーパーに行った時間帯によっては弁当が半額になっている時があり、その時はついフラフラと半額の誘惑に負け、中身を問わず半額弁当を買うことが多い。
 中身を問わないといっても、同じ半額であるならば玄米を選び、次に和風を選ぶ。玄米弁当も概ね和風なので私の好みはウチナー弁当ではなく和風のようである。
 ウチナー(沖縄)弁当が嫌いというわけではけして無い。炒めものや揚げ物の多いウチナー弁当より煮物焼き物が多いあっさり目の和風が好みなのである。あっさり目の和風弁当にはたいていカボチャの煮物が入っている。カボチャは私の好みの上位には無いが、カボチャよりはゴボウ、レンコン、タケノコの方がずっと好みだが、弁当に入っている程度の量であれば、カボチャも美味しく頂いている。
     
     

 好物では無いカボチャだが、稀には購入して煮物を作っている。自作のカボチャを自作の料理で食ってみたいと思って、2013年から14年にかけてカボチャの苗を2度植えているが、収穫できたことはない。私とは相性が悪いのでしょうか?
     
 カボチャ(南瓜):果菜
 ウリ科の蔓性一年草 中南米、北米西部の原産 方言名:チンクヮー
 カボチャ属には日本カボチャ(Cucurbita moschata)、西洋カボチャ(C. maxima)、ペポカボチャ、ミクスタカボチャ(C. mixta)などの系統があり、現在、日本では西洋カボチャの栽培が多いとのこと。ペポカボチャ、ミクスタカボチャの系統は飼料用やスイカ、キュウリ、メロンなどの台木としての利用が多いとのこと。
 倭国では夏野菜のようだが、沖縄では1月から7月までの収穫となる。
     

 記:2018.12.24 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


御願所(ウガンジュ)

2018年12月24日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 「お前ぇ気は確かか?」と問いたくなるほどここ数日の気温が高い。沖縄気象台のデータによると、20日から23日までの最高気温(那覇)は25.1度、24.5度、26.2度、24.3度となっている。22日は用があって昼間、夏のような薄着で出かけたのだが、汗が滲んでしまった。23日の朝はたっぷり寝汗をかいていた。日の最低気温も21日と23日は20度を超えている。もう年の瀬だぜ、大丈夫か地球?と思う。・・・が、沖縄気象台の過去のデータを見ると、12月下旬で最高気温が25度を超えるのは2015年以降ちょくちょくあったようだ。私の脳が覚えていないだけのようだ。それはさておき、

 前に沖縄の言葉「ウガンブスク」を紹介したが、その記事を書きながらウガンジュという言葉も思い浮かんで、「そういえば、俺はウガンジュとほとんど関係なく生きてきたなぁ、ウガンジュと言われるところに手を合わせたことは一度も無いんじゃないかなぁ」と過去を振り返った。我が家の墓、親戚の墓で手を合わせるが墓はウガンジュではない。先の大戦での戦没者を祀っている平和の礎で手を合わせたことはあるがそこもウガンジュではない。若い頃「お願い?」と女性に手を合わせたことがあるが、それは意味が違う。
 そうそう、ここ30年ばかりは無いが、若い頃には正月に神社で手を合わせたことが数回ある。神社はきっとウガンジュである。「拝む所」だと思われる。
 ウガンジュとは何かというと、「ウガンブスク」で書いた事の繰り返しとなるが、
 沖縄語辞典によると、ウグヮンは「お願」と表記され「祈願。願。祈祷」の意とある。『沖縄大百科事典』にはウガンがあり、拝所と表記され「神霊のよりつく聖域のこと」とある。「御願所とも」と別名が記されているが、「神霊のよりつく聖域のこと」という意では御願所(ウガンジュ)の方を私は子供の頃から多く耳にしている。
 つまり、簡単に言えば、ウガンジュとは「神霊のよりつく聖域のこと」。

 ウガンジュは沖縄のあちらこちらにある。畑仕事に追われる前の数年前までは「趣味は散歩です」と言っても良いほど私は頻繁に散歩をしていた。私の散歩場所は公園も多くあり、私が散歩場所にしていたいくつかの公園にもウガンジュがあった。
 と書いていて思い出した。私は沖縄の有名な大きなウガンジュで手を合わせたことが数回ある。そこはセーファーウタキ(斎場御嶽)、沖縄島では最も由緒ある聖域。
 ウタキ(御嶽)とは『沖縄大百科事典』によると、「おがみ山・ムイ(森)・グスク・ウガン・オン・スクなどと呼ばれる聖地の総称」とのこと。御嶽は公用語ともある。
 セーファーウタキについては2010年9月に撮った写真も残っているので後日紹介することとして、今回はそこここにいくつもあるウガンジュを考えてみたい。

 そこここにいくつもあるウガンジュを、散歩している時に私は何度も目にしている。その場所に線香が供えられているのも何度も見ている。神霊のよりつく聖域に対し畏敬の念を持っているウチナーンチュは多くいるみたいである。私の想像だが、「子供が病気に罹りました、お助けください」とか、「子供の病気が治りました、神様のお陰です、ありがとうございました」とかいった祈りとかお礼とかであろう。
 私はそういうところで手を合わせたことはない。何かを願ったことも生きていることに感謝したこともない。願わない、祈らない、拝まないなどは、「俺は俺の力で生きていける、神の助けなどいらないぜ」という傲慢さから来ているのかもしれない。
 神の存在を信じ無いところから私の傲慢さは来ている。しかし、よく考えれば、そこに空気がある、水がある、食い物があるというだけでも有難いこと。そういう環境を造ってくれている何者かに感謝することは必要であろう。生きるのを助けて貰っているという普通の感謝だ。今度、ウガンジュらしきものに出会ったら、手を合わせないまでも目礼くらいはするように、少なくとも心の中では、畏敬の念を持つようにしようと反省した。
     
     
     
     

 記:2018.12.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行