ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

時代という郷

2018年11月23日 | 通信-社会・生活

 私が若い頃、沖縄のバスは30分以上待っても来ないことがよくあった。それは全く普通のことで、バスが時刻表通りに来ないからと言って怒る人はほとんどいなかった。いわゆる沖縄タイムという奴だ。例えば、夜7時から飲み会があったとする。7時に来る奴は稀、1時間遅れも普通にあった。飲み会はまだ責任がないからいいが、結婚式なんてものにも遅れるのが普通だった。のんびりしているといえば聞こえが良いが、時間にだらしないというだけのこと。お互いがそうなので、遅れたからと言って誰も文句は言わない。
 「南の島なんだもの、のんびりでいいじゃないか」という気分。
 「郷に入っては郷に従え」という諺は、広辞苑によると「(童子教による)人は住んでいる土地の風俗・習慣に従うのが処世の法である」とのこと。「そりゃぁそうだ」と私は若い頃からその諺に納得していた。もしも沖縄に来た観光客に「15分もバスを待っているのに来ない」といって憤慨している人がいたとしたら「沖縄のバスってそんなもの、15分なんて全然屁みたいなものですよ。」と言ってあげたい。
     

 しかし、最近の沖縄は時間を守るようになっている。バスはまだいくらか遅れたりするが、そう大幅に遅れたりはしない。モノレールは概ね時刻表通り。夜7時から飲み会があったとすると、だいたいその時刻、遅れる奴でも30分遅れ程度でやってくる。結婚式などに遅れる者は今あまりいない。そうなったのはいつ頃からだろうか。
 1972年5月15日、アメリカ軍施政下にあった沖縄が日本に復帰した。アメリカ軍施政下にあった頃でも、テレビやラジオ番組は日本の番組(ローカルも含め)だったし、新聞や雑誌も日本語だったし、沖縄の生活のほぼ全てを和文化が占めていた。それでもまだ倭国資本はそれほど沖縄に入ってきていない頃で、沖縄タイムは普通だった。
 本土復帰後、倭国資本がどんどん入ってくると、沖縄タイムが経済上不利になる。のんびりしていると置いていかれる。商売上の付き合いでも時間にルーズは信用を失う。ということで沖縄もしだいに沖縄タイムを失うことになったのだと思われる。
 「南の島なんだもの、のんびりでいいじゃないか」という気分が私は大好きなので、飲み屋で人を待たせることに罪悪感はない。飲み屋に限らず、1人で待っていても退屈しない場所(デパートとか市場とか)での待ち合わせであれば、相手が遅れても自分が遅れても気にしない。夏の暑い日、冬の寒い日に外で待たせるのは罪悪感を感じる。

 さて、現代社会は「金儲け主義」の時代で、アメリカもロシアも中国もその他多くの国が金儲けのためになりふり構わぬ行動をし、これからもそうしようとしている。地球環境悪化に関してはおざなり程度、あるいは口先だけの態度にしか見えない。
 今の時代はお金が優先する時代。いかに金を稼ぐかが生きる前提となる。それなのに私は「金儲け主義」に反発するという建前で自給自足芋生活の道を歩こうとした。時代という郷に従わずとも生きていけると思っていた。それはしかし、パソコン、携帯電話、冷蔵庫、車など現代社会の恩恵を大いに受けていながらの勘違いだった。腰痛を患って以降は時代の恩恵を大いに受け、時代に助けられているんだなぁとつくづく感じている。
 「郷に入っては郷に従え」に倣うなら「時代に入っては時代に従え」となる。のだが、それでいいのかとも今なお思う。時代が「戦争」へ向かっていたらどうする?
     

 記:2018.11.23 島乃ガジ丸