まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

二つの原爆慰霊祭

2019-08-07 14:51:40 | 日常
令和元年8月6日
今年もまたあの日がやってきました。父の勤務していた広島郵便局の慰霊祭に参列しました。広島郵便局は原爆ドームの近くにあり、建物は壊滅、288名の職員は遺骨すら残っていません。母は私を背負い終日探し回りましたが何も見つけることができませんでした。昨年は娘や孫と一緒にお参りしたのに今年は私一人。祖母も車いす生活で離れた黒瀬町にいるし、娘たちも仕事や学校でこれません。会場は慰霊碑のある比治山の多聞院。例年はかんかん照りの猛暑ですが今年は雨の涼しい慰霊祭となりました。初めてのことです。参拝者は年々減少し遺族席のテントは30名余りで郵便局の現職の方の方が多いようです。8時15分サイレンの音と同時に黙とうして開始。読経の声を聴きながら平穏を祈る。長らく平和が続いたためか世間は戦争当時の大変さを忘れ、何やら不穏な空気が漂っています。日韓関係も泥沼に陥り反日機運が高まり韓国の首相自ら経済戦争開始と息巻いて民間の文化交流も次々よ中止となっています、しかし、今朝のニュースでは釜山と下関市間の職員交流は継続するとのこと。何とか友好関係を維持してほしいものです。希望の灯を消さないでください。香港でも自治が危うい状況いずれ中国の実力行使が始まり多くの血が流されることでしょう、北朝鮮、ホルムズ海峡でも波乱がありそうです。参列中に中国新聞から取材を受けました。生後10か月で被爆した最後の被爆者として「平和な時代の続くことを祈ります」と答えました。はたして明日の新聞に掲載されるでしょうか。生花をいただいて帰り仏壇にお供えしました。
もう一つの慰霊祭は母校の慰霊祭です。慰霊碑は平和大橋西詰め、100m道路沿いにあります。こちらは午前9時30分から開始されるので参列しています。舟入高校の前身は広島市立第一高等女学校、地元では市女(いちじょ)と呼ばれています。今の原爆ドームのある材木町で建物疎開作業に従事していたため生徒教師合わせて676名が一瞬のうちになくなり市内の学校の中では最も多くの犠牲者を出しました。現在は両校の同窓会も継承し一体となり運営されています。同窓会の主催する慰霊祭ですが舟入高校の生徒の気風に触れるため参列しているようなもので、生徒会、ブラスバンド、演劇等の生徒が一生懸命のお世話してくれています。久しぶりに校歌をうたいました。勇気をもらいました。
今年12月29日まで平和公園内にある「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」において「広島市女原爆追悼の記録の企画展が開催されています。ぜひお越しください。常設会場では私の父の記録も展示されています。また会いに行きます。
追記  8月7日中国新聞29面 「各地の慰霊祭」欄に私のコメントが掲載されていました。


コメント (1)
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