まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

奥穂高岳・前穂高岳・岳沢 縦走す。

2022-09-02 20:58:52 | 日常

(ザイデングラードの末端にて、バックは前穂高岳の北尾根です)
令和4年8月27日~30日
日頃から会の例会山行を共にしている里山組の会員から是非とも奥穂高岳に連れて行ってほしいとの要望がありました。
数人の個人山行として、奥穂高岳に登れる実力があるかどうか確認できれば連れて行くと回答。
この度の山行は実施までコロナ禍等数々の障害があり、実施することは困難で多分いけないだろうと思ったが結局行くことになり成功したのは「絶対に奥穂高岳に登りたい」という参加者の強い意思・情熱に他ならないと感じました。
今回の参加者に必要なものは一日、30キロ、10時間以上歩ける体力と厳しい稜線や岩稜地帯を安全に上り下りする技術力である。その他の必要な現地の情報は私が所持している。
体力課題は神島一周訓練(約27㌔)を2回、沼隈半島を30㌔あまり走破。岩稜歩きも天応・烏帽子岩山・アイゼン尾根で2回訓練した。直前のこの夏には白山、妙高山等の団体ツアーに参加して鍛えたとのこと。
今までにこれほど熱心に訓練した参加者はなかった。成功を確信した。
初めは奥穂高岳の往復と考えられたが実力もアップしたので、前穂高岳、吊尾根、厳しい重太郎新道を下り岳沢に至るワンランクアップしたルートの方がより思い出に残り感激も大きい思い変更した。
しかしながら、参加予定者は初めは4人でしたが,事故や病気のため2人が脱落。ついに2人のみの参加となりました。つくづく高齢者は「行ける時に行かないと明日は何が起きるかわからない。」ということを実感しました。

心無罣礙(シンムケイゲ)に徹する。不安な行動はしない。
般若心経に登場する言葉。執着に束縛されない自由自在な心と言われるが私は不安のないこと。のびのびとした自由な心境と受け止めている。
遭難、事故は人間の不安なこころや焦りから生じると考えています。心に不安がなけれな行動も理にかなった正しく、安全なものとなる。
当初は自家用車を使用して行く予定であったが運転に不安があるとの申し出があり、費用はかさむが列車利用に変更した。
足の指先が痛い。豆が出来そうだ。となれば直ちに治療する。不安な心は事故に通じるので迅速に対応,解消する。
高齢者にスピードは望めないので安全確実な行動が大切です。

集中力を養う。
道路の縁石の上を歩く訓練をする。地面上なら恐怖心がなく簡単に歩けるがこれが3m上にある縁石の上を歩くとなれば足が震えて容易に歩けない。
一歩、一歩、縁石に置く足に意識を集中し他のことは考えない。意識を集中して3m上に存在することは考えなければ容易に歩ける。
現在の一歩、一挙手、一投足に意識を集中すれば、危険な場所も安全、確実に通過することができる。
目の前に,現在あるこのひと手に意識を集中して、手の置く位置、足の置く位置、手順を考え、困難を克服する。
これができるようになれば転倒やスリップはなくなる。
アイゼン尾根で訓練の時、2回目の時には誰一人スリップする者がいなかったのでこの技が身に付いたことを確信した。

コロナ感染について。
初めは26日徳沢園、27日穂高岳山荘に宿泊予約でした。
しかし、穂高岳山荘の従業員がコロナ感染の為 8月21日から27日まで閉鎖となりました。
その為、計画実現のため1日ずらし28日穂高岳山荘宿泊に変更したが前日の27日に泊まる宿が明神、徳沢,横尾とも満杯で宿泊出来ない。
上高地から穂高岳山荘まで休憩時間を入れて約12から15時間、標高差約1500m。現在の我々の実力では無理かも・・中止も頭をよぎった。
横尾山荘も満杯で断られたが定員数が一番多く「キャンセルされることもあり、毎日宿泊状況を確認していてください。」との言葉に期待して毎日チェック。22日に△しるしに変わった時点で直ちに申込し、やっと宿が確保できました。これで念願の奥穂高岳に行けると安堵しました。


天候について
直前の天気予報では期間中4日間,全べて雨天の最悪の天気予報。景色、展望は望めず、ただ奥穂高岳に登ったという記録だけが残るのみと思いました。それでも行くとの方針で雨対策に万全を期す。
実際の天候は初日の27日午後、予報通り、上高地から横尾間、少しだけ小雨が降りました。次の28日,横尾から涸沢間、これも少し降りました。それ以外はすべて晴れ、それも快晴でした。すばらしい展望・絶景に皆さん大満足でした。
宿の確保といい、この天候といい、観音様のご恩恵以外にあり得ません。心より感謝しました。

第1日目 広島から横尾山荘
広島駅始発のぞみ90号6:26発乗車、福山駅で仲間と合流、名古屋駅で特急信濃5号に乗替え11:05松本駅着、電車、バスを乗り継ぎ13:20上高地着。出発時間は違うが車両利用と変わらない時間でした。

(新村橋が来月から5年余りかけて架け替えられます。)
登山届を出し、小雨降る中雨具を着用。横尾山荘に上高地到着の連絡を入れ13:50分出発。心地よい樹林帯の中を快適に歩く。槍ヶ岳の行く団体さんと前後して歩く。徳沢園のテントも20張程度と少ない。新村橋が来月から5年かけて架け替えられます
その迂回路ができていました、

(クマよけ鈴。登山道の傍に2か所設置してありました。これだけ大勢の人が通っても現れるのですかね。鳴らして通行しましたました。

16:50横尾山荘着。広場のトイレ棟が1棟新設され2棟に増えていました。横尾山荘は今まで行った山小屋の中でも一番立派でした。室内もきれいです。部屋は2段式ベットで8人収容(2人分は空いていました)、お風呂も広くて快適でした。乾燥室も乾燥機が設置され熱風が噴き出ていましたので直ぐに乾燥できそうです。

(横尾山荘、立派な山小屋です。山小屋のモデルです。かくありたいものです。)
(2段式ベットですが比較的広く快適でした。)
夕食の時大声でおしゃべりするグループがおられましたので黙食をお願いしました。万一感染すれば大変なことになります。これが感染の一番の原因ですからお互い厳守したいものです。
翌日のお昼の弁当(1500円)を注文したところパンや飲み物等が山ほどありました。2日分でもよいですね。

第2日目 横尾山荘から穂高岳山荘
出掛け少し雨が降っていましたので雨具を着用。
槍ヶ岳組は今朝4時30分に出られた。今どのあたりでしょうか。
2つの団体さんは上高地に向かって出発されました。
我我も気合を入れいざ出発。
30分余り平坦な登山道を行くとのぼりが始まる。
9年前に登った屏風岩は雲に覆われ裾が少しだけ見える。
本谷橋で休憩。いよいよ急登が始まる。幸い雨がやんでくれたので一歩ずつ慎重に登る。
出発から4時間、ようやく涸沢ヒュッテに到着。風もあり雨と汗で濡れたれたシャツで体が冷えるので着替えすっきりする。稜線は雲に覆われ見えない。はるかにつづく谷の深さに怖い気がする。
食事をとり涸沢小屋経由でまずはザイデングラードを目指す。

(涸沢のキャンプ場。淋しいですね。)
登山道が明瞭でなく岩だらけの不安定な道をペンキの丸印を頼りに登る。やっとのことでザイデングラードのとりつきに到着一安心不安定な岩だらけの道より岩稜を登るほうが楽である。
ストックを仕舞い後は両手で岩をつかみ上るのみ。前穂高岳の北尾根の美しい岩稜がひときわ鮮やかに見える。最後に会員4人で登ったのは何年前か。渋滞で苦労したね。

(ザイデングラード・恐竜の背といわれます。ごつごつとした岩稜地帯です。ここまで来れば稜線は近い。頑張りましょう。)
14時50分。やっとのことで山荘に到着。早速抹茶を点てる。荷物になるしどうしようかと悩みましたが参加者にこの味を楽しんでいただければ持ってきた。喜んでいただき苦労も吹っ飛びました。
いつもながら、この一服最高です。

(小屋に到着。お疲れ様です。先ず一献どうぞ。疲れが癒されます。)
穂高岳山荘は今日が再開初日。部屋は「白馬岳」
 
(平の方は木製の間仕切り、上が開けているだけ楽です。)

(かっての2段のところは上下段ともこのようなフイルムで仕切られていました。)
以前は大部屋でしたが今は20区画くらいに間仕切りで仕切られています。ちょっと狭い感じ。インナーシーツは化繊のフイルムシートを使用しました。
とにかく天気が良くて360度の展望が楽しめました。これ以上の喜びはありません。
時間もたっぷりありゆっくりできました。
あすの出立もすぐにできるようパッキングして準備しました。
あすの行動予定、前穂高岳に登れば上高地発のバス最終時間ギリギリになります。
鎖場や梯子段の通過で渋滞も考えられ、下りの様子が未知数であるため前穂高岳の往復に要する時間、1時間30分を短縮するため登らないことにしました。
安全は余裕のある行動から生まれる。急坂で焦った行動は危険ですから。

(山荘のテラスからご来光を写す。)
第3日目 穂高山荘から奥穂高岳・岳沢・上高地そして松本駅前のホテル(アルピコプラザホテル)
今日も良い天気だ、テラスからご来光を拝す。今日も無事な1日でありますように・・・

(穂高岳山荘のすぐ横の2連梯子を上り厳しいガラ場をよじ登る、真下に山荘が見えます。怖いね。落ちたら大変。)
山荘で朝食をとり6時出発。直ぐに垂直の断崖に架けられた2連梯子を登る。鉄が冷え切って冷たい。慎重に鎖を握り、ペンキの目印の付けられた岩場を登る.風が冷たい目出帽が欲しいくらいだ。

(穂高岳山頂・方位盤の前で撮影。バックにジャンダルムが写っています。)
瓦礫だらけの道を登ること1時間眼前に二つの丸いピークが現れた。奥穂高岳山頂だ。
ここから見えるすべての山々はかって登った懐かしい峰々だ。前穂高岳。常念岳、霞沢岳、明神岳は3年前に縦走した。笠ヶ岳、錫杖岳、はるか彼方に白山等思い出は尽きない。槍ヶ岳を写真の取ろうと思えば雲がかかる。
ジャンダルムがそびえ立ちふさがっている。絶景を写真にとり前穂高岳を目指す。吊尾根の言葉の通り3190⒨の奥穂高岳と3090⒨の前穂高岳を結ぶ⁰直線距離1,4キロ余りの緩くロープをかけたような稜線です。
8分余りで南鐐の頭。この先の岩場が我会員の藤石典万氏が2014年8月、滑落遭難したと思われる場所だ。線香を焚き、般若心経を唱え追悼す。

(吊尾根を行く。遭難現場付近は岩場、鎖場、ガラ場があり安全なルートを選んでゆきます。)
この付近は登山道が入り乱れかなりの距離緊張が強いられる場所だ。岩場、ガラ場、鎖場もあります。ルートの選択に注意を要する所です。
いくつもの尾根を乗り越え緊張を強いられる。一番東端の尾根が重太郎新道だ。
紀美子さんとは穂高岳山荘の創始者であり、この登山道を開拓した今田重太郎さんの娘さんのお名前です。ここで娘さんを遊ばせながら登山道の工事に従事したとのこと。本当にありがとうございます。
ここから岳沢を見ればトリコニー(三本槍)が見れる。この急斜面を登ったのは7年前だ。本当にこの急峻な尾根を稜線まで上がったとは自分ながら驚かされる。私も昔は元気でした。
ここまで予定通りきたけれども前穂高岳を往復すればあと1時間30分要す。早く下山した方余裕があって安全、休憩後下山する。

(梯子を下る。1歩1歩確実に下ります。)
岳沢小屋まで標高差約750m、鎖場、岩場、長大なはしごが連続する厳しい急坂です。1歩、1歩確実に確認し下る。ようやく岩場が過ぎ草場になり岳沢小屋が見えてもなかなか距離が短縮できません。どーと疲れが出ます。

(岳沢からトリコニー〈三本槍)を見る。初登攀が日本近代登山の父といわれるウエストンと山岳案内人、上条嘉門次というクラッシックルートです。。7年前私も登りました。まだ元気でしたね。)
12時40分岳沢小屋に到着。あとは危険なところはない下るだけだ。風穴を見物。15時40分上高地バスセンターに到着。予定より2時間早く前倒しできました。お陰で楽に歩けました。無事に帰つてきました。お疲れ様です。本当によく頑張りました。
18時過ぎには松本駅前のホテルに帰りました。駅前の居酒屋でビールで祝杯を挙げ、馬刺しやお刺身等ご馳走をたらふく食べました。

第4日目 松本市周辺観光広島に帰る。
通常は登山が終わればすぐに帰宅するのが常で山の楽しみしか残らない。
槍・穂高岳登山の楽しみは,山岳と上高地(あえて神河内といいたい)と麓の安曇野が一体となり、穂高岳の清浄な気が上高地の絶景を作り、梓川の清流が豊饒な安曇野の田園を潤しリンゴ畑やワサビだを育てています。
この豊かな大自然は多くの芸術家、写真家、作家、文化人をも育んでいます。
このことを理解していただくため安曇野の田園を巡りました。
3から4時間しかないので駅前でレンタカーを借り観光しました。

(今店頭で販売中のリンゴは昨年のもの、今年のリンゴはこのリンゴが最初です。まだ数量が少なく店頭に出荷予定のリンゴを回していただきました。新鮮でおいしい。
一番のおすすめは安曇野のリンゴ園。私がお取り寄せしている中村農園に行きました。安曇野のリンゴは無袋のリンゴです。
初めて安曇野に来た時,老農夫がまんべんなく色づけるため一個づづリンゴを回して色づくようにしていたお話を聞き感激し安曇野のフアンになりました。この精神が安曇野のリンゴです。
この時期の夏リンゴ、千秋とシナノレッドを掛け合わせた新種の「シナノリップ」を試食させていただき、重たいけれどお土産に持ち帰りました。

(ロダンに師事。芸術家の人生は劇的な人生のようです。だから短命なのでしょうか。)
次はツタの葉に覆われレンガ造りの教会風の建物が印象的な「碌山美術館」を見学。
高村光太郎と共に日本を代表する彫刻家、萩原守衛(碌山)の作品と資料が公開されています。
32歳の若さで亡くなりましたがその直前に作られた「女」という女性の裸像は日本近代彫刻の最高傑作といわれ、素人の私でもその見事さに感動しました。

(安曇野とくれば清流ですね。穂高岳の雪が解けて流れ下ったものと思えば何かしら愛おしくなります。)
近くの穂高神社に立ち寄り、日本一のワサビ園で有名な」大王ワサビ農園」に行く。広大なわさび畑と清流にある水車小屋のうつくしく安曇野らしい風景を堪能しました。
以前きたときはゴムボートでラフティングを楽しみましたが今日は中止となっていました。
他にも山岳写真家の田渕行雄記念館。,文明開化時代の洋風の校舎で国宝にもなっている旧開智学校、天守が国宝の名城、松本城を予定していましたが帰りの汽車の時間も迫っており途中で切り上げました。
他にも多くの見どころがありますからまたいつかゆっくりとお越しください。
参加者の実力を120%発揮し、楽しく記念となる山行でした。

最後に一言
この山行の目的は自立した山行を行ってほしい。
日本の通常の登山ルートは安全施設が完備してあり危険なところはありません。
今回のように、しっかり歩き、体を鍛え、細心の注意を払えばどこでも通行できます。
登山の楽しみは計画して、実行することにあります。
旅行会社のプランに乗ることは楽しみを半分奪われているようなものです。
自分で考え不安があればその解決方法を勉強する。
登山の楽しみがより深くなります。
自立して山を思い切り楽しみましょう。
福原さんにあの時奥穂高岳に連れて行ってもらったおかげで自立して山を楽しめるようになったといわれればこれにすぎる喜びはありません。
お役に立てて良かった。

コメント
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