まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

萩  ・・武家屋敷の主は夏みかん

2013-04-21 13:31:16 | 日常
平成25年4月17日
最近よく萩に行くことがあり古い町並みを散策したり遊覧の川舟にも乗りあちこち見物しました。空気も爽やかで落ち着いた佇まい、魚も美味しくで住んでみたい町です。萩は三方を山に囲まれ北側は日本海に面した白砂青松の海浜がある自然豊かな町です。市街地は3キロ四方に収まるくらいの小さな町でどこへでも歩いていけるこじんまりとした町、人口は53000人あまり、山口県では8番目の規模です。
萩の産業といえば観光と農業、漁業がおもで工場はほとんどありません。萩焼と夏みかんが有名です。ですから開発がほとんど行われていないため昔からずーと同じ風景が残っています。江戸時代のままの街並みですから当時の地図がそのまま今でも使える不思議な町です。今で言えば不便な過疎の町で新幹線も、高速道路も通っていません。
徳川幕府が辺鄙な僻地に城を築かせたのも毛利氏の力をそぐためだったのでしょう
天守閣のあつた指月山の近くに武家屋敷が立ち並んでいます。多くの家臣は明治政府の高官となりこの地を離れていきました。その主のいなくなった屋敷跡に士族の救済のため小幡高政が夏みかんの栽培を奨励し、一大産業になり士族の生活を支え、今に至っています。土塀の上に覗く夏みかんは萩の風物詩です。
 今、NHKの「八重の桜」が放送され多くの人が会津びいきとなっているでしょうが広島の私は毛利氏は広島・安芸の国の出身であり、長州、萩にも愛着があります。この小さな町に倒幕の革命の起点になつた吉田松陰の松下村塾が有り、多くの人材が輩出したとは驚きです。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸考允)、山県有朋、など、他にも4人もの総理大臣を生み、多くの有為の人材を輩出しています。幕末の数々の事件で多くの仲間を失いその屍を乗り越え生き残った人が明治政府の実権を握り栄華を極めた。
会津戦争の舞台となった会津若松とは友好都市の提携を申し込んでも「時期尚早」「怨みは忘れていない」といまだ拒否されているとのこと。
怨み・・幕府を倒したのも関が原で破れ防長二国のとじこめられた毛利の恨みであったのだろうが、会津への怨みも池田屋事件、蛤御門の変、長州征伐等で多くの仲間が殺されたことが下敷きにあったのでしょう。当事者にとって恨みは根深い。『暴に報いるに、徳をもってする」とはいかないようです。
コメント
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