フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

また待った 大谷選手の 快記録 /今如何に 受験戦争 受験校

2022-08-06 15:52:48 | 日記

大リーグ・大谷選手の投手として二桁勝利&打者として二桁本塁打の「快記録」が、しばらくお預け状態になっている。リーチがかかってからというもの登板予定の度に「大谷 明日(あるいは今日)大記録達成なるか」とメディアが注目を煽って来たが、3試合続けて残念な結果に終わっている。
大谷が投手としてKOされたわけではなく、いずれも味方打線の援護が無かったと言ってよい。そんな大谷選手の不運については身びいきのファンならずとも全米のメディアや野球ファンの声、ため息としても聞こえて来るが、まだ何回かの登板機会が残されているので、記録達成の可能性は十分にある。
では、米国で『野球の神様』と称えられる伝説的な大選手ベーブ・ルースのその記録というのはどんなものであったのか、意外と数字が伝えられていない。それはネットで検索したらすぐ分かった。1918年の「13勝・11本」、ベーブ・ルース23歳の記録だそうだが、出場試合、登板数などは不明であった。
ともあれ、私も104年ぶりの「快記録」達成を首を長くして待っている一人である。


今朝(6日)の朝日新聞に『東大推薦入試 合格を出す学校の教育法は』という見出しで、受験校として名高い2校の例が載っていた。明日も含めて5校の例が紹介されるという。有名大学の入試合格を目指したかつての教育システムとは一線を画すものということなのだろう。
数日前のことだが、私の卒業した高校が似たような感じで、新しい教育の様子がテレビで紹介された。これもいわゆる「受験校」からの脱皮を図る教育スタイルであった。
私のその母校は都立校として初めての中高一貫校となり、「都立K中等教育学校」と名を変えている。
私の時代も「受験戦争」と言われてはいたが、高校の校風や生徒の気風は受験戦争という文字とは異なる大らかな雰囲気であった。大学入学後にクラスメートになった友人に聞くと、端(はた)からは「受験校」と言われる高校もイメージとは異なって意外と「我が校と同じようだなあ」というところを感じた。
それは60年も昔のことではある。
我が母校は1918年に旧制中学校として創立し、4年前に大々的な「創立100周年」行事をした同窓会だが、定期的に送られて来る同窓会誌にめを通すと、初代校長が提唱した「立志 開拓 創作」の精神が今もって校是として貫かれていることが分かる。




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