正岡子規の住んでいた根岸の子規庵。
昭和二十年に空襲で焼けてしまったが
門人たちの尽力で昭和二十五年に再建され
現在に至ってる。家は焼けてしまったが
貴重な資料などがあった蔵は残ったという。
子規終焉の間にしばし佇む。
この六帖の間で病臥しながら
子規は恐ろしいまでの生命力で
文学の近代化のために情報発信したとある。
仰臥漫録を読んだが、子規は健啖家であり
あの明治にあってかなりいいものを食べている。
それにしても、あの時代に結核でここまで
生き永らえるのは奇跡というか驚異的なのだそうだ。
しかし、それでも34歳11か月の生涯は短い。
明治三十五年、九月十九日 月明に逝去。
その前日に絶筆三句を残している。
月照す上野の森を見つつあれば
家ゆるがして汽車行き返る
冬ごもる病の床のガラス戸の
曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ
汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き
母と二人いもうとを待つ夜寒かな
首あげて折々見るや庭の萩
漱石が来て虚子が来て大三十日
以上は子規庵のパンフレットに掲載されていた
子規の短歌と俳句である。
いずれも心を打つ作品である。