陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

子規絶筆三句の碑

2019年06月20日 | slow journey

“河東碧梧桐の「君が絶筆」によれば
明治三十五年九月十八日、朝から
容体の思わしくなかった子規は
妹の律と碧梧桐に助けられながら
かろうじて筆を持つと画板に貼った
唐紙の先ず中央に「糸瓜咲て」と書きつける。
(以降略)”
(子規庵保存会パンフより抜粋)

絶筆三句の句碑は子規没後百年を記念して
平成十三年九月十九日に建立されている。

をとゝひのへちまの水も取らざりき
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず

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子規終焉の間

2019年06月19日 | slow journey

正岡子規の住んでいた根岸の子規庵。
昭和二十年に空襲で焼けてしまったが
門人たちの尽力で昭和二十五年に再建され
現在に至ってる。家は焼けてしまったが
貴重な資料などがあった蔵は残ったという。

子規終焉の間にしばし佇む。
この六帖の間で病臥しながら
子規は恐ろしいまでの生命力で
文学の近代化のために情報発信したとある。

仰臥漫録を読んだが、子規は健啖家であり
あの明治にあってかなりいいものを食べている。
それにしても、あの時代に結核でここまで
生き永らえるのは奇跡というか驚異的なのだそうだ。

しかし、それでも34歳11か月の生涯は短い。
明治三十五年、九月十九日 月明に逝去。
その前日に絶筆三句を残している。

月照す上野の森を見つつあれば
家ゆるがして汽車行き返る

冬ごもる病の床のガラス戸の
曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ

汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き

母と二人いもうとを待つ夜寒かな

首あげて折々見るや庭の萩

漱石が来て虚子が来て大三十日

以上は子規庵のパンフレットに掲載されていた
子規の短歌と俳句である。
いずれも心を打つ作品である。

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六月の子規庵

2019年06月18日 | slow journey

山手線鶯谷駅で降りて根岸へと向かう。
この鶯谷駅を降りたのは初めてである。
山手線の中では一番乗降客数が少ない駅と
何かに書いてあったような気がする。
駅前のマック(関西ではマクドだが)で
時間調整を兼ねてコーヒーブレイク。

鶯谷駅から根岸方面へ歩く。
しばらく行くとラブホテル街に入った。
こういう風景、わたし結構好きである。
整然としている街は好きじゃない。
ていうか全然つまらない。欲望と混沌こそが
街の表情を創ると私は思ってる派である。
上澄みだけを掬ったような街に魅力はない。

“休憩〇〇円、泊り〇〇円~”、
嗚呼!あの時代は「♨」マークと言ったっけ。
辺りを窺いながら彼女の肩を抱きつつ一気に入る。
あの我が青春は一体どこへ消えちまったんだろう!
初老の諦念という寂寥感がちくりと心を刺す。

そのホテル街を抜けた先に件の子規庵はあった。

「たのもう!」ではないが、玄関で声を掛けて
木戸銭?を払いあがり込む。やっと来たぞ!
俳人にとってはここは歌枕ならぬ俳枕の地だ。
一度は訪ねておかねばならぬ地である。
開館時間すぐだったので、来庵者は私たちと
もうひとり旅の初老の方だけであった。

子規の病臥の間から庭を眺めてみる。
へちま棚はまだ茂ってはいなかったが
ここから子規は何を思い考えていたのだろう。
愛用の文机にも座ってみた。
膝が立てられるよう、机の一画は
四角く切り取られていた。膝を入れてみる。

座机の正面に庭の全景を眺めた。
茂りの庭にはほつほつと十薬の花、そして
一叢の未央柳が明るく咲き揃っていた。

しばし子規のこと、そしてかつて
ここで繰り広げられた句会の様子などに
思いを馳せる。投句も終えて
子規庵を後にした我々は、例えて云うなら
なんか忘れ物をやっと取り戻したような
そんな安堵感に包まれていた。

すこし雨が降ってきたようである。
根岸を濡らす六月の雨。濡れながら
私たちはかつて子規も食したという
老舗の料理屋へと下町の路地を抜けた。

■子規庵
東京都台東区根岸2-5-11
10:30~16:00

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薔薇の日日

2019年06月17日 | cocoro

今、我が家は花の香に包まれてる。
百合の香に薔薇の香など。
小さい家だからもう充満している感。

この花はとある受賞のお祝いに
親しい友たちから贈られたもの。
花って貰うのもいいが、贈るのもなんか
幸福な気分にさせてくれるから好きだ。

受賞式で花束を受け取る。
そんな幸せの瞬間を頒ち合う。
このような場を経験することは大事だと思う。
芸術はインスパイアされることが何よりだ。

さあ、次は貴方たちの番だ。
その日は近いうちにきっと来る。
その時は私も花束を持って駆けつけよう。
そして満面の笑みでこの瞬間を頒ち合おう!

薔薇の香に包まれてゐる祝ごころ
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梅雨雲を抜けて上京

2019年06月16日 | slow journey

神戸空港、午前七時五分発の一番機。
梅雨雲の上を飛んで東京へ。今年も
表彰式という晴舞台に出席するために。
二年続けてという僥倖である。

後輩の句友たちと語り合いながらの機上
あっという間に羽田に着いてしまった。
久しぶりの東京は、雨こそまだ降っては
いなかったけれど重そうな梅雨曇であった。

日曜のこの時間の空港はどこかゆったり。
がらがらのモノレールと山の手線を
乗り継ぎ私たちは鶯谷駅へと向かった。

梅雨雲をひとつ飛びして東京へ



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紫陽花いろいろ 青

2019年06月15日 | nonoka

紫陽花が街角に咲き揃ってきた。

薄っぽいさみどりからだんだんと色づく。
ここの紫陽花は何色かな?なんて楽しみも。

御影の路地、民家に咲いていた青の紫陽花。
けっこう振りの大きな毬である。

咲いて初めて、あれ?
ここにも植えてあったんだと気づく。
結構あちこちで咲いている。
日本人に愛されている花である。

今日はこれから結構降りそうだ。
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葱坊主たち

2019年06月14日 | nonoka

葱坊主は歳時記の四月に載っている。
葱の花とか葱の擬宝とも。
細かい白い花が球状につく。

葱坊主寄り集まつてかたまつて
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野蒜の花

2019年06月13日 | nonoka

この草の名を冠した句会を主宰している。
若手を中心とした句会である。
若手といっても30代~50代が中心の句会。
60代でも俳句界では若手であるから
超若手の句会かもしれない。

野蒜の花が咲いていた。この野蒜
探しているときは中々見つからないのだが
そうでないときは意外な場所で見つけることが多い。
この花も阪神電車の高架下の側溝辺りで咲いていた。
誰かが植えたのでもなさそうな感じで生えている。

野蒜のようにすくすくと育って欲しい。
そう願ってつけた名前である。

まつすぐに伸びて野蒜の花となる
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未央柳のオフィス街

2019年06月12日 | nonoka

仕事を終えてひと駅歩くことにしている。
御堂筋を本町から淀屋橋まで。
この時期、黄色い花が目に付く。
大方は金糸梅だが未央柳も咲いている。
よく似た花であるが、未央柳は蕊が長い。

ほつほつと未央柳の黄の確か
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水辺の黄菖蒲

2019年06月11日 | nonoka

播但線の駅まで歩いていたら
水田の淵を彩る黄色い花。
近づいてみると黄菖蒲である。
菖蒲でもこちらはヨーロッパ原産。
水辺などに結構野生化して咲く。
花菖蒲と違って逞しいのだ。

黄菖蒲の咲きたいやうに咲く水辺
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