陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

2月の読書 ベラ・チャスラフスカさんのこと

2006年02月03日 | slow culture

“だれにも歳月はめぐる。
若き日の輝きをそのまま見ようとするのは
無理というものだ。
が、その気品と意思的な視線は変わらない。
ただ近年の貌(かお)はどこか苦悩を
押し殺してあるように感じられるのであった”

■ベラ・チャスラフスカ 最も美しく 後藤正治著

「ベラは精神病院で小鳥のようにふるえていた」
という悲しい文言に衝撃を受ける。

ベラ・チャスラフスカ…。
東京オリンピックの記憶は正直あまり覚えてない。
チャスラフスカ選手の印象は、物心ついた
1968年の、あのメキシコ大会である。
今でも脳裏に鮮明に記憶している。
それほど美しい体操選手だった。
彼女ほど名花と呼ぶにふさわしい女(ひと)はいない。

“私は1968年のプラハの春を信じたまでで、
残りの人生をおカネに不自由なく暮らすために、
自分に背きたくなかったのです。”(抜粋)

素直な一女性の心情だと思わずにはいられない。

ただ、
祖国の政治体制に翻弄され続けた彼女が、
今の境遇にあることが正直とても悲しい。
こういう女性こそ幸せな人生を歩んで欲しいと思うのは、
当時を知っている日本人なら誰でも思うことだろう。

著者は最後にこう記している。
“ベラ・チャスラフスカによぎる言葉を列記すれば
<節義><信義><規範><倫理><献身>…
といった類の言葉である。
けれども時空を超えて不易なるものは
このような言葉に付随する精神の形である。
…ベラの回復を祈る。”と。

私も切に願わずにはいられない。
このようなひとがそんな寂しい人生の終焉を迎える
ことだけはなんとしてでも避けて欲しい。
神に願うことしかできないが…。

この作品では体操界で名をなした
ソ連・東欧の選手たちのインタビューも紹介されている。
いずれも厳しい境遇の中で咲いた名花たちである。
彼女たちの人生を支えたものは
決して豊かな待遇などではない。
メダリストとして
自らに対して課したその孤高なまでのプライドと、
祖国や家族など身近なものへの偽りのない愛こそが
彼女たちのその後の人生を支えてきたことがわかる。
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