大阪に行った折は曾根崎・お初天神をしばしば通る。
ここは正式には露天神社と言う。
文徳天皇の御代、嘉祥三年(850年)に定めた
「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、
「住吉住地曽祢神」を祀ると伝えられていたという。
昔この地は曾根州と称する孤島だったとか。
曾根崎の地名はこの神の名から来ているのだ。
901年道真公が配流の折、この地を訪れ
「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを想ひ出づれば」
と詠んだころから、菅公を偲んで露ノ天神社と
名付けられたのだそうだ。
そして元禄十六年四月七日
堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の
手代「徳兵衛」が、ここの「天神の森」で情死し
日を置かず「曾根崎心中」が劇化され上演される。以後
上演の度に観劇後多数の人がここを参詣したことから
「お初天神」と言われるようになったのだと言う。
以来恋の祈願の聖地となっているのである。
場所柄、色んな恋が錯綜する地でもあるだろうから
ここを訪れる人は後を絶たない。
私にはそんな恋はないけれどここに来てしまう。
何となく漂う気に惹かれるからである。