川の流れは自然の法則で下流に流れます
葬儀の流れの変遷は
「楽」や「便利」の基準でも流れていきます
いろいろなしきたりや風習でさまざまな葬儀の形態も
住んでいる土地で独自の形が残っていた時代は過ぎて
情報伝達の速さとインターネットの普及で
大きく舵を切っています
流れは
個人主義と核家族いう船に乗り
楽や便利や低価格の方向へと向きを変えてきたのです
今の、「式場での葬儀」を例にとっても
普及した一番の理由は
「便利で楽」だからなのです
この、便利の中身には
ご近所さんや地域総出のお手伝いが要らないことも
あげられます
お礼の負担の軽減と、お手伝いする側も仕事を休まなくても
よくなりました、そして葬儀社さんの都合に合わせた
式場での葬儀になりますから
葬儀社さんも「楽」になったのことは間違いのないことでしょう
それが、数年続けば
画一化され、ベルトコンベアのように、機械の前で待つ作業のように
通夜があり
告別式があり
また、通夜があり
告別式があり・・・・
と、式場を基点として葬儀の流れが出来ていきます
この終わりの無いような流れが
葬儀の価値感を変えても来たのでしょう・・
いつの間にか
葬儀社の方も
汗をかかず、効率よく、しかし利益を上げなくては・・・
に追われていきます
式場葬と自宅葬とも違いは「楽」と引き換えの
コストが掛かることでしょう(式場の開設・運営費用)
自宅葬の時代には、手間は掛かりました、なにせ自宅ですから
全て道具は持ち込むわけですし設営もするのですから
しかし、自宅の場合
「電気代」から「式場代」駐車場からお手伝いのスタッフまで
全てが家族と取り巻くお手伝いの人たちの負担になっていたのですから
葬儀社さんのコストは少ない人数の人件費と祭壇とかの道具が主でした
すなわち、葬儀社さんのコストから見れば
自宅の葬儀の時代より「式場葬」のほうが何倍もかかります
ところが、葬儀の単価自体は極端な変化はありません
そんなわけですから
葬儀社さんは「楽」な分以上「コスト」に追われ
効率を良くするために
少ない人数で、たくさんの葬儀をこなすようにせざるをえなく、これまた
サービスの低下を助長させ兼ねないサイクルにと進んでいきます
祭壇も設置された常設が多いはずです
で・・・
昨日も今日も明日も・・・
同じような内容の葬儀が流れていく
川が出来てきたのです
う~むぅ・・・
これは時代の流れからこれまた自然のことでもありましょうか
世の中は
Iフォーンのように
便利なモノ、楽なモノは
流れを変えていくきっかけになることは
自明の理ですからね
今更「昔に戻りましょう」と言っても
黒電話にはならないのです
葬儀も同じように
自宅に戻ることが出来るかどうか・・・
人間一度
「便利」と「楽」を掴むと
放さない習性があるようですから・・・
この先直葬とかが増えれば
式場のコストの回収を見ないまま
直葬を取り込んでいかなくてはいけない
川下に向かいつつあるのです
川下になれば流域が広がり
流れこそ緩やかになりそうですが・・・(笑)
直葬の広がりはどこまで
流域を広げるかでしょうか・・
まだ、海原は見えませんから
川の流れもどうなるかはわかりません
出来れば直送という川の流れは
緩やかな流れで
支流のひとつであると、本流に渦も巻かない
自然の流れになることでしょう
そんなわけで
葬儀の流れの本流は
誰が作っているのでしょうか・・・・という
まわりクドイ話であります