マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『われ敗れたり』(著:米長邦雄 出版:中央公論新社)再読

2013年02月10日 | 読書

 前将棋連盟会長で、名人だった米長邦雄永世棋聖が12月18日、前立腺ガンのため69歳で亡くなられた。衷心よりお悔やみを申し上げます。
 「さわやか流」とも「泥沼流」とも呼ばれた棋風で多くのファンを魅了した棋士だった。

 
本に触れる前に語るべきことが多いので少々脱線を。
 将棋指しとしては一番好きな棋士だった。20歳代の頃、朝日新聞の順位戦(当時は彼はB1クラスに在籍)に初めて登場した彼の棋譜を見て、躍動感溢れる駒捌きで、将棋好きの私は、たちまち彼のファンとなった。”学生村”での日々だった事も記憶にある。その後、A級に上り、王将や棋聖も含め4冠王の栄冠を手にするも、中原誠名人に6回挑戦し、ことごとく敗れ、名人には手が届かず。私も何度も悔しい思いをした。

 彼の出身高校は都立鷺宮高校。1992年(平成4年)に私が偶然にもその鷺宮高校へ転勤した翌年に、7度目の挑戦で漸く名人位獲得。名人位の最高年齢を更新した。自分の事の様に嬉しかった。学校付近で犬を連れて散歩する姿や、高田馬場駅近辺の飲み屋街に消えるラフな姿の彼を見かけたこともあった。
 しかし、その後東京都教育委員になった頃から、その考えや言動は私の考え方と逆方向のベクトルを持つことを知る。高校時代に授業を抜け出して安保デモに出掛けた面影はなかった。2004年の園遊会で彼が
「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言したのに対し、天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と冷静に返されたことが強く印象に残る。東京都の教育現場に幾多の混乱をももたらした。

 昨年出版した「われ敗れたり」が遺作となった。将棋ソフト「ボンクラーズ」と対戦して敗れた一部始終が語られている。棋士が今後コンピューターソフトと対戦する際に前もって読むべき”バイブル”となるなるほどの力作である。
 ボンクラーズとの対戦が決まると、彼は数ヶ月にわたって相手の研究を重ね、断酒し、戦略を練るのだ。思えば彼が癌と闘う日々と重なる。
 対戦は”ニコニコ生放送”で中継され100万人以上が観戦したという。それだけ関心が高かった。後手米長の初手は「6二玉」。プロの将棋指しの間では全く指されない”
悪手”のはずである。1秒間に1800万手を読み、定跡の記憶が凄い将棋ソフトに対し、定跡戦から外れ、力戦に持ち込もうとする彼の遠大な作戦だった。79手までは後手米長が圧倒的優勢に進むが、80手目にミスが出て、彼は敗れた。中盤戦で五分だとまずソフトには勝てないらしい。戦う前も含め、天晴な戦いだったと思う。
 
 コンピュター棋戦でも彼の功績大ある。3月23日の電王戦 第1局 阿部光瑠四段 vs ソフト「習甦}戦を皮切りに、5人の棋士が将棋ソフトと対戦するイベントが組まれている。A級棋士三浦弘行八段 vs GPS将棋も予定され、ニコニコ生放送の有料会員となってしまった私は今から観戦を楽しみにしている。
 
 「われ敗れたり」を再読し、私にとって、最後には良き思い出を残して世を去られた永世棋聖に感謝しし、ご冥福をお祈りします。