マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「東京『暗渠』散歩」(編集:本田創 出版:洋泉社)

2013年02月04日 | 読書

 本は買わずに、図書館で借りることが多くなっているが、久し振りに、今年に入ってから2冊購入した。「東京『暗渠』散歩」と「節義のために」(後藤正治著)である。「節義・・・」はエッセイ集で、毎晩、就寝前に2・3節ほど読み続け、「暗渠・・・」は全体を眺め終えたところ。
 日頃から、東京の「暗渠」の全体像を知り、その幾つかを辿って見たいと思っていたところ、格好な本の出版を知って購入し、今後に生かそうと考えている。

 序で「東京の暗渠」に触れ次の様に書き出している。
 『「暗渠」とは、かって流れていた川の流路の痕跡。蓋をされた河川や、地中に埋設した水路のこと。蓋をされた理由は様々だが、いずれにしろ、そこに水面があることが邪魔になり蓋をされてしまった川の痕跡。かって、山の手から武蔵野台地にかけて無数の川が流れていたが、今では本流(目黒川・神田川・渋谷川)を残し大部分が暗渠となり、その姿を消してしまった。しかし本当に川は姿を消してしまったのか。暗渠を辿ると、かって川が流れていた痕跡をあちこちで見出すことが出来る。それらは「川の抜け殻」である』とある。全く同感である。私が歩いている道の下を、かっては川が流れ、今は暗渠となっていることを知ると心騒ぐのである。”抜け殻”を発見すると興奮するのである。

 この本で紹介されている本流は、渋谷川・神田川・目黒川・呑川・石神井川の5つ。更に4つの上水に加えて、本流に流れ込む支流、例えば田柄川や九品仏川・谷田川などをも合わせて、30もの暗渠が登場している。そのなかで、部分的には歩いた暗渠もあるが、全ルート歩いたのは、巻石通りと谷田川の下流の藍染川。


 1月27日(日)、菊坂そばを流れていた「東大下水」を散策した。永井荷風が「日和下駄」で、”本郷なる本妙寺坂下の溝川”と記した流れ跡である。
 水源は本郷東大構内。そこから流れ出し、岩槻街道(現本郷通り)と交差する辺りが、「見送り坂」「見返り坂」。現菊坂に沿って暫し進んだ流は、菊坂と別れ、その左側の低い窪地を進む。樋口一葉や宮澤賢治の旧居を抜け、私の好きな菊水湯手前を左折し、曲がりくねった細い露地を抜けて、白山通りに出て、小石川暗渠に合流する。
 小石川暗渠に合流する”支流暗渠”は幾つもあり、それらを合わせて”東大下水”と呼んでいた。この本の著者も、東大(とうだい)下水と思いこんでいたようだが、実はそれは誤りで、”東大”(ひがしおお)下水が正しい呼び方。私も水源から判断し東大(とうだい)下水と長い間思っていた。
 この暗渠には、江戸から明治・大正・昭和・平成に掛けての時間が凝縮している。暗渠のラインを辿るとき、時空をも重ねて体験出来ることとなるのが暗渠散策の楽しさだと実感出来るルートであった。
 
(付記。この暗渠沿いに井戸が幾つか残されていて、菊水湯は井戸水使用である) 

        (菊水湯)

     (一葉旧居そばの井戸)

  
                (暗渠露地)