発端のときは1960年頃、処はイギリスの田園地帯にある施設「ヘールシャム」。物語の主人公の一人で、優秀な介護人キャシー・Hの、ヘールシャム時代への回顧から物語はスタートします。
生まれ育ったヘールシャムでの親友トミーやルースとの葛藤や交歓の日々。しかし、そんな日々の学校生活のなかで、生徒達はある疑問を感じ始めます。図画工作に力を入れ過ぎる授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度・・・。次第に事の真相を感じ取っていく彼らを前に、ルーシー先生は突発的に真相を語るのです。
『あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。中年もあるかどうか・・・。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。・・・・』と。。それは生徒達がうすうす感じ取っていた事柄であったことから、その話を聞いて、生徒達に大きな動揺は起こりませんが・・・。
クローン人間として作られ、”提供”者の介護人となり、その後提供者としての使命を果たして、終えるという宿命。普通の人間となんら変わらない感情や外見を有しながら、セックスを交わしても子供は作れないという無情な運命。クローン人間に、劣悪な生活環境ではなく、より”人間的”な生活環境を確保しようとの理想に燃えて作られた施設が「ヘールシャム」なのでした。
物語はヘールシャムとそれに続くコテージでの、主人公3人、キャシーとトミーとルースの織り成す青春の物語でもあります。仲違いして一人コテージを去り、介護人として生きて行こうとするキャシーは、10数年の後、提供者となったルースやトミーの介護人として再会。トミーと2人して捜しあてた家で、マダムとかっての先生に再会し、疑問に感じてきた幾つかを問います。先生と交わす問答から、個人の物語として語られて来た独白が、普遍性のあるテーマ(遺伝子工学に係る倫理の問題)として浮かびあがってきます。
静かで端正な語り口で始まり、どこにでもありそうな人間関係が丹念に語られるなかで、作品世界の奇妙なありようが次第に見えてきます。奇妙な世界が見えて来た後にも続く端正な語りから、主人公達の切実な思いがひしひしと伝わってきて、知らず知らずのうちに彼らに感情移入してしまい、心揺さぶられます。SFとも言えますが、近未来に起こるかも知れない物語として読み終えました。
(付記 著者カズオ・イシグロは日本で生まれた後渡英。以後日本とイギリスの二つの文化を背景に育ち、1989年発表の「日の名残り」でイギリス文学の最高峰ブッカー賞を受賞しました。またこの作品は映画化され現在上映中です)