ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

箱根を歩いた人

2014年01月11日 21時44分52秒 | ウォーキング

1月4日のブログで
「もし自分が箱根駅伝を走ったら」
というタイトルで、doironと箱根について
いろいろと書いてみた。
その中で、もし自分が関東に住んでいたら
箱根駅伝のコースをてくてくと
歩いているのに違いないだろうと書いたのだが、
やはり同じことを考える人はいるようで、
昨日図書館に行ったときにこんな本を見つけた。



う~ん、やはり同じようなことを考える人もいるんだねえ。
早速借りて読んでみた。
まだ一区のところを読んだばかりなのだが、
実に面白い。

沿道にある様々なビルや看板などにまつわる
歴史的なことも書かれてあって、
ますます箱根を歩いてみたくなったdoironなのでした。

ところで、この本の冒頭に、
テレビ中継のことが書かれてあって、
それを読んで驚いた。

日本テレビの完全生中継がスタートしたのが
昭和62年と書かれてあった。
doironが見始めたのが
昭和61年と思っていたのが、
これがまったくの勘違いで、
本当は昭和62年であったのだ。

ということは完全生中継を
最初から見ているということになる。

「順大4連覇」を見届けたというのが頭にあったので、
てっきりその初年の昭和61年から見始めた
と思いこんでいたことに気付かせてくれた。

どうりで、それまでそんなに面白いスポーツを
見ていなかったわけである。

またこの本には、沿道の地点ごとの
歴史的なことばかりではなく、
そういった駅伝の歴史も
細かく正確に書かれてあり、
いっそう読みごたえがある。

上野の不忍池に「駅伝発祥の碑」があるのも
この本で初めて知った。
東京に行く楽しみがまた一つ増えたところである。

一度過去に録画した映像と
この本をじっくり付き合わせてみたいが、
図書館の本なので返却しなければならない。

さっそく、ネットで注文することにした。
それが届くまではジムのバイクを漕ぎながら、
駅伝コースを歩いたこの本を
読んでみることにしようと思う。

バイクを漕ぎながら、
走ったコースを歩いた本を読む。
ちょっとややこしい。

そしてまた、近いところで
第1回から走っていた泉州マラソンや、
最近人気の大阪マラソン、
あるいは国際試合の選考レースである
大阪国際女子マラソンのコースを、
ランナー目線と街道ウォーカー目線で
きょろきょろしながら歩いてみるのも
悪くないなと考えたりもした、
本との出会いでありました。

夢は広がる。


韓ドラを巡るあれやこれや

2014年01月10日 22時08分15秒 | 最近の出来事

「ここできっと邪魔する人が現れるんだよ。」
「ああ、きっとこれは勘違いなんだわ。」
韓ドラの好きな友達に借りた韓国ドラマを見ていると、
横からミセスがいろいろと口を出す。

見たことのないドラマなのに、
それがまた本当にその通りになったりするので、
ミセスの韓ドラ歴の長さがよくわかるというものだ。

ドラマは数々あれど、
出演している人も限られていて、
ああこれはあのドラマで医師をした人だ
とか悪女を演じた人だ
とかいうのもよくつぶやいている。

doironの韓ドラ歴と言えば「冬ソナ」くらいなので、
その知識はとても限られている。
なので、まるで脚本家のように
ストーリーを予言する
ミセスの口出しやつぶやきにはおどろくばかりだ。

それほど展開がパターン化しているというのに、
なぜにこんなにも世の妙齢の女性方に
韓ドラは人気があるのだろうか。

ミセスに訊けば、
日本のドラマのように
何が何でもつじつまを合わせようとせず、
ひたすらエンターテイメントに走っている
ということがひとつあるそうだ。

キーパーソンが唐突に出てきたり、
舞台がいきなり遠方に変わったりとかしても
全然気にせず進んでいくストーリーが、
日本のドラマにはない面白さなんだそうだ。

もう一つは、整形に対する概念が発達しており、
イケメン、美女が多いということもあるんじゃないか
とものたまわっている。
また、以前はそんな男女のキスシーンでさえ
憚られる風潮があった韓ドラも、
最近は普通にキスシーンが出てきたりするのは、
ちょっと進んだ傾向なんだそうだ。
さすがにもっとどろどろした部分はまだ、
ミセスの知ってる限りではないというように、
底辺に根強く儒教の教えが流れている。
そういうところもまた人気の秘密なのかもしれないという。

韓ドラファンといっても
韓流スターが来日するときに
空港まで出迎えに行ったり、
本屋で韓流の本を買ってきて
むさぼり読むようなファンではない
ミセスの知識でさえこうなのだから、
世の中の韓ドラファンと言うのは
きっともっとすさまじいものがあるにちがいない。

そうそう、恋愛物のほか歴史物も、
しっかり作られていると
韓国の歴史がよくわかって面白いんだそうだ。

韓国で日本のドラマがどれだけ流れているかは知らないけど、
先日の首相の靖国参拝の問題や、
日本海の島の所有をめぐる問題など
外交的には厳しいものがあるが、
少なくともドラマを通じた文化交流は、
国の高級官僚が思う以上に
進んでいるんではないかと思ってしまう。

それと、テレビの韓ドラで、
連続もので流されているドラマなんかでは、
CMが実に強烈のも印象的だ。

「この人は何歳に見えますか?」
とか
「あんなにおデブだった私が・・・」
みたいな美容と健康食品などの宣伝が
めちゃめちゃ強烈で目につくのは、
ターゲットを妙齢の女性に絞っている番組
ならではなんだろう。

それはそれでひとつの商売土壌が
肥やされつつあるようにも思うと同時に、
韓ドラ市場が熟しつつあることを物語っているといっても
過言ではないだろう。

doironが借りたDVDは
サイバー犯罪を追及していくもので、そこそこ面白い。
しかしそれ以上に面白いのは、
韓ドラをめぐってのメディアの世界の動きが
とっても興味深いなと思う今日この頃なのである。

そんなの今に限った事じゃないよ
と言う韓ドラファンの声が聞こえてきそうですが、
韓ドラ初心者のdoironが、
借りたDVDを楽しみながら
そう思ったんだというお話でした。


世の中どんどん進んでいる

2014年01月09日 22時11分38秒 | weblog

友達がiPadを買い、
設定のレスキューに行ってあげた。

昔はパソコンを買ってきてコンセントをつないだら、
即使えたのに、今はネット環境の接続や
セキュリティ関係などいろいろな設定が必要となる。

なので、初めてのパソコン導入となると
なかなか手間取ることが多いのだ。
取扱説明書だって、
最近はペラペラのものしか同梱されておらず、
使いながらマスターしてください
っていうのがメーカーの態度だ。

使ったこともないのにいきなり
「言語設定」といったメニューが出てくると、
タッピングさえ慣れていない者に
即座に対応できるはずもない。

それに画面に出てくる言葉が
いちいちわからない、
というのが現状だ。

取扱説明書には、
設定がわからないときは
次のURLを参照してください
とあるのだが、
そもそもこれからネットをつなごう
というための設定なのだから、
接続できるはずもなく
戸惑うばかりだ。

iPadだから持ち運びできるので
どこででも設定できるというものの、
まずネット環境を整えておく
という前提での設定になるので、
テザリングやWi-Fiの持ち運び以外なら
作業場所は制限される。

友達の場合、
スマホのテザリングによる運用を考えているので、
まず携帯のキャリアであるdocomoの
契約内容を確認したところ、
現契約で月3GBの制限内での
高速テザリングは可能のようである。

友達の使用状況を聞くと、
まず通信制限にかかるような
通信はしないだろうということで、
契約はそのまま。

つまり新たなプロバイダー料金の発生や
設備投資は必要ないということになる。
あらためて設定作業に移り、
各種設定を進めた。

iPadの場合はicloudのメールを取得するのが、
以後の設定やアプリのダウンロードにおいても
手っ取り早い設定ができることは
自分のiPadの設定で経験していたので、
まずそれを取得。

そして、ひとつずつ押さえながら、
「次へ」をタップして出てくる画面に従ってゴニョゴニョし、
何とか設定が完了した。

これで、屋外であっても
携帯さえ通じれば
大画面でのネット接続が可能となるし、
Wi-Fi環境があれば
なお便利になる。

思えば、インターネットを始めた頃は、
電話機の横にプチンとコードを指して使っていたのに、
今やこんなに便利になるとはねえ。

しかも20年も前の話ではないのだから、
世の中の進歩には目をみはるばかりだ。

10年後にはどんな世界になっているのか、
もう想像もつかない。


雨の今宮戎

2014年01月08日 21時50分05秒 | ウォーキング

大坂の商業が発達し始めた頃と期を一にして、
商業の神様を祀る今宮戎が隆盛を極めていきました。
そして1月9日から11日にかけてを
十日戎と名付けて行われる例祭が
盛んになっていったといわれています。

明日から始まる十日戎に先立って、
今日8日に今宮戎に詣でてきました。
そこには今まで行ったことがなく
doironには初めての参詣でした。

雨降りだったのですが、
親父がデイに行っているので、
束の間の休息を逃す手はありません。
昨年から新たな仕事を始めているので、
「商売繁盛」を祈願するためにも
ぜひ行っておきたいところでした。
執筆の方も今は締め切りに追われている
事もありませんしね。

十日戎の期間中にはここには
100万人を超える参拝客が来るそうです。
なにより混雑のきらいなdoironは
それを避けての時間差ていうか日にち差のお詣りです。

まあ、戎様は十日戎の期間中だけでなく、
年中そこにおわすでしょうしね。

南海電車に揺られて
新今宮駅で下車。

そこからドヤ街を抜けて歩いていくことにしました。
このあたりの雰囲気は独特ですねえ。
電車を降りて出口に近づくと、
とっても人間臭い香りが漂ってまいります。

最初に見つけたのが、こんな自販機。



や、安い。
国の補助でも受けてるのかいな。
あるいは消費期限切れ?
そんなことはないよなあ。

ごみごみした道路を歩き、



線路下のトンネルを抜けると
意外に広く整備された道路に出ます。
それを線路に沿って歩いていきます。
通天閣も近くに眺めることができました。



また、途中にはこんな廃屋もそびえています。



道路の立て看も
多分この地域独特のものでしょう。



500mも行くと、やがて遠くに
「お帰り道」と書かれた横断幕が見えてきました。



混雑時にはきっと一方通行になるんでしょうね。

せっかくなので逆行はせずに「お参り道」の方に回り、
明日からの準備でごった返している通りを抜け、
ようやく神社に到着しました。



神社の中も、資材トラックやら大勢の作業の人で混雑していました。
これは比較的静かなところのショット。



まるで、マラソン大会の会場設営のような雰囲気で、
一種殺気立っておりました。

まずは本殿にお参り。



賽銭は箱ではなく、賽銭場所に投げ込む
そんな感じですでに設営されております。

覗いてみると、すでに賽銭が投入されていました。



明日からの三日間で
ここには山のようなお賽銭が投げこまれることでしょう。

本殿お参りの後は、
お札(ふだ)をいただきに受所へ行くと・・・
いました、いました。
いずれ劣らぬ美人の福娘たち。

でもねえ気の弱いdoironには
写真を撮ることができませんでした。

そこで真っ先に目についた
「小判」をひとついただきました。



熊手にいろいろつけてもらうほど、
しっかりした商売ではないので
これで十分です。
財布に入れておきましょう。

その先には、
往時の戎参りの様子が描かれています。



昔の資料に基づいて作成したものでしょう。
一番古いのが延宝8年(1680年)のこの絵。



この5年前の延宝3年(1675年)の大阪案内に
十日戎のことが書かれてあるそうです。
これらの絵を見ていると、
十日戎が昔から商売人の多い大阪人にとって
特別な祭りだったことが伺えますね。

明日からの混雑を前に、
こんなのをじっくり見れたのも、
時期を外してきたからこそだったのかもしれません。

神社を出たら難波に向かいます。
北側にはすぐに「廣田神社」があります。



西宮神社の北側にも
同じような位置に廣田神社があることから、
戎神社と北宮、南宮の関係にある
といわれていますが定かではないそうです。

難波までは、延々と出店が準備中でした。
こんな店や、



あんな店、



そしてまたこんな店。



え~、イカ好きのdoironの好みで撮影しております。

これは豪勢ですね。



う~ん、そそられます。



中にはこんな店も。





「はしまき」ってどんなモノなんでしょうか。



スパボーなるものも気になります。
しかもイタリア生まれとな。

まさか「スーパーボール」の略じゃないでしょうね。

おっと、クマモンも来るようです。



道はそのまままっすぐ行くと、
今宮戎の参詣道として名付けられた
「戎橋筋」へとつながっていますが、
出店は難波の交差点の手前が北限のようです。

ここにも「お帰り道」「お参り道」の横断幕がありました。



混雑を避けて前日に行ったおかげで、
いろいろと面白いものが見れたような気がします。

十日戎は明日から3日間。
行かれる方は、このブログを参考にしてちょうだいませ。

あ、そうそうカップルの方には、
お帰りの際、2月16日まで
なんば☆光旅が開催されているので、



ロマンチックなイルミネーションを
お二人で楽しまれるのもいいかもしれません。


2014描き初め

2014年01月07日 21時25分14秒 | お絵かき

字の書き初めもしたことだし、
ここらで絵の描き初めもしておこうと、紙に向かった。

さあて何を描きましょうかと、
折々にメモっておいた携帯のメモや
自分のブログを参照しながら
頭をひねったがなかなか思いつかない。

仕方なく、近所をぶらぶら歩いてみた。
田んぼは稲の刈り後も茶色く
雑草もなにやらふにゃふにゃと元気がない。
赤茶色のロゼッタが
あぜ道一面を覆っているが
これも色のお勉強にはいいだろうが、
平面的過ぎて面白くない。

もとより、生き生きとした自然の姿が
途絶えがちなこの季節だ。
歩いていても思ったような画題はなかなか見つからない。

結局家に帰って、
庭を眺めてみてようやく思いついた。
そうだ庭の片隅で華やかな色彩を放っている
「葉牡丹」を描こうと。
早速スケッチをすることにした。



ところがこれがなかなか難しかった。
葉の形や一枚一枚の複雑な重なり具合、
影のつき方などが思いのほか描きにくい。
加えて、アウトラインをとったところで、
微妙な色のつき具合に
実際に絵具を置くときには苦労をするのは目に見えていた。

庭で凍えながら何とかスケッチを終えて、
それに向かって実際に絵具を持ってみたら、
やはり想像通りに難航した。

重なった葉に色を塗るのは難しい。
一枚一枚を区別するために
微妙に色を変えねばならない。
実際、自然の中には全く同じ色の葉なんてほとんどない。
重なった葉は重なって見え、
一体化して見える葉はないからね。

そんなことを思いながら、
見たままに書くだけなのに、
まったく思うように描けない。

濃い色の葉に薄い色の葉脈
と言うのも難しい要素の一つとしてある。

結局半分ほど色を塗ったところで、
こりゃどうにもならんと挫折。

無念さに顔をしかめながら、
スケッチブックの一枚を破り捨てた。

ということで、結局今年の
「描初め」は不発に終わってしまった。

へこむ~。

自分の描力のなさをこんな時には
もろに突きつけられる。

とはいえ、それは今に始まったことではなく、
こんな経験はこれまで何度も何度もあった。

一番印象に残っているのが、
昨年ヒガンバナを初めて描いた時だ。

単に「ああここにあるから描こう」じゃ仲々描けないもの
ということをいやと言うほど教えられた。

ヒガンバナを描きたいけど
うまく描けない。
さてどうしたものかと思いつつ。
足しげく現場に通って
何度も何度もじっとそばに寄り添って、
目と耳を傾けてみたら初めてそれらしく描けた
という経験がある。
それは一昨年から1年越しで描けた絵だった。



ボランティアで絵を教えてくれている先生は、
植物を描くときは必ずしも細かく精密に書く必要はないけど、
その植物を虫眼鏡を使ってでも
じっくり観察する必要はあるとおっしゃっていた。

野外のスケッチに連れて行ってもらい、
先生の教えに沿ってじっくり観察しながら描いた、
何の変哲もないヘクソカズラの葉っぱが、
自分でいうのも何だけど、
鉛筆一本でとってもよく描けたときには
その教えをなるほどと思ったものだ。
その時のスケッチがこれ。



どうやら、絵を描くときには
できるだけじっとそばにいて友達になり、
どう描けばええのと質問し続けて
はじめてようやく「描いてもいいよ」
という植物の許可がおりるのかもしれない。

残念ながら、
植物は永遠にその形では残らない。
今シーズンに友達になれなかったら、
また来年ということなので、
ヒガンバナ同様
葉牡丹もまた一年越しと言うことになりそうだ。
でももうしばらくはあきらめず、
もう一度友達になるところからやってみよう。

そんなことを考えた2014年の「描き初め」となった。


仕事始めと介護始め

2014年01月06日 21時23分37秒 | 生活

今日から世間が動き始めた。
doironも今日が仕事始め。
といっても編集室に行って
年始の挨拶をするだけでしたが・・・。

一方、家の方はと言うと
年末から芳しくなかった親父も
ようやく業務を始めた病院に連れて行ってあげることができた。
これを「通院始め」と言っていいものかどうか。

年末年始に体調を崩したら、
どこの病院に連れて行けばいいのか、
その辺も下調べをしつつ、
いつそうなるかとドキドキしながら晩酌をしていたが、
どうにか頑張ってくれて、
晴れて今日の日を迎えることができたのは、
親父の家族孝行というものだろう。

ということで、朝イチから車いすを積み込んで、
かかりつけの病院に搬送した。
正月明けということで混んでいるかと思ったが、
いつもの倍程度の込み具合。
もともとこの病院はすいているのだ。
昔から通っているので、
ずっと親父の経過を知っているから行くけど、
先生の口調があまりやさしくないので、
出来ればもう少し優しい先生がいいなあ。
すいている理由はその辺にあるのかもしれない
とひそかに思っている。

不自由な舌で受け付けの人や看護師さんに
年始のあいさつをする親父。
横で聞いていると「会えましておめでとうございます」
と言ってるように聞こえて仕方がない。

まったく、こうして無事に年末年始を乗り切って、
「会えまして」本当によかったなと
一人で笑ってしまったぜよ。

無事に診察も済み、
車いすと親父を積み込んで、
薬局に処方箋を届けて帰宅した。
かかりつけの薬局も昔からの御贔屓なので、
薬を家まで届けてくれるのだ。
量が半端なく多いのと、
朝、昼、晩に分けて1包化して届けてくれるので、
ありがたいことこの上ない。
結局、薬局、いつもの薬、いつもの注意事項で
初通院を終えた親父なのでした。

続いて母親スーちゃんである。
先月から入院しているスーちゃんを、
入院以来一日も欠かさず毎日訪ねている。
見舞いといっても、食事制限があって
何も食べさせてあげれないし、
いろんなお世話も病院のヘルパーさんが
こまめにしてくれているのでほとんどすることがない。

行くとたいてい半分眠っているのだが、
冷たい手で足を触って目を覚まさせてあげている。
その上で、色々と話しかけるのだ。

今が正月明けであることは
あまりわかっていないようだが、
初詣に行ってきたことを話したり、
年賀状を届けてあげているうちに
何となくわかってきたようだ。

ちなみにスーちゃんの誕生日は1月10日なので、
もうすぐ誕生日やなと話しかけると
「うん」と返事をするものの、
「いつやった?」と尋ねると

「忘れた」

だって。
自分の誕生日も忘れるものなんかなあ。

「そしたらいくつになる?」
と尋ねてみたら
口から出まかせなのか、
それともその頃からの記憶がなくなっているのか
「80歳」と答えてくれる。

本当は86歳なのになあ。

そんなスーちゃんに約束していたおみくじを
近所の神社に買いに行った。
ガラガラと御籤箱から出てきたクジは「十二番」。
運勢は「末吉」でした。

読めば、あとになればなるほどよくなる
というものでしたが、
「やまひ、長引く」などの言葉があったので、
スーちゃんには「大吉」だったで。
とウソをついた。

こんなウソなら神様も許してくれるだろうて。

でも、症状も落ち着いているので、
きっと正月が明けたら退院だろうと思っている。

とりあえず、こうして仕事も日常の介護も順調に滑り出した。


初練で走り初め

2014年01月05日 21時18分45秒 | マラソン

2014年の活動も順調に滑り出している。
2日の日には、歩き初めも済ました。
神社の初詣と母の見舞いを兼ねて
11キロをてくてく歩いたのだ。

実はその日、近所の公園で
3キロのランも済ましてあった。
たった3キロですが、
おせちとおもちで膨れた体に
カツが入ったような気がしたもんだ。

そして今日は、ジム仲間とランの初練習会であった。
メンバーの一人F原さんがここんとこ晴女なので、
おかげさんで気温は低かったが
日差しがたっぷりそそぐ中を走ることができた。

日焼けしたかもなあ。

コースは、ジムを出て
府道223号線を和泉中央に向かって走り、
はつが野5丁目の交差点を折り返す14キロ。

途中、一番きつい観音寺の坂や
小刻みにアップダウンのあるコースで、
起動していた携帯のアプリによると
全コースの累積高低差は約400mある。

ここは元気なころにはランやバイクでよく走ったコースだ。
真夏のカンカン照りや
土砂降りの雨の中を走ったこともある。
いろんな意味で思い出多いコースである。

しかしそれも今は昔、
今回は走り始めは足も重く、息も結構弾んだ。
この時間帯が最も体的に不安になるのだが、
一緒に走っている人がいると
一人で走るのと違ってやっぱり心強いし、
気持ちもまぎれるのがいいもんだ。
話しながら走れるペースなのもありがたい。

観音寺の坂にかかる頃には、
徐々に落ち着いて巡航状態となった。
巡航速度はキロ6分ちょいくらいのペースだろう。
ナビアプリでは最高ラップはキロ5分半を記録していたが
これは帰りの下りのラップだろう。

またこのコースは歩道が広いので走りやすいし、
遠くに見える山が徐々に近づいてくるのが
気持ちを前に向かわせてくれるのがいい。
遠くにそんな山を眺めながら、
和泉中央のビル群を抜けると、
一気に住宅街となる。

取材で来たお店を通ったりもする。
走りながらする話は
今年の箱根駅伝のことだったり、
サロマを含む今年のスケジュールだったり。

世間の大半は明日から動き始めるだろう。
doironも一応仕事始めで
編集に顔を出す予定である。
だから、正月でたるんだ体を
しゃきっとさせようと考えているんだろう、
走っている人がたくさんいた。

すごいスピードで追い越していく人、
音楽を聴きながら上機嫌で前から走ってくる人。
ほほえましいのは、親子で走っている家族もいたこと。

思えば年々少しずつ自信をつけて、
今こうして走れていることが、本当にありがたい。
自分のブログをひも解いてみると、
昨年の一月には
ほとんど走る話題が書かれていなかったもんね。
仲々順調だといってもいいだろう。

来年の走り初めの練習会の頃には
どんな自分になっているんだろう
と思いながらウキウキと走った。

折り返してからの復路は山下り・・
ではなく基本的に下り。
足の筋肉は全然平気なのだが、
疲れた体にはやさしいコースである。
途中ばらけたこともあり出発地点近くで後続を待ち、
体が冷えたのでさらに1キロを追加して走って、
今日の練習は15キロとなった。

また一歩前に進んだような気がする。


もし自分が箱根駅伝を走ったら

2014年01月04日 20時03分19秒 | マラソン

正月3が日は駅伝三昧。  
集めたデータを用意して
こたつにおっちんして観戦する。
サッカーの時はサムライブルーの
ユニフォームを着て観戦するのだが
さすがにランパンランシャツで応援はできんじゃろ。
おとなしく観戦する。

doironが箱根を見だしたのは
沢木啓祐監督率いる順天堂大学が
4連覇した初年。
昭和61年第62回大会からだ。
この4連覇中に山下りの6区で
史上初めて1時間を切った
仲村明クンが今は順大の監督をしている。

昭和61年と言えば、doiron29歳の年
まだ本格的に走り始める2年前の年である。
乳飲み子を膝に置き
のんびりと正月を迎えていた頃だった。

当時は「こんなに面白いスポーツを
なぜ今まで見ていなかったんだろう」と思っていた記憶がある。
それからの順大4連覇のかっこよさが
マラソンの世界に誘うきっかけの一つになったのはまちがいない。
当時、バンバン行けた出張の帰りに
わざわざゴールの芦ノ湖まで
寄り道して帰ったこともある。

最近では、2000年(平成12年)に
コースや区間距離の変更はあったものの
スタートとゴールは当時と変わらない。
今年の中継で知ったのだが
東京の読売本社前には箱根のスタートラインが
ゴールドのラインで埋め込まれているそうだ。
今年、東京に行く予定をしているので
ぜひとも見に行っておきたいと思っている。
もし関東に住んでいたのなら
今頃は絶対駅伝コースをテクテクと
歩いているのに違いないだろう。

往路は108.0キロ

今年の往路優勝のタイムは5時間27分13秒
もしこれを自分一人で走っていたら
100kmベストで換算すると10時間18分。
山登り、山下りのある高野山110kmだと
11時間丁度くらい。
ほぼ倍の速さで走っていることになる。
それでは1kmのベストタイムではどうか。
計算してみると5時間42分となった。
今年の箱根往路16位の上武大と競り合っていたことになる。
そうかあ、生涯で最も早く走った1キロのペースを越えて
彼らは108キロを走りぬいているのか。
すさまじいとしか言いようがありませんな。

結局復路も東洋大が制して
今年の箱根を完全優勝した。
出雲と全日本を制し、箱根で3冠を
目論んでいた駒大を見事に突き放しての優勝でした。
10人も走ると、一人一人がパフフォーマンスを
少し出し切れなかっただけで
大きな差になるもんですねえ。
区間も長いので、高校駅伝と違って、
各区間に潜んでいる魔物は多い。
練習を重ねて晴れ舞台に立ち
そこで疲労骨折した山梨のオムワンバ選手は
何故ここで?と無念の極みであっただろう。
しかし、足の故障は必ず治る。
来年は3年生。
これをバネに充実の学生時代を過ごし、
予選を勝ち抜き、来年の箱根で
ぜひ雪辱を果たしてほしい。

とにかくこれで、今年の駅伝シーズンは終わった。
と同時に正月気分も終わってしまったような
気がするのはdoironだけだろうか。


2014書き初め

2014年01月03日 22時00分24秒 | 生活

例年なら、ことはじめとなる
1月2日に書初めをするのだが
今年は、家族の体調のおかげで
年始の行事が一日ずつずれて
今日3日にすることになった。

朝から、箱根駅伝の復路を見ながら
書くことをぼんやり考えていたが
午後になって半紙を前にして
頭を絞り出した。

今年もどうやら介護に明け暮れそうなので
先ず書いたのがこれ。



明朗会計、ではなく明朗介護

常にこうありたいという願望を込めて
しっかりしたため
階段に張り出すことにした。

次に書いたのが
年末から入院しているスーちゃんのために
これ。



この三文字は、それぞれ形がよく似ているので
難しかった。
何枚も何枚も書きつぶし
一番「大丈夫」そうなのを選び
署名とハンコを押しました。

そして最後は、義母さんのために書いた。
毎年、doironの書初めを壁に貼ってくれているので
今年は願いを込めて、
日々の暮らしに役立つものをと考え
これにした。
夕方持っていき、壁に貼ってあげた。

キーワードはこれね。



前から温めていた言葉に、
その意味を添えたものです。



毎日目にしながら心がけて
いただければ幸いである。



やっと初詣ウォーク

2014年01月02日 21時03分20秒 | ウォーキング

年末から調子の悪かった親父の病状と、
大晦日から寝込んでいたミセスの体調が回復したので、
ロングウォークで初詣に行った。

まず最初に行ったのが
信太の森の葛葉稲荷。
スタートの読売新聞本社前でGPSをセットしてと、
違う違う。

玄関先でセットして、いざウォーキング開始。
まずは隣村にある、こじんまりした菅原神社で一礼。



ここには泉O津市の保護樹林である
「ケヤキ」がある。



ジダンとかぶるけど、
今年は樹木巡礼も悪くないなと思いつつ、先を急いだ。
早足なので、ミセスはすでに汗をかいているという。

国道を渡ると、たちまち田舎の光景が広がる。



田んぼの向こうに見える屋敷森が、
葛葉神社である。

南側からこの神社に向かうと
いつも道がややこしくなる。
たびたび間違えるので、
ミセスは「信太の狐にばかされてるン違う?」と言ってた。

結局樹幹を目印に、田んぼのあぜ道を通って、
ようやくたどり着いた。



ここまで約2.3キロである。



境内の夫婦クスノキには
息子の良縁を祈願しておいた。



この時買ったおみくじは・・・、
フフフ「大吉」じゃ。


よっしゃ―、
昨年に続いて大吉連覇である。

気を良くしながらそこを後にして、
足はテクテクと熊野街道に向かった。
次の目的地は
「よそでは手に入りにくいお守り」
をウリにしている富木神社である。

前回街道歩きの途中でここを訪れた時に、
細かく病気別に設定されたお守りの中から、
doironは「心臓のお守り」をチョイスした。
するとなんと、その後の定期検診で
心臓が「よくなっている」との診断を
初めていただくというありがたい後利益を
頂戴したということがあったので、
その古いお札を納めて、
新しいお札を購入することにしたのである。

歩きなれた街道を行き、





富木の交差点から村中へ入っていくと、
その富木神社がある。



前はひっそりしていたけど
さすがに正月は大勢の人で賑わっていた。
おまけに、境内では無料ぜんざいの炊き出しもされており、
きっちりいただいてきた。



今日の初詣はこの二社で終わりなのだが
せっかく、ここまで来たついでに、
高石の病院で寝ている
スーちゃんの見舞いに立ち寄ることにした。

高石街道を西進して、



こんな踏切を渡り、



住宅街の思わぬ細い裏道なんかも
猫のようにすり抜け、
ほぼ最短距離で病院に到着した。

足をなでてあげながら、
歩いて葛葉から富木に回って
初詣に行ってきたことを告げると、
「ああそう」というだけでさほど反応がない。
多分位置関係がよくわからないのだろう。

ただ、ここから歩いて帰るんだ
と言ったらびっくりしていたなあ。
よしよし、良い刺激になった。
一日一発はかましてあげないとね。

明日はスーちゃんの分の
おみくじを買ってきてやると約束したら、
普段は何の反応も鈍いのに
今回に限って「ええのんたのむわ」だって。

ま、その辺はちゃっかりしているじゃん
と少し安心した。

帰り道には道路沿いに咲いていた水仙を愛でながら、



舗装工事中の未開道路を無理やり抜けて



箱根芦ノ湖じゃなく自宅に到着。
合計11キロを歩いてきた。

箱根駅伝の1区間の約半分の距離にすぎないが、
おもち二個分くらいのカロリーは消費できただろう。