先日の夕刊に興味深い記事が載っていた。
奈良の春日山原始林の樹木に「ナラ枯れ」が拡散しているという。
ナラ枯れというのは、
俗にいうマツクイムシによる、松の枯死被害と並ぶ
森林被害のひとつである。
この被害の原因となるのが
「カシノナガキクイムシ」という
体長5mmほどの小さな昆虫らしい。
会ったことはない。
こいつは樹に穴をあけ
その穴の中で育てた菌を食べて成長するのだが、
その菌のうち「ナラ菌」という菌が
カシやミズナラの導管を詰まらせ
通水障害を起こすために樹が枯れるという。
樹が枯れたらまた別の樹に移動して、
せっせとエサとなる菌を育てる。
こうしてどんどん枯死する樹を増やしていくのだそうだ。
この記事に興味をひかれた理由は2つある。
ひとつは、奈良の春日山が
昨秋ジダンと歩いた柳生街道の西の起点であるということ。
あのときに見た大きなカシの木や
鬱蒼とした森の様子を思い浮かべながら、
そんな記憶を食いつぶされていくような気持ちになったりする。
そして興味を持ったもう一つの理由は、
一年ほど前に読み終えた
動物学者「日高敏隆」氏の「春の数えかた」というエッセイが
記憶の中にデンとあったからだ。
日高氏はその本の中で
「自然の生物多様性とは調和の上に成り立っているのではなく、
生きものたちの果てしない競争とせめぎ合いの結果として
できあがったものである」と述べている。
もともと自然には調和などないのだから、
「生態系の調和を乱す」行為というのも存在しないのだと。
だから「自然に優しい」という標語もおかしくて、
どれかにやさしくすれば
その相手には冷たくしているということになる。
なるほど、自然に対して人間のできることは、
人間にとって都合のいい優しさでしかないわけだ。
自然のあふれる豊かな山林を歩きたくても、
蜘蛛の巣にからめ捕られ、
ヒルに刺され、スズメバチに襲われるような
「豊かな」自然を人間は望んでいないから、
それらを排除しようとするのが
人間の勝手な「優しさ」ということになる。
春日山原始林の樹木を襲っている
ナラ枯れの対策は、
被害樹木にビニールを巻いたりするらしい。
枯死した樹から、その虫が這い出て、
他の樹に移らないようにする対策なんだろう。
そういった対策をするための
組織づくりをしていくというのが
このニュースの趣旨であった。
今はスーちゃんの加減も芳しくなく
あまり家も空けられない状態だが
そんなニュースを読んでいたら、
無性に山に行きたくなった。