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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪城の次は姫路城へ 3

2014年01月30日 20時54分06秒 | ウォーキング

天正8年(1580年)に、
羽柴秀吉は黒田官兵衛の城に入り、
翌年3重構造の姫路城を築きました。

その時に、官兵衛が進言して作らせた痕跡が
今もいくつか残っています。

西の丸を出て、「はの門」をくぐり
乾曲輪という場所に出ると、



赤い四角で囲ったところに
キリシタンであった官兵衛が作らせた
十字紋の瓦が見られます。



また「ろの門」から「ぬの門」を経て
入っていった二の丸は、
官兵衛が進言して作らせた
といわれる「野面積み」といわれる石垣の上にあります。



その二の丸には、
「官兵衛の歴史館」という名で
特別展示が行われていましたので入ってみました。
見目麗しき女性二人が出迎えてくれます。



そこには官兵衛の歴史が書かれてありました。

本能寺の変のあと、
秀吉が備中高松城から取って返して、
姫路城を通り、山崎の合戦へと向かったのは、
「中国大返し」というんですねえ。

どこかで聞いた昨年の流行語のルーツ?



なわけないか。

また、先週までの大河ドラマの中で出てきた
シーンのいくつかがこれからの布石になっている
ということを知りました。

例えば、官兵衛が堺に鉄砲を買い付けに行くときに
強盗に襲われるシーンがありました。
その時に官兵衛を助けた人物が、
後に運命的な再会をする人だったことや、
官兵衛の祖父が
最愛のおたつを失って嘆いている官兵衛にかけた言葉が、
のちに大きな意味を持つことなどを知りました。

そのシーンの出てくるのが今から楽しみです。

こうしてあらかじめ知っておくと、
ドラマの観方も深くなってくるから、
来てよかったなあと思った次第です。

歴史館には官兵衛と
その長男の兜も展示されていました。
いやあ、大きなお椀を伏せたような
官兵衛の兜はとってもユニークですね。



何となくおにぎり公式飲料のユルキャラ
「午後のこーちゃん」を連想してしまいました。



お椀はさかさまやけど・・・

ドラマの中にその兜が出てきたら
思わずおにぎりを食べたくなりそう、
じゃなくて、思わず拍手をしてしまいそうです。

姫路にあるトライアスロンチームの
バイクヘルメットはこれからはこれですね。

この特別展示は来年の1月まで公開されているそうです。

二の丸庭園には、お菊井戸もあります。



皿屋敷という名前で語られる怪談話は
江戸で語られるときは「番町皿屋敷」となり、
この姫路で語られるときは「播州皿屋敷」という名になります。
かの有名な怪談話の舞台がどこなのか、
まだはっきりしないんだと初めて知りました。

お菊が投げ込まれたといわれるお菊井戸は、
意外に深く、底の方にお金が投げ込まれているのが見えました。

それにしても城の大切な兵糧のひとつである
井戸に投げ込むなど、ちょっと信じられない話ですね。

再び、ぬの門をくぐって戻っていきますと、
傾斜が扇の勾配になっている石垣もありました。

現在改修中で立ち入ることのできない部分が多い姫路城ですが、
他にも見所はたくさんあります。

呪術的な意味を込めて石垣に組み込まれている人面石や、
宝篋印塔や石棺、石臼まで転用している石垣もあるそうです。

はの門のところでは、石燈籠の台石を
転用してあるのを見つけました。



ガイドをつけて(2000円)巡れば
これらを見逃すこともないのでしょうが、
我流で散策して全部を見つけるのは至難の業でしょうね。

時間の関係もあって、
とりあえず官兵衛参りの城巡りと割り切って、
城を後にしたdoironなのでした。

このあと、大河ドラマ館に向かいます。



大河ドラマ館は基本的に撮影禁止なので
残念ながら写真はありません。
でも、展示物はドラマに沿った趣向で並べられており
かなり、今後のドラマ鑑賞の手引きになりました。

なかなかためになった小旅行。
ちょっと気の早い話ですが
来年のドラマは、井上真央主演で
江戸幕末の長州藩士 吉田松陰の妹 杉 文を取り上げた
「花燃ゆ」だそうだ。
そういえば、萩往還のレースの時に
吉田松陰神社の近くを走ったっけなあ。
来年は山口にいきますかね。

このシリーズ、終わり。