ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

高槻ほっつき 1

2016年04月01日 21時15分57秒 | ウォーキング

え~、高槻といえば忠岡町ですね。
え?それは高月ですか。
そしたら、そうそう安土桃山時代に
領主となった高山右近が納めていた町
やったですかね。

町のあちこちに教会があったりするんですね。

それにジダンの会社もそのあたりに
のれんを掲げておりますね。

そういえば、ここで開催されている
ハーフマラソンにも何回か出たことがありますが、
ほとんど川沿いを走っていたような感じでしたな。

泉州に住んでる人間にとっては、
「高槻」といえばだいたいそんな感じの
イメージでしょうか。

で、そんな高槻を確認してみようと
今回はぶらりとほっつきにいってきました。

大きな田舎を想像しつつ行ってみたのですが、
なんとこれが大間違い。
この市は、もういまは大阪府内の中核市。
人口35万人を誇る大都市だったのです。

阪急京都線の特急も止まる
高槻市駅について駅前を眺めると、

「だ、大都会じゃあーりませんか」



バス停はある、タクシーは走っている。
決して牧師さんが馬に乗って
布教して回ってる姿なんかありません。

これはもう特ダネです。

気持を切り替えて回らなければなりません。

泉州の皆さん、高槻ってこんな都会なんですよ。
気持ちを切り替えてくださいね~。

でも逆に高槻の人も、
泉州をそんな田舎と思っているかもしれませんね。

泉州じゃ、道端を
こううん機が走るような・・・走ってるけど。

おっさんが、オジチャリに乗って
走り回っているような・・・乗ってるけど。

ま、そんな地域の誤解を取り除くためにも、
doironはブログで布教活動を
続けているわけですな。

では、ほっつき始めます。

ほっつきナビをセットしました。

城北通商店街を南下していきましょう。



最初は城跡公園のほうを
目指していくことにしました。



商店街は平日の朝というのに、
結構人がいましたね。

平均年齢は高いですけどね。

北大手という城跡を伺わせる
名前の交差点を過ぎて、



最初に右手に見えてくるのが、



カトリック高槻教会です。



ここには、こんな碑や



高山右近像があります。



そして高槻現代劇場を過ぎると、



左手に商工会議所が現れます。




この南側に教会堂跡碑があるのですが、
その前に野見神社の中を見ておきましょう。



ここはかつて牛頭天王社として
祈願されていたようですが、
高山右近が領主になったときに
社領が没収されたようです。

そのときの神職が慌てて
ご神体を避難させたのが、
前回行った石清水八幡宮でした。

ああ、こういう風にして
旅はつながっていくんですねえ。

中に入ってお参りをしたのですが、
その時にびっくり仰天のことがありました。

あっ!こ、これは大事件です。
特ダネです・・・

賽銭を入れようとふと箱の中を見ると、
な、なんと1万円札が
箱の中に転がっているじゃあないですか。

ちょっと頑張って指を伸ばせば
届きそうなくらいのところにです。

こ、これは貧乏なdoironを
救ってあげようという
神様の思し召しなんでしょうか。

これは心が動きますよねえ。

ここは周りには誰もいないような
静かな神社ですし・・・。

思わず手袋を外しそうになりましたが、
いやいやそんな罰当たりなことはいけませんね。

ふーと息を吹いて、
手の届かないところに飛ばしておきましたぜ。
まるで自分の賽銭みたいにね

こ、これで何かいいことでもあるでしょう。

それにしても大盤振る舞いな
お祈りですなあ。
宝くじでも当たったお礼まいりでしょうかねえ。

あっ、そんなこと言って
今日が4月1日やから
嘘言ってるんとちゃうかと
いう人もいるかのしれませんが、
本当です。
ちょっと醜いかもしれませんが
証拠写真もございます。

でも乗せにくいなあ
やめときましょう。

そんな心を動かされた神社を出て、
(何に心動かされるんやあ)
次に訪れたのがさっき見ようとした
「高山右近天守教会堂跡」です。



戦の成り行き上、
暗闇の中で和田氏を襲い、
領主となった高山右近。

その後こうして宣教師の宿舎も含めた教会をたて、
父である友照とともに
布教活動をするのですが、
戦国時代の士に対して、
宗教はどんな教え、
どんな生き方を伝えていったのか
ちょっと興味がわいたりしますねえ。

そんな戦いの教えはなかったでしょうねえ。

では次にこの碑近くの
「高槻市立しろあと歴史館」
を訪ねましょう。

続く。