ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

高槻ほっつき 3

2016年04月03日 21時00分15秒 | ウォーキング

道標はまだ続きます。



これは「右 大阪とん田茨木総持寺」とあります。

総持寺は前に茨城を歩いた時に
行った寺ですね。

とん田は摂津富田のことでしょうか。



そして左には京、伏見、八幡、山崎などが
書かれています。

さて、道はまた中心部のほうに
戻ってきましたので、



こんな看板も目に入ったので
ここらで食事にしましょう。



コンビニでお湯を調達しながら
いただいたのがこれ。



う~ん、おいしいんですよ。

汗をかいた体に鴨だしが
染み込みます。

でもちょっとこの頃
お昼のカロリーが高いかなあ。

ダイエットしないとなあ。
とりあえずスープは飲まずに
残しておくべきですな。

食後は何やらちょっと
落ち着いた歩道を北上していきます。



歩きやすい道やなあと思っていたら
橋がありました。



石標を見ると「八丁橋」と
書いてあります。



あ、さっきの交差点も「八丁畷」だったしなあ。

あ、そうかあここが、
参勤交代で通る
「八丁松原」の道なんですね。

こんな門や



大きな石が立っていてわかりました。



西国街道の方からくると
城に向かって若干の登り道です。
城の景色がよく見えていたんでしょう。
昔の絵にも描かれています。

その先で、道は高架道路の
歩道橋へと上がっていきます。



高槻を上から見たらこんな感じ。



もうちょっと高ければ眺めいいのになあ。
JRの上も超えて登っていきますと、
脳因塚への案内の標識が出てきました。



おっ、ここは京都大学付属農場の
古曽部温室です。



何が植わってるのかなあっと思っていたら、
現在移転作業中だと~。

あ、能因塚への案内です。
矢印は左向いているのに、
道がありません。



おかしいなあと思いつつ、
その辺を歩いていた男性に聞くと、
道路ではなく田んぼの中のあぜ道を
歩いていきなさいとのことでした。

え~能因というのは
西暦1000年頃の法師です。

「やまざとをはるの夕くれ来てみれば
 いりあいのかねに花ぞちりける」

その人の墓がここにありました。



入っていく道は細いのですが、
なかなか立派な墳墓です。

この辺りは町の中心部から
かなり離れています。



古い家があったり、入り組んだ路地が続いています。

そしてこれが「日吉神社」です。



山の中腹にありました。



そうそう、マンフタもまだ紹介してませんでしたね。
これです。



ウノハナとケヤキ、
そして清流が流れています。

はい、これで今回の見どころは
これですべて回りました。

大都会高槻と昔の京道が
通るような田舎とを
両面そこそこ楽しめたようです。

では道を下って、帰りの電車駅、
JRの高槻駅へと向かいましょう。



田舎町を出て、
広い歩道を駅のほうに向かって下っていきますと、
関西大学なんかが見えてきます。



立派な建物ですねえ。

そして駅です。



周りには立派な繁華街もある
立派な駅ですねえ。



本日ほっついたのはこんなコースです。



トータルで8キロくらいでした。

まだまだ高槻には、
ポンポン山も含めた山コースもあるようですし、
あの高槻ハーフマラソンを走った会場も
どこかわからないまま
ほっつきが終わってしまいました。

なんとなくまだ土地感覚がつかめないまま
ほっつき終わった感じですな。

高山右近周辺の施設と
歴史の散歩道の一部を
ほっついた今回のコース、
とりあえず終わりです。

また別のコースもあるんでしょうが、
それはまたいつか別に機会に
ほっついてみましょう。

終わり。