ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 中辺路大詰め 1

2016年04月24日 21時18分55秒 | ウォーキング

さあ、熊野古道も
いよいよ詰めの段階に入ってきました。

最初の頃は歩きつつ熊野に向かっている
という感じだったけど、
近頃は一歩づつ近づいてるって感触です。

熊野本宮大社まで、
残りは30kmほどでしょうか。

計画ではあと3回で最初の到着となるはずです。

いよいよその中辺路も大詰めです。

で今回は、前回の最後であった
道の駅熊野古道中辺路
からの出発となります。



走行距離は10kmほどでしょうか。

その道の駅に車を止めて、
では歩き始めましょう。



このエリア幹線の国道311号を渡ったら、
いきなり山道の古道が始まります。



あ~そういえば、
前回の道は結構きつかったなあ。
またあんな山道が始まるのかなあ
って感じです。



木洩れ日をぬって登って行ったら、
アスファルト道に出ました。



トンネルができる前の旧道かなあ。
その道をこんな標識を眺めながら
歩いていくと、



ああ~この季節らしいマムシ草が咲いています。



こんな葉っぱがいっぱいあったから、
この道には多いようだ。



再び道は山道に入ると、



ああそうだこの道にはこの標識があったんやね。

「24」番の標識です。



ということは、ずっと追い続けていた
あの中辺路のシンボルである
「牛馬童子像」が近いはずである。

歩き始めた頃、
この牛馬童子がはるかかなたの目標で、
いつ出会うんだろうかなどと
考えていたことがある。
それがもう目の前なのである。

しばらく山道を歩き、
一里塚を超えたあたりに、



熊野古道は下がっていくのだが、



その交差点のあたりに標識があって、
牛馬童子が道を20mくらい離れた
山の中にあるとなっている。

行ってみよう。

すると、暗い森の斜面が
やけに明るく輝く場所にその童子がいた。

これ。



「おお~、ついにここまで来たんやなあ」
と口に出てしまいました。



まずはこの辺りをじっくり見てみましょう。

牛馬同時の隣にいるのが、
あの役行者です。

そして後ろには不動さんのような
姿を刻んだ石造と宝篋印塔が立っています。





この牛馬童子のことを語るときに、
必ず出てくるのが童子の首破壊事件です。

平成20年にこの童子の首が
破壊され消えてしまう事件がありました。
かなり探し回ったのですが、
その首がどうしても見つからず、
あきらめて、中辺路町が
既存の資料を基に再生し、
付け替えたわけです。

しかし、その首も冬季の水の浸食と
凍結のために何度か破壊されたようです。

doironもじっと首のあたりを
眺めていたのですが、
その割にはしっかりついていて
知らない人ならわからないでしょうね。

その首ものちにバス停のベンチで見つかり、
今は保存されているようですが、
今後どうしていくかまでは
はっきりと決まっていないようだとのことです。
それにしてもひどいことをする
人間もいるんですねえ。

この牛馬童子は花山法皇の姿だ
といわれています。

牛と馬を引き連れる童子というのは、
弁財天に使える16童子の一人
と言われているそうです。

でもねえ、ここでここの童子の姿を見て
ふと思ったんですよ。

なぜ、馬と牛に同時にまたがる
などしてこんな山の中を移動したんだろうって。

で、調べてみたんです。

牛と馬はお盆の時に仏さんが乗る動物です。
なすびときゅうりで作りましたよねえ。
それと何か関係があるのかな
と思ったのですが、どうにもつながりが出てきません。

それにこんなメインのコースなので
訪れる人も多く、
いろんな人がここを訪れたことを
ネットに書いていますが、
なぜ牛と馬なのかなんて
誰も書いていないんです。

これは困ったなあ、
と図書館で借りた本なんかも
調べたのですがわかりません。

唯一見つかったのが、
この地方のことを書物に記している人の感想でした。

それは・・・

次回に続きます。