ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 中辺路大詰め 3

2016年04月26日 21時08分04秒 | ウォーキング

ここ近露は平たんな地で、
江戸時代には、宿が10件あり
にぎわっていました。

そして紀州藩により
「伝馬所」も設けられていたそうです。



今も華やかに、こんな花や樹木が



旅人を迎え、親切な案内も
しっかりと作られていますねえ。



あ、派手な政治看板は
消させていただきました。

道はここから、少し山道に入って



野長瀬一族の墓所を見に行きましょう。

先ほどの「カメヤ」が
野長瀬氏という画家であったこと。
近露王子の石板に
自分の名前を刻んだという横谷氏は
もともとは同じ一族であったことが分かっています。

いろんな武勲も挙げたこの一族の墓が
ここにあるそうです。

それがこれ。



山の中に放置されていたのを
こうしてここに祀ったと
案内には書かれてありました。

熊野古道沿いには様々な歴史が
転がっているんですなあ。

そんな近露の町から道は
徐々に離れていきます。

このあたり道はちょっと
入り組んでいますが、
こんな看板や



こんな道案内で





間違わずに進んでいけます。





あ、ここが「近野小学校」です。



「近露」にある「近野」小学校、
なんか命名に意味がありそうですねえ。

全校生徒が20数名でそのうち、
半数以上が他の地域から
ここへ移転してきた家族の
子供たちです。
熊野古道沿いの住みやすそうな地域
ということで移住の人気は結構あるようです。

それにしても全校20数名の学校にしては、
非常に立派な施設ですねえ。



その先から道はしばらく車道を歩きます。
どこか休憩できる施設があれば
そろそろ昼食の時間ですが、
なかなかそんな場所もないまま、



また道は山道へと入っていきます。





しかしさすがにこの辺りまで来ると
歩く人が多いからか、
山の道もしっかりときざまれていますねえ。

道標ももう29番まで来ています。

そして山道の先で見つけたのがこのベンチ。



しかし今日はお湯を沸かす予定なので、
もう少し火の気のちゃんと
見渡せる場所にしたほうがいいかな
とここもあきらめました。

その後、道はアスファルトに代わり、



こんなフキノトウの咲く



山の中の細い自動車道になってきました。

遠くには山が見渡せますね。



そして30番道標が過ぎたあたりで、



こんな道標のある村の入り口に到着です。



これは古い常夜灯を改造したものでしょうか。



そしてこの看板は、
熊野古道に関連する施設ですねえ。



カフェとかかな。
「サードプレイス」は
熊野信仰発祥の「三つの月」に
関連させていることはもうわかりますよねえ。

で、ふと後ろを振り向くと、
おお~、ここにこんな立派な
休憩所があるではないですか。



ここで昼食にしましょう。

荷物を引っ張り出して用意です。
今日は持参のおにぎりと、
コンビニで買った味噌汁をいただきます~。



相変わらず幸せ度満点で、
遠くの景色を眺めたり、
村の様子を観察したりしながら
おいしくいただきましたあ。

ここからしばらくは
遠くの山がよく見えます。

この辺りは最後に日本オオカミが
生息していた地らしく、
山の名前が面白いです。



これが「狼乢(おおかみだわ)山」
と言われています。



またこの山々で夜中に
一斉にオオカミが吠えることがあり、
それを「千匹狼」とも呼んでいたそうです。

それから、もう一つ。
久しぶりに「小栗判官」が出てきますが、
照手姫がこの山を判官を乗せた車で超えるのに
3日かかったことから、
三日森山と名付けられた山が
あったりもします。

それと右のほうには「乙女の寝顔」
という山があります。



一番奥です。

遠目に見るとまるで寝転がってる
女性の顔のように見えるそうです。

それがこれ。

う~む、なんとなくそんな風に見えますねえ。

そんな山々の景色に癒されながら、続きます。