ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

春真っ盛り大和街道 2

2016年04月16日 21時04分46秒 | ウォーキング

この神社、今では

「風市森神社」



と称されているが、
鳥居の表示には「風一森神社」。



建物には「風一森大明神」



と記載されたりしている。

そして古い書類を見ると、
たとえば紀伊長田の駅前に紹介されていた



鎌倉末期時代の「紀伊国井上本荘絵図」には



「風森」と称されている。

そう昔からこの辺りは川風、山風の集まる
「風森」と呼ばれていたのだ。

ではなぜ「一」や「市」がついたのか。

もともと3社が一つに集まったので
風が「一つ」になったからなのか、
それともいろんなものが集まるという意味での
「市」がつけられたのか、
その辺のところはじっさいはよくわからない。



ただ、北のほうにも「風の森」
という地名があることなんかを考えたら、
「風の森」は「風の神社」と
同一言葉であったりするので、
大和に続くこの谷道に吹く風には、
人々の心に語り掛ける
何かの力があることを
人々は感じとっていたのかもしれませんね。



ここを出たらしばらくは
住宅街の中の静かな道を進みます。



で、田んぼの中にふと現れたのが、



「右 いせみち」
「左 こかわ寺」

の道標です。
この辺りは「いせ」がよく出てきます。
そしてねえ、こんな洋風な家が
立ち並ぶ中でもこういう遺跡を



しっかり残しておこうとするのはいいですねえ。

なおかつまっすぐと広い道を進んでいきますと、
ここで道は折れ曲がっています。



大和街道は紀の川のほうを向いています。
進んでいきますと、
おお~これは見事な桜です。



粉河寺の横からずっと下ってきた
中津川の堤防が見事な桜並木です。

平日なのでガラガラ。
写真を撮ってた人にお願いして
一枚撮影してもらいました。



よく見ると川の水にも
桜の花がいっぱい浮いてます。



もうチリはじめなんですねえ。

紀ノ川沿いにまで出て、
桜と龍門橋と龍門山も
パチリとしておきました。



龍門山の山肌にも桜が
結構咲いているようですねえ。

それにしても、
ここから見てもなかなか
「紀州富士」の名前には遠いですけど、
この山を目標に歩いていると
なんかその姿が
たくましく見えてきますねえ。

また次の季節に、
山頂に和歌山県にだけ生息する
キイシモツケが咲くころに
行ってみたいたいものですな。

あ、でもその前にもう少し
山リハビリをしないといけないかなあ。

国道に戻ると、こんな表示がありました。



「かき・もも研究所」です。

え~っとここのカキはあまくてうまいなあ」
とか
「ここのモモはみずみずしいなあ」
とか研究しているんでしょうか。
手伝ってあげるのになあ~

そして松尾川を過ぎたら、
粉河郵便局のところから国道を離れ、
道はまたしずかな大和街道へと入っていきます。

地図にはここにおいしいパン屋さんがある
と書いていたので楽しみにしていたのになあ、
その日は休みでした。



珍しくお昼はパンにしよう
と思っていたのに残念です。

仕方がないので、
街道に入ってすぐのところにあるコンビニで、
いつもの昼食を買っておきました。

あ、どうろにこんなブロックが
埋まっています。



これは初めて見たなあ、
しばらくはこんなのが続くのでしょうか。

さて、この大和街道は、
前も書いたように
歴代天皇の御幸の道であったり、
参勤交代の道筋であったりしたので、
道筋に道標が結構あったり、
灯をともせる常夜灯が
残っていたりします。

ここもその常夜灯の一つであり、



また淡路街道の起点である
といわれています。

加太から友が島、淡路、四国と
進む道なんでしょう。

道標を読むと



「右 こかわ寺 わかやま」



「左 いせ・・」と読めそうです。

このあたりからしばらくは、
昔参りの古い作りの家や
昔並木がしばらく続きます。



そして、電柱の陰に
「弘法大師永代供養塔」が指し示す方角に、



「紀州の名水百選」があります。



衣を着たお坊さんがお水をくれないかと
村の人に行ったところ、
金気の多い水しか出せなかったので、
杖でポンと地面をつくと、
そこから真水がわいてきたそうで、
今も弘法大師さまの井戸だと
言われています。

続きます。