ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

堺せんぼく田舎道 1

2016年04月20日 20時43分31秒 | ウォーキング

え~っと、2か月ぶりの泉北ニュータウンです。

前回は光明池から泉が丘まで、
過去の歴史をちょこっと訪ねながら、
泉北高速の線路沿いを歩きました。

で今回は、栂・美木多から
泉が丘までの山道を中心に
歩くことにします。

大阪府の政令指定都市「堺市」でも、
ちょっと田舎に行けば
こんなのどかな景色があるんだという
「堺せんぼく田舎道」の始まりです。
さあ、それでは一緒に歩きましょう。



一人ですけど・・・

doiron家から一番近い
泉北ニュータウンの駅といえば
「光明池」かなあ。

我が町の農業用水もここの池からやってくる。

今回はミセスの用事に合わせて、
この光明池まで車で送ってもらい、
そこから泉北高速鉄道で
栂・美木多駅まで移動して
歩き始めるという方法をとりました。

これだと歩行後には
気持ちのよさそうな公園で、
ビールも楽しめる(目的は実はこれ)というものだ。
帰りはバスで帰ります。

9時過ぎには早くも
栂・美木多駅におりたちました。



え~っと、カメラを首からぶら下げて、
地図をポケットに入れ、
持参のお茶を飲んで、
ナビをセットしたらスタートです。

あ、ストレッチちゃんとしましたか。
この年になったら
準備は大事ですからねえ。



先ずは駅の南側に出て、
原山公園の緑道を南下していきます。



この公園には歩道と自転車道が
区別されていて気持ちよく歩けますねえ。
この辺は造成前はすっかり
山林地帯であったということです。

「原山」というのが、
そんな造成前の地区内の地名から
とった名前だそうです。



ああ、公園です。

し、しかしこんな山の中に
「かもめ公園」とはねえ。



名前を付けた人に「なぜ?」と
理由を聞いてみたいですねえ。

緑道の緑はかなり濃くなったような気がします。



さくらももう散り終わりですねえ。



この辺まで来ると、
周りに昔の山々が残っているような雰囲気です。

野鳥の声もずいぶん聞こえます。



お、植え込みの間から「スカンポ」(イタドリ)
が顔を出しています。

シャガやアケビなんかと合わせて、
こんなのも顔を出しているのは、
昔の山時代の名残でしょうねえ。

ああ、この辺に住んでたら
山菜狩りも熱心にしたでしょうねえ。

あ、堺市のマンフタです。



以前に古墳周辺を歩いているときに
紹介しましたよねえ。

モズとツツジとハナショウブでしょう。

モズはあの百舌鳥、
ツツジは浄水場ですかねえ。
そしてハナショウブは浜寺公園などでしょうか。

あ、この辺も桜がかなり散っています。



こんなに花びらが狭い通路や
水路に落ちたら水の流れをふさいだり、
洗濯物を汚したりしませんかねえ
と心配してたら、ああ、
こんなお掃除の人もいてはりました。



大変ですねえ。

こうして世間のお役に立つ
高齢者の人もいるのに、
こちらはちょっと暢気すぎますかねえ。

橋の名前は「タマムシ橋」です。



むむ、この辺なら玉虫がいても
へんではありませんな。

公園のわきには、
ちょっとした横山に上っていく
階段もありましたので、



そのたびに上って行ってみましたが、
とくに何かがあるわけではありません。



山地の開発でもとからあった小山を残して、
散歩道にしているんでしょう。

doiron は、一か所ごと上っては降りてくる
そんな散歩を繰り返しました。

はたで見ている人がいたら
変な散歩をしてるおっさんなんでしょうねえ。

さて、道は「庭代台」の方に入ってきました。



うう~、この公園看板は
掃除のし甲斐がありそうですねえ。

この「台」の名前も造成前にあった
集落の名前からとったものです。



造成したのが昭和54年ですから、
まだ40年は経っていません。

泉北ニュータウンには全部で16の
「OO台」があります。

それらは昭和42年から54年まで
12年かけて開発した大区画事業でした。

ところどころ残っている
昔からの集落とかには、
お寺や神社などもありますが、
たいていはdoironよりも
歴史の浅い開発地でできているのです。

へへ~っと続く。