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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

発展させてね山背古道 1

2016年04月05日 20時44分07秒 | ウォーキング

山背古道という道がある。

奈良のすぐ北側にある自治体が、
将来的に「山の辺の道」につないでいこうと、
京都南麓の山道沿いに整備を図っている道だ。

場所的にもう少し詳しくいうと、
城陽市から井手町、木津川市が手を組んで
もう、20年位前から奈良の方へと
つなげていく計画で整備されつつある。
現在は全長約25kmあるといわれている。
山麓の村々は地形に合わせて
道が複雑だけれど、
寺社や古墳などの歴史ある施設を結んで
積極的につなげられている。

これが完成して精度が上がれば
奈良県に長大な古代街道が続く。
ぜひとも発展させてほしいものだ。
ということで、こんなタイトルになりました。

「山背」の語源はよく知らないが、
この地方の「山城の国」という旧地方行政区が
「山代」「山背」「山城」と
呼ばれていたことによるのだろう。

もともとは、奈良の山の向こうは
「山代」と呼ばれていたが、
7世紀には「山背国」として国が立てられた。
そしてまた桓武天皇が山が城のようになっているところから
「山城」と名付けたところから、
「城」の字は今も「しろ」と読む原因となったそうだ。

そんな「山代」「山背」「山城」地方を
語源とするであろうこの道の一部を
先日ほっついてきた。
市内の桜をオジチャリで回る
ずっと前だからちょっとややこしいが
これは3月終わりころの話だ。

経路はJR奈良線の「玉水」から
「上狛」の10km程度だ。

車で玉水駅と向かった。



田舎だったら、駅にコイン駐車場なんかが
あるだろうと向かったのだが、
どうもこの駅周辺にはなさそうだったので、
結局今日の経路の途中に行き
その途中のPに車を止めて
歩き出すことにした。
そうして上狛まで歩き終わったら
電車に乗って玉水に戻り、
その駐車場までまた歩いて
やってくるという方式をとった。

これで目標区間はすべて歩いたことになる。

では午前の部は「蟹満寺」から歩き始めよう。



この寺の名前は変わってますねえ。
由来があります。

あるときに信心深い親子が
村の人が捕まえた蟹を助けました。
親子によって蟹は助けられたわけですね。
そしてその後、今度は蛇が
蛙をやっつけようとしたときに
「うちの娘を嫁にやるから助けてくれ」
とたのんだら、蛇がそれを真に受けて
カエルを助け、青年に姿を変えて
娘を嫁にもらいに来たそうだ。

でもやっぱりそんなことにならない
と思っていたので、
親子はそれを断ったらその青年(蛇)は
大いに怒り狂ったのだが、
ある時突然静かになったそうだ。

よく見ると、その姿は細切れになり、
周りに蟹の死骸が転がっていたそうです。

それを弔って建てられたのが、
この「蟹満寺」なんだそうだ。

こういう話が「今昔集」に出ているそうです。

この神社の前には「綺原神社」
というのがあります。



そうこの辺りは「綺原(かんばら)」と言われているそうですが、



これが「かむはた」あるいは「かにはた」とも
呼まれ、そういう意味で
「かにまんじ」とつながりがある
としている人もいるようです。



また、もともとこの寺は木津川町にあったものが
移転したものだという説もあり、
どうももう一つくっきりとわからなかったりするのですが、
今昔集の蟹の話が、夢があっていいですねえ。

弱い者が命を懸けて
強いものをやっつける。
あの自爆テロは許せませんが、
こういう話は夢があります。

お寺は拝観有料なので中には入りませんでしたが、
社務所の下に、こんなプレートが
置かれてありました。



真言宗の寺院で、本尊が釈迦如来坐像。
飛鳥時代後期の創建といわれるお寺です。

寺号がこれ。



え~っとここはいろんなご加護がありますが、
「足腰痛封じ祈祷」が行われています。



え~、この蟹満寺の話が長くなってしまいましたが、
今回のほっつきではじつはこのお寺参りが
ひとつ大きな目標だったのです。

さあ、ではまたほっつき始めましょう。

次に行くのは「毛蟹満寺」、そして「ズワイ蟹満寺」です。

うそだよ~ん、と続きます。