ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 中辺路大詰め 4

2016年04月27日 20時50分08秒 | ウォーキング

さて、道は近露から
大畑のほうへと移ってきます。



道端に大きな石碑が立っています。
「水道記念碑」と書かれています。
この地方は非常に水が大変だったようですねえ。

「ひとり娘はの中へやるな 野中吹きあげ 水遠い」

という歌があり、
そんな土地に水道が通ったことは
こんな碑を立てるほどの
大きな喜びだったようです。





昔はこの辺りまでバスが来ていたそうですが、
最近はちょっと離れた国道までしか
着ていないんだよねと、
地元の人の話が聞けました。

さあ、では次の王子が見えてきました。
ここが、「比曽原王子跡」です。



昔は檜曾原王子と言われていたそうです。



紀州藩が1700年ころに
緑泥片岩の碑を建てています。
明治の末まで100坪以上も
ある社地だったということです。

この王子を過ぎると
すぐにこんな地蔵があったりします。



この辺りでは久しぶりに見る
立派な地蔵ですねえ。



そうして32番の道標が済んだ頃に
トイレへの案内があります。



え?1000m先にトイレ?
いやあ、たまらんものには
とてつもなく遠いですねえ。



こんな案内のあるところで
道は上のほうに上がっていきます。

下の道を行っては行けませんね。
こんな看板がちゃんと建てられています。



一里塚を超え、



ちょっと工夫したこんな庭先も



超えていきます。

あ、その先に下に降りていく道があり、
そこに「野中の清水」がある
と書かれていますので、
結構な下りですが降りていきましょう。

それがここです。



近づいてみますと、
ここには水が上から
流れてきているんではなくて、
湧いて出てきているようです。
きれいな水がたっぷりと溜まっていました。



昔は熊野詣に行く人も
ここに降りてきて飲んだそうですし、
もともとこの地域一帯の人々の
大事な用水の一つでした。

今でも遠くからポリタンクを積んで
取りに来る人もいるそうです。

doironも一口飲んだ後、
下ってきた道をまたエッチらと上り、
熊野古道に戻ります。



あっ、ここにも紀伊藩が設けた
伝馬所の跡がありますね。





先ほどの近露にもありましたねえ。
このあたり人や情報が
多く飛び交ったんですかね。

で、ここで「継桜王子神社」に到着です。



ちょうどこの神社が
いま改修を計画しているようですね~
浄財代わりに賽銭をあげておきましょう。



その神社の入り口のところにあるのが
「継桜王子」です。



昔この地には、
檜に継がれた桜があったそうです。
そこに王子社が立てられ
この名前になったそうです。



この王子には巨大な杉があります。



もともとこの辺りには
たくさんの杉があったそうですが、
合祀令から9本の杉を守ったのが、
やはりあの「熊楠」なんです。

こんな杉が生えています。



中には、こんなくたびれた杉もあり、
樹齢は1000年ほどだといわれています。

これらの杉が高くそびえて、
枝先が熊野のある方角を
向いていることから

「野中の一方杉」

と言われているそうです。

確かに、この春には巨木を
いろいろ見てきましたが、
立派な杉でしたな。

その王子のすぐ先にあるのが、
この「とがの木茶屋」です。



屋根が萱で葺かれた
見晴らしのよい場所に立つ茶屋です。
そこにボランティアの
説明員みたいなおじさんがおられ、
いろいろと説明をしてくれました。



これが茶屋の中です。



地図や案内が置かれて
自由にお取りくださいとのことです。

「どっから歩いて張るんですか」
と聞かれたので
「とぎれとぎれに大阪から歩いてますよ」
と答えたら、感心して張りましたな。



でもそんな人も多いんでしょうね。

「近頃はね、外国人がとても多いんですよ」
とおっしゃってはりました。

ふむふむと続く。