ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 中辺路大詰め 5

2016年04月28日 21時12分29秒 | ウォーキング

とがの木茶屋のボランティアさんと別れて、
次に訪れたのが「秀衡桜」です。



え~っと、この「秀衡」という名前に
見覚えはありませんか、
前回のブログを思い返してみましょう。

「あっ、畑で猿と戦ってたおっさん!」

ちゃいます、ちゃいます。
実は、あの滝尻の乳岩のところで
子供が生まれそこに
赤ちゃんを置いてきた人ですね。

藤原秀衡さん。

その一行が、この地で
乳岩の子どものことを案じて
桜の枝を地面にさして
無事を祈ったそうなんです。

う~む、なんかやることを
間違えているような
気がしないでもないのですがね。

帰途、我が子の無事を伝えるように
桜が咲いていたそうだ。

そういう由来のあるこの地に、
残っている桜は
こんな風にかなりの老木でした。



生きてるのかなあ。

あ、でも秀衡氏は岩手に
「金色堂」を立てた人です。
この桜もそのうち黄金色に・・・
ならんわな。

そんないわれのある人に対し、
ここには岩手県平泉からの
文書が掲げられていましたよ。



その文書のすぐ近くに立っているのが、
「和歌山の朝日・夕陽100選の碑」です。



これまでこの碑は楕円形のステンレス製だったのに、



前回のサルと戦うおじさんがいた
畑のすぐそばの霧の里の碑から



こんな感じでおかれていますねえ。

中辺路独自の取り組みかなあ。

朝日に染まる一方杉や
熊野の山肌は息をのむほどの
美しさと言われているらしい。

しかしねえ、朝日・夕陽100線といっても
ほんとにそこで見たことがないなあ。
朝日を見るほど早起きでもないし、
夕陽に染まるほどここにいてたら、
危なくて帰れないしなあ。

取り組みは有名なんですけど、
なかなかお目にはかかれませんな。

あっ、これが一キロ先にある
と書かれてあったトイレですか。



立派ですねえ。
一キロ我慢した買いがありました。
用事を足しておきましょう。

さあ、ではまた景色を楽しみながら
下っていきましょう。



ん?このミカン畑に勝手に入ったら
100万円貰うんだそうです。



いやあ、これはすごい金儲けですなあ。
doironもやっておきましょう。
え~、このブログをコピーした人には
100万円頂戴します、なんてね。

そうして山を下りて来たら、



このあたりに
「安倍清明の伏石」があるはずです
と思っていたら、
前から歩いてきた重装備の人が
何かを写真にとってはります。

ああ、どうもそこが伏石のようです。
様々な伝説を残してきた安倍清明ですが、
ここ熊野でも多くの伝説を残しています。
その一つがこれです。



このあたりの山が崩れそうに
なっているのを呪文を唱えて、
この石に伏せこんだといわれています。

岩の頂上が少しへこんでいて、
彼の山抑えの念が形になって表れているようです。

で、その重装備の兄さんなんですが
こちらのほうを向いて
「これから熊野に向かうのですか?」
と聞いてきました。

「いや小広で帰る予定です」
「そうやろねえ。熊野までは間に合わんかなと思って」
と声をかけたんだそうです。

自分は近露で止まるといってた、
関東弁のおっちゃん。
年齢的に見てもdoironくらいの年齢です。
も、もしかしてこの春定年した
初心者おじさんだったかもね~。

もし、宿に泊まって
こんなおじさんと
酒でも酌み交わすようになったら
さぞやにぎやかなんでしょうねえ。

なんでもこの日は
熊野大社でイベントがあったようです。

そんな人とすれ違いつつ、
進んでいきます。



少し石畳風の道に出て、
ガードレールの風車を眺めます。



ああ~、最近空き缶の風車づくりに
凝っているミセスに
これを見せてあげなくてはいけません。

最近は、庭にぶら下げた風車を眺めながら、
三時のおやつ時間に
コーヒーを飲むのにはまっているそうです。

でもこんなん作り出したら、
癒されるどころか
ちょっとにぎやかすぎますかねえ。

その先に、なにやらトンネルがあり、
入り口が閉鎖されています。



ああ、閉鎖になったトンネルやなあと
近づいていきますとその時です。

何やら静かな山の風景の中に、
トンネルから低く響き渡るような
唸り声みたいな音が
聞こえてくるのです。

まるで、地獄の窯で燃やされている
人間の叫びのような声・・・



それは、と続く。