おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

北京三昧・ひとり旅 【備忘録】

2015年05月10日 | travel abroad
5月3日~5日、GW真只中、2泊3日弾丸ながら、中国・北京三昧のひとり旅に出かけました。
そんなこんなで弾丸格安ツアーは充実したものとなりました。中国3,000年の歴史を世界遺産を中心に堪能でき、天安門では現代中国の政治模様も垣間見ることができました。その他にも、2008年の北京オリンピックのメインスタジアムとなった「鳥巣」や水泳会場「水立方」をオリンピック公園(奥林匹克公園)を訪れ雰囲気を知ることができました。ナイトライフは「京劇」と「北京雑技」を鑑賞。食事は団体観光客向けのレストランにて味はそれなりのものでしたが、品数と一品一品の量は満足いくものでした。「全聚徳」の北京ダックも大変おいしゅういただきました。格安弾丸ツアーにしては納得のホテルで大満足。多分もう北京を訪れることはないと思いますが、何にも増して天候に恵まれたことが、今回海外旅行の価値を高めてくれました。弾丸なりに大納得の北京三昧。謝謝でございました。



“奥林匹克公園”鳥巣 & 水立方















“全聚徳”










“京劇”〔梨園劇場〕
















“新世紀日航飯店(HOTEL NIKKO NEW CENTURY BEIJIN)”




万里の長城(八達嶺水関長城)〔世界遺産〕

2015年05月09日 | travel abroad
5月3日~5日、GW真只中、2泊3日弾丸ながら、中国・北京三昧のひとり旅に出かけました。
一度は訪れてみたかった『万里の長城』は、「世界7大奇跡」の1つで、今回中国北京観光のハイライトです。万里の長城は紀元前7世紀の春秋時代から明代まで、約2,000年以上に亘り、造成を重ねてきました。長城の城壁は、中国が統一された秦の始皇帝の時代に、「匈奴」の侵略から領土を守るために建設され、その後、城壁は拡大と延長を繰り返し、明朝の時代に完成したといわれています。現存するものの大部分は、明代の建造で総延長約6,000キロの世界最大の城壁です。衛星写真でもはっきりと見ることができるのは有名です。2012年に中国は総延長は約2万1,000キロと発表していますがどうなのでしょうか。「八達嶺水関長城」は、北京市街から北西40キロに位置。この八達嶺水関は、ガイドブックなどで一般に観光地として知られる八達嶺ではありません。水関長城は明の長城の遺跡であり、400年も前に、倭寇退治の名将である戚継光の陣頭指揮によって築かれたものだそう。ここは険しい谷間に位置しており、V文字の形をして、今にも飛び立とうとする巨大な龍のように断崖絶壁の間を走っています。やぐらは敵を見張る望楼の機能があるほか、水門としても使用できる設計になっており、この構造は他の長城では見られないため「水関長城」と呼ばれるようになりました。急こう配の階段状の坂道は、さすがに息がきれましたが、五月の山並みの爽やかな風が心地よく、のんびりと登り、万里の長城を満喫することができました。さすがに常に喧しく厚かましいと感じる中国の皆さんも我先にではなく各々良いペースで静かに登っているのもストレスを感じず良い感じ。「長城に至らずは好漢に非ず」という古いことわざもあるほど、中国の人々の畏敬の念と誇りが、この「万里の長城」に窺えるからかもしれません。この世界遺産建造に、どれほど莫大な費用と、およそ数百万人の民衆が労働力として酷使され、幾多の犠牲もあったのだろうと容易に想像できるだけに、先人の偉大さと人力の逞しさを感じえざるを得ません。感動のひと言では済まされないだろう思いつつも大感動。謝謝です。












































頤和園〔世界遺産〕

2015年05月08日 | travel abroad
5月3日~5日、GW真只中、2泊3日弾丸ながら、中国・北京三昧のひとり旅に出かけました。
世界遺産『頤和園』。『頤和園』は元々「清蔬園」と呼ばれ、清代の繁栄期である乾隆年間(736~1795年)に創建されました。乾隆帝は、色を好まず、放蕩をきらい、ただ「山水の楽、懐に忘るあたわず」『御制静宜園記』を心情としていました。「清蔬園」の施工平面図や立体模型は、すべてみずから審査許可して所管します。乾隆帝が手がけた「清蔬園」は、歴代皇帝と同様に、その思想と好みによって建造。乾隆帝は「天人合一、皇帝権力至上の思想」「長寿不老の神仙思想」「享楽の思想」を造園思想とし、そのため「清蔬園」は歴代皇室の庭園や私家庭園、名山大川、著名な寺院の精華を融合させて、中国の典型的な庭園件pの集大成となりました。以降、皇帝の離宮として栄えます。しかしながら、1860年の英仏連合により破壊されますが、その後再建したのは西太后でした。1880年西太后自らの還暦祝いのため、78万両という巨額な資金を投じて改修。江南の風景に憬れた清代皇帝たちの思いを再現。敷地の75%は江南の西湖を模した造営した「昆明湖」が占め、「昆明湖」を掘った時の盛り土で万寿山を築いたのだそう。その万寿山にそびえ立つ「仏香閣」は、高さ20mの石製台座の上に建てられ、高さ41m、八角形三階建て、四重のひさしをもつ仏を祀る塔です。堂々とした構えで、『頤和園』の代表建築でありシンボルです。また、西太后は自らの住まいである「楽寿堂」や、「楽寿堂」から「昆明湖」沿いに長さ20mの「長廊」などを建てました。ここの地は“Summer Palace”と呼ばれるだけ、西太后が避暑地として愛していた場所であり、皇帝たちが避暑や昆明湖での遊覧を楽しむために使われてきました。さすが西太后、その規模もしかり、絢爛豪華さもしかり、日本の三大庭園は足元にも及ばないでしょう。世界的にも希な、現在、最も完全に保存された大型皇室庭園です。驚きと称賛と感動に謝謝。




“東宮門”



“仁寿殿”





“楽寿堂”(西太后の居室)







“大戯楼”



“長廊”









“仏香閣”





“排雲門”



“雲輝玉宇”



“昆明湖”



“南湖堂(南湖島)”



“十七孔橋”






天壇公園〔世界遺産〕

2015年05月07日 | travel abroad
5月3日~5日、GW真只中、2泊3日弾丸ながら、中国・北京三昧のひとり旅に出かけました。
世界遺産『天壇公園』。明代の永楽18年(1420)に創建されて以来、歴代皇帝が天の声に耳を傾け、五穀豊穣や雨乞いなど国家安泰を祈る国家の祭祀を行ってきた神聖な場所が『天壇』です。“壇”とは祈祷場所を意味し、紫禁城(現、故宮博物院)の四方に、天壇、地壇、日壇、月壇の四壇が設けられています。その中で『天壇』は最も重要視され、その規模は四壇で最大。1918年に、『天壇』は公園として一般市民に開放されました。現在は世界的にも有名な観光スャbトとなっていて、外国人にとっては中国のシンボルであり、中国人にとっては北京のシンボル、また北京の人たちにとっては「老北京(オールドペキン)」のシンボル。273㎡という故宮の4倍にあたる広大な敷地内で圧涛Iな存在感の『天壇』のシンボルといえば、「祈念堂」です。天をさすような独特のフォルムと、3層に連なる青い瑠璃瓦の屋根。毎年正月に皇帝が五穀豊穣を祈願した建物で、明代の1420年に創建され1860年に再建。建物内の4本の柱は龍井柱といい四季を、周囲の12本の柱が12の時刻を、上階の短い12本の柱が12か月を表します。敷地内では、結婚式でしょうか、何か撮影でしょうか、美男美女の撮影が行われていたのが印象的でしたが、神聖なスピリチュアルな場所ならでは。この「祈念堂」の独特なフォルムですが、中国酒のボトル瓶にもなっているのだそう。ということで、「天壇東門」から近所の人々が楽器演奏やゲームに興じる「七十二長廊」を経て見学に入った我々は、「祈念堂」周辺を中心に見学。南門方面は、「丹陛橋」の途中までで、南門へと続く「圜丘壇」や「皇穹宇」は時間切れにて見学できなかったのが若干心残りとなりました。謝謝。





“祈念堂”







“祈念門”



祈念堂を囲む建造物







“皇乾殿”







“丹陸橋”



丹陸橋に面する建造物



“七星岩”






故宮院博物院(紫禁城)〔世界遺産〕

2015年05月06日 | travel abroad
5月3日~5日、GW真只中、2泊3日弾丸ながら、中国・北京三昧のひとり旅に出かけました。
明清492年の長きにわたり、明代14人、清代10人、計24人の皇帝の居城であり、天帝に代わって皇帝が地上を治め、中国全土への統治を行った「紫禁城」。北京市街地の中心部、南北61m、東西753m、敷地面積72万㎡を誇る世界最大の宮殿群です。天帝の住まいする「紫」の宮、庶民の隣接を「禁」じた暮らしがうかがえ、荘厳な建物群が歴代の皇帝の栄華と威容を今に伝えている「紫禁城」ですが、1947年、ラストエンペラー愛新克羅溥儀の退去とともに、「故宮博物院」と名付けられ、歴代皇帝や皇后たちが愛蔵した宝物・文物を管理することになり、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。日本はGWですが、中国では5月1日の労働節、そして労働節休暇が3日までということもあり、賑わいを超え危険を感ずるほどの人の波。観光客が立ち入れるスペースは限定的で、かつ、順序良く並ぶなどという考え方とは無縁の中国人気質、加えて修学旅行か遠足か小学生軍団も加わって、とてつもなく広い「故宮」ですが、所々の門ではラッシュアワーの電車に乗り込むような状態でした。ゆったりと鑑賞・見物できる状況ではありませんでしたが、センターラインを南から北へと、皇帝が公務を行った宮殿の要のエリア(午門~太和門~太和殿~中和殿~保和殿)である「外朝」から、皇帝や皇后が暮らしたプライベートエリア(乾清門~乾清宮~交泰殿~坤寧宮~御花園~神武門)である「内廷」と、建造物は人人人の頭と頭の間から見学できました。残念ながら「内廷」東側の鐘表館(奉先殿)や珍宝館(寧寿宮・皇極殿)は行くことができず、金銀財宝を拝むこともできませんでした。また、西側の皇太后の住んでいたエリアもパス。もっとも人出の多さが無くとも時間の制約のあるツアーですから見学コースには入っていなかったかもしれません。黄金色の屋根と朱の壁が印象的な壮大な宮殿群と人の多さに圧唐ウれた「故宮博物院(紫禁城)」でしたが、明清時代のエンペラーたちが、正にこの場所に居たかと思うと、その息遣いまでもが感じられる感動の見学となりました。謝謝。


【外朝】“午門”



“太和門”







“太和殿”







“中和殿”



“保和殿”




【内廷】“乾清門”





“乾清宮”







“交泰殿”



“坤寧宮”



“御花園”







“神武門”



“景山公園”



“景山公園”から見る“故宮博物館”